クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

DENCHAに乗ってきた(その6)

2018-05-30 12:21:40 | 九州地区

筑豊本線駅巡りの前にニュースをお伝えします。小田急電鉄は昨日、7000形こと「LSE」を来る7月10日をもって定期運用から離脱させると発表しました。現在、「LSE」は2編成ありますが、そのうちの1編成が来月廃車となります。それに伴い、6月16日からは「LSEありがとうキャンペーン」なるものが展開されます。70000形こと「GSE」が3月17日に定期運用を開始し2編成目もデビューしたことだし、これも時代の流れというものかな。



さて、本題に。勝野駅を出て41分で直方駅に到着。平成23年4月29日に黒系の橋上駅舎となっています。階下には魚民、トランドール、うどんや、大福接骨院が入っています。



駅前には、ご当地の元大関・魁皇像が。引退したとはいえ、直方から博多までの特急列車の愛称となっています。



階段を上がって駅舎の中へ。3台の自動改札の右手には「みどりの窓口」があり、営業時間は5:00~23:00です。トイレは改札をくぐって左手に。



待合室で見取り図を描いて吹き抜けへ。階下にはトイレがあり、その向かいが平成筑豊鉄道の乗り場です。



時間が近づき改札をくぐります。JRは2面4線の構内。14時59分発の4649H(813系R015編成)で桂川方面へ。



15時6分に小竹駅に到着。島式ホーム1面2線の構内です。



階段を上がって駅舎の中へ。簡易SUGOCA改札の左手に窓口があり(「みどりの窓口」ではない!)、営業時間は6:45~21:00(土休日は7:20~19:20)です。右手には自動券売機が。で、窓口の左隣にはトイレ。



自動券売機の右手の部屋は「小竹町コミュニティーホール」。テーブル付きの待合室で駅内文庫も付いています。



駅舎撮影の前に時刻表を。一部時間帯を除き、上下それぞれ概ね1時間に3本ずつでした。現在は、日中時間帯において、上下それぞれ30分ヘッドになっています。滞在時間は26分。



さて、西口に出ました。小竹駅は平成13年10月6日に橋上駅舎となりました。右手にはペデストリアンデッキが。



駅前には時計台の付いたロータリーが。遠くに山々が見え、長閑な一帯です。



東口に出ました。一見する限り、地上駅舎にようます。小竹駅の法面は、遠賀川の堤防を利用しているです!



2度目の歯磨きを終えて、国道200号を渡ってふれあい橋へ。遠賀川を体感してきました。滞在時間が短いので、対岸まで渡らずに、途中で引き返しました。


つづく


参考サイト   さいきの駅舎訪問

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DENCHAに乗ってきた(その5)

2018-05-28 20:18:33 | 九州地区

前回は、新潟駅高架化工事の「いま」をお伝えしました。筑豊本線駅巡りに戻りましょう。


その4はこちら



13時43分に勝野駅に到着。直方駅まで駅間徒歩することに。集落を出るとすぐ国道200号に。



遠賀川の流れに沿って進みます。この沈下橋、渡ってみたいですけど



しばらくすると、平成筑豊鉄道のトラス橋が見えてきました



国道200号は所謂堤防道で、歩みを進めるのは正に命懸け。踏切を渡ると、すぐさま左の集落道へ。



南直方御殿口駅を過ぎて5分ほど、尾崎口御門跡を通過。



そこは新町関所跡になってました国道200号をなんか進まないでこっちに来て正解でした。



直方駅まではひたすら古い住宅地で、葬儀屋があったりします。



出発して25分、須賀神社に立ち寄ります。



本堂に行き、筑豊本線全駅下車達成を誓ってきました



で、この須賀神社、直方藩陣屋跡でもあるのです



出発して32分、一対の狛犬に迎えられる鳥居が。直方市石炭博物館の入口です。



さらに2分ほど進むと、再び多賀神社の鳥居が。多賀神社と直方市石炭博物館は隣り合っています。



マンション街を抜けて西日本シティー銀行を見ると、バスターミナルに。次々とバスが湧き出てくるではないですか



大きな交差点の向かいには直方病院が。その対角線向かいが直方駅なのです。


つづく

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟駅の西側乗換通路が閉鎖

2018-05-26 14:03:55 | 新潟の鉄道(駅舎関係)

