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日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





「上」の続き)


 お早うございます。m(__)m

 ……って、全然早くありません。あれから書き仕事をして寝たのが23:45。んで起きたのが、02:15。「オハヨ」じゃなくて、昨晩の延長でしょこの時間帯は(いわゆる26:15)。

 いまは3時半です。先刻までサロンカーに行って名古屋在住という年配の御夫婦と旅行についての四方山話で盛り上がっていたのですが、通りかかった車掌さんによると青函トンネルに入るのは03:40くらいだというので、いったん自室に戻ってきた次第。

 全ては昨夜、寝台に入る直前に編集部から携帯にかかってきた電話によるものです。

「あのー、青函トンネルの通過シーンもお願いします」

 と、この一言。冗談じゃありませんよ。そりゃ上野発の「北斗星」(下り)であれば5時くらいに通りますから、私の生活習慣に照らせば早起きにはなりません。サロンカーで見物する乗客も少なくないようです。

 しかし前述の通り、この「トワイライトエクスプレス」が青函トンネルに入るのは03:40前後。よほど酔狂な客でない限りこんな時間に見物に出て来たりはしません。実際この時間にサロンカーにいたのは上の夫婦2人のみ。画になりません。

 そうなるのが目に見えていたので編集部には敢えてずっと黙っていたのですが、どこで聞きつけたか「日本最長のトンネル」という謳い文句に食指が動いた模様。

 ――――

 とはいえ、であります。

 だいたいトンネルなんざ、真っ暗なだけじゃないですか。確かにトンネル区間に海底駅が2つありますけど、ただそれだけ。明るい時間ならトンネルに入るときと北海道に出たときを動画撮影すれば悪くないのですけど、深夜に通過するので青森県(闇)→青函トンネル(闇)→北海道(闇)。サロンカーも閑古鳥。いったい私に何をしろというのでしょう。

 でも仕事ですからお願いされればやるしかありません。そこで昨日は寝る前に「3時起床。3時起床。3時起床」と自己暗示。寝台特急に乗っていれば多少の緊張感はありますから何もしなくても04:30くらいには目が覚めるのですが、それでは間に合いません。

 で、自己暗示が効き過ぎてしまった次第。パッチリと目覚めると何やら快眠感があったので、さては寝過ごしたか……と思い枕元の時計を見たらビックリであります。

 結論。「トワイライトエクスプレス」に乗るなら自腹にすべし。まあ私の甲斐性では一生無理ですけどね。

 いまはもう北海道です。青函トンネルは闇のまま終わりました。私は自室で動画撮影をしたあとサロンカーに行ったらすでに無人。





 ラジオ体操でもしましょうか。

 ――――

 07:15であります。今はもうすっかり上機嫌。

 青函トンネルの惨劇から一時間余、諸作業をしているうちに朝食の時間となりました。私は一回目(入替制)の06:00に洋食を予約しておきました。世間的には早朝ということになるのでしょうけど、私の生活習慣ではもう動き出している時間帯なので。

 食堂車へ行くと、一回目の予約は私だけということで貸し切り状態。このとき嬉しいことに、私が取材のため乗車していると知っている食堂車のスタッフが、わざわざ和食メニューも撮影用に準備しておいてくれました。何とも心憎い、また心温まる配慮であります。





 朝食もまた美味しく頂きました。





 これまたタイミングの良いことに、食事の途中から空が白み始め、日出時刻を過ぎると朝焼けに照らされた噴火湾がくっきりと姿を現わしたのです。波頭ひとつ見えないまことに穏やかげな海に、雲間から差し込んでくる朝日。ハレルヤとしか言いようがありません。

 食事を終えてお勘定を済ませたときに撮影用和食メニューの心遣いに改めてお礼を言い、またこの下り「トワイライトエクスプレス」が日本で唯一4回食事をとれる(昼食・夕食・夜食・朝食)列車であることを挙げて、

「一生の思い出になります。有り難うございました」

 と重ねて感謝すると、「そんな大袈裟な」と笑われてしまいました。そこで少し迷ったのですが私の宿痾と残り時間について話すと、果たしてスタッフ一同の営業スマイルが固まってしまいました(笑)。これはマズいと思ったので、

「まあ元気なうちに一山当てたら、今度はロイヤル(A個室)でまたこの列車にお世話になります。そのときは宜しく」

 と与太に逃げると、幸い一同も笑顔を開いて激励してくれました。

 そのあとジャズが流れる隣のサロンカーに席を移して、明けてゆく噴火湾を心ゆくまで眺めました。





 奈良においても痛感したことながら「やっぱり自然にはどうやったってかなわない」と改めて思い、魅了されてカメラのシャッターを切り続けながらも、その作業に没頭する自分が浅ましく感じられてなりませんでした。

 北海道に入ってから最初の停車駅・洞爺を過ぎました。あと2時間ちょっとでこの列車ともお別れです。早くも湧き上がる名残惜しさを、私はどうすることもできません。

 ――――







 東室蘭(07:54)を出てから、進行方向左手である私の部屋の窓に、続々と白い雪を戴いた山々が姿を見せ始めました。いかにも神が宿りそうな清げな山ばかりが次々に登場しては後方へと流れていきます。仕事の手を休めてしばし眺望に酔いました。

 空はすっきりと晴れています。寒冷地らしいよく澄んだ青空です。

 苫小牧(08:50)のあたりから、線路脇にうっすらと積もった雪が目立つようになりました。積もると言うよりは「振りまいた」あるいは「まぶした」といったような感じです。昨日ちょっとだけ降雪があったようですから、恐らくその名残りでしょう。

 ――――

 列車は噴火湾に別れを告げて内陸部へと切り込んで行きます。

 酪農を営んでいると思われる民家が増えてきました。生まれて初めての北海道に、とうとう来たんだなあという実感が湧いてきました。北海道そのものには全く興味がないのですけど(現地在住のみなさん、申し訳ありません)、未踏の地だけに多少の感慨はあります。

 再び姿の良い山並みが見えてきました。「トワイライトエクスプレス」最後の停車駅・南千歳(09:11)を出てほどもない頃です。積雪もそれらしくなってきました。民家のガレージに収まっている車や通過駅のホームが真っ白に染まっています。







 最近の東京では降雪自体が珍しいので、雪が積もっているのを見るのは実に久しぶりで新鮮です。ただ雪の降る時期に寒冷地を訪れるのは初めてなので、ちょっと不安です。一応抜かりなく準備はしてきたつもりですけど。

 ――――

 ……終着駅まであと10分。列車は市街地に入り減速に転じました。札幌の街を抱く雪化粧した山並みが少しずつ大きくなってきます。まことに遺憾ながら、下車する準備をしなければなりません。仕事場を片付けて手荷物をまとめている間に、最後の車内放送が始まりました。

「またの御利用をお待ちしております」

 と締めくくられたアナウンスに、自分に「また」はないだろうなあと思いました。少なくとも私の甲斐性で易々と乗ることのできる列車ではありません。残り時間の関係もあります。

 ……しかし何はともあれ、ふとした機縁から取材とはいえ一期を飾る思い出を作れたことに謝天謝地であります。取材だからこそ心に沁みる交流もあり、親切もありました。「青函トンネルの惨劇」による睡眠不足にしても、一般客より何時間も長く夜汽車の旅を楽しめた、と前向きに考えることにしましょう。





 ホームに下りたときに、ひとつの旅が完結したような錯覚にとらわれました。先日乗車した「サンライズ出雲」にはなかった感覚です。1495kmを約22時間かけて走る「豪華寝台特急」という存在感の為せる業、とでもいうべきでしょうか。

 サヨナラ、「トワイライトエクスプレス」なのであります。





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 いま、大阪発札幌行の寝台特急「トワイライトエクスプレス」でこのエントリーを書いています(このフレーズ、使ってみたかった♪)。

 間もなく福井に着く頃です。

 「人生の修学旅行」と名付けた11泊12日の旅路におけるメインイベントが、これ。鉄ちゃん垂涎の豪華寝台列車の乗車体験です。……とはいえ再三強調している通り、この旅行の建前はあくまでも仕事。香港誌に向けた寝台特急の旅を紹介するための取材であります。

 私の部屋は一人用B個室(シングルツイン)で6号車10番。本当はA個室(ロイヤル)をゲットしたかったのですが、この大阪発「トワイライトエクスプレス」のロイヤルというのは超プラチナチケット。

 私は旅に出てからも含めて三週間以上、JRの「みどりの窓口」に日参してキャンセル待ちをしたものの、とうとうモノにすることができませんでした。





 とはいえB個室も御覧の通り十分豪華。寝台料金だけで9170円もするのです。「サンライズ出雲」の「シングルDX」よりは手狭ですが、一人旅ならこの部屋で十分満足できるでしょう。持て余したらサロンカーに行って他の乗客と交流するもよし、食堂車で珈琲を飲むもよし。

