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日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 今年も「年末進行」の忙しさに振り回され、それから解放されてひと息ついているうちに大晦日が来てしまいました。

 チナヲチ(中国観察の真似事)を掲げている以上、「今年の中国」みたいな1年を振り返る作業しなければならないのですが、どうも慌ただしくて落ち着いて思いをこらすといった気分にはなれません。配偶者が年越し蕎麦の準備をしているので急き立てられているようでもあります。たぶんその後は今年最後の風呂に入ってから、昨年同様、配偶者主導による朝まで酒盛り&玄関に盛り塩。そして元日午後に初詣(靖国神社)ということになりそうです。

 私個人にとっての「この一年」は大学時代の恩師と連絡がとれ、改めて師弟の絆を結ぶことができたという一事に尽きます。連絡がとれて以来、恩師とはほとんど毎日のように互いに電話をかけ合って、濃密で有意義な雑談に興じています。雑談ではあっても、無学な私にとってはこの15年間絶えてなかった知的作業なので至福の時間としかいいようがありません。

 それから先日実家に日帰りして中国留学当時の一切合切を持ち帰ってきました。幸運にも1989年~1990年という改革・開放政策に転じて以来中国が最も荒れた一年に現地で際会できたのですから、個人的な思い出としてひとまとまりの記録にして手元に置いておこうと思います。来年は仕事や余暇の娯楽(当ブログ)の合間を縫いつつその作業に着手するつもりです。いつ終わるかわかりませんけど(笑)。

 あとは仕事絡みで毎年持ち出される話なのですが、副業として香港や台湾で書き散らしてきた中文コラムの断片をかき集めて、ひとつの系統だった読み物に仕上げるよう周囲から言われています。時間と健康に余裕があれば……まあ元気なうちに取り組んでおきたいところです。私の残り時間はそう長くないようですが、中港台向けに中国語で本を出せれば一期を飾るいい思い出になりますので。

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 さて肝心の「中国この一年」。思いつくままに並べてみます。

 (1)胡錦涛の指導力強化&対立軸の明確化。

 上海閥における次世代を担う最有力候補だった陳良宇・上海市党委員会書記(当時)が汚職でお縄となったのを始め芋づる式に関係者が次々に摘発され、上海という独立王国が解体されました。これはもちろん胡錦涛の指導力強化につながる動きであり、最近では「同盟者」的存在だった軍主流派の上に立とうとするような、要するに軍権掌握に向けたアプローチもみられます。

 ただ上海王国の解体によって、「反日」「汚職撲滅」といったお題目を使うことなく、「擁胡同盟」(胡錦涛擁護同盟同盟)と「反胡連合」(反胡錦涛諸派連合)が真の対立軸を剥き出しにしてぶつかり合うことになりました。「中央vs地方」、具体的には経済政策をめぐる中央と各地方当局との確執が表面化してきているということです。

 年間GDP成長率は今年も10%台に乗りそうですが、そのことを中央が心から喜んでいないのは、中央からみれば「地方の勝手な暴走」が生んだ2ケタ成長だからです。「新華網」にはとうとう「地方保護主義」をタイトルに掲げた特集が登場しました。これがさらに進んで経済的割拠状態が強まれば、いわゆる「諸侯経済」になります。

 ですから政治的には一応胡錦涛優勢で事態が進んでおり、有力な対抗勢力だった上海閥はもはや潰滅に近い状態ではあるのですが、胡錦涛側が大局をしっかり掌握しているかといえば、その点は心もとないのです。

 いや、政治的優勢を得ているため人事面は胡錦涛が握っていて、直轄市、省、自治区といったレベルのトップクラスには主として自分の直系で出身母体を同じくする「団派」(共青団人脈)の子分をどんどん送り込めています。

 ただ、その子分たちが任地をちゃんと仕切れるかどうかは別の話です。地元の抵抗勢力によって神棚に祭り上げられて手も足も口も出せない状態にされる可能性があり、中央の計画のはるか斜め上をいくGDP成長率10%台というのは、やはり任地掌握が順調でないことを思わせます。

 それでも政治的には胡錦涛ペースなのは、「地方保護主義」という言葉が示すように地方同士の合従連衡が成立せず、ひとまとまりの抵抗勢力に発展していないからです。なぜかといえば、地方は地方同士で、例えば「沿海部vs内陸部」といった競争があり、また沿海部同士、内陸部同士のライバル意識もあるからでしょう。

 一応中心となって仕切れるだけの役者が揃っていた上海閥が潰されてしまったので、現在は求心力を失った各地方勢力がそれぞれに漂っているような状態です。

 昨年(2005年)には闇炭坑潰しがあり、今年はそれに加えて農地転用や不動産市場に対する規制、また環境汚染摘発などが行われていますが、これらはいずれも地方当局の利権の中核に斬り込む作業だけに、非常に大きな困難を伴います。台湾侵攻のような非常事態を別とすれば、党中央の権威は「地方保護主義」を端緒とする経済的破綻によって崩れることになるでしょう。

 (2)「官」に対する「民」の組織化、プロ化、武装化。

 「民」は主として農民ですが、「官」の横暴に対する抵抗手段がこの一年でずいぶん巧みになり、洗練され、またいざ衝突というときに備えた武装化が進んでいるように思えます。

 武装化は闇炭坑閉鎖でダブついた爆薬が入手しやすいという他に、銃器の闇市場がかなり充実していることにもよります。これは一方で「官」に対し「黒社会」のような組織が力を持ちつつあることの証左といってもいいでしょう。もし闇組織が「官」と結託していればこれは立派な「地方割拠」状態です。

 ともあれ村落自治にまで張り巡らされた中共政権による緻密な統治機構が、その末端で形骸化しつつあることを何度も実感させられた一年でした。立ち腐れはすでに枝葉の部分で始まっている、といっていいでしょう。

 都市部は都市部で失業者や日雇い労働者、失地農民、職にあぶれた出稼ぎ農民、そしてニートといった暴動予備軍を抱えており、社会状況は悪化する一方です。これは組織化されてはいないものの、「官」の横暴を象徴するようなふとした切っ掛けから都市暴動が起こる際に争闘の主役となる一群です。

 ふとした切っ掛けから暴動が起きてしまうのは、「官」に対する「民」の怒りが常に沸点に近い状態にあることを示しています。

 (3)「和諧社会」「社会主義新農村建設」の空々しさ。

 胡錦涛は本気なのかも知れませんし、実際「和諧社会」(調和社会)が実現しなれば胡錦涛政権の至上課題である「中共の延命」「延命がかなったら次は党勢回復」といった目標は達成できないでしょう。ただ胡錦涛には気の毒ながら、貧富の差が拡大する一方の中国で「和諧社会」を打ち出すのは冗談のようなものです。

 一党独裁制で政権交代の可能性を持つ野党の存在を許さず、末端レベル以外では普通選挙制も行われていない。その一党にしても人民解放軍という名の軍事力を以て政府の上に君臨し、「法制あれど法治なし」状態で、党内においても異論の存在が許されない。党幹部の汚職撲滅も党外にチェック機能を組み込んだ制度でないため、結局は党幹部それぞれの自浄作用に期待するしかない。……そんな国家に調和のとれた和やかな社会が実現する筈がありません。

 同時に推進されている「社会主義農村建設」は農村部に財政的なテコ入れが行われ開発の名目が増えることで、地元党幹部に新たな利権を提供することになるでしょう。村落ごとによる農民の自衛意識が高まることになると思います。

 (4)環境汚染の進行。

 これはもうどうしようもないでしょう。「河が汚い」「空気が悪い」というレベルではなく、すでにその次の段階である「食の安全」が慢性的に脅かされているのですから。地元当局にすれば開発欲求が強い上に汚染企業に枠をはめれば税収減になります。天秤にかければ当然のように環境問題が後回しにされるでしょう。

 残留農薬問題にしても同じことが言えるかと思います。「どうせよその奴らが食うんだ」という意識で農民が使用禁止の農薬を使い、地元衛生部門がそれを見て見ぬふりをしているように思います。報道などで問題となった事例はたまたまバレてしまった氷山の一角に過ぎません。

 (5)軍事的台頭と対外伸張路線がより明確に。

 以前から言われていることですが、今年は外国との合同演習を頻繁に行ったことが目立ちました。陸軍の兵力を削減する一方で、海軍力・空軍力の強化が進んだという印象です。要するに対外伸張の姿勢が一段と明確なものになっており、それを隠そうともしなくなりました。

 「落後就要打」(立ち後れれば食い物にされる)という胡錦涛が昨年(2005年)秋に多用した言葉が不気味です。おれたち中国は19世紀半ばから20世紀半ばにかけて食い物にされたから、今度はこっちがやる番だ、と言わんばかりです。

 対外伸張についていえば欧州の旧宗主国などの不興を買ったアフリカ諸国への露骨な働きかけ、インドへのライバル意識、ウイグル人による独立運動への牽制とインド洋での影響力確保を狙ったパキスタンとの軍事的紐帯強化、そしてASEAN諸国への猫撫で声的な接近が印象的でした。

 もうひとつの「軍事的台頭」も気になります。これは実戦部隊指揮官による独断専行です。

 (6)始まりましたよ中国国民の増長が。

 GDPの規模(総額)だけで「大国になった」「大国にふさわしい国民たれ」という物言いが大手を振ってまかり通るようになりました。経済的に中国の影響力が高まっているのは事実ですが、GDPも1人当たりの額にならせば日本の20分の1もありません。

 経済構造も農民と土地という廉価セットを武器にどんどん外資を引き込んでみたら、工作機械や中核部品、技術をはじめ市場も海外頼みという対外依存度の極端に高いものになってしまいました。「世界の工場」の実態は「世界の組み立て工場」。そこからグレードアップしようにも民度が低いためにそれが果たせません。

 そして富の偏在。大国云々と言っていられるのも総人口の4割前後である都市部住民に限られますし、ネットユーザー総数が1億人を突破したといっても総人口の1割にも達せず、それとほぼ同規模ないしはそれ以上の規模で文盲が存在しています。

 さらに言うなら、日本をはじめとした中国が依存している「外国」にとっては、状況によっては中国を捨てて代替国へと投資先を変更することができますし、実際にそういう流れが起き始めています。ご自慢のGDP総額も、所詮は外資のおかげで実現できた空中楼閣であることを認識しないといけないのですが、その種の論調は目下のところ主流ではありません。

 都市部限定の「大国」意識、舞い上がるのは結構ですが現状への認識と問題意識が欠落しているのが気になるところです。かつて日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」で舞い上がってしまいましたが、当時はすでにGDPの総額でも1人当たり平均額でも経済大国にふさわしい実質を有しており、輸出という点を除けば、産業構造における対外依存度も高くはありませんでした。

 例えるとすれば、日露戦争後に発生した日比谷焼き討ち事件あたりが適当でしょう。正確な現状把握をできず、その術も乏しかった当時の日本人が「ロシアに完勝した」と舞い上がってしまった挙げ句起きた象徴的な出来事です。いまの中国国民の慢心・増長は当時のそれに似ているように思います。

 大雑把にいって30代以下が江沢民による反日風味満点な「愛国主義教育」を身体いっぱいに浴びて育った「亡国の世代」であることも慢心・増長に拍車をかけているように思います。

 胡錦涛は「愛国主義教育」は続けつつも、反日風味を薄め、代わりに刻苦奮励とか風紀粛正とか人民のために犠牲になった党員の物語、といった色合いを強めることを企図しているように思いますが、現実に向き合わない、綺麗ごとだけを並べた愚民教育という点では江沢民時代から進化していません。

 この根拠のない増長・慢心は亡国の兆です。危機感を提起する意見もありますがイケイケドンドンの空気の中では埋没してしまい何の効果もありません。舞い上がり続けている限り、中国国民は必ず痛い目に遭うことになるでしょう。

 問題はそれによって周辺国が迷惑するかも知れないということです。

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 最後に日中関係を。靖国神社への容喙が無意味であることを証明し続けた小泉純一郎・前首相は、対中関係の正常化について「10年、20年、30年」という長い時間が必要だと喝破し、そのための第一走者としての務めはしっかりと果たして安倍晋三・首相にバトンを渡したように思います。

