さくらみちを東へ進む。
ぶち当たったところが、江戸川の土手。
住所は、江戸川区北小岩7丁目。
右手はちょっとした親水公園になっていて、お堂の中に3基の石造物がある。
左から西国坂東秩父百霊場巡拝塔、地蔵、馬頭観音。
掃除が行き届いていて、生花が供えられている。
近くに人家はないが、お参りを欠かさない人がいるようだ。
向かって右のお地蔵さんは、道標でもあって、側面に「これより千住道」、「新宿迄壱里」と刻されている(らしい)。
「地蔵尊縁日四日十四日二十四日」の立札がある。
縁日が行われなくなって、どれほどの年月が経つのだろうか。
堤防上の道を歩いて行くと見えてくるのが、江戸川不動尊。
〇真言宗吉祥山江戸川不動尊唐泉寺(江戸川区北小岩7)
本堂前に堂々たる不動明王。
「ぼけ封じ」と「癌封じ」に霊験あらたかとは、寺のパンフの謳い文句。
寺号の「唐泉」(とうせん)寺は、「当選」に通じ、選挙の神様(仏?)として最近は売り出しているのだとか。
語呂合わせもここまでくると「芸」。
堤防下の道を進むとすぐ旧街道になる。
天祖神社の先の寺は、真光院。
〇真言宗豊山派稲荷山真光院遍照寺(江戸川区北小岩4)
山門右に覆屋があって、中に聖観音の二尊仏がおわす。
覆屋と山門の間には、六臂青面金剛と文字馬頭観音碑がある。
馬頭観音には、「明治四十一年五月吉日」と「吉永」の文字が刻されている。
寺の門前に馬頭観音があるのも稀有なら、馬の持ち主の名前があるのも稀有。
墓地に入って、謎の一端が解けたように思えた。
吉永家の墓がいくつかある。
有力檀徒の馬の墓標なのかもしれない。
江戸川から離れることなく、街道は走っている。
右手にちょっとした広さの遊園地があり、一画に新しいお堂が建っている。
◇真言宗豊山派・光ケ嶽観音堂(江戸川区北小岩4-27)
「光ケ嶽(てるがたけ)観音堂」と説明板にはある。
本尊はわずか6cmの観音像で、室町時代末期の武将の守り本尊として甲冑に納められていたものという。
遊園地の一画は、小規模な墓地となっていて、石造物が乱雑に並んでいる。
彩色された不動明王が鋭い眼光を放っていた。
間もなく、京成江戸川駅。
下は、駅ホームから江戸川を撮ったもの。
線路右下に渡し場があったとされている。
だから駅前の通りに、道標があり、御番所跡がある。
道標は、2基、駅前喫茶店の前にひっそりと立っている。
左は、「伊予田の観音堂道標」と呼ばれるもので、「是よりあさくさくわん世於道」と刻まれている(らしい)。
伊予田村(現在の北小岩)に安永4年(1776)に造立された。
右は、正面に「左り 江戸本所ミち 右 せんじゅ岩附志おんじ道」、左側面に「右いち川みち 安政四年乙未年八月吉日」とあるのだそうだが、まったく読めずにお手上げ。
中華料理「昇龍」を左折した先に関所があり、渡し場があった。
「昇龍」は、角屋旅館という旅館で、ほかに2,3軒の旅館と小料理屋などで、ここ御番所町は賑わっていたそうです。
「昇龍」を左折、江戸川に向かう。
見上げるような堤防の上に案内板の屋根が見えます。
案内板の位置は、江戸時代と変わらないのだとか。
案内板の左、鉄橋の下あたりが渡し場だったと言われています。
勉強の為、案内板を書き写しておく。
小岩市川の渡し跡
小岩市川関所跡
江戸時代のはじめ、両国から竪川の北岸を東にすすみ、逆井の渡しで中川をわたり、小岩で現在の江戸川 をわたって房総へ向かう道がひらかれました。「元佐倉道」とよばれ、明治八年(1875)に千葉街道と改称されています。江戸時代に作られた『水戸佐倉道分間延絵図』には「元佐倉通り逆井道、江戸領国橋へ道法(みちのり)三里」と記されています。
江戸から佐倉へむかう道筋には、千住から新宿に至って水戸街道から分かれ、小岩に至るさくら街道があり、江戸時代には、こちらが街道として利用されていました。
江戸を守るために江戸川には橋が架けられませんでした。小岩市川の渡しの小岩側に小岩市川関所がおかれていました。『新編武蔵風土記稿』の伊予田村の項に「対岸は下総國葛飾郡市川村なれば、小岩市川の御番所という」とあります。これは幕府の設けた関所の一つで、常時四人の番士が配属されていました。上流の金町松戸関所とともに、江戸の出入りを監視する東の関門でした。戊辰戦争では、ここも戦場になっています。明治二年に廃止されました。 江戸川区
下は、案内板から川下の風景。
国道6号に架かるのは、市川橋です。
川から街道に戻ると目の前に
〇北野神社(江戸川区北小岩3)
これといった石造物はないので、本殿前の力石をパチリ。
本殿裏の境内社は何を祀ってあるのかと思ったら「水神社」でした。
「なるほど」と独り言。
〇真言宗豊山派愛宕山宝林寺(江戸川区北小岩3)
宝林寺には、渡し場にあった常燈明がある。
天保10年(1839)に、北千住の講中により建てられたが、、昭和9年(1934)、河川改修の為ここに移転された。
石仏が多い寺で、そのほとんどは、門前を走る道の反対側におわします。
中でも区の文化財に指定されている地蔵庚申塔が逸品。
寛文期の石仏らしく、のびやかで端正な像容です。
この他、三面馬頭観音、
六臂青面金剛、
そして六地蔵も見逃せません。
次回更新日は、11月21日です。
≪参考図書とwebサイト≫
〇湯浅吉美『成田街道いま昔』成田山仏教研究所 平成20年
〇山本光正『房総の道 成田街道』聚海書林 昭和62年
〇川田壽『成田参詣記を歩く』崙書房出版 平成13年
▽「成田街道道中記」
http://home.e02.itscom.net/tabi/naritakaidou/naritakaidou.html
▽「百街道―歩の成田街道http://hyakkaido.travel.coocan.jp/hyakkaidoippononaritakaidou.html
▽「街道歩き旅 佐倉・成田街道」
http://kaidouarukitabi.com/rekisi/rekisi/narita/narita.html