 私なんか「こんな部屋を独占していいのだろうか」という思いが一瞬脳裏をよぎりましたが、だって取材だもん経費♪。

 ――――

 12:03に大阪を出発してしばらくすると食堂車で昼食のサービスが始まります。私はもちろんシェフお勧めの、サーモンのソテーをメインとするコース料理2100円。「おいちょっと高くないか?」という思いが一瞬脳裏をよぎりましたが、だって取材だもん経費♪。





 マロンのスープがびっくりするほど美味しかったです。サーモンのソテーはものすごく上品な味わい。そして車窓には琵琶湖が。「自分なんかが昼間からこんな豪華なものを食べていいのだろうか」という思いが一瞬脳裏をよぎりましたが、だって取材だもん経費♪。

 ――――

 いま福井駅を出ました。ビューポイントとしては日本海&立山を望める富山(16:30)が次のターゲット。いまは北陸の農村風景のなかを疾走中であります。

 食堂車から部屋に戻ってしばらくすると、車内限定販売グッズの販売のお姉さんが回ってきました。

 ストラップ700円、トランプ1260円、スポーツタオル2000円、木製ボールペン2500円、そして極めつけは乗車記念オルゴール(名前・乗車日・乗車区間・部屋番号が刻印され後日宅配)8400円!「記念とはいえ車内限定とはいえこんなに色々買い込んでいいのだろうか」という思いが一瞬脳裏をよぎりましたが、だって取材だもん経費♪。

 他にも「北海道限定生産バニラアイスクリーム」や「ホットコーヒー」など車内販売が来る度に購入してはのんびりと賞味しています。ゆっくりと流れてゆく緑の木立のなか、ただ一本の柿の木に生った赤みを帯びた実がキラキラと光るように揺れています。そんな晩秋の情景を楽しみつつ個室で飲むコーヒーはまた格別です。

 何たって「トワイライトエクスプレス」ですから、「小田急ロマンスカー」や「スーパーひたち」とはまるで格が違います。「地代」もまるで違います(笑)。そしてこのコーヒーは紙コップまでが車内限定品!「こんな贅沢に身を委ねていていいのか」という思いが一瞬脳裏をよぎりましたが、だって取材だもん経費♪。

 ――――

 ただ一応お断りしておきますが、仕事で乗っているので「究極のマターリ」とは言いつつも、私はちゃんと働いていますエッヘン。

 車掌さんにインタビューしたり、車内販売のお姉さんや食堂車のウエイトレスからコメントを取ったり。大阪駅での入線風景はもちろん、ビューポイントごとの撮影はお約束です。

 いま金沢に着きました(15:37)。

 続けます。……サロンカーや食堂車も撮影しますし、無理を言ってコース料理はまとめて持って来てもらって、並べたところを写真に収めたりもしています。

 車内限定販売の記念グッズだって、実は乗車記念オルゴール以外は読者プレゼントに回すのです。

 また、私は食が細いので昼食を食べれば十分なのですが、このあと夕食はもちろん、「パブタイム」という夜食サービスが食堂車にはあるのでこれも食べなければなりません。しかも取材ですから注文は複数のメニュー。これでは太ってしまいます。orz

 ――――

 太るも何も、お前は海坊主だろ!と言うなかれ。薬太りして中性脂肪が危険な水準にまで増加したことに危機感を抱いた御家人は、腕のいい漢方医と相談してこれを減らすべく薬を処方してもらう一方、ただでさえ慎ましかった食生活もより粗餐に改めました。

 さらに日課である「散歩」と「散策」が奏功して、この一カ月余りで体重が約20kg減ったのです。

「面やつれしていません。いいダイエットをしましたね」

 と主治医からほめられましたので善しとしましょう(自分でも驚いています)。ともあれ薬太りする前の体型に戻りました。ウエストも15cmほど縮んで、台湾で編集局長&編集長をやっていた頃より細くなりました。もちろんメタボ風味とはオサラバ。あと1~2カ月もすれば自分でベストと考えている大学時代の体重へ自然と回帰する筈です。

 「海坊主」ではなくなってしまったため「されば旧態に復しよう」ということで、いまは0.5mmのバリカンで丸刈りにしてもらっていた髪を伸ばし始めています。

 まあ一夜の寝台列車で大食いしても大して響かないのですが、このあと三泊する札幌で海鮮とジンギスカンとラーメンが待っています。その次には旅路を締めくくる寝台特急「北斗星」(札幌→上野)が控えていますから、「取材太り」がちょっと心配。

 ……などと懸念する私に構わず、「トワイライトエクスプレス」は順調にダイヤを消化して北陸本線を北上中。いま高岡を出ました(16:14)。空はよく晴れています。富山を過ぎてもこの天気が崩れなければ、雪の立山&日本海に沈む夕日を拝める筈です。

 ――――

 その富山に着きました(16:30)。私の部屋が面している日本海側には残念ながら雲がたくさん張り出して来ています。

 さっき食堂車へ行ってウエイトレスさんと雑談(取材!)したときに聞いたのですが、この時期だと太陽の方が早く沈んでしまうので「日本海サンセット」は望めないそうです。せめて夕焼けの日本海を、と願っているのですが。

 ……願っていたのですが、日本海が視界に入る前に夜になってしまいました。orz

 しかし落胆しているヒマはありません。夕食の「日本海会席御膳」が部屋に運ばれてきました(16:45)。

 「トワイライトエクスプレス」の場合、夕食は事前予約制で乗車日の5日前までに「みどりの窓口」などで申し込む必要があります。フランス料理のフルコース(1万2000円)と和食懐石(6000円)があるのですが、私はフランス料理を「北斗星」の楽しみに残して、今回は和食を選択しました。







 和食だと個室で食べることになるので、肩肘を張らず気楽に楽しめます。……とはいえまずは仕事。写真撮影で15分ばかり悪戦苦闘した挙げ句、ようやくありつくことができました。京風の味つけで、粗食に慣れた私には堪えられない美味ばかり。心の中でわーわー言いつつゆっくりと時間をかけて完食しました。





 夜のとばりが下りると、室内を照らす白熱灯のやわらかな光がにわかに味わい深いものへと変わり、夜汽車ムードを醸し出し始めます。すっかり満腹となった私はもう極楽気分。「おれのような奴がこんな幸福を享受していいのか」という思いが一瞬脳裏をよぎりましたが、だって取材(ry

 ――――

 ちなみに、これから「トワイライトエクスプレス」に乗車する方への「戦訓」を挙げておきます。

 まずは車内での飲み食いや買い物は全て現金決済だということ。クレジットカードはもちろん、スイカもイコカも盗聴Edyも一切使えません。ですから現金を普段より多めに準備しておく必要があります。

 もう一点は、行程が22時間の長きに及ぶため、水分補給をまめにする人はスポーツドリンクやミネラルウォーターの類を1リットルや2リットルのペットボトルで持ち込んだ方がいいということ(私は薬の副作用で喉が渇きます)。車内に自動販売機はあるものの、種類も量も限定されているのであまりアテにはなりません。

 さらに、

「故・司馬遼太郎氏を見ろ。宮崎駿氏を見ろ。紫煙にくるまれた日常なくして良いものが書けるかっ」

 と嘯く私のような人間、要するにチェーンスモーカーは、灰皿を持参する必要があります。B個室だと一応座席の肘掛けの下に灰皿の引き出しがありますが、ごく小さなものですから役に立ちません。あんなものは飾りです。偉い人にはそれがわからんのであります。……まあ、ドトールなど喫茶店で使われているサイズのものを用意しておかないと快適には過ごせないでしょう。

 つい先刻、列車はフォッサマグナで有名な糸魚川を通過しました。私にとっては久しぶりの東日本であります。

 ――――

 眠いです。

 いま19:45。本州における「トワイライトエクスプレス」最後の停車駅(乗降可能駅)である新津をさっき発車したばかりです。

 現時点までの書き仕事はもう全て終えてしまいました。写真の選定も完了。

 今回の豪華寝台特急の旅は「予行演習」たる「一泊二日箱根ハッピーアワー定食」と違って、全ての旅程を消化してから記事として私がまとめ上げて画像を添付し送稿するのではありません。

 「サンライズ出雲」「トワイライトエクスプレス」「北斗星」のそれぞれに乗った直後にその都度、乗車ルポというより箇条書きのメモに近いものを画像とともに編集部に送る変則形式です。

 記事に仕上げるのは編集部で、私はいわば素材を提供する役目。当然ながら今回は私の名前は表に出ません。出ないとどうなるかという「オトナの事情」に関する説明は措くとして、とりあえず現在までにやることは全部やってしまいました。

 平素は21時~21時半、遅くとも22時半には寝てしまう私の身体は、二食マトモに食べたド満腹状態により「もう寝ようよ早く寝ようよ」と、しきりに言ってきます。

 蓄積疲労のせいもあるでしょう。マターリに徹する筈の奈良でうっかり歩きまくってしまったために、奈良最後の夜である昨晩(27日)はさすがに困憊して19時半に就寝。それでも抜けなかった疲れが身体のどこかに残っているようです。

 しかしながら、21時に始まる食堂車の夜食メニューを消化するまでは、眠ることができません。21時といえば、私にとっては寝る時間。それはいいとしても、そこまでが手持ち無沙汰の待ち時間であるために、つい眠くなってしまいます。夜だから窓の外は何も見えないし。