2018年5月20日。新潟駅高架第一期開業イベントが実施され、えきなん広場では「いなほ」の目的地のPRイベントなどが実施されました。それから6日経った今日、西側乗換通路が閉鎖されました。これからは、西口改札から8、9番線に行く際、一旦高架コンコースに出た後に東側乗換通路に赴かなければなりません。これは、単に西側乗換通路が意味なくなったからではなく、旧1~4番線の撤去工事が本格化するからだと思われます。



まずは、4月15日を以て閉鎖された旧地下通路から。箒などが置かれて「作業員の詰所」と化しています。乗換案内が寂寥感を醸し出しています。



コインロッカーは、東側連絡通路上、つまりVIE DE FRANCEの隣に移設されてました。



5月20日の高架第一期開業イベントの目玉といえばコレ。旧1~4番線の公開でした。ヘルメット着用とのことで、「お手伝いが必要お客様はご遠慮下さい」とのことでした。



それから6日経った今日、西口から万代口につながる乗り換え通路が閉鎖されました。これまで通れた箇所は「作業員出入口」に。




万代口改札からは、もう右に曲がれなくなっています。一見すると通れるようですが、JR社員専用口なのです



旧1番線上にある待合室も閉鎖されました。40人座れるベンチで、確か2015年度まではビジョンも生きており、最新のJ-POP情報などが配信されたりしてました。



改札側には115系の座席を利用した待合スペースが。一時期は往年の鉄道グッズが置かれていました。



万代口改札を抜けると、「さようなら 想い出の地上ホーム」のメッセージが。



8、9番線に行く道すがら。KIOSKは瞬く間に撤去されてました。



で、西側自由通路から旧越後線方を見ると、線路撤去工事が行われていました。



かつてエルフィンなどがあった所は、作業員出入口となってました。



最後に、新潟駅高架化工事のスケジュールを。2021年度に高架全面開業を迎え、翌2022年度には高架下交通広場が完成し、2023年度には万代広場が完成します。


新潟駅高架化工事の「いま」は以上です。ついに旧1~4番線の撤去工事が始まったといったところでしょう。現在かろうじて残っている駅ソバ屋とかCocolo万代とかがなくなるのは最早時間の問題といえよう。西側、東側連絡通路もいつまで残るだろうか。それに、万代口のバスターミナルも。これからの新潟駅には要注目です。個人的には、新潟駅周辺で用を足すのに少なからず不便になるのかな。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DENCHAに乗ってきた(その4)

2018-05-24 20:21:40 | 九州地区

筑豊本線駅巡りの前にニュースをお伝えします。東京都交通局は昨日、5500形について来たる6月30日にデビューさせると発表しました。私が早朝の品川駅に出て羽田空港に向かった際、真っ白なボディーの5300形に何度お世話になってきたことか。甲高いVVVF音が印象的でした。これからは遊び心と落ち着きのある「和」の車両に変わるということで、時代の移り変わりを感じます。


さて、本題に。12時42分発の6653M(BEC819系Z007編成)で奥洞海駅を出発。



12時48分に本城駅に到着。島式ホーム1面2線の構内です。



階段を上がって駅舎の中へ。自動改札が2台ですが、無人化されて自動券売機に置き換えられています。トイレは改札をくぐって左手に。



さて、西口に出ました。平成15年3月開業の橋上駅舎です。左手に進むと駐輪場。



駅前の様子。国道199号が通じています。向かいにはセレモニーホールとセブンイレブンが。北方にはファミリーマートが。



東口に出ました。西口とは異なり、長方形の橋上駅舎で2階建てという印象です。



駅前の様子。住宅地という印象で、手前は折尾東団地。


本城駅の座れるスペースは、ホーム上のベンチ1基だけ。しかもこの時間帯は、1.5kmほど離れた本城陸上競技場から高校生が次々とやって来る時間帯で、23分の滞在時間がとても長く感じました。彼らと共に、13時11分発の6655M(BEC819系Z003編成)に乗車して直方方面へ。