 安倍首相は小泉前首相のような強烈な個性を感じさせないところがやや不安ではありますが、訪中時のプレス向け共同声明では得点を稼いでいますし、一方で森喜朗・元首相の訪台などによって台湾との関係にも配慮をみせています。日米同盟の絆を再確認し、さきの日米合同演習では中共軍の尖閣諸島侵攻に対する奪回作戦もプログラムに含まれていました。

 参院選を乗り切るまでは全力疾走に移れないという面があるかも知れませんが、表面的な日中友好ムードを演出しつつ、教育基本法の改正や防衛庁の省への昇格など、中共政権が神経を尖らせるような布石を着々と打ってもいます。……別に中国向けではなく、国内世論がそれを望んでいる訳ですけど。ともあれ麻生外相との連携が上手くいけば、来年は面白くなりそうです。

 ただ、前にも書きましたが私は中共政権は北朝鮮同様に日本との「対話」が成立する国ではないため、日本は中共政権と「なんちゃって対話」を繰り返す一方で、日本にとって必要な措置をサクサクと事務的に処理していくべきだと考えています。

 が、残念ながら、現在の日本政府はまだそこまで踏み込んでいません。逆に東シナ海ガス田問題のように、中共政権の方が日本の抗議などどこ吹く風とばかりに、サクサクと実務を積み重ねている格好です。こういう状況は早急に改善してほしいところです。必要ならODAや迂回融資凍結のような「経済制裁」カードもチラつかせるべきです。「対話と圧力」という言葉がありますが、対話が成立しない相手には圧力を以て臨むほかありません。

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 意外に長くなってしまいました(笑)。このブログに目を通して頂いている皆さんには、この一年、駄文にお付き合い頂いたことに心から御礼を申し上げます。来年もご一緒に中共政権の迷走ぶりを生暖かく眺めていくことができれば幸いです。

 それでは皆さん、よいお年を。




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「上」の続き)


 個人的印象だけでいうなら、「日本鬼子」という言葉は1980年代後期にも一応存在していたものの、さほどメジャーな言葉ではなく、江沢民が反日風味満点の愛国主義教育を始めたことで「復活」を遂げた観があります。

 私が上海にいた当時は、庶民の怒りは中共政権の失政に向けられていた、ということもあるでしょう。その挙げ句に発生した学生運動~天安門事件(1989年)で中共に対する怒りが憎悪にまで変化しつつあった矢先、江沢民がそれを「日本鬼子」へとそらすことに成功したのではないかと思います。

 もっとも「日本鬼子」が江沢民によってマイナーからの脱却を遂げたといっても、庶民の中共政権に対する反感は基本的に大きく変化してはいないでしょう。2005年春の反日騒動が大きな盛り上がりをみせたところで中共当局が慌てて火消しに走ったのも、「反日」が政権転覆への動きに転化することを恐れたからだと思います。

 都市部では高層ビルが建ち並ぶようになったとはいえ、貧富の格差や環境汚染、党幹部の汚職その他様々な問題はによって、社会状況は私の留学当時より確実に悪化しています。私が上海にいたころは農村であれ都市部であれ、暴動なんて話は噂にすら出てきませんでした。

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 これに対し、「小日本」という侮蔑語は例外的なケースで、「中華思想」から外れた小国、非文明的(中華思想に染まっていない)でちっほけな島国、といういわば観念的な印象が先に立って生まれたものかと思います。いつごろから定着した言葉なのかは私にはわかりません。

 中国人が大量の日本人と接触する機会は19世紀後半まではありませんでしたし、もしそれ以前から存在した単語なら、「小日本」に「非文明的でちっぽけな島国のくせに小賢しい」というニュアンスが含まれるようになるのは日清戦争後のことでしょう。

 「例外的なケース」というのは、「支那人」からみた場合、日本人が中国社会において「小日本」と呼ばれるにふさわしい事実を積み重ねていく以前から「小日本」という言葉が存在していた気配があることによります。いずれにせよ私の手には余るテーマなので、「日本鬼子」と「小日本」の起源などについて御存知の方は是非情報を寄せて頂きたいところです。

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 またまた雑談に大きく流れてしまいました。「チャンコロ」のことです。この言葉自体はすでに死語のようですが、代わりにネット上では「支那畜」という新語を目にすることが増えてきています。言い得て妙、としかいいようがありません。

 「支那畜」が台頭するのも当然のことでしょう。いま日本社会に棲息する「支那人」の圧倒的多数は、「畜生」と呼ばれるにふさわしい所業を積み重ねているからです。

 警視庁のウェブサイトに飛んで『警察白書』の関連項目=国籍別外国人犯罪年間件数にあたればわかります。私が調べた限りでは1989年(平成元年)以来昨年まで、「大陸人」(中国本土の人間)は17年連続でトップの座を他国に譲らず、なおも連覇記録を更新中なのです。

 犯罪だけではなく、マナーの悪さも「支那畜」という侮蔑語を生む一因です。顕著な例として2004年のサッカーアジアカップにおける中国人サポーターの呆れた振る舞い、そして2005年の反日騒動が挙げられますが、生活レベルで「支那人」に接触する機会が増えるにつれて、日本人の「何だこいつらは」という異質感は深まり、その結果として対中嫌悪感が7割8割という高いレベルに達しています。

 謝罪しない、という点も「支那畜」の定着に一役買っています。2003年に注目された中国人犯罪、2004年のサッカーアジアカップ、そして2005年の反日騒動のいずれに対しても、中国政府は謝罪していません。

 謝らないことと同じ文脈で考えられることですが、「入郷随俗」(郷に入れば郷に従え)という諺を持ちながら、「支那人」は日本に来ても、日本社会の習慣やルールに馴染もうとする意識が希薄です。中華思想の成せる業、ともいえますし、日本社会に適応するだけの民度がない、ともいえるでしょう。だから「畜生」扱いされることになるのです。

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 被害者は日本だけではありません。香港の最大手紙『蘋果日報』(2006/12/28)が北京の地元紙『北京晨報』の報道として伝えたところによると、昨今は中国人海外旅行客のマナーの悪さがあちこちで顰蹙を買い不評を呼んでいます。

 ●バチカン:教会前の地べたに座り込んで、持ってきた酒をラッパ飲みする。
 ●香港:香港ディズニーランドの花壇などで親が子供に所構わず大小便をさせる。
 ●英国:大英博物館で乱暴に展示物に触れたり、あちこちにゴミをポイ捨てする。
 ●オーストラリア:真夜中にホテルのロビーで太極拳をやる。
 ●モスクワ:ガイドにチップを払わず、レストランでは周囲に構わず取っ組み合いの大喧嘩を始める。
 ●欧州:タバコ1箱を買うのにも500ユーロ札を出すなど中国人客は成金扱いされ評判が悪い。
 ●シンガポール:ホテルのバイキングでテイクアウトしていいものは全て取り尽くす。
 ●タイ:旅客機のイヤホンや毛布を持ち帰る。ビーチのレストランでは男は人が大勢いる前で平気で着替え、女は下着姿で泳ぐ。
 ●フランス:ルーブル美術館では撮影禁止の油絵を平気で撮影し、また大声で騒ぐ。

 日本も以前、農協ツアーなどが海外で顰蹙を買ったことがあるものの、さすがにここまでひどくはありませんでした。円高によるブランド買いまくりはマナーとは別次元です。付言するなら、中国人海外旅行客の多くは都市部住民であり、都市部といえどもこのレベル、ということです。

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 やっぱり民度ですかねえ。以前日本のある地方自治体が、

「中国人を見たら110番」

 というポスターを制作して問題になりましたが、あれはあれでいいのです。

「中国人入店お断り」

 も問題なし。だって実績が裏打ちしているのですから、これは差別ではなく区別です。犯罪率がまるで違いますし、マナーも悪い。「入れ墨の方お断り」が通るのなら「中国人お断り」も通って当然です。

 その割を食うごく少数のマトもな「支那人」たちにはお気の毒ですが、これは民族としての自業自得。テレビに出て失笑コメントを連発している鼻糞のような「支那人」教授も、脱力系啖呵が得意な「支那人」王毅大使も同じです。

 中国本土に生まれたことを恨みつつ、これも自分の前世の行いが悪かったせいだと諦めて、せいぜい同胞の行いを正すよう努めて陰徳を積むべきですね。

 何はともあれ、です。ポスターを貼らなくても、

「支那畜を見たら110番」

 という意識を日本人ひとりひとりが心に刻んでおけばそれで十分。

 ……十分なんですけど、それにしても、とやっぱり思ってしまいます。日本も住みにくくなったものですねえ。




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 もはや死語ですが、かつて日本には中国本土の人間(漢族)を指して「チャンコロ」という侮蔑語がありました。

 侮蔑語というのは、日本語に限らずどの言語でも品格のあるものではありません。

 ただその言葉が侮蔑語として定着するというのは、故なきことではないでしょう。侮蔑されるに値するだけのことをその民族に属する人間が重ねてきたからこそ、社会にしっかりと根を下ろす訳です。……異論があるかも知れませんが、私はそう考えています。

 ザイニチとかチョンなどもそうですね。チャンコロにしても、中には優秀で尊敬するに値する中国人もいたでしょうが、より多くの、圧倒的多数の同類が「チャンコロ」であったために、ごく少数のマトモな中国人が、津波に呑まれるように埋没してしまったのだろうと思います。

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 「支那人」は差別語ではありません。これがNGなら、英語のchineseからエスペラント語のチニーオに至るまで、中国はその全てに反発しなければなりません。

 私の中では、中国本土の漢族が「支那人」です。ウイグル人、チベット人、満洲人と区別する場合、「支那人」という言葉を使います。漢族を指した話題であるときは「中国人」。まあ中国は総人口の9割以上が「支那人」ですから、大抵は「中国人」で用が足ります。

 ただし香港や台湾の仕事仲間たちと中国語や広東語で話す際には、「大陸人」を使います。これには台湾人や香港人に対する一種の尊重がこもっています。

「おれはお前たちを大陸の連中と一緒くたにしてはいないから」

 というニュアンスです。

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 中国語における「日本鬼子」も「チャンコロ」と同じようなものでしょう。戦時中の中国人による日本兵への印象から生まれた言葉なのでしょう。

 ……と考えてみたのですが、実際には自然発生的なものなのか、国民党や中国共産党が一種の宣伝として広めた言葉なのかはわかりません。同じ時期、日本には「鬼畜米英」という言葉がありました。あれは戦意高揚のために生まれた官製名詞でしょう。「日本鬼子」にもその可能性がないとはいえません。

 私が中国・上海市に留学していた20年近く前、私個人は「日本鬼子」という言葉を浴びせられたことも、耳にしたこともありません。

 スローガンとしては一度だけ目にしたことがあります。

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 当時はおカネを稼ぐため留学の名目で日本に渡る中国人が急増し始めた時期でした。日本語学校に籍を置きつつも学校はそっちのけで工場などで働き、2年間で200万円は貯金して帰国するのです。当時の中国においては途方もない大金でした。

 その日本語学校入学者向けに日本政府が発行していたのが就学ビザです。上海の総領事館だったかどうかよく覚えていませんが、手続きを受け付ける建物にはいつも順番待ちの長い行列ができていました。

 それがある時期に、就学ビザ発行に対する量的制限か資格厳格化だったか、ともかく手続きが遅滞する事態が起こりました。そこで手続き待ちの連中が怒って、順番待ちの行列に「日本鬼子」がどうのこうの、という横断幕まで出現しました。

 ところがある日、運の悪いことに(笑)その傍を私が通りかかったのです。「日本鬼子」に目をとめた私はバトルモード(アウェーバージョン)に入り、そこにいた連中に向かって、

「お前ら行列して何してるんだ?」

 とお節介にも問いかけました。

「お前は日本人か?」

 と聞くので(広東語の弊風に染まる以前の私の北京語は、まだシンガポールの華僑くらいには化けられました)そうだと答えると、付近の連中に一種のどよめきが起こり、果たせるかな一人の男が私に向かって何か言おうとする構えを示しました。