 眠気覚ましに、さっきまでJAPAN(Xじゃなくてミック・カーンがいる方)を聴いていました。列車の走行音のおかげで、個室でそこそこ音楽を鳴らしても通路に漏れることはありません。

 いまは「HMOとかの中の人。」を聴いています。このアルバムが終わったら次は戸川純だな。わくわく。運行開始20周年にして、たぶん初めて「トワイライトエクスプレス」の車内で「肉屋の女」が流れるのです。……あっダメっ♪。

 私も少し壊れてきたのかも知れません。

 ――――

 現在22:01。食堂車の夜食サービス「パブタイム」のメニューを消化して自室に戻って参りました。どうやら列車は山形県内を走行中のようです。

 食べてきたのは「ビーフピラフ」(1200円)と「コールドビーフのサラダ仕立て」(1200円)。最近は食が細いものの元来が大食漢ですから、その気になれば平気で平らげてしまいます。





 いやーどちらも滅法美味かったです。私は美食家ではないので大雑把に形容しますと、東京の洋食屋で1200円を出してもこの味はなかなか出せまいというレベル。これは超オススメです。

 ついでに、こういうこともして参りました(笑)。







 最近、旅先にいるため日課の「散歩」(フリチベ戦闘服での徘徊とコンビニ絨毯爆撃)をやっていません。それなら天下の「トワイライトエクスプレス」の食堂車で試みてしまおうと。

 「フリチベウロウロ」スレ住人の方、もしこの画像を御覧になられたらスレに貼って頂けると非常に有り難いです。「ウロウロ」スレに集えし2ちゃんねらーの猛者連とて、これはなかなか真似できますまい。もしかすると「トワイライトエクスプレス」初の快挙。「北斗星」の食堂車でもやります。嗚呼零的突破!

 それでは書き仕事をして寝ます。


「下」に続く)





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――松江:朝霧――





――松江:朝靄のなか、大橋川でシジミ漁――



――松江:松江城付近にて――











――松江:必ずまた来るよ~――



――城崎温泉――









――京都駅――



――現住所――



 松江で二泊して、いまは奈良。旅程の三分の一をようやく消化したことになります。

 今日はこの「修学旅行」の中でも最もハードな一日。松江から奈良まで電車を乗り継いでの移動です。「鉄ちゃん」ゆえいまは亡き「山陰」(夜行鈍行)への鎮魂歌として、敢えて遠回りで不便な山陰本線→奈良線というコースを選択。

 具体的に書きますと、

 【1】松江08:00→(スーパーまつかぜ4号)→09:26鳥取
 【2】鳥取09:28→(普通列車)→10:12浜坂
 【3】浜坂10:22→(普通列車)→11:22城崎温泉
 【4】城崎温泉12:32→(きのさき6号)→15:03京都
 【5】京都15:19→(快速)→16:08奈良

 ……という行程でした。実は全て単線で、一部は非電化区間。松江から城崎温泉までは特急・普通列車ともディーゼル車両でした。

 ――――

 松江は、実に去り難い街でした。これほど魅力的な街が他にあろうか、とまで思いました。これについては稿を改めて書かなければなりませんが、私が受けた印象を簡単に文字で表すと、

「城下町の遺風という古格を残しつつも、程よくこじんまりとしていて、どこか温かく優しげな息づかいを感じる街」

 ということになります。二泊目は食が細いくせに欲張って料理屋をハシゴして、絶品としかいいようがない魚介類を主とした数々の郷土料理を心ゆくまで堪能した次第。

 松江城などの観光スポットよりも、何でもない街角のあちこちに珠玉のようなポイントがあふれていました。レンタサイクルを使っている観光客を見かけましたが、何と惜しいことをするのだろうと思いました。。

 松江は、歩いてこそ満喫できる街といっていいのではないでしょうか。

 今回、お城には行きましたが、小泉八雲関連のスポットはスルーして、武家屋敷もサラリと流して、あとは小路を伝い歩くように散策して楽しみました。

 宍道湖遊覧も堀川めぐりも敢えて回避。美味しそうなものは後にとっておこうと思いましたので。

 松江には、必ずまた来ます。

 ――――

 今日の移動においてまず鳥取付近で大山を拝みたかったのですが、あいにく山頂付近が雲に覆われていて「伯耆富士」には会えずじまい。有名な余部鉄橋は楽しむことができました。

 このあたりの山陰本線は山深い土地を選ぶように走っているものの、ときに視界が開けると進行方向左手に日本海を引き込んだ入り江の風景などが飛び込んできて、目を楽しませてくれます。特に柴山駅に入る直前に姿を現した小漁港は、ひっそりとした佇まいが堪えられませんでした。

 待ち時間があったので城崎温泉にて途中下車しました。駅前に観光地には珍しい瀟酒な喫茶店があったので、ここで一服。向い側に一風変わった和風の建築物があって、寺か何かかと思って店員さんに尋ねてみると、「外湯です」とのこと。なるほど温泉町なのです。

 車窓でいうと、この城崎温泉の直前から直後しばらくは何ともいえない悠然たる山河の眺望に感嘆したくなります。たぶんもう二度と来ることはないであろう風景をしっかりと心に刻みました。

 城崎温泉から京都までは特急電車です。乗車前に買った「但馬牛牛弁」を賞味した後ひと眠り。車掌さんに教えてもらった福知山城や保津渓谷は残念ながら寝過ごしてしまいました。

 京都に着いて構内を移動していると大半の人が関西弁を話しているので、

(これは油断ならないぞ)

 と、訳もなく緊張(笑)。大都市に戻ってくると何だか旅が終わったようで淋しい気持ちにもなりました。それでも奈良線の車窓からセブンイレブンが見えたりすると不思議と安堵感が湧いたりします(笑)。

 奈良線では宇治川を渡るあたりを撮り逃したのが唯一の心残り。

 ――――

 今日から三泊する奈良においては、思惑があって狙いを絞ったので主要観光スポットの大半はスルーし、観たいものだけを観てあとはまだまだ続く旅路に備えてマターリするつもりです。

 「スーパーホテルJR奈良駅前」に宿をとりました。正直いって泊まり心地はあまり良くないです。「ホテルルートイン御殿場」や「ホテルルートイン松江」に比べると部屋がずっと狭く、机も小さく、クローゼットも余裕がなくて不便です。

 まあ駅前(徒歩1分)で一泊朝食付きで5280円という低コストに甘んじて、極限まで無駄を省いたため、ゆとりがない結構になったのだと諦めるほかありません。同じ「スーパーホテル」でも、やはり駅前の「スーパーホテルLohasJR奈良駅前」なら料金は6000円台後半となりますが、快適に過ごせるのではないかと思います(今回は予約が取れませんでした)。

 明日はとりあえず奈良からちょっと離れる予定。若草山が閉山してしまったので、戻ってきたら東大寺二月堂から奈良の眺望を楽しみたいところです。幸い天候には恵まれるようなので、次の仕事である「トワイライトエクスプレス」乗車ルポまで気分良く過ごせればと考えています。

 それでは、また。





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 As titleであります。寝台特急「サンライズ出雲」で日曜夜に東京を発った私は、きょう月曜の朝、出雲市に到着。

 「サンライズ出雲」ではA個室(シングルDX)。まんまビジネスホテルという感じで非常に快適でした。……むろん仕事なので、それをのんびりと満喫することなく、車内では結構忙しかったですけど(空室撮影などに快く応じて下さった車掌さんに大感謝であります)。

 今日は日御碕と出雲大社を見物してから夕方に松江へと入りました。ここのホテルルートインは大浴場がない分だけ御殿場に劣ります。それから富士山もない(笑)。

 その代わり、窓からはすぐ前を大橋川が静々と流れているのが見えます、端っこの方には宍道湖が。穏やかにひっそりと、しかしほのかな色気を漂わせながら暮れていく湖景の美しさはただ事ではありませんでした。

 「晴れのち雨」との予報が出ているので明日の夕焼け撮影は難しいかも知れませんが、今日のをしっかりと目と心に焼き付けたのでもうお腹一杯です。

 明日一日はフリータイムなのでマターリするつもりです。今日はあまり街を歩けませんでしたが、松江には宍道湖を望める部屋で四泊ぐらい腰を据えて、のんびりと賞味したくなる風情があって実に良さげです。如何せん東京からは遠すぎますが……。orz

 それでは、また。





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「二」の続き)





 「三泊四日で富士山に会いに行きます」旅行の二日目。取材活動(建前w)の本格スタートであります(参考地図)。

 生活習慣によって暁闇の中で目覚めた私は、まず大浴場でひと風呂浴びてから自室で行程の再確認をしたあと、時間になったので階下の食堂に下りて朝食をとりました。

 明けてみると見事な秋晴れです。ただし、どうもやけに暖かい気がします。薄手のセーターにシャツを羽織るという至極軽快な服装だった私は、朝食を終えたあとホテルの外に出てみました。