13時39分に直方駅に到着。速攻で2647Hに乗り継ぎました。817系V2002編成ということで、固い椅子のロングシート。



13時43分に勝野駅に到着。島式ホーム1面2線の構内です。



では駅舎の中へ。4人分のベンチに自動券売機と簡易SUGOCA改札。



それでは駅舎撮影。平成13年に「駅舎」が解体され、駅機能はホーム上の待合所に変わっています。



さて、西口に出ました。南向きの煤けた跨線橋です。



駅前の様子。大きなロータリーがありますが、周辺に住宅がぽつぽつとあるだけで丘陵地帯です。



東口に出ました。駅前が狭く南からしか撮れませんが、出入口が北の方を向いています。



跨線橋を出た所にはトイレ。出発の前にここで用を足しておきます。



時刻表を。朝夕を除いて上下それぞれ1時間に1本ずつです。しかも、上下列車が同じような時間に来るし。



ならばとバスの時刻表を。下り3本、上り2本です。発着するのはあくまでも小竹町のコミュニティーバスであり、直方駅には行きません。ということで、直方駅まで駅間徒歩することに


話が変わりますが、本日、鉄道友の会は、ブルーリボン賞及びローレル賞を発表しました。ブルーリボン賞に輝いたのは、SLやまぐち用35系客車。ローレル賞に輝いたのは、E353系、東武500系(リバティー)、鹿児島交通局7500形でした。


次は、新潟駅高架化工事の「いま」をお伝えします。


続きはこちら


参考サイト   さいきの駅舎訪問

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DENCHAに乗ってきた(その3)

2018-05-22 17:17:07 | 九州地区

11時38分に若松駅に到着。



駅舎撮影を終えて駅前を。若松市民会館です。



横断歩道を渡らずに駅横へ。若松操車場跡です。かつての栄華を偲ぶ、広大な敷地です。貨物取扱廃止から35年も経ってるのだから。



で、その操車場跡の一角には19633号機関車。如何せん吹きさらしであり、お世辞にも保存状態がいいとは言えず。



駅舎に戻ると、横には花壇が



再び改札をくぐりました。ふと外れを見ると石炭車が現役車は1両もないですが、これこそ石炭産業華やかかりし頃の遺構です。



11時57分発の6651Mである、BEC819系Z001編成へ。「充電中」ですって



12時4分に奥洞海駅に到着。島式ホーム1面2線の構内です。



件の唐揚げ弁当でお昼にして改札を出ました。簡易SUGOCA改札の横には窓口跡が。自動券売機が2台設置されています。



それでは駅舎撮影。昭和28年11月にギャンブラー達のために「仮乗降場」として開業した、間口の広い平屋の駅舎です。トイレは改札をくぐって左手に。



駅の目の前には若松競艇場が。この日は一部工事中でした。



競艇場から左方向に歩いていると、日本ヒューム管の工場に。


つづく


参考サイト   さいきの駅舎訪問

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DENCHAに乗ってきた(その2)

