【シリーズ:反日騒動2005(14下)】
(「上」の続き)
日系スーパー襲撃事件による中国側の「大きな変化」は、それだけではありません。
今朝の香港紙『明報』(2005/04/05)が目を引く記事を掲載しているのです。消息筋情報として、中央宣伝部が中国国内の各メディアに対し、民間の反日活動に関する報道をクールダウンさせるよう明確に要求した、と報じています。それだけではなく、日貨排斥活動は一切報道しないよう求めてもいる、というのです。
この消息筋によると、当局は民間レベルでの署名活動などによる反日気運の高まりに目をみはり、また不安も感じているとのこと。これは当ブログでも常々指摘しているところですが、民衆の反日感情が盛り上がり過ぎて別の社会問題へと飛び火することを恐れているというのです。時期的にも、趙紫陽・元総書記の死去によって政治的に敏感にならざるを得ない清明節(きょう)を迎えるところであり、それに続く5月6月も1989年の民主化運動や天安門事件を思い出させる季節です。
このため中央は各地方政府に対し、反日気運の動向に注意するよう通達を発令。デモは原則的に禁止とし、「反日」で盛り上がる機を捉えて暗躍しようとする動きには厳重に警戒するよう求めているとのことです。
どうやら日系スーパー襲撃事件に党中央は戦慄してしまったようですが、それは署名活動やデモの先頭に立っていた珍獣(プロ化した糞青)や糞青などの「なんちゃって民間組織」も同じだったようです。やはり香港紙の『蘋果日報』(2005/04/05)によると、珍獣の代表的存在である童増・中国民間保釣聯合会会長は「一部の過激な行動は確かによくなかった」と認め、活動に参加する民衆は理性的・合法的に振る舞ってほしいとする一方、各地の警察組織も秩序維持に協力してほしい、と呼びかけています(オマエ何様?)。
しかし童増は腐っても珍獣です。そう語る一方で「民衆の激情は理解できる」と虚勢を張ることも忘れませんでした。このほか、やはり深センの活動の主催者だった「民族先鋒網」は4日、そのホームページ上で活動に参加する民衆に理性的であるよう呼びかけ、「破壊行為は国家や人民、それに自分自身に対する無責任な行動だ」と強く戒めています。
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お前らが煽ったからだろ、とツッコミを入れてやりたいところですが、連中も組織維持の立場から暴動などを望んでいないことは前回述べた通りです。
「現在のような社会状況のもとで、『反日』という可燃度の高いテーマを振りかざしているところに民衆が加われば、事態が予期せぬ方向へと変化することがある」(この機微についても前回書いた通りです)
という活動家ならば当然知っていなければならない経験則が、恐らく珍獣・糞青には欠落していたのでしょう。ネット世界では大手を振って跋扈しているものの、現実世界では参加者数十人の「なんちゃってデモ」しかやったことがない訳ですから、無理からぬところかも知れません。
ついでに言いますと、私が珍獣・糞青たちの属する組織を「民間団体」とカギ括弧でくくったり「なんちゃって」をつけたりしているのは、連中の組織がその生殺与奪に関する権限を常に当局に握られているからです(現に愛国者同盟網は胡錦涛によって一度潰されています)。珍獣・糞青なぞ所詮は四つ足扱いで、党内の某政治勢力という飼い主がいないと生きていけません。逆にいえば、そういう後ろ盾があるから専制政権下でも政治活動めいたことができるのです。
これら「民間団体」は飼い主だった江沢民が引退した途端、胡錦涛に潰されたり謹慎処分(掲示板閉鎖)を喰らったりしましたが、幸い胡錦涛がその利用価値を認めたことで復活し、現在に至っています。ただ、最近は『中国青年報』などがクールダウンを企図した記事を出さなければいけなかったように、どうも胡錦涛の掌から抜け出して勝手に踊り出している気配がありました。それが調子に乗って慢心した珍獣・糞青による独自の意思表示なのか、それとも飼い主が胡錦涛から別の政治勢力に移ったのかは不明です。