 午前7時だというのに、全然寒くありません。東京で最高気温が20度を超える日が続いていた時期です。

 「箱根は山だから多少は寒かろう」と事前にネットで天気予報をチェックしていたのですが、滞在期間中はいずれも東京並みの陽気となっていたので、私はコートやダウンジャケットの類を一切持たぬ軽装で現地に乗り込みました。果たせるかな正解だったようです。

 しかし、これでは季節がたけることもありません。冒頭の写真の通りです。この日、紅葉狩りにどっと繰り出してきた人津波が失望しているのと、大層な厚着をしてきた人が大汗をかいているのを何度も見ることになりました。

 ――――

 ともあれ、私は薄着で出発。昼になれば気温はもっと上がるでしょうし、多少は歩きますから汗ばんだりもします。

 軽装の私は着重ねた姿ばかりの観光客の中で終始浮きまくっていたのですが、この期間の箱根の陽気には最も好適だったことは確かです。行く先々で薄着であることを訝しむ視線を浴びる度に、

(ケッ、情弱の馬鹿共が)

 と内心で意地悪く嘲笑っておりました。

 話が逸れましたが、出発であります。御殿場駅まで歩いた私は、箱根方面へのバスに乗車。しかし箱根に入る手前の乙女峠で下車しました。富士山のビューポイントとして、絶対に外せない場所だからです。急カーブの続く山道を登り終えたところで、いきなり視界が開けて息を呑むような光景に出くわすのが堪えられません。いつバスに乗ってもこの地点では乗客から感嘆の声があがります。





 素人写真ですからつまらなくなってしまいますが、まあこんな感じです。事前にタクシー会社やバス会社に電話して情報を集めたところ、運転手さんたちの答はほぼ一致していて、箱根周辺で富士山を見るならまずは箱根スカイラインの三国峠。しかしここへは交通の便が良くないので、第二位の乙女峠を私は主役に据えました。

 乙女峠から見る富士山が素晴らしいのは、手前で遮るものがないため、裾野までの稜線をくっきりと見ることができる、という点に尽きます。ただし角度の関係から、富士山の全容を映すとどうも鉛筆のように山頂付近がやや尖って見えてしまうのが難点。

 ……とはいえここはやはり途中下車して、しばし眺望に酔うのがお約束というものです。20~30分も待てば次のバスが来ますし、峠の茶屋めいたものもあるので時間を持て余すことはありません。御殿場から箱根に入るという「搦め手コース」の強味のひとつが、この乙女峠です。

 時刻表で確認しておいた通り、私が下りた次に来たバスは箱根園行の便でした(大抵は桃源台止まり)。これで終点まで行くと商売っ気の強い、あくどいテーマパークみたいな場所に着くのですが、ここには用がありません。

 ここからロープウェーに乗って、箱根第二の標高を誇る駒ヶ岳山頂に向かいました。本数が少ないのでゴンドラは満員となり閉口しますが、下車すればそれはもう、見事としかいえない景観を味わうことができます。





 とりあえず、富士山。





 こちらは芦ノ湖。静かなたたずまいのその向こう遥か遠くには伊豆半島の山並みがうっすらと見えて、駿河湾がキラキラとかすかに光っていました。

 山頂には由緒ある古社ひとつがあるだけでいたって殺風景なのですが、時間に余裕があるなら弁当持ちで2時間くらいぼんやりと四方を眺めていたいところです。大湧谷方面から風に乗って硫黄臭がときおり流れて来るのも、風情といえば風情。

 残念ながら先を急ぐ私は、ロープウェーで箱根園に戻り、バスで桃源台へ行って芦ノ湖遊覧の海賊船に乗船。終着点の元箱根港のすぐそばに、絵葉書ポイントがあります。







 「富士山に会いに行きます」という旅行の主題は、二日目においてはここで終了。あとは路銀を出してくれているための取材という槍働きをしなければなりません。

 最近の私は食が細いので朝食をとれば夕方まで食欲が起こらないのですが、仕事ですからまずは昼食。そのあと再び海賊船で桃源台へと戻り、仙石原方面を取材すべくバスを待ちました。

 桃源台から仙石原には複数の路線バスが乗り入れています。ただこのときは御殿場駅を経由して新宿に向かう小田急箱根高速バスの発車時刻が近かったので、私はその乗車点に立ちました。

 ――――

 このときに「事件」が起きました。バス停で独り立っていた私のところに若い女性二人組がやってきて、コリア語とおぼしき奇怪な言語を弄しつつバス停の時刻表を見ていたかと思うと、そのままそこに立ってバスを待つ風情。

 耳障りな言語だけでイライラしていた私は、「朝鮮人!」と言って二人の視線を捉えてから、「行列しなさい。行列」と手振りで示しました。相手は日本語を全く解さなかったようですが、語気と手振りで私の意図を理解したらしく、大人しく私の後に並びました。

「このバスは御殿場に行きますか?」

 と英語で問われたので、「イエス」とこちらも仕方なくロクに喋れない英語で応じ、それだけでは不親切だと思ったので、

「JRの御殿場駅に行きます」

 と片言で伝えました。

「御殿場アウトレットには?」

「御殿場駅で乗り換えです」

 相手は礼を言って、そのあとも何か私に話しかけたそうな様子だったのですが、面倒なので黙殺しました。

 ――――

 どうしたものか、バスはなかなか来ません。行列が長くなりました。なおもぼんやりと立っているうちに、先頭の私とそれに続く朝鮮人女性二人組の間に、いつの間にか60歳前後とおぼしきババアが割り込んでいるのにふと気付きました。

(この腐れ団塊が)

 と私が思ったかどうかは別として、一瞬にして怒気がヒートアップです。

「何そこで立ってんの?」

 と、いきなり喧嘩腰で吹っかけました。

 婆「ここ、新宿行でしょ?」

 私「行列」

 婆「でも、ずっとここで待っているから」

 私「行列しなさい。私の次は(朝鮮人二人組を指差して)この人たちなんだから」

 と語気荒く一喝。ババアはすごすごと列の最後尾に回りました。日本人のこういう振る舞いだけは許せません。しかもオトナです。子は親を見て育ちます。ババアがこれならその子供や孫も知れたものだと嫌な気持ちになりました。

 日本人の品格を落としているのは、間違いなくオトナです。

 ――――

 仙石原一帯をいい加減に回ったあと、この周辺で唯一、私が行きたかった場所に立ち寄りました。ススキの原です。









 雲が私の頭のすぐ上にありました。あたり一面を埋め尽くしたススキが風を受けて一斉にたなびく様子は、幻想的といってしまえばそれまでですが、余りに浮世離れしていてちょっと筆舌では形容しきれません。

 言葉もなく立ち尽くしていると、

「ホーレンアー」(好靚啊!=すごくきれい)

 という広東語が飛び込んできました。振り返ると、若い恋人同士のようでした。諸事即物的な香港人にもこの情景を愛でる感覚があることに安堵しつつ、

「真係好靚」(ホントにきれいだね)

 と彼氏が言うべき台詞を私が引き取って割り込み(笑)、ひとしきり広東語でのお喋りです。すぐ上を流れていく雲と揺れるススキ、そして草原を隔てる山並みを慌ただしく指差した私は、

「龍貓,龍貓」(トトロ。トトロだよ)

 と言うと、二人とも笑顔で「そうだ本当にそうだ」と頷いてくれました。

 ――――

 ススキの原を堪能した私は、すっかり満ち足りた気分になりました。このまま宿に戻れればいいのですが、取材のためバスで箱根湯本に出て夕食をとらなければなりません。

 そのバス停「仙石案内所前」で、再び「事件」が起きました。私を先頭に行列していたところに、桃源台方面から待っていたバスが。

 シューッと停車してドアが開いたときです。私の次に並んでいた50代らしきメタボ風味な男性、こいつはハイカーなのかリュックサックを背負って軽い登山姿風だったのですが、ドアが開くなり、乗り込もうとデッキに片足を乗せました。

 この野郎、と思い、無言で手を伸ばしてリュックの首根っこのあたりを引っ掴み、デッキから引きずり下ろしました。

「何するんだ」

「下りる客が先だろう。いい歳してそんなこともわからないのか糞が!」

 と言い返すと、運転手さんからも「下りるお客さんがいますから待って下さい」とアナウンスが流れ、「糞」は仕方なく元の位置に戻りました。

 ところが、下車が済んで乗る番になると、この「糞」は真っ先にバスに乗り込もうとしました。もちろん、改めて引きずり下ろしました。怒気の分だけ力が強かったので、「糞」はちょっとよろめきました。

「乱暴じゃないか」

「行列の順番も守れないとは豚以下だな。お前みたいなのがいるから日本が悪くなるんだ。死ねよカス」

 と、私は衆目のもと口汚く「糞」を罵倒しました。平素の私ならまずこんなことはしないのですが、どうも観光地に来て気分が開放的になっていたようです(笑)。

 ――――

 それにしてもススキの原で癒された気分がすっかり害されました。箱根湯本で文字通り「口直し」に早めの夕食を済ませた私は、それが実に美味だったこともあって機嫌がすっかり直り、バスを乗り継いで御殿場に戻って徒歩でホテルに帰着。