2018-05-20 19:08:08 | 九州地区

前回は「ブログ開設4000日」をお伝えしました。筑豊本線駅巡りに戻りましょう。


その1はこちら


2分遅れでやってきた、10時59分発の6646M(BEC819系Z002編成)で二島駅を出発。



2分遅れの11時7分に藤ノ木駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。



では駅舎の中へ。駅舎内はがらんとしています。自動券売機があるだけです。



それでは駅舎撮影。昭和28年1月築の、ブロック積みの駅舎です。トイレは折尾方に。



駅舎の前にはミニ庭園が。ソテツが南国情緒を醸し出しています。



駅前には国道199号が通じています。北九州市営バスが到着しました。



では駅裏へ。向こうには石峰山が。



ふと見ると、漁村が広がっていました。借景の山は帆柱山。



駅裏のお洒落な建物へ。若松訪問介護ステーションです。で、隣には若松急患診療センター。


6分遅れでやってきた、11時28分発の6648M(BEC819系Z001編成)で若松方面へ。



6分遅れの11時38分に若松駅に到着。島式ホーム1面2線の構内です。



では駅舎の中へ。3台の自動改札の左手に窓口がありますが、営業時間は6:30~8:30のみ。トイレは改札をくぐって左手に。



窓口の向かいには東筑軒があり、駅そばが供給されているだけではなくかしわめしも販売されてました二島駅近くで唐揚げ弁当なんか買わなきゃよかったな。



で、左手には在りし日の若松駅の鉄道風景が。若松駅は明治24年8月に開業。筑豊炭を取り扱った関係で、日本一の貨物取扱量を誇ったこともあります。昭和57年に貨物取扱が廃止されました。



それでは駅舎撮影。昭和59年3月築の細長い駅舎ですが、昨年3月4日に石炭色にリニューアルされました。右手にはビジョンメガネが。


道理で写真が黄色いなと思ったら、ISO1600のままで撮ってたんだ


つづく


参考サイト   さいきの駅舎訪問

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ開設4000日

2018-05-19 05:15:33 | 新潟の鉄道(駅舎関係)

 本日、「クハ481-103の駅巡り旅のページ」は、開設から4000日を迎えました。これは、日頃の皆様からのアクセスのおかげだと思っています。
 この1000日で最も記憶に残った鉄道ニュースは、「糸魚川快速」の廃止です。2017年3月4日に廃止されたのですが、これは485系の一般車の全廃を意味します。ふと検査表記を見ると、きらきらうえつの廃止も最早時間の問題と思われます。鉄道唱歌、春の歌、懐かしいなあ。私の青春が終わってしまいました。
 次に記憶に残った鉄道ニュースは、夜行の交通機関のプレミアム化です。夏の臨時列車が昨日発表されましたが、JRの夜行列車が風前の灯になっていると痛感します。「ムーンライトながら」ですが、今夏は7月27日の下りから8月19日の上りまで運転します。しかし、E257系が「踊り子」などに進出して185系が全廃になると、完全廃止になってしまうのではないかと懸念されています。また、夜行の交通機関はほぼ高速バスだけになりますが、ツアーバスの高速乗合バス化、折からの人手不足が相俟って高騰化及び減便が続いています。繁忙期には東京便で10000円近くになるものまで出ています(WILLER TRAVELの場合)。
 さて、この1000日で最も印象に残った駅はしなの鉄道の御代田駅です。ホームが急勾配上にあるだけではなく、「世界一小さなテレビ局」まであり、見所満載の駅でした。10分しか滞在出来なかったのが玉に瑕でした。
 次に印象に残ったのは、長崎本線の吉野ヶ里公園駅です。南口だけを見たらどこにでもあるような橋上駅舎ですが、北口に出ると図書館付きの「パオ」となっており、度肝を抜かれました。厳島神社の夕景が印象に残りました。
 3番目に印象に残ったのは、山田線の上米内駅です。開業当時からと思われる木造駅舎が健在ですが、13:50以降は「夜間」で立ち入ることすら出来ないのです。無人化された現在はどうなっているだろうか。
 最も印象に残った乗り継ぎ旅はというと、2018年1月27、28日の「山陰本線全駅下車への道・第6回」です。折からの大雪で出発するかどうか決めかねてました。しかし、首都高の除雪がおおかた終わったということでゴーサインを出しました。誠に悪運強いことに新潟行きの信越線2557M以外に遅れはなく、あっさりと大成功を収めた乗り継ぎ旅でした。
 次に印象に残った乗り継ぎ旅は、2016年4月2、3日の北海道新幹線初乗り記です。新津から羽越線などを順調に乗り継いで青森駅に出たはいいものの、構内全停電で津軽線がタクシー代行になってしまいました。でも、蟹田駅にて無事に339Dに乗り継いで奥津軽いまべつ駅に行き、「はやぶさ25号」に乗り継げたものです。果たして訪問したアスクルは夕食の影響がなく、カロリーメイトの侘しい晩餐になってしまいました。
 で、これから4000日記念として1駅紹介します。磐越西線の新関駅です。新関駅は、新津駅から数えて2駅目にあたる駅で、最初の交換可能駅になります。新関地区の住民のみならず、五泉市一本杉地区などからP&Rされる利用者も多いそうです。