 連中にとっては理不尽に映った日本政府の措置を怒気を交えて日本人の私に説明しようとしたようです。

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 こういう場合は起こり籠手を撃つというか、機先を制することが肝心です。私はその男が話そうとする矢先に、

「お前たちも大変だな。そんなに行列してまで『日本鬼子』の国に行きたいのか」

 と同情する様子を装って言ったところ、一座は沈黙してしまいました。

 余談ながら、こういうやり取りは準備ができていれば即応できますし、日本と因縁浅からぬ国だけに準備しておく必要があります。当時は現在に比べて反日度が比較にならないほど低かったのですが、それでも私は外出する際、一応そういう緊張感を持っていました。

 以前書いたことがあるかと思いますが、後に重慶から三峡下りの船で上海へと戻る際、私は闇市で最上等の船室を確保しました。二人ひと部屋のコンパートメントで、専用のサロンのような場所もありました。

 そこで相部屋となった北京の大学教授と一緒にくつろいでいる際、服務員のオバサンが私に向かって、日本の重慶空襲で彼女の縁者の誰かが死んだと言うのです。大学教授がその場をとりなそうとしたのですが、ここで沈黙してはいけません。

 重慶だからそのくらいのことはあるかも、と考えていた私は幸いバトルモード(アウェーバージョン)を即発動させることができました。

「あなたは服務員だ。私は船客だ。話があるなら勤務時間外にしてもらおうか」

 と言って彼女の口を封じました。のどかな時代でもそのくらいのことはありました。

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 留学生宿舎の私の部屋にはよく中国人学生が訪ねてきて色々と話し込んでくれました。その多くは学生運動でリーダー格だった連中でしたが、他に英文科の女子学生が二人組でしばしば現れては雑談していきました。

 知り合った経緯は忘れてしまいましたが、私はどうせ大学当局の回し者だろうと思い、それならなぜルックスで選抜して寄越さないのかと内心腹を立てつつ(笑)、他愛のない雑談には付き合ってやりました。

 その二人組と雑談していたときのことですが、私はふと、中国にも幽霊話や心霊写真のようなものはあるのかと尋ねてみました。唯物史観で理論武装され、風水や占いも「封建的迷信」と排斥される社会主義国において、ああいう超科学的現象はどう扱われているのかと思ったのです。

 幽霊といえば中国語では「鬼」(gui3)。ただ「鬼」だけでは何だか座りが悪いような気がして、中国語でよく使われる接尾辞の「子」(zi)を加え、

「中国にも『鬼子』はいるのか?」

 と訪ねたところ、二人組はクスクスと笑うのです。それで私も気付いて、

「そうかあ『鬼子』はおれたちのことだったなー」

 と笑い話になりました。私の1年間の留学生活で「鬼子」に出くわしたのは、上述した就学ビザ待ち行列のときと、この笑い話の2回だけです。


「下」に続く)




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 私は素人の中国観察日記ともいうべきこのブログを書く、という娯楽のために毎日欠かさず記事漁りをしています。集めている最中に着想を得たりしますし、一日欠かしても「観察」には差し支えるのでこればかりは年中無休です。

 ただ香港発や中国本土発の中国関連ニュースというのは、目を通していて嫌になることがままあります。不適切な例えかも知れませんが、腐ったミカンの詰まった箱の中に放り込まれて自分も腐っていくような不快感です。

 はっきり言ってしまうと「民度が違う」ということです。ヲチの必要上、糞のような記事も拾わないといけません。中国語作文の参考にはなりますけどね。

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 最近、中共系メディアでちらちらと「歴史問題」テイストの反日記事が目につくようになりました。南京虫事件記念日は過ぎたのにおかしいな……と思っていたら日中の学者で歴史の共同研究が始まるということで前奏曲を流していたのですね。

 これも前奏曲なのか、かの著名な河野洋平氏が媚中派代表として訪中していますが、中国側は前菜(唐家セン)、スープ(呉邦国)、メインディッシュ(胡錦涛)とフルコースのおもてなし。温家宝がいないのは「あ、オニオン抜きで」みたいなものでしょうか(笑)。あるいはデザート?

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 ともあれ共同研究の件。

 昨日(12月26日)の外交部定例記者会見で面白いやりとりがありました。報道官はカツゼツの悪い奴。……秦剛でしたっけ。記者は日本人なのか新華社系の連中なのかわかりませんけど、最初の記者は「日本と中国が」と中国を後ろに置いているので日本人のようです。

 記者
「日本と中国が歴史問題における対立についてきょう討論することになっている。双方は具体的にどんな問題を討論するのか?中国側はこの会議にどういう期待を抱いているか?」

 秦剛
「いまあなたは中日間の歴史問題に関する対立について討論すると仰ったが、私はその言い方には賛同しない。中国と日本の歴史学者が中日関係史について対話と交流を行うのは両国政府と両国首脳の合意によるものだ。その目的は2000年に及ぶ中日間の交流の歴史、近代の不幸な歴史、そして戦後60年間の中日関係の発展史について共同研究と交流を行い、歴史に対する客観的認識と相互理解を深めることにある。この対話は中日間の3つの政治的文書が確立した原則に基づき、また『歴史を正視し、未来志向で』という精神に則って行われる」

 ……なるほど。ところがそのあと、別の記者から質問が飛びました。

 ――――

 記者
「中国メディアは(この共同研究で日中双方が)南京大虐殺の問題について討論すると報じているが、その真否を確認したい」

 と、この質問。これで秦剛、というより支那人(漢族)特有の発作が起きてしまいました。

 秦剛
「歴史問題を正確に認識し処理することは中日関係が健康的かつ安定的に発展する上での重要な政治的基盤だ。日本が前世紀に凄惨な南京大虐殺を含むあの侵略戦争を引き起こしたことは動かぬ証拠のある、否定することも覆すこともできない歴史的事実であり、国際社会においてもとっくに定説となっている。われわれは双方が『歴史を正視し、未来志向で』という精神に基づいて、両国の学者の共同研究を通じ、歴史的事実に対する客観的認識を深めることを希望している」

 ●「新華網」(2006/12/26/18:06)
 http://news.xinhuanet.com/world/2006-12/26/content_5534505.htm

 馬鹿ですねえ。これも民度のなせる業、てなところでしょうか。こんなところで本音がポロリでは報道官失格ですね。中共側のデッドラインを示したつもりなのかも知れませんけど、この時点でバラしてしまうようでは外交官にあるまじき馬鹿正直でしかありません。

 ――――

「動かぬ証拠のある、否定することも覆すこともできない歴史的事実であり、国際社会においてもとっくに定説となっている」

 ……のであれば、
いまさら共同研究をやる必要などないと思うのですが、如何でしょう?

「われわれはこの討論と交流を通じて日本政府と日本国首脳、及び日本人民が中共史観を受け入れることを望んでいる」

 ……ってはっきり言ってくれれば、こっちも、

「何だあ、ただの茶番かー(笑)」

 ……って分かりやすくていいんですけどねえ。共同研究すべきはまずは事実そのものでしょう。例えば「××で××が××人死んだ」というような。それをすっ飛ばしていきなり歴史観・歴史認識(歴史的事実に対する評価)を話し合うなら何の意味もないと思います。

 その歴史観・歴史認識にしても、当時の価値観を全く無視して現代の価値観だけに基づいて善悪を断じ、一種の曖昧さを決して許さない(全肯定でなければ全否定)という柔軟性を欠いた、それでいて政治的必要から評価がコロコロ変わる中共史観では話になりません。

 歴史観なんざどの国にとっても政権の正統性を保証する一方で、必要なときに国民を奮発せしめるためのアイテムにすぎませんけど、相手は一党独裁であるうえ何につけても異論の存在を許さない中共政権ですからね。共同研究を行うことにどれほどの意義があるのか甚だ疑問です。

 私は中共政権と対話する必要を一切認めず、対中外交は「なんちゃって対話」をやりつつ日本にとって必要なことをサクサクと事務的にこなしていけばよいという考えですから、今回も「なんちゃって共同研究」に終始して「ともあれ対話を行ったことに意義がある」とまとめて散会にしてほしいところです。

 だいたい中共政権に対話を行う気がまるで無いではありませんか。

「いまあなたは中日間の歴史問題に関する対立について討論すると仰ったが、私はその言い方には賛同しない」

 と秦剛がいみじくも指摘したように、中国側は「対立の存在」を全く認めていないのです。ここで使われている「対話と交流」というのは、要するに日本に対して中共史観を押しつけるためのイベントということに他なりません。

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 しかし芸がないですね記者も秦剛も。

 記者
「では1989年の天安門事件はどうか?自国の軍隊が自国民を無差別に殺戮するという暴挙によって国際社会を揺るがし、また中国の政治的硬直性の高さと投資環境を日本政府・日本企業に再考させたという意味で、また御家人氏ら当時の日本人留学生たちから中国国内で夏休みを送るという楽しみを奪ったという点において、戦後60年間の日中関係における大事件だと思うが、見解をうかがいたい」

 ……とでも追い打ちのツッコミを入れてやればいいじゃないですか。そうすれば秦剛もボケ甲斐があるというもので、

 秦剛
「あなたはEU(欧州連合)が1989年の春から夏にかけてわが国で起きた政治的波乱への制裁と称して、現在に至るまでわが国に対する武器禁輸措置を解除していないことを知らないのか?禁輸が続いているという意味において1989年の出来事は未だ歴史とはなっていないとわれわれは認識しており、歴史ではない以上、今回の共同研究の対象から除外されるのは当然のことだ」

 とかいうシャレを飛ばせるのに。……てそれはさすがに無理ですか。

 そういえば南京虫事件の「動かぬ証拠」(鐵證如山)という言葉は前任者の孔泉も使っていましたが、無責任にも結局その動かぬ証拠とやらを見せてくれないまま転出してしまいましたね。今回はどうなるのでしょう?

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 まあせっかくの「なんちゃって対話」なんですから通州事件や満洲建国に至る経緯についての研究、それから南京虫事件記念館がテーマパークであることの検証にもたっぷり時間を割いて、ゆるゆるとやって下さいまし。

 ……あ、それから日本における国籍別外国人犯罪件数、私の調べた限りでは平成元年以来かの中共政権が17年連覇中なのですが、これも「日中関係が健康的かつ安定的に発展する上での重要な政治的基盤」を損う一大要因ですからどうかお忘れなく。

 ともあれ、馬鹿と対話するのは時間の無駄、というのが今回の結論です。政治制度にせよ社会の成熟度にせよ民度にせよ、日本とは全く異なる次元を徘徊している中共政権や北朝鮮などの目線に合わせて日本がわざわざしゃがんでやる必要はありません。基地外という意味では韓国もそうですね。

 つまりは特亜、やっぱり特亜。……てなところでしょうか。




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 映画「硫黄島からの手紙」を観てきました。

 ネタバレになるのでこれから観に行くつもりの方は、鑑賞されてからこのエントリーを読むことをお勧めします。

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「年末年始休暇をひねり出す」

 という日本側の都合により組まれた強行スケジュール、いわゆる「年末進行」が終わって私はひと山越えた気分です。もっとも香港・台湾側は旧正月こそお正月。1月1日が祝日になるだけで日本のようにまとまった休みを取ることもないため、私が正月らしい正月をのんびりと送ることはできません。

 それでも第一波を乗り切ったことで人並みの生活に戻ったような気がします。旧正月直前の香港・台湾側による「年末進行」が控えた嵐の前の静けさではありますが、久しぶりに外出できるようになりました。おかげで昨日今日は街ゆく女性がみな美人にみえてしまいました(笑)。

 で、俗にいうクリスマスイブは配偶者と外食して、今日は靖国神社に今年最後の参拝。遊就館で配偶者と合流し、例によって零戦を眺めつつ海軍カレーと海軍コーヒーを喫しました。

 映画は有楽町だったので、大手町から噂に聞く丸の内の電飾街を歩いてみたのですが、もっと華やかなものかと思っていたので期待はずれでした。ショボいです。神戸の電飾街を一度歩いてみたいものだと思いました。