 大浴場が貸し切り状態だったのをいいことに、湯船に浸かりながら劉徳華の「忘情水」を歌い上げると、そこは単細胞ですから今日遭遇した嫌な出来事はすっかり忘れてしまいました。部屋に戻って暮れてゆく富士山を眺めながらマターリした次第です。


(待續)





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「一」の続き)





 「三泊四日で富士山に会いに行きます」旅行のスタートであります。主題はただ一点、「富士山に会う」ということのみ。ただし一応観光記事の取材旅行という側面があるため、途中であちこちに寄り道しなければなりません。

 ともあれ出発。初日は無理することなく移動だけにしました。





 小田急ロマンスカー「あさぎり号」。新宿と御殿場(終点は沼津)を結びます。……そう、ここがミソなのです。

 箱根観光というとマイカーを使わない場合は、箱根圏内の大半の交通機関が乗り放題となる箱根フリーパスが大変お得です。そして、普通は新宿からロマンスカーで大手門たる箱根湯本まで行き、そこから途中下車しつつも登山鉄道で強羅へ行き、強羅からケーブルカーで早雲山へ出て、ロープウェイで芦ノ湖の桃源台に至って、遊覧船で元箱根方面へ出る、というのがセオリー。

 ところがセオリーであるだけに、みんながみんな、それをやります。箱根のあちこちで拾った地元の声を総合するに、東京から一時間ほどで見所が多く交通機関もよく整備されている箱根は、雪に閉ざされる2月を除けば一年中、手頃な観光地として常に人大杉状態。外国人観光客もたくさん来るそうです(ていうか私の箱根行もその観光ガイド制作に向けた取材な訳でw)。

 その人の波が揃いも揃ってセオリーに従うため、箱根湯本~強羅~早雲山~桃源台という順路はすし詰め満員&大行列が常について回ります。私はその裏をかいて搦め手から攻め込むべく、敢えて御殿場から箱根入りするルートをとりました。





 「あさぎり号」では他人のカネで乗車するので当然のようにグリーン席w(1700円)。ゆったりとしていて乗客も少なく、静かで座席も快適そのもの。いつまでも身を委ねていたいような素晴らしい乗り心地でした。ロマンスカーの最新型車両と比べても天と地ほどの差があります。





 前述したように「あさぎり号」は沼津行ですが、私は御殿場で下車。御殿場から箱根方面に向かうバスも箱根フリーパスで乗り放題ですし、何より「窓から富士山の見える宿」という条件に合致するホテルがあるためです。

 調べてみてわかったのですが、実は箱根には地形的な理由から、「窓から富士山を望める宿」というのは、そう多くはありません。「大浴場からなら見える」だったり、部屋から見えてもバカ高い高級旅館だったり。

 私は香港人観光客がそうであるように、宿にお金はかけません。また箱根には食事をする場所がいくらでもありますから、一泊二食付というのも迷惑。

 しかしそうなると宿はかなり絞られて、ビジネスホテルくらいしか残りません。……が、ビジネスホテルで十分なのです。どうせ寝るだけの部屋ですし、窓から富士山が拝めれば部屋にいてもマターリできますし。





 てな訳で、ビジネスホテルです。シングルはこんな感じで、まあ、ありきたりの部屋。……のように見えますが、実際はベッドがゆったりとしているうえ、机が広くノートパソコンが使いやすいです。愛機マクブクプロ(13インチ)を置いても狭く感じません。しかも有線LANでネットには常時接続。

 私は香港・台湾在住時代に何度も東京や大阪に出張しては様々なビジネスホテルに宿泊しましたが、これほどほどコンパクトにまとまっていて機能的かつ快適な部屋はありませんでした。もちろんバス・トイレ付きですが人工温泉ながら大浴場まであります。

 料金は一泊朝食付きで平日が6900円と手頃で、日曜日は5000円のサービス料金に。日曜をはさめば三泊しても2万円以内に収まります。

 しかも、窓からは富士山です。





 こんな感じになります。もう何も言うことはありません。電線だけ余計ですが、これは急な予約だったので2階の部屋しか空いていなかったため。早めにネットで予約してリクエストすれば、7階の部屋から富士山を堪能することができます。





 2階の部屋でも、ショボい望遠レンズ(200mm)で寄ればこんな感じになります。もう部屋から眺めているだけでお腹一杯。引きこもっていても、朝、日中、夕方と、時々刻々と表情を変えていく富士山が楽しめるのです。エクセレントの一言に尽きます。ちなみに、ツインでも富士山ビューの部屋が20室あるとのこと。

 さらにいうと、このホテルの朝食はバイキング形式で宿泊費に見合った内容のものですが、私からすると豪儀の一言。しかも窓側の席からは富士山が望めます。大浴場も清潔感があり、昼間に入ればたいていは貸し切り状態。箱根に出て早めに帰ってきてのんびりと湯船に浸かれば一日の疲れが吹っ飛びます。

 ひとつだけ難点を挙げるとすれば、このホテルは最寄りの御殿場駅からタクシーで5分ほどのところにあり、他に交通機関がありません。

 ところが私の場合は朝食をガッツリ食べて出撃し、箱根でも名物料理のハシゴ(取材)で満腹になって帰ってきますから、この距離を歩くことでちょうどいい運動になるのです。徒歩なら所要約20~30分。正面に富士山、背後に金時山を望みながらの気宇壮大な散策であります。





 こんな素敵なビューポイントも(笑)。僻地かと案じていたのですが、ホテルは国道沿いのため周囲にはコンビニ、マクドナルド、ケンタッキー、和洋レストラン、ファミレス、回転寿司、TSUTAYAそしてマンガ喫茶まであり、駅前より便利だったりします。……まあ、コンビニを除けば私には無用の施設ですけど。

 歩きたくない人は御殿場駅前にタクシーが列をなして客待ちをしているので足には困りません。ホテルから出る場合も10~15分前にフロントに連絡すればタクシーが素っ飛んできます。迎車で1130円。

 ともあれ私の定宿入り決定であります。秘密にしておきたいのですが、どうせ香港で公開することになるので明かしてしまいましょう。

 ↓仔細はこちらで。箱根観光の足場として、また手軽なマターリ宿として超オススメです。

 ●ホテルルートイン御殿場

 フロントで即時発行してくれる会員カードをゲットすれば、宿泊することでポイントを貯めてクーポン券(宿泊代に充当)をゲットすることもできます。全国チェーンですから公私を問わず出かけることの多い人にはありがたいサービスです。私は今回の三泊&入会時特典で早くも1000円分を獲得。

 ともあれ、翌日からの富士山三昧を楽しみに、好天を祈りつつ私は一泊目の床に就きました。


「三」に続く)





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 先日、爽やかな秋晴れの朝に東京都庁へ行って富士山を堪能した私は、しかし満足しながらも「もっと間近で富士山を眺めたい」との思いが募り、とうとう箱根方面へ三泊四日で出かけてしまいました。

 遊んでばかりいるようで些か気がひけますが、当人は大真面目でして、「いまできることを、やる」という主題に沿ったものであります。

 やや詳しくいうと、現在の私は病気療養中。中国観察をテーマとした当ブログにとって欠かせない「記事漁り」及びそれに基づいた観察作業については、体力以外に気力と集中力が必要ということで「時期尚早」と医者からNGを出されています。

 ただ身体を動かすということに関しては制限がかなり緩くなり、フリチベ装束による近所での「散歩」と、都心限定(遠出NG)の「散策」を日課として許されていることは、以前書いた通り。

 この「散策」を毎日やるというのは、言うなれば日帰り旅行を連日繰り返しているようなものです。……ならば発想をやや改め、その延長線上として「自宅」を「ホテル」に置き換えるのも、アリではないかと(笑)。

 もう少し回復して「記事漁り」にOKが出れば、当ブログの本格再開と相成ります。「記事漁り」にかかる手間は平時でも最低4時間。これに観察作業と観察日記(当ブログ)を書く時間を加えると、「散策」を繰り返す余裕がなくなります。

 もちろんブログとともに、より優先されるべき(建前w)本業もほぼ平時に復することになりますので。

 だから、いまのうちに「日帰り旅行」を繰り返しておこうと。そして、その変わり種として「自宅」ではなく「ホテル」を拠点とした「日帰り旅行」も、この期間にしかできないこととして、やるだけやっておこうと。……むろん、医者が許可する範囲内において、ですけど。

 ――――

 都庁から帰宅して、私は考えました。自分は療養中ではあるけれど、そういえば「保養」とか「保養地」といった言葉がある。「静養」とか「箱根で静養中」といった物言いもある。体力の消費量を「散策」と同程度で済ませられるのであれば、「転地療養」というカタチがあっても、いいのではないか。

 そう思い至ると、すぐ近所の書店へ行って観光ガイドと分厚い時刻表を買ってきました。私は幼い頃から地図を見るのが好きで、さらに時刻表を読むのはもっと好きで、小学1年生のころに時刻表と日本地図を並べて「脳内鉄道旅行」を繰り返し、余りにその作業に身を入れ過ぎたために仮性近視となり、親からその娯楽を一時的に取り上げられたことがあります。