まずは駅舎から。昭和29年2月築の、国鉄後期型駅舎です。



では、駅舎の中へ。簡易Suica改札機の左手にはトイレと自動券売機が。



で、右手には6人分のベンチと自動販売機が。窓口の跡が残っています。



跨線橋を渡って東口へ。吹きさらしのブースになっています。



そのブースの中は簡易Suica改札機のみとなっています。



駅前には駐車場がありますが、月極駐車場ですふらっと来て駐車すると、レッカー移動されるでしょう。



対面式ホーム2面2線の構内です。SLばんえつ物語がもうもうと煙を上げて通過していきました


 ブログ開設4000日記念記事は以上です。拙ブログは、5000日を迎える頃にはgooフォトに移管していることでしょう。勿論、私の経済力が続けばですが。

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DENCHAに乗ってきた(その1)

2018-05-17 20:28:28 | 九州地区

 5月といえば一年のうちで最も気候が安定してそうですが、今年は異常気象を絵に描いたように気候が不安定です。3日には日本各地が大荒れとなり、帰省や旅行などの足が大きく乱れました。連休明けの7日には、首都圏などで梅雨の末期ような現象が発生しています。かと思えば、一昨日の福岡市で32℃になるような猛暑も発生しています。
 さて、今回お伝えする5月の乗り継ぎ旅は「DENCHAに乗ってきた」です。5月19日の夜に出発し、「京都市内→筑前山家」の片道乗車券などを駆使しつつ筑豊本線、後藤寺線の駅を巡り、21日のJH505便で新潟に帰ったものです。この回は天候が安定していて何よりでした。
 前置きはこれくらいにして、そろそろ出発しましょう。



2017年5月19日(金)。自転車で新津駅に行き、信越線461M(E129系B14編成+A10編成)で新潟駅へ。



その後、21時ちょうど発のウィーラートラベルS3620便(和泉200か13-44)で一夜を過ごします。栄PAで外に出て、尼御前SAで目が覚め、草津PAで撮影しました。



6時17分に京都ノートルホテル前に到着。待合室で朝食をとり、56分発の「のぞみ95号」(N700系X71編成)で九州へ。



進行方向左側に陣取って。新大阪からは宝塚歌劇団の福岡公演を見に行くという眼鏡女性と相席に。



9時24分に小倉駅に到着。能古島甘夏チューハイを購入し、41分発の鹿児島本線4233M(811系P1504編成+P10編成)で一杯やります



10時1分に折尾駅に到着。来年度の高架化を控えて仮駅舎になってました!



ここでSuicaに切り替え、16分発の6644M(BEC819系Z003編成)に乗り継ぎます。



車内に入る前にロゴを。蓄電池式電車であることを如実に示しています。



では車内へ。ロングシートとなってますが、水戸岡デザインで背もたれには木材が使用されています。


二島駅に着くまでの間、筑豊本線の概要を紹介します。筑豊本線は、若松と原田を結ぶ、駅数24、全長66.1kmの路線です。かつては筑豊炭田で産出された石炭を運び、ニッポンの戦後復興などを支えたことから広い構内の遺構を残しているのが特徴的です。しかし、現在の筑豊本線は大きく3つに分かれています。まず、「若松線」といわれる若松~折尾間ですが、2016年10月19日よりBEC819系が導入され、翌3月のダイヤ改正で「DENCHA」に統一されています。折尾~桂川間は「福北ゆたか線」の一部であり、813系や817系が主力を担っている一方、出入区等の関係で折尾~直方間では「DENCHA」も入線します。一方、メインルートから外れてしまった、桂川~原田間の「原田線」は、キハ140系などの単行が行き交うだけのローカル線になっています。