 でも丸の内のOLのお姉さんたち(私よりずっと年下ですけど)は皆さんきれいでした。うっかりそう口走って配偶者から平手打ちを喰いました。

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 さて映画の話。米軍視点の方を観ていないのでまとめて俎上に乗せることはできませんが、単体の作品としてみれば頭の弱い私には訳がわかりませんでした。恩師との電話によるやり取りに次いで、この映画を観るということが「年末進行」中もモチベーションを維持できた要因だったのに……。

 日本軍は硫黄島の各所に洞窟(連繋した坑道)を掘って神出鬼没のゲリラ戦を展開し、それゆえ米軍が日本側を上回る死傷者を出しました。現地指揮官である栗林中将(渡辺謙)が米軍から名将として称えられたゆえんです。確か米国の有名な従軍記者もジープで移動中に背後の洞窟から出て来た日本兵に奇襲されて即死しています。

 ところが映画の戦闘シーンではそういう描写がすっぽりと欠落していました。米軍が難戦する様子が十分に描かれていないので、栗林中将も「米国通で万歳突撃などによる兵の無駄な損耗を嫌う指揮官」にしかみえません。5日間で陥落するはずの小島で1カ月以上米軍を食い止めた、という事実も予告編にしか出てきません(笑)。

 栗林中将の最期の総攻撃における訓示と、硫黄島に残されていた守備隊の兵士たちの手紙が発見されたことで現在とのつながりを辛うじて示しているのですが、主題の一部である筈のその部分が見事なまでに不徹底です。

 「パールハーバー」のようなお伽話にするか、あくまでもベタに徹するかのどちらかにしてほしいと思いました。ベタな分だけ「出口のない海」の方がずっとマシです。

 ただ一点、自決を前にした指揮官が、

「靖国で会おう」

 と言ったのは、いまどきの日本映画には真似できないところです(笑)。あと硫黄島に民家があったという余り知られていない部分が描かれていたのはGJ!でした。……という訳で、その分を考慮して百点満点で35点。

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 レンタルになるのを待つのが賢明、というのが突撃してみた私のごく個人的な感想です。予告編で流れていたアンディ・ラウ(劉徳華)主演の「墨攻」の方が娯楽作品に徹底しているようなので楽しめそうでした。

 やはり「予告編」が流れた「蒼き狼」は勘弁してくれという印象です(笑)。あれなら『成吉思汗の秘密』を原案に「義経=成吉思汗」伝説を撮った方が面白そうです。そういえば清王朝は確か初代皇帝から満州人とモンゴル人のハーフなんですよね(うろ覚え)。

 とりあえず帰宅してグッタリしているところです。これから記事漁りをしなければならないのに……しかも土日を終えて「新華網」の記事量がぐっと増える月曜日なのに……。

 誰か何とかして下さい。orz




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 交流協会という組織があります。台湾に対する日本の窓口で台北に事務所を構えており、いわば実質的な駐台湾日本大使館のようなものです。

 中共政権にとってみれば目障りな機関ということになるでしょう。交流協会が外務省内の媚中派を通じて台湾情報を中共政権に提供しているなら話は別ですが、実際にはなかなか気骨のある日本の駐台拠点のようです。

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 ●台北の天皇誕生日祝賀会、李登輝・前総統が初出席(読売新聞 2006/12/19/20:39)
 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20061219i313.htm

 【台北=石井利尚】台湾の李登輝・前総統(83)は19日、日本の対台湾窓口機関、交流協会台北事務所が台北市内のホテルで開いた天皇誕生日の祝賀レセプションに出席した。

 日本と台湾は外交関係がないが、同事務所は、中国の反対を押し切って2003年から祝賀会を開催し、台湾政財界関係者を招いてきたが、中国が「独立派の総代表」と非難する李氏の出席は初めて。

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 そうなんです。天皇誕生日の祝賀レセプションは2003年12月12日に初めて開催され、当時中国は猛反発しました。ちょうど私が中国の反日掲示板に出入りするようになって間もない時期の出来事で、この件につきブーブー騒いでいた糞青(自称愛国者の反日信者)どもを道理を以て封じ込めた記憶があります。

 このレセプションを毅然として初開催したときの交流協会台北事務所代表、つまり実質的な駐台日本大使だったのが内田勝久氏(前台北事務所代表)です。台湾の中央通信社の報道(2004/10/03)によると、内田氏は代表在任中の2004年10月に台北で開かれた「台日論壇」において中共政権の台頭による脅威を指摘し、

「これまで国際的には(台湾問題について)内政不干渉の原則がとられてきたが、いまや状況は変わっている。つまり、もし台湾問題が他国の利害に影響を及ぼすのであれば、これは立派な国際問題である」

 と言い切っています。ところが不思議なことに、このフォーラムについては悪意を込めて報じた中共系メディアが、この発言をなぜかスルーしています。

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 上の報道にあるように、李登輝氏はこれまではこのレセプションには参加していませんでした。ただ2003年のレセプション初開催時には、いやその開催当日には中央大学の学園祭の一環として企画されたインターネットを通じての日本に向けた講演会を行っています。

 当時レセプション開催に猛反発した中共政権は、この「レセプション当日に李登輝は台独活動」という件も含めて批判しています。

 その李登輝氏が今年初めてレセプションに出席したことは中共(特に軍部)にとって怒り心頭でしょうが、いまこのエントリーを書いている段階では中共系メディアによる関連記事は見当たりません。

 それよりも、中共にとってはさきの台北・高雄の市長選で国民党(台北)と民進党(高雄)が痛み分けたことが無念でしょう。つい最近までは陳水扁・総統の汚職疑惑で市民も多数参加する大型批判イベントが相次ぎ、台湾独立派の民進党が失速して一気に中共好みの政局になりそうな観があリました。

 ところがその勢いで臨んで国民党の両取り確実かと思われた台北・高雄市長選のフタを開けてみたら、民進党が踏ん張って根拠地の南部(高雄)を辛うじて確保。このため国民党主席で有力な次期総統候補である馬英九・前台北市長への求心力が落ちるという、中共にとって意外な展開になってしまいました。高尾市長選は僅差だったので再集計申請が出されてはいますが、現時点においては紛れもない「敗北」です。

 結局は有権者の多数派である「中共と一緒になるのは真っ平御免だけど独立を強行して戦争になっても困る」という台湾人意識の強い「本土派」層、つまり潜在的独立派ともいうべき現状維持を望む市民のバランス感覚が作用したのだと私は思います。

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 ●唐家セン:台独に反対し封じ込めるのは中華の子にとって目下の要務だ(新華網 2006/12/19/15:25)
 http://news.xinhuanet.com/tai_gang_ao/2006-12/19/content_5507425.htm

 ●北京の専門家:来年は台湾当局による法的台独の加速を警戒せよ(新華網 2006/12/19/16:46)
 http://news.xinhuanet.com/tai_gang_ao/2006-12/19/content_5507802.htm

 ……他にも似たような記事が中共系メディアから最近出てきていますが、これらは中共にとって台北・高雄市長選が「意外な結果」だったことへの条件反射のようなものといえるでしょう。

 そんな折りも折りに台湾の「日本大使館」が今年も天皇誕生日祝賀レセプションを開催し、今度は李登輝氏までが出席。……という事態に中共側がどう対応するかが見物です。

 ちなみにレセプション前日の12月18日、親中系ニュースサイト「星島環球網」が台独色の濃い台湾紙『自由時報』による池田維・交流協会台北事務所代表への取材記事を転載しています。

 ●日本駐台代表:「七二年体制」に変化なし、でも日台関係は依然として重要(星島環球網 2006/12/18)
 http://www.singtaonet.com/hk_taiwan/t20061218_421688.html

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 「七二年体制」とは「日中共同声明」に明記された台湾の扱いということです。簡単にいうと、

「中国は台湾が中国の不可分の領土であることを主張する。日本はそれを理解し尊重するものの、台湾を中国の一部とは正式に認めていない」

 というものです。池田代表はこれを踏まえつつ、

 ●日中関係と日台関係はゼロサムゲームの関係にはない。
 ●日本にとって台湾との関係は依然として重要。
 ●台湾人へのノービザ認可は日台関係の深まりを示すもの。

 と指摘する一方で、中共の対外強硬派を激怒させ、昨年春の反日騒動の有力な遠因のひとつである日米安保2プラス2で台湾海峡が日米安保の対象区域に組み入れられ、その安定が共同戦略目標のひとつとなったことを肯定。返す刀で中共政権の軍事費が不透明であることへの懸念を示しています(笑)。

 最後には開業先送り状態の台湾新幹線のオープンセレモニーに小泉純一郎・前首相が招待されていることについて、

「(セレモニーを)いつやるかわからないのだから、誰が出席するかも現時点ではわからない」

 と煙に巻いています。緩急自在ですね。

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 さて、哲人的風貌を帯びながら渾身これ政治家ともいうべき李登輝氏が天皇誕生日祝賀レセプションに初めて出席したことは、陳水扁総統周辺の汚職疑惑などで分裂や仲間割れを繰り返しながらも、市長選で何とか高雄を守り切った台湾独立派に活を入れ、その再編への着手を暗示するものだと思います。

 対日関係強化をアピールすることは中共への強いメッセージにもなりますが、同時に台湾人に「日台関係」という絆を再認識させることで「台湾人意識」を引き立て、政治的には台湾独立派ひいては台湾本土派の大同団結といった政界再編をにらんだ動きのようにみえます。

 もちろん日本へのラブコールでもあります。個人的な好みは別として、政治家としての李登輝氏が親日派というスタンスを常に維持し、「尖閣諸島は日本の領土」とまで明言しているのは、それが台湾の国益につながる、という考えに基づくからでしょう。

 いわば「戦略的親日」といったところで、中共政権が対日外交及び国内統治の必要上「戦略的反日」という姿勢を続けていたのと同じです。……とは冷たい言い方かも知れませんが、東アジアの安定、中共の脅威といった現状に照らせば、国益最優先の外交戦略として台湾が親日路線を選択することには何の不思議もありません。

 翻っていうなら、東アジアの安定という見地に立てば日本と台湾は一蓮托生ともいうべき運命共同体です。しかも普通選挙制を有し歴史観における大きな対立がないという点では、日本にとって話が通じる、価値観を共有し得る東アジアで唯一の国です。日本もまた「戦略的親台」路線を強化すべきでしょう。

 ――――

 今回の天皇誕生日祝賀レセプションについて、私は別の確度からも興味を持って眺めています。中共の反応や如何に、ということです。

 初開催に猛反発した2003年はまだ江沢民時代。ところが2004年9月に胡錦涛政権が発足してからは、このイベントに対し中国側は大きく反発していません。

 胡錦涛政権がその試用期間中、「ことさらに反日を言い立てない」という江沢民時代に比べれば現実的で柔軟な対日路線に転じたからです。前述した内田交流協会台北事務所代表による踏み込んだ発言がスルーされたのも、同じ理由によるものだと私は考えています。

 胡錦涛はその試用期間でダメ出しをされて対日外交の路線転換を余儀なくされることになり、その過程で2005年には反日騒動や呉儀ドタキャン事件なども起きましたが、その後は軍主流派と組むことによって中共上層部における指導力を強化。そして今年10月の安倍晋三・首相の訪中で日中関係が表面的には蜜月時代に入ったことが強調されています。誰が強調しているかといえば、もちろん中共当局及び中共系メディア、そして日本のマスコミです(笑)。

 そういう流れにある以上、天皇誕生日祝賀レセプション自体は「むやみに事を荒立てない」という目下の対日路線を反映してスルーされるかも知れません。ところが今回はそこに中共にとっての鬼門筋である「李登輝」カードが重なって出てきました。果たして黙っていられるか、どうか。中共内部における政治的駆け引きを含め、注目すべきところではないかと思います。

 ――――

 最後にこのレセプションについて。毎回政財界の有力者を招待して開かれているようですが、詳しい顔ぶれはよくわかりません。

 例えば60年余り前には「高砂族」と呼ばれて志願して日本兵と共に戦い、靖国神社にいる戦友たちに会いに来るような人たち。……政財界には無縁かも知れませんが、そういう人たちにも出席してもらって、ささやかながらも日本として感謝の気持ちを表すことができていればいいな、と思います。