 Nゲージにもハマりましたし、祖母が健在のころ、夏休みや冬休みに茨城県日立市にある母の実家に常磐線で帰省するときは、列車番号を調べてわざわざ木製客車の鈍行を選んで乗ったりもしました。高校生のときには有名な「東京発大垣行」の各駅停車でスタートする「青春18切符」を使った日本一周旅行を綿密に立案。私自身は実行する機会を逸してしまいましたが、同級生が夏休みにこのプランを忠実になぞって楽しんできてくれました。

 そして上海留学中には、当然ながら現地の時刻表を駆使して寝台列車を乗り継ぐ旅を満喫しました。上海~西安~成都~昆明~重慶~上海というコースで、最後の重慶ー上海間だけは三峡下りを兼ねて四日間で長江を下る船旅です。

 旅行とは楽しいもので、特に全行程を事前に予約せず行き当たりばったりな旅となると、訪問先の街が気に入って予定以上に逗留したりしてしまいます。私の場合は西安でなかなか切符がとれなかったのと成都が気に入ったのと重慶で船便待ちをしたりして、2週間の行程が1カ月近くに(笑)。

 この時期の唯一の心残りは、北京に出て3日間かけてウルムチに行く寝台列車に乗り損なったことです。夏休みに実行する予定だったのですが、民主化運動~天安門事件が勃発したことにより、大学命令で一時帰国を余儀なくされました。orz

 要するに、私には濃厚かどうかはともかく、「鉄ちゃん」が入っています(笑)。

 ――――

 何はともあれ、私は半日で箱根方面への三泊四日旅行の計画を立てました。主題は「富士山に会いに行く」ことで、絶対外せない一点は「窓から富士山を望める宿に泊まる」。箱根でなくてもいいのですが、そこはそれ、オトナの事情というものがありまして。

 無茶はしたくないので、まずは医者へ相談に行きました。

「確かあなたは今月末に◯×△□※……」

 と冒頭から呆れられてしまいましたが、「散策」レベルのマターリ旅行なら、ということで許してもらうことができました。

「じゃあ今度来るときにスケジュール表を持ってきて下さいね」

「あ、それならもう作りました。これです」

 と、自宅でプリントアウトしてきた「三泊四日で富士山に会いに行きます」計画をすかさず差し出すと、医者は改めて呆れている風情でしたがスケジュール表にはじっくりと目を通し、

「まあ、これならいいでしょう」

 錦の御旗を頂きました。いやーうれしかったです。

 ――――

 病院を出たあとでネットにつなげるマクドナルドに立ち寄った私は、天気予報を確認して出発日(翌日♪)を定めるや、小田急新宿駅に出向いて往復のロマンスカーと箱根フリーパスをゲット。帰宅して心当たりのホテルに予約を入れた上で、香港の某大手出版社に勤務している昔の仕事仲間(弟分)に連絡をとりました。

「おい。お前んとこの雑誌で日本観光の特集とか別冊付録をときどき入れてるだろ。実は箱根観光でまだ香港で紹介されていないルートがある。20代~30代のカップルがターゲットの『箱根ハッピーアワー定食』。どうだ?」

「あ、何だか面白そうですね。……でも御家人さんがレポートしてくれるんですか?」

「もちろん」

「それならモーマンタイです!名前出していいですよね?」

「いや、そこまでしなくてもいいだろ」

「でも……」

 現在休載中である私の副業コラムを読んでいた古株編集者たちの一部には、「御家人の名前を表紙に掲げると部数が伸びる」という錯覚がいまだに生きています。迷惑することの多い虚名というのも、たまには役に立ちます。

「まあいいや。企画が通るなら好きにしていいよ」

「いやーありがたいです。ちょうどいま別冊号として日本ガイドを出す企画が進んでいるんです。そこで使います」

 商談成立であります。

 ――――

「で、行程は三泊四日なんだが……」

「あ、それはダメです。香港人の箱根観光は一泊二日が定番ですから」

「やっぱ、そうか。……まあいいや。じゃあ一泊二日ということで」

 ……といったやり取りのあと、交通費(全額)・宿泊費(一泊)・食費(全額)を丸抱えしてくれる予算が原稿料とともに私の口座に振り込まれることになりました。これがいわゆる「オトナの事情」。

「ところで、あの企画の方も大丈夫でしょうね?」

「あれか。あの件はこの間メールしただろ。もう準備は全部済んでるから、あとは出かけるだけだ」

「安心しました」

「でもあれは、こっちは出先から細切れで原稿送って、そっちで編集してつなげるってことだったよな?」

「はい。そういう手筈で」

「じゃ、取りあえず箱根に行ってくるよ」

「お願いします」

 という訳で、転地療養の事前準備が全て整いました。……あ、正しくは「取材旅行」であります。あくまでも仕事。仕事なのです。


「二」に続く)





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 久しぶりに楊枝削りでもしてみようかと思います。

 実は最近、私にとってちょっとはた迷惑な困った事態が進行していまして、その流れの中でひょんなことから映画を観にいくこととなり、引きずられるように新宿三丁目の映画館に連れていかれて、観たくもない作品に付き合う破目となりました。

 予想通り面白くもない糞ベタなストーリーでその展開にも多々無理がある映画だったのですが、劇中に登場するメインキャラの一人が不治の病で余命三年という設定(笑)。そこら辺も判で押したようなもので「やれやれ」と思わされたものの、残り時間を意識してやっている作業がが私と同じようなことだったりしたので変に身に積まされました。

 面白くもありませんが悪い映画でもなかったように思います。ただ全体的に主演女優のプロモビデオみたいな印象があるので、そのヒロインを好んで観られるか否かで評価が分かれると思います。私は後者。

 そういったこととは別に、余命三年キャラが使っていた傘が妙に良さげでした。

 映画が終わってグッズ売り場に行ったとき、そのことをつい口にしてしまった私は、その傘を買わされる破目に。orz……私は普段、色で傘を使い回していて、ちょうどローテーションの穴を埋めてくれるものですし値段もまあ手頃だったので、無駄な買い物ではなかったのですけど。

 帰宅して開いてみると、やはり良い感じでした。御存知の方も多いでしょうが骨が24本ある傘です。

 だから丈夫かどうかということは私にはどうでもよくて、何が良いかといえば、パラリと開くと和傘というか番傘というか、とにかく時代劇に出てくる傘のようなデザインになるのです。これがもうすっかり気に入りまして。

 いまのところ使用していて特に問題もないので、ローテの中では主戦傘になりました。私は傘をさすのがどうにも下手なので土砂降りのなか長い距離を歩くのは嫌ですけど、パラパラ降っているときにこの傘でちょっと出かけるのは楽しいです。


MABUベーシック【超軽量】24本骨傘 インディゴ(紺)

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 ちなみに、「傘中情」という今回のタイトルは上海留学時代に観た映画の題名です。

 そのころ私は留学先とは別の大学の中国人女子学生と密かに友達付き合いをしていて(周囲には知られていなかったと思います)、ときどき二人で出かけては和平飯店別館のカフェなどに入り込んで、他愛もない話や愚痴合戦で時間をつぶしたりしていました。……すっかり忘れていたのですが、今回雨傘を取り上げるにあたって本当に久しぶりに記憶が甦った次第。

 当時の中国の大学生のモノサシで測ればかなり個性的な女のコでした。私を日本人扱いしないでくれるのも気が楽で、留学前に少しハマッていた張抗抗の『夏』シリーズで朴念仁な主人公を翻弄するヒロインは、実際にいるとすればこんなコじゃないかなあと思いながら茶をしばいていたのを、懐かしく思い出しました。

 彼女にせがまれて一緒に観たのが「傘中情」。ヨーロッパのどこかの国のB級ラブコメものでした。ストーリーはすっかり忘れてしまいましたが、タイトルにある通り、傘が重要なアイテムとなって話が展開する内容だった筈です。

 映画のせいかどうか、その日はいまにも雨が降り出しそうな曇天だったことを覚えています。私が傘を持って彼女の大学へ迎えに行くと、やはり傘を持って出てきた彼女は、

「あ、一本あれば足りるよね」

 と言って宿舎に逆戻りし、手ぶらで出てきました。常にこんな調子です。

 楽しく映画を観てから外に出ると、果たせるかな本降りになっていました。バスで彼女の大学まで送って行くと、彼女は私を引っ張ってひとつ前の停留所で二人して下りてしまいました。

 そこからは相合傘です。私の傘は二人をすっぽり収容できるほど大きくありませんでした。気の利いた男ならここで彼女の華奢な肩に手を回すくらいのことはするのかも知れませんが、私にはそんな才覚も度胸もなく、自分の左肩を濡らしたまま雑談しながら歩いて終わりました。

 彼女には変に義理堅いところがあって、私が帰国する日に「空港まで見送る」と言って聞きません。仕方がないので、留学先の大学で留学生や親しくしていた中国人学生たちに見送られた私を乗せたタクシーは、空港へ直行せず回り道をし、彼女をピックアップしてから当時の虹橋空港に向かいました。

