スリランカのNO1観光地と云えば、シーギリヤ・ロックでしょう。
サーフィンやアーユルヴェーダなど特定目的でない普通観光なら、滞在日数の多少を問わず、シーギリヤを外すことは、まず考えられない。
ジャングルの中に忽然と現れる巨大な岩山。
山裾がなく、岩壁の四囲は垂直に切り立っている。
誰もがオーストラリアのエアーズロックを思い浮かべるだろう。
だが、シーギリア・ロックには、エアーズロックにはない見どころがあるのです。
それは、王宮遺蹟。
頂上の広がりに残る王宮跡は、父と子の、兄と弟の、骨肉の争いの産物でした。
スリランカ王国の歴史の一端を組み込んだ世界的奇観、シギリヤ・ロックがスリランカ観光の人気NO1スポットである、これが理由です。
当然、私も行きました。
しかし、シーギリヤ・ロックを書く資格が、私にはありません。
なぜなら、上らなかったからです。
いや、上れなかったからです。
1800段とも2100段とも云われる階段が、心臓を患う身にはネックになることは、日本にいて、プランを立てる時から分かっていたことでした。
それでも、開園と同時の、人が少ない早朝にゆっくり上る、現地人の尻押し部隊の力を借りる、などいくつかの対策を胸に現地に行きましたが、そそり立つ岩壁を見て登る意欲は一瞬にして潰えて、駐車場の車へと戻ったのでした。
あと3年若かったらなあ。
本当に、残念なことでした。
スリランカ旅行4日目は、ゾウに乗って、終わり。
≪スリランカ仏教遺跡巡り5日目・ダンブッラ≫
スリランカの中央部は、cultural trianglesと云われ、世界遺産がひしめいている。
5日目は、スリランカ最大の石窟寺院をダンブッラに訪ねる。
世界遺産石窟寺院は、別名、黄金寺院とも呼ばれる。
だから、ビルの上の黄金の大仏を見て「おお、これがあの」と錯覚しますが、この建物は博物館。
デザインと色彩が派手で、どことなく中国的だが、実はスリランカ人もこうしたけばけばしいのは嫌いではなさそう。
世界遺産の石窟寺院へは、博物館横の階段を上ってゆきます。
岩窟は、180mの高さ。
悲壮な顔つきだったようで、「大丈夫ですよ。途中まで車で行けますから」とは、ガイド氏。
安堵していたら、なんのことはない、車道は閉鎖中で全部歩く羽目に。
途中、景色を見る余裕もなく、へとへとになって、ともかく岩丘の上の岩窟寺院入口にたどり着く。
そこは岩丘の中腹で、テラスのように突き出た広い岩盤の上でした。
石窟は、今は建物で覆われて見えないが、オーバーハングした岩の下にあります。
履物を脱いで、第1窟へと向かう。
第1窟の手前に石碑がある。
シンハラ語での25行の内容は「紀元前1世紀、タルミ軍にアヌラーダブラを追われ、この岩かげに身を隠していたアバヤ王が首都奪還に成功し、その感謝の意を込めてここに寺院を創建したこと、その後、1200年間も放置されていたが、ポロンナルワ王朝のヴィジャヤバーフ1世とニッサンカマーラ王が修復したこと」など。
◇第1窟(神々の王の寺)
狭い入口を入る。
奥行きのない細長い部屋にドーンとお釈迦さまが横になっていらっしゃる。
涅槃仏の長さは、14m。
横たえた体の下の窪みなど、巧みに彫ってあるので、ついこの寝釈迦像が後ろの壁と同一の、磨崖仏であることを忘れてしまう。
涅槃像だから足指がずれている。
足裏が赤いのは、インドからスリランカに渡ってきた初代のシンハラ族の王が上陸したとき、土が赤かったので、足裏が赤く染まった故事をなぞっている。
どのくらいの赤い土なのか、参考までに道路工事中の写真を。
足下に立つ朱色の立像は、一番弟子のアーナンダ。
これも石像。
入滅するお釈迦さまを悲しみを持って見守っています。
台座が蓮華座でないから、ブッダでないことが判る。
壁画は何度か塗り直されているが、信者の点す灯明でどうしても煤けてしまうという。
引きの画を撮りたいのだが、人が多くて、無理。
入口から足下に移動するのも、背中をすり合わせながら進まなければならない。
お釈迦さまの頭の方が人ごみで賑やか。
ヒンズー教のビシュヌ神が祀ってあるのだと云う。
仏教とヒンズー教の混合は聞いてはいたが、こんな仏教の聖地のど真ん中でヒンズー教の神に出会うとは、意外だった。
≪続く≫