 ……何だか標題と余り関係のない内容になってしまいましたが、李登輝さんには体調も政局も整えた上で、来年の桜の季節に是非訪日してもらいたいと願っています。ちょっと古いですけど「ウェルコネ」であります。




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 相変わらず軟禁状態で頭の中は仕事で煮詰まっていてチナヲチ(中国観察の真似事)どころではありません。でもそろそろリハビリにかかろうと気楽な記事を1本。

 ……あ、最初に申し上げておきますがタイトルからわかるように尾籠な話題です。当ブログは日中だとお昼休みの時間帯にアクセスが集中するのですが、気楽とはいえ食事をしながら読むには適さない内容です。ご注意されたし。

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 私が中国に留学していた20年近く前、中国の都市部にある公衆便所は非常にお粗末なものでした。私のいた上海も例外ではなく、中に入ると細い溝と太い溝があって、その溝を勢いよく水が流れているという、ただそれだけの施設でした。

 細い溝は小便用、太い溝が大便用であることはいうまでもありません。小便用は溝をまたいで立ち悠々と用足しをするだけです。

 ところが大便は当然ながらしゃがみます。排便という生理に対して、中国の特色ある社会主義は小便用のように寛容ではなく、……あるいは寛容だからなのかも知れませんが、大便用には大人ひとりが太い溝をまたいでしゃがんだスペースを目安にして、前後に高さ1mあるかないかの壁が設けられていました。

 ――――

 例えばいまこれを読んでいるあなた、あなたが急に便意をもよおし公衆便所に駆け込んだとします。

 準備を整えて太い溝をまたぎ、和式便所の要領でしゃがみます。するとあなたの前と後ろには壁があって、互いにしゃがんでいる分には相手の排便行為を見ずにすみます。幸運なときには上流で用を足した者のオブジェがあなたの股の下を流れていくのを鑑賞することもできます。

 ところが本来ドアがあるべきサイドには何もないので、小用を足している人や公衆便所に入って来た人に対しては全くの無防備、要するに丸見えです。

 日本人はこれを
「ニーハオトイレ」と称しているようですが、私の留学時代にはまだない言葉でした。少なくとも私の周囲では使われていませんでしたから、「ニーハオトイレ」は日中間の草の根レベルでの交流が進んでいることを象徴する言葉ともいえるでしょう。

 試しにGoogleのイメージ検索で「ニーハオトイレ」を当たってみると、最近はサイドに低い扉が設けられた進化型もあるようです。胡錦涛政権が目指す「和諧社会」(調和社会)の魁をなすものかと思われます。

 ――――

 ちなみに当時の大学のトイレはこのタイプか、日本と同じ個室型ながらドアがない恐るべきものでした。西安駅前の良さげなホテルのロビー脇にあったトイレ、ここなら大丈夫だろうと入ったところ後者の「ドアなし個室」タイプで、私は戦々兢々としながら用を足したものです。この「ドアなし個室」もニーハオトイレの範疇に入る模様です。

 蘇州大学の招待所(ゲストハウス)では「太い溝・細い溝」と「ドアなし個室」が共存していました。当然やむを得ず「ドアなし個室」を使おうとしたら、水洗設備が故障しているのか、どの個室も例外なく先人たちの作品が折り重なって隆起し、正に「そびえ立つ糞」状態でした。

 それに構わずしゃがみ込む度胸は私にはなく、そもそも見事に隆起したオブジェがしゃがむことを許しません。仕方ないので一晩我慢して翌日に外国人向けのホテルでスッキリさせました。

 私の大学の留学生宿舎はさすがに外国人専用だけあって「ドアつき個室」。とはいえ「ドア」といっても西部劇の酒場の入口のような、上と下は何の覆いもない、要するに排便者だけを外から覆い隠すだけのものでした。

 トイレットペーバーは毎月供給されるものを持参して入るのが当時のデフォです。紙質の問題で水溶性が低いからなのか、使用したトイレットペーバーは脇にあるカゴの中に捨てる決まりになっていました。新入りの留学生は、

「紙はカゴの中に入っているからそれを使えばいいよ」

 と優しいラオトン(老同学=前学期からいる古株)に騙されて「中国」に来たことを実感することになります。

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 さて「激闘」のお話です。香港紙『蘋果日報』(2006/12/19)が河南省の地元紙『河南商報』の記事に拠って報じたところによると、事件の現場となったのは同省鄭州市の公衆便所。ニーハオトイレが「ドアなし個室」か「太い溝」なのかはわかりませんが、便器を意味する「便池」という単語が記事で使われていることから「ドアなし個室」の可能性が高いように思います。

 ともあれ12月17日の昼下がり、その場所取りを巡るトラブルが原因で男性2名が大喧嘩をおっぱじめたのです。

 たまたま付近を巡邏中で騒ぎに気付いた巡回警備員・蒋文定さんがこの公衆便所に駆けつけてみると、男は二人とも着衣がボロボロになって顔には互いに殴られた跡がありありと残っており、鼻血まで流しています。激しい取っ組み合いと殴り合いが行われたことを思わせる姿です。

 ところが舞台が公衆便所、また両名とも激しい排便衝動にかられていた状態でバトルが開始されたため、二人とも糞尿まみれで身体から悪臭を放つという手のつけられない状況。それでも職務上、蒋さんが異臭に耐えつつ事情を聞くことになりました。

 ――――

 それによると午後2時半ごろ、当事者のひとりである劉さんがこの公衆便所で悠然と用足しをしていたところ、お腹を押さえて駆け込んで来た黄さんが「早く出てこい」と劉さんを急かしたのが事件の発端。

 劉さん
「奴はいきなり駆け込んで来て、おれが糞してるその横に立って用足しはもう終わったかと聞いてきたんだ。おれは無視してやったよ。そしたら奴がいきなり手を伸ばして来ておれの襟首をひっつかんで、無理矢理おれを引っ張り出したんだ。それでおれのズボンが糞で汚れちまった。ムカついたから殴ってやったら、奴も殴り返してきたんだ」

 黄さん
「あのとき、おれは本当にもう我慢できなかったんだ。それで奴にまだかって聞いたらソッポを向きやがった。取っ組み合いの喧嘩で殴るのに夢中だったから、出るものは全部スボンの中に出ちまったよ」

 事情を聴取した蒋さんは10分ほど二人にお説教を垂れて無罪放免に。劉さんも黄さんも、異彩を放つ出で立ちに激しい悪臭をまき散らしつつその場を立ち去ったとのこと。めでたしめでたし。

 お説教で醸し出された和やかな雰囲気。警備員の蒋さんの行為は「和諧社会」を体現した極めて模範的な振る舞いといえるでしょう。




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 お久しぶりです。

 ……となってしまい申し訳ありません。「muruneko」さん、ご心配おかけしてすみませんでした。私は幸い体調が悪くなることもなく、東京駐在員ではあるものの本社への出張命令で日本を離れることもなく、……もちろん不良中共党員に殺されることもなく(笑)、いや彼とは肩を叩き合って十数年ぶりの再会を喜び、懐旧談に花を咲かせました。

 咲かせ過ぎて日本国内における中共の動きについて詳しく聞こうと思っていたのをすっかり忘れてしまいました。ともあれ故旧とはいいものです。そのあと帰路に靖国神社に立ち寄ってイチョウ並木の色づきを楽しんできました。

 ……で、その日を最後に、いまのいままで拙宅に缶詰なのです。外に出たいのですが出してもらえません(涙)。

 年末年始に出す商品の最後の追い込みで、日本側と制作部隊の間を調整する私はバイク便だの現地からのβ版の受け継ぎ、そしてそれに対する日本側からの要求への対処などで家を空けることを許されないのです。今年は複数の制作物がまとめて出るので中継点である私は文字通り24時間待機態勢です。……お前らこういうときぐらい仕事しろよ昼間に(怒)>>制作部隊。

 そんな訳で記事漁りは毎日やっているものの、仕事で頭が煮詰まってしまっている感じで娯楽(当ブログ=中国観察の真似事)をやる余裕がありません。そこで邪道ながら楊枝削りに逃げさせて頂くことを諒として頂ければ幸いです。


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柴犬、日本の季節 2007卓上カレンダー

グリーティングライフ

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 昨年同様、配偶者と広東語つながりである才能溢れる女優兼イラストレーター・古谷充子さんのカレンダー(卓上型)です。私は仕事上、香港と台湾の卓上カレンダーも机に並べているのですが、御家人を名乗る以上、日本の暦はやはり江戸情緒がほのかに漂うこれでないといけません。


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3日でおぼえる中国語

學生社

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 1999年の本なのでアマゾン以外で手に入るかどうかわかりませんが、急場の入門書としては最適な一冊です。数年前、中国語に自信のない知人が中国出張をすることとなり、書店を回って一緒に探して推奨したのが同書。北京駐在命令を受けた別の知人にも相談されてこれを勧めました。私のみる限りながら、現在に至るまでこれより重宝する速成入門書は出ていません。


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紫禁城の黄昏―完訳 (上)

祥伝社

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紫禁城の黄昏―完訳 (下)

祥伝社

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 これは私が殊更に推さなくても皆さん御存知かと思います。行きつけの散髪屋の自称「尊王攘夷派」さんから勧められて読んだら面白いのなんの。もちろん勉強にもなります(これも読まずにチナヲチかよっ……てなツッコミは勘弁)。著者はラストエンペラー・溥儀の家庭教師だった英国人。作品自体は古くから有名ですが、日本語版においては「完訳」であることが重要なのです。帯に大書されていた
「『東京裁判』と『岩波文庫』が封殺した歴史の真実!」というキャッチコピーに激しく魅かれてしまいました。


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 仕事はもうひと山越えるとひと息つけそうです。早く平時に復したいのと思いっきり寝たいのと『硫黄島からの手紙』を観たい気持ちでいっぱいです。……いま香港チームが修正版を送ってきたので取りあえずここまで。

m(__)m




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 明日、中共の不良党員と密会することになりました。……と明かしてしまった時点で密会ではなくなってしまうのですが(笑)、まあ見逃してやって下さい>>中国大使館のみなさん。

 なぜ「不良党員」かというと、中国共産党に入党すると必ずどこかの支部に属して定期的な活動にも参加する必要があるのだそうです。ところが不良党員氏は日本に定住したのに中国大使館で所定の申告を行っていないため、党籍はあるものの党員としての活動を行っていません。そこで「不良」ということになるのです。

 一党独裁国家というのは面白いもので、中国大使館が日本在住の中共党員を束ねていて、党員たる者は大使館に申告して所属する支部を指定してもらうのだそうです。

 つまり日本国内にも中共の支部組織が存在していて、定期的な活動が行われていることになります。……こういう話を聞くと、いかに上海に摩天楼が立ち並んでいようとも2年後に五輪開催を控えていようとも、中共政権の本質が北朝鮮と何ら変わらないものであることを改めて実感します。

 ――――

××大哥:

  先通知一下劣弟外表與之前完全不一樣,近幾年又胖了不少,保證大哥絶對不會認得出我。

  大約在一年半前,我全改了外表而表示「棄江随胡」的决心。科学發展觀給我帶來了根本性變化,其具體表現就在於生活方面,即追求效率又留意環保,同時也實踐親民作風,結果我成功建設了和諧家庭,温+飽萬歳!
(中略)

  怕只怕我們約定的地方總是人山人海,萬一找不到我的話,請大哥干脆大喊「革命無罪!」好了,我便會以「造反有理!」應之,可別忘了攜帶《毛主席語録》。

  明天見!!