 日航龍柏ホテル(古っ)で食事を共にしながら、餞別のプレゼントを交換しました。偶然ながら、どちらも選んだのは万年筆でした。「文通でもしような」という含意で、そこら辺は20年前の、純朴さを残した中国の大学生のノリです。

 帰国してから何度か手紙のやり取りをしたのですが、私の方が「卒業→転居→就職→倒産→香港へ」と目まぐるしく転々としたために、自然に連絡が途絶してしまいました。

「淋しくなるね。……でも楽しかった。ありがとう」

 と最後にちょっと泣いて「らしくない」一面を見せてくれた彼女も、いまでは私同様に歳月を重ねて立派なオバサンでしょう。あのキャラならたぶん少し年上の男性と結婚して、良妻賢母になっていると思います。





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 障害者になって、役所との付き合いが増えたことに閉口しています。あれやこれやと手続きがありますので。

 諸事、気鬱になることが多いです。

 役所の窓口というのは、例えば20年前に比べると飛躍的に対応が良くなりました。とはいえ行政サーピスをうたいながらも、担当者たちにはサービス業という意識がいまだに希薄なようです。

 近所に出張所があります。ここの人たちは実に親切で行き届いた仕事をしてくれるのですが、あいにく障害者としての事務は本庁というか区役所まで出向かなければなりません。

 この区役所の窓口も対応は丁寧です。しかし悪く言えば慇懃無礼というか怠慢というか。とりあえず、こちらが求めたことにしか応じてくれず、

「他にこういうサービスもありますよ」
「それならむしろこっちの方が、手続きも簡単ですし内容も充実しているから良いですよ」

 といったことを言ってくれることは、まずありません。取り扱う事務が過多だったり支出節減の号令が下っていたり、という事情があるのかも知れませんが、こちらも納税者ですから、見合った仕事をしてくれないと困ります。

 仕方がないので、「2ちゃんねる」などで情報収集して相手が隠しているサービスを暴きたてるしかありません。このネットで得た知識で獲得した福祉サービスの恩恵というのは大変手厚いもので、インターネットと無縁な年配の世代のそれと比べるとそりゃもう歴然。「情報弱者」というのは確かに存在するのだな、ということを実感させられます。結構な格差ですから。

 これとは別に、怒鳴らなければ埒があかない手合いというのも役所にはいて、怒鳴る習慣を持たない私には非常に迷惑です。それでも先に進むには咆哮するしかありませんから、

「よし。今日は怒鳴ろう」

 と出かける前に決心して、怒鳴るときの台詞や顔つきや両の拳でカウンターをガンガンと叩く練習をしてから区役所へ赴きます。芝居のようなものですが、これを実演すると広々としたフロア全体が私の怒号とともにシーンと静まり、窓口の担当者も豹変したように従順になるから面白いものです。

 とはいえ、わざわざこういう手間をかけないとサービスを受ける正当な権利を行使させてもらえないというのは、やはり正常とはいえません。

 ――――

 ……以上は余談です。ともあれ嫌な気分にさせられて帰宅するので、ときに気晴らしをしたくなります。しかし私の場合、飲酒の習慣はありませんし、喫煙は日常のことですし、賭け事にもまるで関心がありません。

 てな訳で、「富士山に愚痴を聞いてもらう」ということになります。話が長くなるので省きますが、私の富士山に対する思い入れというのは、様々な理由から日本人の平均値に照らせば相当強いのではないかと思います。年季も入っています。ともあれ富士山を眺めることで単細胞な私は理非もなく気が晴れてスッキリするのですから、こんなに有り難いことはありません。

 正に唯一の、「不二」といっていい元気薬です。

 今月初めのことです。5時半くらいに起きて、この季節だと6時を回ると外が明るくなります。例によって役所で不機嫌にさせられ、その気分を持ち帰ったまま寝に就いた翌朝、カーテンを開けたら秋晴れというにふさわしい青空が広がっていました。ベランダに出てみると、空気が冴え冴えとしています。変に暖かい日が続く今年の秋においては、実に得難い朝でした。

(富士山に、会いに行こう)

 と即座に思いつきました。

 考えてみると、私はこの半年以上、富士山を拝んでいません。その「前回」も桜を見に靖国神社へ行き、そのあと大鳥居を出て千鳥ヶ淵の夜桜へ向かうべく渡った田安門の歩道橋の上から、夕焼けの中にうっすらと浮かんだシルエットを望んだのみです。





 私にとっての富士山は、やはり冠雪していて、青空と澄んだ空気のもと、山麓に丹沢の峰々を従えているのがデフォです。観る方角によって山容は変わってきますが、私の場合はずっと首都圏暮らしだったもので。……そういう富士山に接したのは、もう2年前の冬、「つくばエクスプレス」の車中からだったかと記憶しています。随分とご無沙汰していることに気付きました。

 「会いに行こう」と思うと、もう居ても立ってもいられません。しかし隠居爺のような早起き生活ですから、世間が動き出すまではじっと我慢。とりあえず手堅いビューポイントとして東京都庁を選択し、ネットで展望台が9時半に開くと確認してから、時間を合わせて飛び出しました。





 定刻に都庁へ到着すると、意外にも多くの人がエレベーターに行列していました。それでも5分くらい待たされただけで、展望台に運んでもらいました。

 富士山、富士山。ただそれだけです。その方角の窓へ行くと、意に相違せず私が待ち望んでいた光景が現出しました。





 いやー、堪えられません。「愚痴を聞いてもらう」つもりが、話しかける前に気分がすっかり晴れていました。もうすっかり嬉しくなって何度もデジカメのシャッターを切りました(素人が撮ったものですから、撮影技術の善し悪しを云々してはいけません)。この画像を愛機マクブクプロに入れておけば、嫌なことがあっても多少は癒されることになるでしょう。

 ちなみに、このとき展望台にいた人の三分の一くらいは外国人観光客でした。すっかり気分が良くなった私は仕様がお調子者なもんですから、北京語を耳にすればそこへ行き、広東語を話す者がいればそこへ歩み寄っては肩を叩かんばかりにして話しかけ、

「いやーラッキーだよ。今年の陽気だとこういう富士山はなかなか拝めない。それもこういう天気の日の朝と夕方だけで、昼間は霞んじゃうから良くないんだ。あんた良い星回りなんだよきっと(想必你八字生得很好)」

 などと、例によって年甲斐もなく道化ていました。というか酔っぱらいのオヤジですね。

 ともあれ満足して帰宅したのですが、自分が撮った拙い写真を眺めるうちに、「もっと間近に富士山を感じたい」という欲張った考えが頭をもたげてきました。そこで私は……というのは、また別の機会に。

 ――――

 これまた余談なのですが、前回、私は一人暮らしとなった現在の新生活を紹介するに際し、少々良さげに書いてしまったようで反省しております。

 自由気ままに日を送っているようにみえたかも知れませんが、実際はそんなことはありません。少しだけですが、仕事もやっています。私が働かないと会社が潰れるビジネスモデルですし、会社が潰れると香港で失業者が出るほか、一応出資者の一人である私も損害を被りますし。

 それでも確かに宮仕えに比べれば間違いなく気楽ではあるものの、障害者認定されている病人ですから、医者による制限は各方面に及んでいるほか、毎日たくさん薬を飲まされて大変です。

 しかもその薬の副作用なのか飲み合わせの効果なのか、とにかく放っておくと薬太りしてしまう(しかも中性脂肪が増える)ので、宿痾とは別に漢方医に通ってその対策を講じたり、食生活も自己規制して非常に簡素で素朴すぎる、要するにフツーの人からみれば到底受け入れられないであろう粗餐に甘んじてもいます(私自身は美食家ではないので至って平気なのですが)。

 そして「不自由」の最たるものは、「残り時間」を定められてしまっていることです。現時点の医療技術という前提で、医者から言われているのは「四捨五入して余命十年」というものです。うまくいけば多分あと5~6年か6~7年は現在のような生活ができるでしょうが、そのあとは病院に入れられて死ぬまで出て来れないそうです。

 悠々自適のようでもありますが、引っ越し貧乏ゆえ潤沢な貯金がある訳でもないので多少は稼ぐことも考えなければなりませんし、日本人の平均寿命より30年近く短い人生に設定されてしまったため、実質的にはすでに晩年。単純に年齢で表現すると、まあ70歳前後なのではないかと思います。親とほぼ同い年ということになります。

 このために、余生でやりたかったことの大半は切り捨てざるを得なくなりました。これからも諦めていく物事が増えていくことと思います。

 言うなればいまの生活も、掌の上での自由でしかありません。しかも期間限定。

 私にしてみると、前途にまだ選択肢を持ち得るみなさんの方がうらやましいのです。





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 ちょっと前のことですが、故あって再転居しました。結局、住み古した街がどうにも懐かしく、戻ってきてしまった次第。