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ここまでの出来事を振り返って一応考えてみますと、全ての原因は珍獣・糞青を街頭に繰り出させてしまったことにあるでしょう。その結果民衆を引き寄せてしまい、プチ暴動という思わぬ化学変化が起きてしまったのです。日本にプレッシャーをかけるつもりが逆に攻め込まれるネタを与えてしまい、しかも米紙『ウォールストリートジャーナル』の社説で嘲られ、中国は世界に恥を晒してしまいました(笑)。
今までのように、ネット署名にとどめておけばよかったのです。各地で行われている大学生による活動も、学生会のような党の息のかかった御用組織が主導しているとみえて、その大半が各大学ごと単独に、しかもキャンパス内で活動が行われています。学生会あたりが横断幕を作り、一般学生にそこへ署名させて一丁上がり、という形式ですから、民衆と接触することはない訳です。一部の大学生による街頭活動も、そこは党の息がかかっていますから、珍獣・糞青のような煽りを交えることなく行儀よく行われたのだと思います。
「民間団体」を街に出したのは胡錦涛の責任でしょう。しかも、それをメディアに派手に報道させた。当然記事には「愛国者同盟網」など主催者の名前が入ります。それを読んで珍獣・糞青たちは「これで公的に認知された」と大喜びし、いよいよ燃え上がります。それと同じ分だけ増長もします。深センのデモは公安局からの許可が下りないまま強行されたものです。増長して舞い上がり、生殺与奪の権が飼い主の手にあることを忘れたからこその振る舞いではないでしょうか。
事件が起きてしまったのでもはや手遅れになってしまいましたが、手を打たないよりはマシです。そして消息筋によれば、胡錦涛はここでお馴染みの報道統制モードに入りました。全てが完全に胡錦涛に従うかどうかはまだわかりませんが、(上)で紹介した『中国青年報』の署名論評は「新華網」はじめ各大手メディアに転載されています。それだけではなく、各地方政府にも通達を出して、粗漏のないようにしました。
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……でも、それで十分と言えるでしょうか。結局のところ、珍獣・糞青らの「民間団体」が街に出て活動することを禁じない限り、また似たような騒動が起きるのではないかと私は思います。胡錦涛がそこまで踏み切れるかどうか、それが現時点におけるカギであり、もし踏み切ることができなければ、大袈裟と言われるかもしれませんが政権の命取りとなるでしょう。
さっさと禁止すればいいじゃないか、という声もあるでしょうが、そこが難しいところなのです。「踏み切れるかどうか」というよりは、「禁止できるかどうか」という方が正確かも知れません。上述したように、「なんちゃって民間団体」の飼い主がいま現在は誰なのか、はっきりしません。もし胡錦涛を面白く思わない政治勢力の掌にあるとすれば、胡錦涛は完全にその動きを封じることは難しいでしょう。
仮に胡錦涛がまだ飼い主の形であっても、強権発動で弾圧だ、庶民派なんてウソだった、という風評が立つのは避けたいでしょうし、「日本に対して何もできない軟弱政府」と思われるのはもっと避けたいでしょう。でも珍獣・糞青を引き続き現実世界で活動させれば、それはそれでリスクを負うことになる。珍獣や糞青が、当人たちは自覚せぬまま反政府運動への触媒になってしまうかも知れないのです。
という訳で、結語は前回と同じです。胡錦涛がいきなり剣が峰に立たされ、究極の選択(?)を迫られている。そういう印象なのです。
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【清明節記念】本文とは関係ありませんが、清明節です。私にとってはやはり趙紫陽氏なのです。今日は自宅が開放され、一般市民の追悼も受け入れるとのことです。……尻切れトンボですみませんが、どうにも言葉が出てきませんので、このくらいで。
趙紫陽氏死去1:終わりの始まり(2005/01/17)
趙紫陽氏死去2:乱れ飛ぶ消息筋情報(2005/01/18)
趙紫陽氏死去3:胎動?(2005/01/19)
趙紫陽氏死去4:悩める胡錦涛?(2005/01/22)
趙紫陽氏死去5:動かぬ事態が示すもの(2005/01/24)
趙紫陽氏死去6:ひょっとして江沢民?(2005/01/25)
趙紫陽氏死去7:葬儀は今週末?(2005/01/27)
趙紫陽氏死去8:「人民葬」待ち?(2005/01/29)
