佃島特集最終回

 23日から9日間ご覧に頂いてきた「佃島特集」も、昨日の予告通り今日が最後となります。佃島と云いながら後半は「築地特集」となっていましたが、この点はどうぞご容赦ください。

 昔とまったく変わらない下町風情の町屋の向こうに高層マンションが見える今の佃島の風景は、30年振りに佃島を訪れた郷秋<Gauche>にとってはなんとも不思議ものでした。戦火を免れた古い家並みが記憶にありましたが、多くの家が建て替えたれ、趣は少しずつ変わりつつあるようです。勿論そこで日々生活する方がいるわけですから、それをとやかく云うのはまったくの筋違い。写真を撮らせていただくことに感謝せねばなりません。

 今回急に思い立って佃島を訪ねたのは訳があったのでした。実は、同日の午後に築地外国人居留地跡を巡る「明治学院研究Ⅰ(フィールドワーク)」(明治学院大学主催)に参加することになっていたからなのです。遥々横浜か築地まで出かけるのならば、目と鼻の先にある佃島に寄ってみようと。

 今回の「明治学院研究Ⅰ(フィールドワーク)」で、築地が明治初年に横浜の「関内」と同様の外国人居留地になっていた事を初めて知りました。その為に築地には女子学院、青山学院大学、立教上学院、立教大学、雙葉学園、暁星学園、明治学院、関東学院など、多くのミッションスクールの発祥の碑があるのです。それらを見て回る「明治学院研究Ⅰ(フィールドワーク)」でありました。

 午前中に佃一丁目・二丁目を歩き、佃島一丁目唯一の中華料理店で昼食をとり佃大橋を歩いて渡り、聖路加国際病院チャペル搭入り口で「明治学院研究Ⅰ(フィールドワーク)」履修者と合流し、3時間かけて旧築地外国人居留地内の記念碑(慶応義塾の記念碑も築地にあります)を巡り、セントルークスタワー展望台から今の築地を眺めて2Fのコーヒーショップで質疑応答の時間を取り解散となりました。

 佃島(その9)
 
記事本文とは関係なく9回続いた「佃島写真特集」でしたが、後半は「佃島・築地特集」になっていましたね。ところで、予定通り上手く行けばですが、水曜日に「浜離宮」に行く計画を立てています。浜離宮ではカラーでの撮影を予定していますが、後半は月島に渡り、今回の特集同様白黒での撮影が出来るかも知れません。果たして予定通り行く保障はありませんが、どうぞお楽しみに。
 

 隅田川の両岸には遊歩道が整備されており、近所の方の憩いの場となっています。青田・里山も良いものですが、水辺にはまた別の良さがありますね。
 

 「佃島・築地特集」の最後を飾る写真は聖路加国際病院のチャペル。内部は撮影禁止でしたので入り口付近から撮ったものです。聖路加国際病院は聖公会(イギリス国教会)が母体ですのでチャペル内部は聖像・聖画が無いのを除きカトリックの教会とほぼ同じの様式です。
コメント ( 0 ) | Trackback (  )
« トヨタ、富士... ブタ箱の飯は... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。