10時22分に二島駅に到着。対面式ホーム2面2線+中線1本の構内です。



では駅舎の中へ。ラッチ跡が残されています。待合スペースの折尾方にはトイレ。



ラッチ跡の左手には自動改札機が2台。無人化されて窓口が閉鎖され、自動券売機に置き換えられています。


 
それでは駅舎撮影。昭和34年5月28日築の、国鉄後期型駅舎です。



ロータリーをふと見ると、北九州市営バスの日デのバスが止まっていました



国道199号に面して「からあげ処にんにく亭」が。誠に単細胞なことに、開店してたので昼食用の唐揚げ弁当を購入しちゃいました



見取り図を描いていると、キラヴァンツ北九州のラッピングバスがやってきました


話が変わりますが、JR東日本長野支社は昨日、来る7月1日より「あずさ」3往復及び「かいじ」9往復にE353系を投入することを明らかにしました。余剰となったE257系は「踊り子」などに転用されるそうです。明日、夏の臨時列車が発表される見込みですが、185系の淘汰が進むことから「ムーンライトながら」への影響は避けられません。


次は、「ブログ開設4000日」をお伝えします。


続きはこちら

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いよいよ終末を迎える新潟の115系電車(第29回)

2018-05-15 12:35:38 | 新潟の鉄道

 新潟車両センターの通称「解体線」では、ATS-P非対応車(N13編成、N30編成を含む)の「大粛清」が完了し、高崎のT1038編成+T1039編成も廃車解体されました。廃車解体はこれでひとまず終了したようで、本来の姿に戻っています。
 さて、これからお伝えするのは、2018年1月分の新潟の115系電車です。当然ながら、新潟駅暫定高架化前の姿です。今ではもう撮れないアングルも登場します。どうぞご覧下さい。尚、特記以外は新潟駅での撮影です。



張子は、2018年1月3日の信越線434M。N35編成+N18編成でした。



越後線139MはN37編成でした



羽越線1932MはN34編成+N33編成でした。



信越線3373Mは、今は亡きN3編成でした。



2018年1月4日。白新線624MはN37編成でした



越後線142MはN40編成でした



新津駅にて信越線447Mを。N34編成+N33編成でした。



2018年1月7日。信越線434MはN34編成+N33編成でした。



2018年1月13日。羽越線1932MはN36編成+N17編成でした。折からの大雪の影響で22分遅れ。



信越線3373MはN34編成でした。こちらも16分遅れでした。



2018年1月14日。信越線434Mは、今は亡きN17編成がN36編成を従えてました。



2018年1月19日。白新線624Mは、今は亡きN3編成でした。



東新潟駅にて羽越線1928Mを。N38編成+N37編成でした



新潟駅に戻り、越後線142Mを。N36編成でした。



2018年1月20日。白新線624MはN36編成でした。



亀田駅にて信越線434Mを。冒頭に話題に挙がったN13編成がN18編成を従えてました



新潟駅に戻り、越後線139Mを。N35編成でした。



羽越線1932MはN33編成+N34編成でした。



信越線3373Mは、今は亡きN17編成でした。



越後線143MはN37編成+N38編成でした。「通勤快速」と出てました



2018年1月21日。新津駅にて信越線3373Mを。今は亡きN3編成でした。5分ほど遅れてました。



越後線143MはN37編成+N38編成でした。



越後線1535MはN40編成でした



最近の「クモハ115-1522」の車号を。何者かに取られたらしく無くなってました。


 2018年1月分の新潟の115系は以上です。地平ホーム時代の4番線に入ってくる越後線143M、東新潟駅での羽越線1928MをUPしてみると懐かしさすら込み上げてきます。
 新潟駅に到着する115系の6連は越後線143Mだけですが、2番線に到着します。ただ、先端には業務用エレベーターがあるため、立ち位置が極めて限られており、撮影は困難です。また、4番線側の方が早くから陣取られる傾向にありますが、望遠レンズがないとちと厳しいでしょう。
 最後に、現在の新潟の115系の運用を。以下のようになっていると思われます。仕業番号は仮番号です。