→反日騒動2005(15)へ
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似た名前を使われている方がいらっしゃり、混同されなければと心配しておりました。
何はともあれ、ライブ状態で事態が伝わってくることに隔世の感があります。また日本、米国から注意や批判的な論評が出るようになってきたと言うことは、かなり中共内の状態そして対外的な中国中共の立場がはっきり見えつつあるのではと考えたりします。聞いた話ですが文革の頃、日本のマスコミが紅衛兵にボコられたりしたそうですが、今考えるとよく無事でと思います。
思うと自力更生を止め対外開放したばかりに、目も当てられない事態の頻発と利権がらみの内ゲバニュースの世界への発信。
あ~あです。
http://www.cn.emb-japan.go.jp/jp/ryojibu/eoj050405.htm
いや、冗談です。本物の1読者さんであることは以下でわかります。
>思うと自力更生を止め対外開放したばかりに、
こういう発想は私にはできません。当時の北京の風景を実見したからこそ自然に出てくる言葉なのだと思います。ですから私の場合はつい趙紫陽に入れ込んでしまいます。
「珍獣・糞青+民衆=非反日の暴動」と、私は今回の事態を捉えています。改革・開放の歪みゆえの出来事ですが、今度は歴史教科書のようですね。何だか日本が中共を潰しにかかったかのようです(笑)。
P.S.「ライブ」は眠いのでなかなか大変です(笑)。
これは外務省の出した危険情報を転載したものですね。確かに「気をつけろ」としか言えないのですが、ヨーカ堂とかジャスコとか、職場先にまで押し掛けられたらどうしようもないですよね。
あとはマスコミです。マスコミがこの情報を大きく報じてくれることを、期待せずに待っています。
これは外務省の出した危険情報を転載したものですね。確かに「気をつけろ」としか言えないのですが、ヨーカ堂とかジャスコとか、職場先にまで押し掛けられたらどうしようもないですよね。
あとはマスコミです。マスコミがこの情報を大きく報じてくれることを、期待せずに待っています。
全角の1としてしまっていたのは普段と違うパソコンを使っていてそのまま変換していなかったためと思います。
「1読者」というのは紛らわしい名前かと少し悩みました。ただ変えると逆に混乱しそうなので、このまま「1読者」でコメントを書こうと思っています。
あの時、
自力更生は本当に馴染みの4文字です。天安門広場に標語と肖像(確かマルクスとレーニンはあったのはよく覚えているのですがあと二枚ぐらいあったはず)があり、毛沢東の肖像画が人民大会堂や歴史博物館の玄関に飾られていた時代です。毛さんの肖像画は日本のクレーンで下ろされたのがとても印象的でした(どっかに写真が残っているかも)。
北京環状線が開通して車で初めて一周したときも交差点には標語が立っていました。
開放を止めるとあの時代に戻るのかなと思ったりします。また天安門広場に馬車が通るようになる日がきたりして。
夜も更けて思い出モードですけど、今の状況を見るにつけ昔のほうが良かったと今はしみじみ思います(当時の自分にとってはとても嫌な思い出も多いけど、今となると良い時代であったと思ったりします)。
中国の人たちがちょっと人民服を脱ぎだし、スカートやヒールのついた靴やサンダルを履いたりしたあのときの雰囲気はとても好きでした。息苦しかった風景が徐々に柔らかくなっていった80年代。贅沢なものは無かったけど料理は季節に合わせてレストランで出ていて、友誼賓館までコーヒーを飲みに行ったり、アップルパイを食べにいったり。ロシア料理店(北京動物園の横)では美味しい焼きたてのパンやボロシチを食べに行ったりして、その建物の影でカップルがいちゃいちゃしてたりしてました。
あの時はみんなそっと変化を楽しみにしていたのです。なんでこんなことになっちゃたのだろう。きっと小平最大の失敗は江沢民を選んだことだとつくづく思います。
長くなりました。夜も更けました。ここは本当平和です。
1読者さんの思い出話をもっと読みたいなぁ、と御家人さんのブログをお借りして表明するしだいであります。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。