 ただし、今回は以前住んでいたような風水最悪なロケーションではなく、最寄り駅は同じながら駅まではぐっと近くなり(私が愛してやまない清洲橋からはずいぶん遠くなってしまいました)、風水もY老師に鑑定してもらって合格点を頂いております。Y老師は当ブログにときどき登場しますが、私が香港時代から親しくしている上海人の老風水師で、その世界における権威の一人です。

 もちろん、室内は机やベッドの配置や向きに始まり、室内に置く観葉植物やベランダに並べる鉢植えに至るまで、その種類と位置と数を私に合わせてアレンジしてもらいました。マンションの玄関の方角や周囲の建物との風水的な調和も含めてのセッティングです。

 新しい自宅、ここが多分私にとっての最後の住処になるのでしょうが、間取りは約8畳(洋室)のワンルーム。

 ええ、一人暮らしです。配偶者とは諸事情により離婚しました。

 ……といっても喧嘩別れした訳ではなく、向こうの商売が非常に忙しくなってきたのと、生活サイクルがかけ離れてきたので不便になったのと、私の病状を配偶者が気にして精神的負担になるのを避けるのと、私自身も久しぶりに独りで気ままに暮らしたいという意向があり、さらにその他の事情もあっての協議離婚です。

 そんな訳ですから、いまでも互いに往来して仲良くやっています。双方とも一人暮らしの環境を満喫してもいます。ちょっと週末婚のような感じです。手続き上は夫婦でなくなりましたが、相変わらずの持ちつ持たれつですし、一蓮托生的な部分も残っています。

 てな訳で、当ブログにおける元嫁の呼称は、これからも「配偶者」のまま。いままでも固有名詞のつもりで使ってきましたので、

 ――――

 ともあれ、実に久しぶりな独りでの生活です。私の場合、大学に入って下宿して以来、結婚するまでの15年ばかりはずっと一人暮らしだったものの、実際は同棲や半同棲期間がやたら長くて、実質的な独居は数年でしかありませんでした(笑)。

 Y老師に言わせると、私には「桃花運」なるものが付いて回っているそうです。果たせるかな、その手の機縁には若い頃から十分すぎるほど恵まれていて、血気盛んだった時代の私は真剣に一途な恋愛もしましたし、真剣に鬼畜に徹した時期もあります(そのせいか、どうも両肩の上にいつも何か乗っかっているような気がw)。

 ここだけの話、17歳の冬に私が密かに設定した自分の人生のカタチにおいて、結婚というものは全く念頭にありませんでした。「付き合ってる相手がいればそれでいいじゅゃん♪」みたいに考えてましたから。

 ところが留学生崩れで中国語という技術に引きずられて流れ流れる生活を送った挙げ句、結婚することになりました。

 結婚することに関しては自ら望んでのものでしたが、自分が定めたカタチから離れることに対する後ろめたさのようなものがあって、婚姻手続きを完了させる前夜には缶ビールを25本ばかり飲んで、ちょっと感傷的になりました(笑)。しかし酔いが回った頭の中で、

「おれみたいな半端者のことだ、結婚する以上はきっと離婚も経験することになるに違いない」

 という思いが脳裏をよぎったりしたのですが、いやー10年経ってそれが実現したという訳です。めでたく、と言っていいのかどうかわかりませんが、配偶者も私も伸び伸びと新しい生活環境を楽しんでいるので、まずは祝着。

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 私の新生活は、そりゃもう健全そのものです。それまで完全夜型生活だったのが、病気療養に入ってからは完全朝型へとスイッチさせられました。いまはすっかり慣れているのですが、言うなれば隠居のような生活です。夜は21時半から22時には寝てしまい、朝は4時半~5時半にスッキリと目覚めてしまいます。

 7時くらいになると時間を持て余してくるので、ここで日課の「散歩」。要するにフリチベTシャツの上にアウターを羽織り、その胸に大きなカンバッジをつけて馴染みのコンビニを絨毯爆撃し(笑)、最後に大通りに面したカフェの道路に面した席に陣取って200円珈琲を飲みつつゆるゆると一服。

 出勤してくるサラリーマンたちが、ふとこちらに目をやってギョッとした表情になるのを眺めているのは楽しいものです。道化役にはとうに慣れていますので、私自身は気になりません。むしろ「もっと、もっと見てくれー」てな感じで(笑)。「年甲斐のないことをする」ことは私の数少ない美徳のひとつだと自分では思っています。分別あるオトナになったら御家人は終了してしまいますから。

 午後はこれも日課に昇格した都心散策です。毎日テーマを決めて出かけていきますから、連日日帰り旅行をしているようなものです。むろん、医者の指示に従って、体力消費の許容範囲内での外出。この「散策」のときは普通の目立たない格好をしていますが、たまにスーツを着用してサラリーマンのコスプレ(笑)をして楽しんだりしています。

 これも医者からOKをもらってのことですが、モバイル環境が整ったのでバーベル代わりにノートパソコンをバッグに詰めて持って行きます。新宿スバルビル、馬喰町や日本橋人形町、有楽町スバル座、神保町、それにTCATのマクドナルドや、上野や秋葉原や新宿西口のルノアール(いずれも喫煙席)あたりでリンゴのマークをいじくっているオサーンがいたら、それは私かも知れません。

 いきなり刺したりはしませんから、勇気のある方は一声かけてみて下さい(笑)。コーヒーくらいは御馳走致します。





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 ご無沙汰しております。

 御蔭様で前回書いたように体調は順調に回復しております。とはいえ、いま私が患っているこの病、私を障害者にしてしまったくらいですから治癒することは現状では望めず、まあ一生付いて回って最後には私の命を取ることになるそうです。

 ただ、深刻な段階に入るまでは割と普通の生活ができます。ですからその間に当ブログを本格再開させて一期を飾る働きをすることだけがいまの私の人生における唯一の望みであり、執着であります。

 「根を詰めることは身体に良くない」という理由で医師からは未だに中国観察に不可欠な記事漁りは禁じられているのですが、身体を動かすことについてはかなり制限が緩くなってきました。この調子で回復(というか小康)の道を歩んで記事漁りOKに持っていければ、小康状態を保つ範囲内で暴れるつもりです(笑)。

 まあそんな具合で申し訳ありませんが、ここしばらく中国の何事かについて書くことは、ちょっとできません。ただ当ブログを放置プレイにしておくのも可哀想なので、多少更新頻度を高めようと考えています。「気楽に書くのならブログを解禁してもいい」と、つい最近、医者からもお許しが出ましたし。

 しかし中国観察は無理、ということになると、内容はブログの主題を逸れて身辺雑記とか中国人との遭遇エピソードとか都内散策録とか、果ては旅日記のようなものになってしまうことは必定。

 私は当ブログを将来の自分に向けて書いている備忘録と位置づけているのでそれでも構わないのですけど、この弱小・色物系ブログを読んで下さる奇特な方々がいることは一応意識しております。そうした皆さんに、本格再開までは当ブログがヘタレた内容を垂れ流すものになることを許して頂きたく、ここにお願い申し上げる次第です。

 いや、許して下さらなくてもいいのです。見捨てて下さって大いに結構。

 ともあれ、私は書きます。





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 ご無沙汰してしまい申し訳ありません。m(__)m

 相変わらず療養中の身ではありますが、皆さんから頂いた温かい言葉や励ましのコメントを支えに日々を送っています。

 たくさんのコメント、本当にありがとうございました。御蔭様でそれがすぐ無茶に走る私の性質にブレーキをかけ、この1カ月余りは大人しく医師の指示に従っています。

 その甲斐あってか、標題の通りです。今までは「調子の良いときだけ」だった散歩(フリチベ絨毯爆撃w)が日課へと昇格し、「調子の良いとき」には都心限定で地下鉄でちょいと出かけて1時間くらい散策することが許されるようになりました。

 私は一応都心に住んでいるのですが、これまで仕事で立ち寄ることなどなかった浅草だの本郷だの銀座だの神田神保町だの日本橋人形町だのアメ横などに出没中。……あ、もちろん九段にも。こうした「散策」のときはフリチベではなく、目立たない格好をしてフラフラ歩いています。

 このところ、東トルキスタンのラビア・カーディル議長、チベットのダライ・ラマ法王十四世の来日をはじめ、私にとっては参加したくてたまらない講演会やデモや集会などが目白押しだったのですが、身体に負荷をかけることになるので我慢我慢。

 根を詰めることになるので中国関連の記事集めもまだNGのままです。

 とはいえ、体調体力とも順調に回復しつつあるので、ヲチはまだ時期尚早なれど、身体を動かすことに関しては今月下旬あたりから「解禁」のお許しが出ることになりそうです。

 私には「解禁」となったらまずやるべきことがあるので、目下療養に励みつつもその計画を煮詰めている真っ最中。それを済ませたら年末商戦ゆえ多少は本業に関わらざるを得ませんが、機会があれば、また遊就館茶室に卓上Z旗を立てて突発OFFでもやりましょう。

 最後になりましたが、コメントやメールをはじめ当ブログ訪問など、様々なカタチで私を支えて下さっている皆さんに改めて御礼申し上げます。m(__)m





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