劣弟 御家人

 ――――

 ……てな感じのベタ?なメール(難点は私を実見してもらわないと「科学的発展観」云々を持ち出す理由がわからないこと)でのじゃれ合いをここ数日繰り返していたのですが、党員はやはり活動しなければいけません。そこで私が王毅・駐日大使に成り代わり、「唐西古風」さん率いる創作集団「曙機関」の手による『漫画 アブナイ!中国』を政治学習用の教材としてプレゼントしてやる予定です。

 ちなみに王毅はこれまで順調にエリートコースを歩んできたものの、特命で駐日大使になったのが運の尽き。アドリブが苦手で政治力も意外に貧弱なのが露呈してしまい、この先出世街道を歩いていくのは難しいだろうとの噂を耳にしましたが、実際のところはどうなのでしょう。

 それにしても、不良党員氏が20年近くにわたって「不良」の境涯を続けているのは、たぶんその方が気楽で幸福だからなのでしょうね。隠密として特殊任務に就いているなら別ですけど。

 だいたい幸福かどうかはともかく、現状に一応満足していれば線路脇に爆発物をバラまいて実際にドカーンと炸裂させたりはしないですよねえ。……と、パワープレイを承知の上で強引に本題へと入ります。

 ――――

 爆発事故ではなく「事件」がしばしば起きている物騒この上ない広州市で12月7日午後、今度は鉄道線路脇で爆発事件が発生しました。

 現場は広深鉄路の広州駅にほど近い広州市・越秀区。香港各紙の報道によると、14時42分に環市中路付近の線路脇で轟音とともに4mくらいの高さで目にも鮮やかな絢爛たるスパークとともに黒煙が吹き上がったそうです。折しも列車が現場を通過していたものの、運行に支障はなかったとのこと。

 20分後には警官隊が駆け付けて現場を封鎖。付近を捜索したところ爆発物とみられる物体1個を発見、回収したそうです。実は2日前に「線路脇に花火5発が放置されている」との通報があり、警察はその際3個を発見し回収。今回爆発したのは残る1個とみられていますが、2個も見逃していたとはお巡りさんたちのヤル気のなさが目にみえるようです(笑)。

 警察はこれら爆発物が「花火」(あるいは爆竹)であり爆弾ではないと発表しているものの、このあたりはちょっと怪しいですね。導火線に点火する不審者が目撃されていないので時限装置のようなもので起爆したのでしょうが、たとえ花火にしても爆発物がドカーンと実際に爆発している以上、一種の爆弾テロでしょう。そもそも約4mも黒煙を吹き上げる花火なんてあるのでしょうか。

 幸か不幸か死傷者はいなかったようですが、どうせやるなら歩兵一個大隊くらいを乗せた軍用列車を派手に吹き飛ばしてほしいものです。その方が地球に優しいじゃないですか。効率を重視し環境汚染にも口やかましい胡錦涛の科学的発展観にも合致するというものです。吹っ飛ばされた兵隊さんたちは胡錦涛政権が目指している「和諧社会」(調和社会)へと一足先に御昇天。

 ――――

 週末ですから「闇炭坑の相次ぐ閉鎖でだぶついた火薬を入手しやすくなり……」なんてまとめ方はしません。待つべきは犯行声明です。

 東突……じゃなくて唐突ですが私は今回の報道に接して、学生時代、中国の大学から出張教授として都内の大学に派遣されてきていたウイグル族の先生を思い出しました。

 とあるイベントで偶然知り合って親しくなり、私が香港へ流れるまで交流があったのですが、私が日本を離れる直前に発生した華東水害のニュースが報じられたとき、

「御家人君、一杯やりましょう」

 などと妙に上機嫌だったのが印象的で(笑)。……いや、ただそれだけのことです。

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 ●『明報』電子版(2006/12/07/23:20)
 http://hk.news.yahoo.com/061207/12/1xvlg.html

 ●『明報』(2006/12/08)
 http://hk.news.yahoo.com/061207/12/1xvn1.html

 ●『星島日報』(2006/12/08)
 http://www.singtao.com/yesterday/chi/1208eo05.html

 ●RFA自由亜洲電台粤語版(2006/12/08)
 http://www.rfa.org/cantonese/xinwen/2006/12/08/china_explosion_guangzhou/




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「上」の続き)


 この中国大陸固有の「民度」という基礎の上に現代中国人の持病ともいうべき「病的なプライドと病的なコンプレックス」が乗っかっていて、さらにそれが「反日風味満点の愛国主義教育」によって強化された(症状が悪化した)らどうなるでしょう?

 ……その結果発生した病態とも狂態ともいえる具体例のひとつが、2004年夏に中国で開催されたサッカーアジアカップにおける中国サポーターのアレです。君が代が流れると反日ソングの大合唱で報いるなどといった無恥にして無知無能なる乱痴気騒ぎ。当時それを批判して
「こんな『愛国』には誰も喝采を贈らない」という記事を掲げた『中国青年報』はネット世論の集中砲火にさらされて沈黙してしまいました。

 ご記憶の方も多いでしょう。決勝戦の「日本vs中国」で日本代表がホームである中国を公開処刑(笑)。要するに中国サポーターにとってこれに勝る恥辱はない訳で、「病的なプライドと病的なコンプレックス」をいたく刺激された馬鹿どもがスタジアムの外に屯集して騒ぐというイタい行為に及び、厳戒態勢の警官隊と小競り合いになりました。

 ところがその騒ぎの渦中で日本公使の車のガラスが割られたというのに、あれだけ警官がいながら逮捕者はなし。中国政府の謝罪もなし。外交部報道官は決勝戦を前に
「日本のメディアも騒ぎ過ぎる」と厚顔にも言ってのけましたが、これも病態のひとつでしょう。要するに国を挙げての基地外態勢。

 もちろん「病気だから大目にみてやろう」というつもりは毛頭ありません。日本人は「病気持ち」に対しては「病気持ち」にふさわしい遇し方を以てするべきですし、日本政府は「病気持ち」国家に対しては相応の付き合い方で接するべきです。相手をよく理解し正しく認識した上で、相手にふさわしい付き合い方をする。これが真の友好的態度というものであり、互いのためにもなる、といえるのではないでしょうか。

 ――――

 そのサッカーアジアカップから2年半近くが経ちました。

 五輪開催に向け中共政権は中国人観客のマナー向上という課題に取り組んでいるようですが、実効はどれほどあったのでしょうか。そもそも政府が「病気持ち」ですからねえ。

 という訳で病態だか狂態だかの最新症例を紹介しなければなりません。いまドーハで開催されているアジア大会での「事件」です。舞台は男子バドミントンの準決勝インドネシアvs中国戦。審判の「誤審」に不服な中国応援団の中の数人が音頭をとって、

「審判のバカヤロー」

 と一斉に大声で連呼し始めたのです。中国語だと、

「ツァイパン,シャービー!」
(cai2pan4 - sha3bi1)

 となります。「ツァイパン」は「裁判」で審判のこと。続く「シャービー」の「シャー」は馬鹿とか低能とか気が利かないといったときに使われるものですが、最後の「ビー」は女性の陰部を指す下卑た単語で、新聞などでは伏せ字が使われます。

 つまり放送禁止用語の入った罵倒コールの大合唱を審判に浴びせ続けた訳で、支那……じゃなかった品下るとは正にこのことです。

 ――――

 おいおいまたシャービーかよ。……と私は思いました。上述した2004年のサッカーアジアカップで中国サポーターども(そもそもサポーターといえるのかどうか疑わしいw)が示した狂態のひとつが、決勝戦の試合後にスタジアムの外に出て一群となり、

「小日本,シャービー!」

 と大声で連呼し続けることだったのです。私は北京語の罵り言葉には滅法弱いので恩師に確認したら「バカヤロー」程度の意味だとのこと。でもあの興奮状態で叫び続ける以上もっと強烈な罵倒語のように思うのですが、どうなのでしょう。

 要するに、観客として中国人は2年余り前に比べて全く進歩していないということです。インドネシアの応援団は親指を下に向けてスタンダードなブーイングで応じたと報じられています。

 さらにシナ下るのは、この「事件」報道に対して中国国内のネット世論は、

「いいぞよくやった!」

 と大喝采だったことです。踊る阿呆に見る阿呆。

 きっと2年先(北京五輪)もこのまんまなんでしょうねえ。……という危機感を持った向きも少しはいたようで、中国応援団の行為とそれを是としたネット世論をたしなめるコラムがいくつか出ています。

 ●罵倒語コール……愛国の名のもとに国を汚してはならない(新浪網 2006/12/07/00:16)
 http://news.sina.com.cn/c/pl/2006-12-07/001611718496.shtml

 「愛国主義教育」を受けても精神の平衡を保ち得た少数派か、あるいはより年上の私と同じ「六四世代」(天安門事件当時の大学生)あたりでしょう。いたたまれずに筆を執ったという調子で書かれています。

 私は中国人観客たちの狂態に拍手喝采したネット世論に万歳三唱。「亡国の世代」の醸し出す何とも香ばしい空気が中国社会を支配しつつあるのを目にするのは痛快でもあり慶事でもあります。

 ――――

 そうそうインドのことを忘れていました。これも「病的なプライドと病的なコンプレックス」という持病が「愛国主義教育」によって磨き上げられ、思考力の平衡感覚を失ってしまった「亡国の世代」特有の症状のように思います。

 ●われわれはインドに自信の拠り所を探し求める必要があるのか(新浪網 2006/12/07/09:01)
 http://news.sina.com.cn/w/pl/2006-12-07/090111723546.shtml

 このコラムによると、『ニューヨーク・タイムズ』が11月20日付の
「インドと中国は争議を棚上げに」という記事において、

「インドと中国は競争を行ってはいない。どちらもすでにゲームの勝者なのだ」

 というインド商務相のコメントを引用したところ、半月後にこれが中国国内のあちこちの掲示板に転載されたそうです。この事例を以てしても中国がインドを強く意識し始めたことがわかるというものです。

 ところがところが。中国のネット上に転載された記事のタイトルは、

「インド外相が失敗したことを認める:インドは中国との競争から下りる模様」

 に改められており、
「商務相」「外相」にすり換えられているばかりか、

「インド外相が敗北を認める」
「インドは中国との競争に敗れた」

 という正反対の内容に実に都合よく改竄されていたのです。

 ――――

「『インドが失敗を認めた』という物言いには少なくとも以下のニュアンスがみてとれる。(1)インドは中国と競争関係にある(2)インドは敗れた(3)インドは敗北を認めた。……だが本当にそうなのだろうか?」

 とこのコラムの作者は疑問を呈し、さきに両国首脳が発表した「共同声明」において、中印両国はライバル同士や競争関係にあるのではなく、互利互恵の協力関係にあるパートナーだとしている、と指摘しています。

 その後も「転載記事」に対する反駁が繰り返され、最後に近い部分では、

「近年の中国の発展は確かに奇跡をもたらした。だがわれわれは未だ掛け値なしの発展途上国であることを否定することはできない。われわれが誇りに思っている高度成長のペースにしても、実際のところ20世紀の日本や東南アジア諸国の経済が躍進した時期のそれを上回るものではない」

「よその国に『敗北を認めさせた』ことで大喜びしているというのは全くもって理性的なこととはいえない」

 とまで踏み込んで、浮かれるネット世論(ひいては都市部住民)に対し手綱を引き締めるよう呼びかけています。結語は、

「まず己を知ることだ」

 ……でした。

 ――――

 「病的なプライドと病的なコンプレックス」が現代中国人の「持病」だと私は書きました。天安門事件に至った1989年の民主化運動へと大学生や知識人を突き動かしたのは「持病」の発作によって生じた危機感であり、現在の増長&慢心テイストもまた「持病」の発作で生まれた陥穽に落ち込んだもの、と私は考えています。

 「愛国主義教育」によって浮かれやすくなっている面はあるものの、当時の危機感も現在の慢心も、観じ切ってしまえば同じ「持病」を病根とする表裏一体のものではないか、と思うのです。

 上のようなコラムが出てくるのは、「亡国の世代」をはじめとした中国国民の増長&慢心ぶりが危険水域に入りつつあることの証左といえるかも知れません。ただ、これで警鐘たり得るのかどうかは甚だ疑問です。

 インドを取り上げたコラムには日本の高度成長期が引き合いに出されていますが、極めて重要な一点が欠落しています。かつての日本は現在の中国と同じように輸出に依存するという形で市場を海外に求めつつも、その原動力たる国内産業は基本的に自力で興したということです。

 資本や技術から工作機械に至るまで全て外資頼みという現在の中国とは成長モデルが全く異なること、さらに中国の場合は民度の低さが足かせとなって産業構造のグレードアップが容易でない、ということにこのコラムの作者が気付いていないとすれば、水をぶっかける役に対しても、

「まず己を知ることだ」

 と説かなければならないでしょう。……誰が?ってその役目の担い手がいないから香ばしいのです(笑)。




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 最近記事漁りをしていて気になっていることが2つあります。

 ひとつは電波系基地外反日紙『環球時報』がやや元気を回復しつつあることです。国営通信社の電子版「新華網」にもやや似た傾向がみられます。……要するに反日記事ないしは日本をネガティブに捉えた報道が少し増えてきたということです。

 なぜか、といえば安倍晋三・首相の支持率が下落したとか、防衛庁の省への昇格が衆議院で決まったといった、中共政権にとって「おいしいネタ」が出てきていること、それから先日の森喜朗・元首相の訪台も軍部を刺激したように思います。……ただ余り叩き過ぎて国内で対日世論が硬化しても困るでしょう。これをキャンペーンとしてみるなら、かなり手加減している印象です。

 まあ基本的には季節要因だと私は思います。ほら、南京虫事件の記念日がもうすぐですから(12月13日でしたっけ)。加えるなら今日12月8日は「米英軍と戦闘状態に入れり」な日な訳で。

 愛国主義教育でオトナになった「亡国の世代」。……と標題に据えましたが、天安門事件(1989年)当時に小学6年生か中学1年生だった連中が今年で30歳。反日風味満点の愛国主義教育を全身にたっぷり浴びて育って、揃いも揃って平衡感覚を失った馬鹿ばかり。……とまではいいませんけど、アジア大会に関する記事のタイトルだけを追っていると、ああ連中ウズウズしているな、などと思ったりします(笑)。

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 もう一点は、この秋口からインドに関する記事が目立って増え始めたことです。

 中国側が国境線問題で口を滑らせたことで事前にひと悶着あったため、歴史的快挙になる筈だった胡錦涛訪印は事実上空振りに終わりました。中国側には外資の対中投資が東南アジアや南アジアにシフトしつつあるという危機感もあるでしょう。また、インドに対するライバル意識は元々ありましたし、チベットに絡む問題もあります。

 要するにそこそこ火種があるところにとうとうボウッと火がついた、というところかと思います。かなり気になるようです(笑)。

「インド空軍が中国の潜水艦を追尾・撮影した」
「インドが空母建造構想を打ち上げた」

 といったようなインドの軍事的台頭に警戒感丸出しの『環球時報』型報道が出るようになりました。あとは経済発展に関する中国とインドの比較記事ですね。当然ながら、

「インドも成長著しいけど、中国が一段上にあるという優勢は動かし難い」

 といった結論で終わるものが多いです。自分で自分を安心させたいのでしょう(笑)。

 実際にキナ臭いニュースも流れています。香港紙『明報』電子版の報道によると、チベットに領事館を開設したいというインド側の要望を中国側が一蹴したということです。

 ●『明報』電子版(2006/12/13/16:45)
 http://hk.news.yahoo.com/061203/12/1xk5k.html

 ――――

 ところで、「亡国の世代」とは私の実感として勝手に使っている言葉です。

 ●黄河文明以来、数千年の歴史を有して「中華」を自称してはばからないといったプライド。
 ●しかしながら近代においては欧米列強にボロボロにされたうえ、「中華」という文明のスポットライトの枠外にいて「倭人」と見下していた日本に対しても独力では手も足も出ず、連戦連敗を重ねたというトラウマに基づいたコンプレックス。

 そして第二次大戦後も自業自得(政治運動)により敗戦国の日本に経済発展など各面で大きく水を開けられた、という事実も「中華」を自称する民族のプライドをいたく傷つけた上にコンプレックスをも増強させました。プライドもコンプレックスもすでに病気といえる段階で、これを一人格に見立てるなら心療内科あたりに通院するか即入院ということになるでしょう。

 思うにこの病気は、私が留学していた1980年代末期の中国人(知識人・大学生含む)の心にも内在していたと思います。ただ自分たちが後れているということで小癪な「小日本」に矛先を向けることへの自制心があったのでしょう。

 一方で建国以来1980年代後期まで何度となく繰り返された政治運動が祖国の発展を無用に後らせているという認識から、そこまで認識することができ、また組織力もあった当時の知識人や大学生は、民主化運動という体制内改革へと情熱を注いだのだと思います。そうした動きが完膚なきまでに叩き潰されたのが天安門事件です。

 ――――

 問題はその後で、失脚した趙紫陽・元総書記の後を受けた江沢民政権が、天安門事件で地に墜ちた中国国民の中国共産党に対する求心力を回復するため、中共の栄光の歴史や民族主義を強調する一方で日本をその仇役に仕立て上げた「反日風味満点の愛国主義教育」が行われたことです。

「中共はすごい。すごいんだ」
「中華民族はすごい。すごいたんだ」
(だから何だよ「中華民族」ってのは)

 という建国前のはるか昔のことを喧伝する一方で、党への不満を当時の悪役だった日本へとスライドさせることを狙い、それを十数年続けることで、天安門事件をロクに知らない児童や生徒に念入りに刷り込みを行いました。平衡感覚を持った思考能力を著しく低下させるという点で、愚民政策のひとつということもできます。

 余談としていうなら、中国にコンプレックスを植え付けたのは英仏独露などが先輩格であり、日本が後発組なのはまぎれもない事実です。ところが中共政権は第二次大戦を「反ファシズム戦争」と位置づけることで英仏露などを除外し、ドイツに対しては「日本と違ってちゃんと戦後処理をやった」という理屈をひねり出して日本だけを悪者扱いするという手品を使いました。いまも使っています。

 現在の胡錦涛政権はこの愛国主義教育から反日風味を薄めて、「風紀粛正」「刻苦奮励」「祖国や人民のために犠牲になることを厭わない」といった物語を増やすことで教育方針の転換を図っているようにみえます。江沢民がはやし立てた「反日」も、胡錦涛時代に入ってからは「政争の具」や庶民の鬱憤晴らし(プチ暴動)のお題目に墜ちています。

 ただ、社会に出るまでに十二分に刷り込みを行われた「亡国の世代」は厳然として存在しています。……というどころか、30代前半から下の社会人はみなこの世代であり、前述した中国人特有のプライドやコンプレックスを増幅させられているのです。こいつらはもう治癒不可能。

 「愛国主義教育」が通用してしまうのは民度というほかありませんが、突き詰めれば批判勢力の存在を許さない中共による一党独裁体制が元凶ということになるでしょう。

 ――――

 ところで。

 やや話題を転ずるようでもありますが、近年になって歪んだ経済成長の恩恵にあずかったごく一部の中国国民が海外旅行(香港・マカオ含む)に出かけるようになりました。

 「ごく一部」といっても13億人と基数が大きいものですから相当な人数になります(2005年でのべ3100万人)。ところが、それによって問題になったのが中国人のマナーの悪さ。これは東南アジアでも欧州でも顰蹙を買っているようです。

 それがあまりにひどいので政府の関連部門(国家旅遊局)がたまりかねて腰を上げ、マナー改善に向けた呼びかけを行ったほどです。「七つの罪」(七宗罪)という文革テイストで弾劾された具体的な問題行為は7種類。

 (1)ところ構わずゴミをポイ捨てする。
 (2)飛行機やレストランで周囲に構わず大声で騒ぐ。
 (3)秩序を無視して我先にと順番を争う(行列しない)
 (4)禁煙ゾーンでも構わずに悠然とタバコをくゆらす。
 (5)宴席で脚をテーブルの上に乗せたり、テーブル上に座り込む。
 (6)スーツ姿・革靴の格好で街頭にウンコ座りしたり、パジャマ姿でホテルを出入りする。
 (7)トラブルに遭遇すると著しく怒気を発する。

 ●「新浪網」(2006/09/01/16:32)
 http://news.sina.com.cn/c/2006-09-01/16329912752s.shtml

 ●「新浪網」(2006/09/04/16:27)
 http://news.sina.com.cn/o/2006-09-04/16279933037s.shtml

 当初は香港でも大騒ぎになったものです。

 ●さすがはHDL、正にアメイジングワールド。(2005/10/04)

 チャイニーズという点では同類である筈の香港人までが眉をひそめたほどですから、これは民度の違いということになるのでしょう。


「下」に続く)




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 久しぶりに楊枝削りいきます。とはいえ今回は異例のケース。

 当ブログに古くからお付き合い頂いている方で、ときどきコメントもして下さる「唐西古風」さんが、現代中国を取り扱った
『漫画 アブナイ!中国』を刊行することになりました。

 より正確にいうと「唐西古風」さん率いる創作集団「曙機関」の手によるものです。そのブログで同書の一部を垣間見ることができます。

 http://akebono.iza.ne.jp/

 予告編に接した限りではなかなかいい感じで、期待できそうな印象です。

 ――――

「いわゆる『嫌韓流』の二番煎じ、と笑われてしまいそうですが、現代中国の危険な体質や実態などを告発する“反中マンガ”を作っています。」

 とのことですが、私の得た印象では「反中マンガ」という表現は不適切なように思います。

 その実質に照らせば、日本人の対中認識をより正確にするための気軽な参考書、というべきではないかと。従来のイメージを大幅に修正し、中国と中国人をありのままに見据えた内容だと愚考する次第です。

 その意味では対中理解を深める一冊ということで、むしろこれこそ「日中友好マンガ」と呼んでいいものだと思います。

 ――――

「印刷部数が少ないので、中小の書店には入らない所が多いだろう」

 と「曙機関」のブログにはありましたが、『嫌韓流』同様、こういう作品こそネット主導で盛り上げていくべきものでしょう。

 語り口の平易さと柔らかさからいえば、読者を選ばない作品といえます。ただあえていうなら、中国語や中国に関して勉強している人、対中ビジネスに関わっている人、中国出張の機会があるかも知れない人。……それから近所のコンビニで中国人がアルバイトをしているという人にもオススメです。

 マンガという気楽さがいいです。北朝鮮と同じ一党独裁制で、政治・経済・社会とも先行き不透明、そして国策によって「反日」で磨き上げられた13億の愚民を擁する隣国を理解するための、恰好の入門書ともいえるでしょう。

 ――――

「とりあえず中国・中国人ってどんな感じ?」

 というときに推せる一冊です。とはいえマンガという媒体の表現力の高さを十分に発揮してなかなか濃い部分もあり、対中認識を再確認する上でも勉強になる作品です。

 発売日は12月8日。私はアマゾンにて予約しました。

 「唐西古風」さん、この作品が新華社の記事に紹介されたら当ブログにて報告しますね。いや電波系基地外反日紙『環球時報』あたりがまず釣り上げられそうで楽しみです(笑)。

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「上」の続き)


 軌道修正します。

「よーく考えよー 情宣は大事だよー」

 という国家の対外的なブランドイメージ構築(好感度アップ)に関してです。中共政権も色々と頑張っているのですが、アジアについていえば、それよりもごく自然にさり気ない風でありながら、実はその作業にかなり成功している国があります。われらがニッポンです。

 ただし、政府の活動としては中国に比べれば無策かも知れません。その代わり、国に頼まれてもいないのに市場原理に則って民間が活躍しているのです。……ええ、他でもないACG(アニメ・コミック・ゲーム)ですね。さらに加えるならJ-POPでしょうか。

 このサブカルチャーの大津波が各国を席巻する様は海賊版の多さをみれば一目瞭然。中共政権などは反日風味満点の愛国主義教育&中共史観で丹念に染め上げた若い世代が「洗脳」されてしまうことを恐れて、ゴールデンの時間帯に海外アニメ(実質的には日本アニメ)の放映を禁じる挙に踏み切ったほどです(笑)。

 水は高いところから低いところへと流れるもの、という言い方は不適切かも知れませんが、民度と民度に裏打ちされた日本ACG業界の生み出す作品が孔子学院なんてものより普遍性を持っている(日本人以外にも受け入れられる)証左だと私は思います。それが「日本」のブランドイメージ構築に大きく貢献していることは確かでしょう。

 ただし、……と繰り返しになりますが、ブランドイメージ確立に向けた国家としての取り組みは頂けません。日本は無策か、何かやっていてもお役所仕事で、面白くもなければ中共政権のようなアクの強さに欠けます。……もっとも中共はアフリカ諸国への働きかけがあまりに露骨だったので欧州(旧宗主国)から「新植民地主義だ」との声が挙がり、その否定に躍起になっていますけど。

 ――――

 ACGやJ-POPのアジアにおける威力を熟知し、あるいは国策としてそれを積極的に後援すべく動くかも知れないのは、第一線の有力政治家としては麻生太郎・外相くらいではないでしょうか。私の知る限りで他を探せば……認識度の点では麻生外相に遥かに劣りますが(単にマニアじゃないだけかも)、石原慎太郎・都知事に「東京」としてそれを志向しているニオイが辛うじて漂っているように思います。

 いや、別に国家的プロジェクトとしてACGやJ-POPを後援しろと言っている訳ではありません。国としてもっと「日本」を海外でアピールしろ、ということです。経済援助などですでにそれなりの好感度があることはわかりますが、様々な形でもっと仕掛けるべきでしょう。

 アクションのひとつとして、反日的国家のブランドイメージを崩すことに努めるのも重要だと思います。例えば中共がアメリカ人に南京何たら事件の映画を撮らせようと画策しているようですが、そういう芽は手を回して早めに摘んでしまうこと。……だけでなく、逆に日本が海外の民間レベルによる対中ネガティブ・キャンペーンの黒幕になるくらいのことはしてもいいでしょう。

 「平成の明石元二郎」の登場を待つ、といったところです。ちなみに、かの明石元二郎といえども日本政府の莫大な資金援助があったからこそ歴史に残る活躍ができたということを忘れてはなりません。

 ついでにいうと、個人の働きも無視できません。私たちは一歩海外に出れば即「日本代表」であり、一挙手一投足に「日本代表」としての配慮と矜持があって然るべきです。

 ところが現実には、逆に現地で好感度ダウンに貢献している不逞な輩がたくさんいます。例えば駐在員とか駐在員とか駐在員とか。……もちろん全てがそうだとは言いませんけど、恥を知らない馬鹿が多すぎます。海外出張者と観光客にも似た傾向がみられますね。特に前者。

 ――――

 ところで実をいうと今回のエントリーは、以前「続・森元首相訪台:探索射撃。」でコメントを頂いた「鬼子孫」さんに対する私からのレスでもあります。そのとき私は当ブログについて、

 ――

 あえて偉そうにテーマづけするとすれば、

 ●日本人の対中認識がより正確なものとなっていく過程を眺めること
 ●日中関係が上下関係のない対等な二国間関係となっていくプロセスを眺めていくこと
 ●中共というひとつの政権がどういう道を歩んでいくのか、その「歴史劇」のプロセスを眺めていくこと
 ●台湾が「国家」として成立していくプロセスを眺めていくこと
 ●香港が中共の植民地として墜ちていくことを生暖かく見守ること
 ●日本人が日本人であることに立ち返るプロセスを眺めること

 ……と、いま思いつくままに並べてみると、ざっとこんなところでしょうか。もちろんそのいずれにも野次馬であり書き手である私のある種の傾きが反映されることになります。

 ――

 と書いたところ、

 ――

 ●台湾が「国家」として成立していくプロセスを眺めていくこと

 台湾がどうなるかは、我々や大陸ではなく台湾人自ら決めればよいと考えます。現段階で大陸と一緒になることは考えにくいけれど、大陸が変化すれば、「国家」以外の選択もありえると思います。

 ――

 とのコメントを「鬼子孫」さんから頂きました。そこで私はうーんと考えてしまいました。

 ――――

「台湾がどうなるかは、我々や大陸ではなく台湾人自ら決めればよいと考えます。」

 という点には私も大賛成なのです。ただ私は日本が様々な働きかけを行って、

 ●中共のような基地外国家と一緒になるなんて真っ平。
 ●「台湾同胞」とは片腹痛い。おれたちは台湾人だ。中国人ではない。
 ●台湾は台湾人のもの。台湾を「国家」として成立させるのが当然だ。
 ●そのためにも日本との紐帯をもっと強めるべきだ。

 と台湾人が考え行動するように仕向けてもいいのではないか、いや国益を考えればむしろそう画策して然るべきではないか、と考えるのです。

「大陸が変化すれば、『国家』以外の選択もありえると思います。」

 という点には残念ながら私は賛同できません。「大陸の変化」という可能性にリアリティを全く感じられないからです。

 それから、中国本土との統一であれ、あるいは中国本土を構成するピースの中のひとつとの共同体であれ、民度も歴史観も社会環境も全く異なる中国大陸側と台湾がひとつの枠の中に収まることは、台湾にとって不幸だと考えるからでもあります。不幸である以前に無理でしょう。

 より正直にいえば、私自身は台湾と台湾人には無条件で親しみと好もしさを感じてしまうのですが、それよりも日本人であることを優先します。愚考するに、「現状維持」の状況に変化が生じたとき、台湾が「『国家』以外の選択」をすることが日本の国益に合致するとは思えません。

 ――――

 という訳で、

「よーく考えよー 情宣は大事だよー」

 なのです。……今回の主題はあくまでも日本の「ブランドイメージ」構築(及び反日的国家に対するネガティブイメージ形成への密かな取り組み)の上にあり、その一例として台湾を取り上げただけに過ぎません。

 ただ、今回の標題を御記憶の方もいらっしゃるかと思います。昨年春に中共政権が「反国家分裂法」を制定して台湾を牽制したのに対し、怒れる台湾人たちが「反・反国家分裂法」の大規模デモを台北で実施してそれに報いました。そのとき大学生のデモ隊のひとつに日本人留学生のグループが参加していて、

「護台湾!護日本!護亜洲!」
(台湾を守れ!日本を守れ!アジアを守れ!)

 という粋なシュプレヒコールを台湾人と一緒に叫んでいた、というエピソードに基づいたものです。

 この話を思い出すと今でも身の内がある種の感動で震える思いです。簡素で単純明快なシュプレヒコールながら、日本人参加者が決して「お客さん」ではないこと、また日本人と台湾人の一体感が生まれていることをこれほど見事に表現したフレーズや文章に、私は現在に至るまで接したことがありません。




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 えーと今回は、

「よーく考えよー 情宣は大事だよー」
(ちょっと古い)

 という話をしたいのですが、どこから取っかかればいいのか迷います。……とりあえず替え歌を使ったので矢田亜希子からいきますか。

 最近、彼女の結婚が発表されましたね。その日にたまたま外出していた私は駅の売店に、

「矢田亜希子失業」

 というタブロイド紙の大見出しが躍っていたので笑わせてもらいました。記事の内容は知りませんけどタイトルとしては実に見事な手並みだと思ったのです。

 ――――

 私は芸能界のことには詳しくありませんし、矢田亜希子のファンでもありません。

 ただお嬢様風なキャラで売っていた彼女が髪を肩にかかるくらいにまでカットして、ちょっとすれた設定のヒロイン役で織田裕二(たぶん)との恋愛ドラマに出ているのを観たとき「あっ勝負に出たな」と思いました。「白い巨塔」のちょっと後のころです(台湾版「白い巨塔」ではジェリーが財前をやったそうですね>>F4迷の皆さん)。

 当時の矢田亜希子は売れっ子としてのピークにかすかな衰えの兆しが出始めた時期でしたし、女優としてはそろそろ役柄の幅を広げていかないと苦しくなる年齢でもありました。速球とフォークだけで勝負してきた投手が、カーブなどの変化球を覚えて緩急をつけることで投球の幅を広げようとするようなものです。

 ……と、そのとき私は感じたのですが、業界内の事情は知らず、視聴者として眺めている分には、やはりこのドラマあたりが分水嶺で、グレードアップを狙ったキャラ設定に馴染めずにコケたことが響いたように思います。そのあとはCMの契約も減ってテレビでの露出も少なくなり、結婚発表がトドメとなって「矢田亜希子失業」です。

 要するにブランドイメージが崩れてしまったのだろうと私は考えています。「お嬢様キャラ」が年齢的に難しくなったために新境地を開拓しようとしたものの、それに失敗して従来のブランドイメージを壊してしまい、一方で新たなブランドイメージの構築にも成功しなかったため「終わってしまった」のです。

 ――――

 芸能人はひとつの商品としてのブランドイメージが必要です。野球やサッカーのプロ選手であれば、軸になるのは当然ながら実力とプレースタイル。それにルックスや性格や生きざま、といった付加価値のついたブランドイメージとなります。

 例えば清原選手やキング・カズ。そのプレー自体は衰えが隠せないものの、いずれも付加価値の方で新たなブランドイメージを確立させ、商品としての寿命を維持することに成功しています。……という訳で、

「よーく考えよー 情宣は大事だよー」

 という話になります。要するに国家にも対外的なブランドイメージがあり、高い好感度を得るためには戦略的なアプローチが必要だということです。

 いまそれに血道をあげているのが他ならぬ中共政権です。アフリカ諸国に媚びたり経済援助で恩を売ったりする一方、そこまであからさまな手が通じない上に歴史的に対中警戒感・嫌悪感もあるアセアン加盟国にはあの手この手で尻尾を振ってみたりして「頼りがいのある国」ということを印象づけようと必死です。

 ソフトな面から巧みに攻めているな、と思うのは以前紹介した「孔子学院」です。日本や欧州の大学に「××大学孔子学院」なるものを設置することで中国語学習者を増やし、中国語と一緒に中共政権の好感度を高める情報や中共史観を学生の頭に刷り込ませようというものです。……と私自身はみています。

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 その孔子学院のエントリーに登場した中国人A氏。中国の大学の先生で初対面当時はまだ20代半ばでした。私が学生のころ任期半年で提携関係にあった私の大学に赴任していて、年齢も近いので友人のように親しく付き合っていました。ところがこのA氏が帰国直前に突如の失踪。

 ……ありていは私の下宿に潜伏していまして(笑)、ただ私も留学直前で長く匿うことができなかったため大学の有力筋に保護を頼んだところ、幸い相手は快諾してくれました。

 時は流れて15余年。A氏はその有力筋の強い引きもあって、いまや私のいた大学の教官になっています。しかもあろうことかその大学に設置された「××大学孔子学院」のナンバー2。

 そしてつい数日前のことですが、私はそのA氏と久闊を叙する機会を得ることができました。三者会談です。もうひとりは私の留学した大学の有力幹部B氏。留学中は私の強力な「後台」(後ろ盾)となって私の行った数々の無茶を全て握り潰してくれた先生です。

 たまたま来日していることを知って私が連絡し、多忙なスケジュールのなか時間を作ってもらい、個人的な謝恩会を開くことができました。その場にA氏も呼んだのは、このB先生がA氏の元上司として浅からぬ関係だったからです。

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 ところがその三者会談の席上、B先生がふと思い出したようにA氏に向かって、

「そういやお前、日本に定住しているけど党籍との絡みはどうするつもりだ?入党したとき宣誓してるだろ?」

 と言い出したので私はぶったまげました。お前、党員かよっ!てなところです。

 潜伏時代には散々中共の悪政の数々を暴き立てては私の前で批判してみせて、あるときは一緒に酒を飲んでから先輩のアパートに押し掛けて(ピー)ビデオを初鑑賞させたところ、茫然としつつ、

「タイリーハイ」(凄い凄すぎる)

 を連発していたA氏です(笑)。それが党員なら「国家政権転覆煽動罪」「ブルジョア自由化主義者」及び「精神汚染」で粛清間違いなし。……てなことより、

「A兄貴、きのう××大学のウェブサイトにアクセスしてみたら、『××大學孔子學院』なんていう怪態なものができているじゃないか。ありゃあ中共の統一戦線工作部の出先機関か?それとも『××大学党委員会』みたいなものか?もしそうなら、兄貴のポストはさしずめ党委員会副書記ってなところだな!……いや冗談冗談」

 なんてメールをちょっと前にふざけて送ったりしていたのに、全然シャレになっていません……。orz

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 すみません悪い癖でつい話が余談に流れてしまいました(というより本題に入っていませんね)。

 とりあえず「謝恩会」は和やかな雰囲気のまま終了したことを報告しておきます。

 m(__)m


「下」に続く)




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