A31  新潟 172M 吉田
A32  吉田 225M 東三条 222M/132M/8132M 出雲崎 8139M/139M 新潟 1532M 内野 1539M 新潟 158M(後) 柏崎
A33  柏崎 125M/227M(前) 東三条 226M(後) 吉田 143M(前) 新潟 158M(前) 柏崎
A34  柏崎 125M/227M(後) 東三条 226M(前) 吉田 143M(後) 新潟 3374M 新井 2333M 直江津
A35  直江津 3371M 長岡 3481M 新潟 142M 吉田 150M 柏崎 161M 吉田 174M 出雲崎 177M 新潟

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野岩鉄道全駅下車の旅(その8)

2018-05-13 08:18:47 | 私鉄(東日本)

件の女性駅員から乗車券を購入し、14時40分発の857(6050系6174編成)で野岩鉄道全駅下車達成の地へ。



14時45分に男鹿高原駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。



階段を上がって駅舎撮影。地下鉄の駅の入口のような趣です。この駅に降り立って野岩鉄道全駅下車達成



時刻表を。一部の「リバティ会津」と「AIZUマウントエクスプレス」が通過ということで空白になる時間帯もありますが、概ね1時間に1本すつです。滞在時間は53分。



うっしーさんのサイトで第20位の秘境駅(2018年5月13日現在)ということで周辺散策。出発して2分ほどで男鹿高原変電所。



5分ほどで男鹿高原駅前広場緊急ヘリポート。標高が757.9mまで上がったということで、一面の銀世界。



10分ほど進むと国道121号に出ました。ここら辺で引き返します。



駅に戻る道すがら。「入山禁止」ですって



駅に戻りました。左手に進むと行き止まり



階段を下って待合室へ。ベンチが6人分並んでいます。駅ノートに書き込みしつつ、開當男山で打ち上げ



2分遅れでやってきた、15時38分発の859(6050系6153編成)で山王トンネルをくぐって福島県へ。すかさず車掌がやってきて西若松までの乗車券を購入。



16時4分に会津田島駅に到着。2320Dがまだ入線してないとのことで、乗り継ぎ客も一旦改札を出されます。



その間に田島観世音に行き、野岩鉄道全駅下車達成のお礼参り



16時29分発の会津鉄道2320D(維新150年HM付き!)で会津若松へ。



私が乗車した「AT651」の車内。青色の転換クロスシートですが、ボックスシートとして運用されてました。



後ろは「AT701」。赤茶色のテーブル付きシートですが、例によってボックスシートとして運用されてました。



17時55分に会津若松駅に到着。正月休みということで、駅構内の飲食店やまるたか食堂も営業終了。19時まで営業のPivotに行き、割引の玉子焼き弁当を購入して夕食。18時34分発の磐越西線237D(キハE120-2+キハ110-135+キハ110-125)で新津に帰還しました。


 「野岩鉄道全駅下車の旅」は以上です。今回は下今市駅から東武鬼怒川線などで北上しましたが、6050系や「リバティ会津」に何回も乗れたことが大きな収穫でした。6050系が廃形式にならないうちに、東武鬼怒川線などで旅してみたいものです。
 今回は、下今市駅からは普通乗車券を利用しましたが、野岩鉄道で精神障害者手帳で割引が効いたので「ゆったり会津・東武フリーパス」より安上がりで済みました。新潟交通でも障害者割引が充実しているので、もっとこういうのがあればなという感じです。
 次は、新潟の115系についてお伝えします。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログランキング