クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

常磐線(その4-4)~遂に常磐線全駅下車達成!~

2007-07-22 11:58:42 | 常磐線
2007年6月3日12時52分、浪江駅から1駅南の双葉に降り立ち、常磐線全駅下車達成と相成った!

 
双葉駅の駅舎はH10改築で、ステーションプラザを経て体育館と繋がっている。また、この駅の発メロにはGKのレアものが使用されている。

双葉駅到着後、公民館のところまで歩いていくと、ちょうど双葉高校吹奏楽部の定期演奏会の開演直前のようで、管楽器の音色がよく聞こえてきた。

しかし、常磐線全駅下車達成の余韻に浸りきらないうちに、251Mは定刻の13時16分にやってきて、双葉を後にしてしまう。701系F2-501編成で、2時間近くもロングシートの電車で過ごす事になった。

251Mは原ノ町到着後、前にF2-106編成を付ける。その後、遅れていたスーパーひたち15号の接続をとったため、原ノ町を10分遅れて発車した。


遅れはいくぶん回復し、15時10分に太子堂駅に途中下車する。今年の3月18日に開業した新駅で、長町駅とは目と鼻の先にある。出口はあすと長町側(東側)にしかない。駅前は現在のところ空き地だが、数年後にはどう変貌していくのだろうか。


19分後の579M(701系F2-503+F2-502)で長町へ。2001年3月末に一度訪問しているが、高架になって改築されたので再訪に踏み切った。長町駅は西側にしか出口はなく、駅前は賑やかだ。


気になる駅があったので、449M(701系F2-19+F2-504+F2-512)で東仙台へ。東仙台の駅舎は開業時(S7)からと思われる木造駅舎である。

東仙台で21分滞在後、538M(701系F2-515+F2-507)で仙台に戻る。ずんだ餅と牛タン弁当を買い、新幹線ホームへ。ちょうど楽天VS広島戦が終わったところで、コンコースは混雑していた。
「はやて22号」(J6編成)は「こまち22号」(R14編成)を従え、定刻の16時54分に仙台駅を発車した。6号車しか見なかったが、座席はほとんど埋まっていた。福島県に入ってから、牛タン弁当でささやかな打ち上げ。

18時10分に大宮に到着。上越・長野新幹線のホームに上がると、すぐにMaxたにがわ421号がやってきた。E4系P12編成+P19編成で、自由・指定ともがらがらの極み。越後湯沢到着後、すぐにMaxとき341号(E1系M2編成)に乗り換え。6号車の自由席に何とか座れたので、浪江駅で大宮からの指定が取れなかったのもわかるような気がする。ところで、E1系は故障が多発する編成で、越後湯沢発車時に側戸がなかなか閉まらず、3分遅れて発車した。どこで降りようか迷ったが、折角なので終点・新潟まで乗ることにした。新潟到着後、20時42分発の2244Dで新津に帰還した。

これで常磐線全駅下車プロジェクトが終了したわけなんだけど、道のりが険しければ険しいほどその喜びは大きいものだ。これで一つ肩の荷が下りたような気がする。次はどこの路線にしようかな。

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常磐線(その4-3)~夜ノ森駅、竜田駅、富岡駅、大野駅、浪江駅~

2007-07-20 23:16:35 | 常磐線

2007年6月3日日曜日。7時前に起床。東横インの1Fでおにぎりの朝食をとり、一連の身支度をすませると、7時半を過ぎていた。前回とは違い、外は一面のである。


いわき駅は橋上駅舎工事真っ最中。5ヶ月ぶりの訪問となるが、外観から見る限り、まったく変わっていないように見える。しかし、改札内は足場の組まれているところがあり、人が立つスペースの無いところもある。

7時49分発の525Mでとりあえず夜ノ森へ。415系の8連(K525+K532)で余裕で東側に座れた。


夜ノ森駅はツツジで有名な駅だが、今年は温暖なのか、ツツジは完全に終わっていた。駅舎はT11築と思われる。徒歩5~6分のところに桜のトンネルがある。4月中旬または5月中~下旬の訪問をおすすめする。

散策を終えて駅に戻ると、窓口の向こうから異常を知らせる放送が聞こえてくる。どうやら首都圏で人身事故が起こったようだ。ともあれ、548M(415系K540)で竜田に戻る。

 S14築の駅舎


18分の滞在後、665M(701系F2-501編成)で富岡へ。ここまでは定時運転だったが…。

 駅の掲示板を見たら、佐貫~牛久での人身事故のため、スーパーひたち7号は45分遅れてるとのこと。常磐線全駅下車には、最後まで輸送障害がつきまとうものだろうか。
 滞在時間が1時間半あるので、富岡の町をじっくり歩いていくことにする。駅前は静かだが、国道6号に出ると、賑やかになる。地方では、最も賑わっているところが必ずしも駅付近ではなく、むしろ幹線道路や大形商業施設付近だという傾向が見られる。富岡駅がもともと中心部近くに立地していなかったということもあるが、富岡町ではそれが顕著に見られる。日本の地方は基本的にクルマ圏になったといえる。

富岡駅に戻って早い昼食をとり、44分遅れのスーパーひたち7号(651系K204編成)で1区間だけ利用して大野へ。特急といえど夜ノ森で運転停車し、大野に着いたのは11時50分に。尚、8号車の自動ドアが故障していて、手で開閉する仕組みになっていた。


40分遅れで大野駅に降り立つ。10分後には541M(415系K530編成)がやってきて、そのまま浪江へ北上した。


常磐線全駅下車達成まで後1駅!帰りのプランがほぼ固まったので、みどりの窓口で「はやて22号」の指定をとる。


浪江は作曲家・佐々木俊一を生んだ町であり、駅前にはこのようなモニュメントが建っていた。

10分遅れの670M(415系K530編成)に乗り、常磐線最後の未踏破駅に降り立った。その駅とはどこでしょう?

つづく  

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平成19年新潟県中越沖地震

2007-07-17 23:24:37 | 新潟の鉄道
 2007年7月16日10時13分頃。新潟県中越地方を中心に大きな地震が発生しました。震源は、柏崎市沖約2kmで深さは17km。最大震度は、柏崎市、刈羽村、長岡市、飯縄町などで6強、マグニチュードは6.8でした。この地震は新潟―神戸ひずみ集中帯で起こったもので、1995年の阪神淡路大震災、2004年の新潟県中越地震、今年3月に発生した能登半島沖地震とも大いに関連があるように思えます。この地震による死者は少なくとも9人で、負傷者は1118人、全壊した建物は少なくとも342棟にのぼりました(7月17日21時半現在)。
 最も被害が激しかったのは柏崎市でした。
 柏崎刈羽原子力発電所では、3号機建屋脇の変圧器で火災が発生し、12時10分に鎮火するまで2時間近く火災が続き、甘利経産相に東電が「自力消火能力がないのか」と批判されました。また、7号機では、排気管から微量のクロム51やコバルト60などの放射性物質が検出されました。
 道路も被害が大きく、国道8号では長岡市大積付近や柏崎市米山付近、北陸自動車道では今日(2007年7月17日)現在、米山IC~柏崎ICが通行止めとなっています。その他の生活道路にも多くの亀裂が入ったようです。
 鉄道においても被害が甚大でした。信越本線青海川駅で大規模な土砂崩れが起きたのをはじめ、米山トンネル内では4097レが脱線し、柏崎駅構内ではS1編成が転覆しました。越後線では刈羽付近でレールがぐにゃぐにゃに曲げられました。上越新幹線では、魚沼トンネルでコンクリート片の落下が見つかり、越後湯沢~新潟で地震発生から21時過ぎまで運転を見合わせました。信越線は、地震発生直後から運転見合わせが続きました。東三条~宮内、犀潟~長野では地震発生当日は終日運転見合わせで、翌日は速度を落としての運転でした。上越線も同様でした。宮内~犀潟、特に柏崎~柿崎の復旧は、早くても1月先になるものと思われます。
 さて、私のほうはというと、地震発生当時、実は十日町にいました。1728Mで越後川口に出て、184Dで十日町(終着)までやってきて、10時57分発の166Dで上境駅を再訪するつもりでした。時間つぶしにクロス10を訪問し、天神囃子を購入した矢先に被災しました。係員の誘導で外に出され、十日町駅まで歩きました。十日町の震度は6弱だったようです。能登半島沖地震において直江津駅で被災しているので、徒歩による確認のため、飯山線、ほくほく線で少なくても2~3時間は運転できないなと確信し、既に購入した乗車券を払い戻しました。十日町のリオンドールはこの時点で一時閉店しました。

 十日町駅にて

15時50分頃に弟にクルマで救済してもらうまでは、文字通り十日町に缶詰で、十日町市博物館に行ったりしながら時間を潰すしか無かったです。飯山線は16時過ぎに運転が再開されましたが、上越線、信越線(東三条まで)、上越新幹線がダメで、当日中に鉄道で新津に帰ることは不可能でした。弟にただただ感謝です。
 最後に、被災されました方々には、心からお見舞い申し上げます。1日でも早い復興を願ってやみません。

参考 朝日新聞2007年7月17日など
コメント (1)
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常磐線(その4-2)~駒ヶ嶺駅から木戸駅まで~

2007-07-14 23:20:40 | 常磐線

新地から2駅南下して相馬に降り立つ。


駅舎はS15築だが武家屋敷風にリニューアルされている。相馬市の中心駅でニューデイズもある。発メロもあり、1番線はWater Crown、2番線はGota del Vientである。

12時43分発の247M(E721系P2)で1駅北上して駒ヶ嶺へ。


待合室は真新しい。無人で自動券売機あり。西側は住宅地で駅前には自転車置き場あり。東側は一面の水田で、火力発電所が見える。

13時6分発の251M(717系T101+T102)で3駅南下して鹿島へ。

 M30築の木造駅舎

13時51分発の251M(701系F2-22+F2-106)で1駅北上し、日立木に降り立つ。

 簡易駅舎の無人駅。自動券売機あり。周囲は長閑。

14時21分発の242M(701系F2-501)で原ノ町へ南下する。


現在の常磐線は、この駅で運用が分離されている。普通列車では、仙台方面は701系、717系、E721系、455系。一方、いわき方面は701系、415系ステンレスである。

原ノ町から小高までは、特急スーパーひたち50号(651系K206)を利用する。気軽に特急を利用できるのも土日きっぷの特権だ。尚、原ノ町駅構内には415系鋼鉄車が疎開留置されていた。


S13築の木造駅舎。新潟駅と同じタイプの発車ベルが使用されている。15時をまわったので、列車の時間が近づくと高校生が集まってきた。

小高で39分滞在した後、674M(415系K535)で1駅南下して桃内に降り立つ。


真新しい待合室の無人駅で自動券売機付。駅は高台にあり。3番線は使用されていない。周囲は山間で実に長閑だ。

桃内で34分滞在した後、671M(415系K528)で2駅北上して磐城太田へ。


この駅も真新しい待合室のある無人駅である。丸ポストがこの駅にアクセントをつけている。日程の都合上、ここでは10分しか滞在せず、676M(415系K539)で南下した。


この日の最後の訪問駅は木戸だった。S12築の木造駅舎。Jヴィレッジの最寄り駅である。1.6km南に離れているので訪問はやめにした。


1時間程度の下車時間を利用して太平洋まで出てきた。常磐線は海から少し離れて通っているので、この日初めての海だった。広野火力発電所が見える。いいリフレッシュにもなった。

日が沈みかけた頃、678M(415系K528)でいわきへ南下する。この日は東横インで宿泊。チェックイン後、駅前のとある中華料理屋で夕食にする。

つづく

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常磐線(その4-1)~逢隈駅、亘理駅、浜吉田駅、山下駅、坂元駅、新地駅~

2007-07-12 22:57:05 | 常磐線
 2007年6月2日午前0時。新津駅0時6分発のMLえちご(485系K2編成)に乗車し、新宿へ向かう。「青春18」の時期ではないが、あっさりと検札してくれた。(近年、「青春18」の時期に限って新宿まで検札してくれないことが多々あるんだよな…)お福正宗を投入すると、あとは池袋手前まで
 新宿到着後、速攻で中央線404Tに乗り換え。E233系の増備が大分進んではいるが、あっさりと201系(T114)に乗ることが出来た。

 東京駅で撮影。いつまでオレンジ色の201系に乗れるのだろうか。

東京で「やまびこ41号」(E2系J11編成)に乗り換え一気に仙台へ。上野発車後の放送を録音後、深川めしで朝食。その後は車窓を見ることも無く、仙台まで。仙台で常磐線228Mに乗り換え。E721系P19+P6+P15の6連だった。


阿武隈川を渡って、最初の下車駅は逢隈。駅前広場から地下道を通って島式ホームに通じる。ここでは25分滞在。


230M(E721系P10+P20)で2駅南下して浜吉田へ。M30築の木造駅舎。

17分後、237Mで亘理に北上するが、E721系P2編成のみでかなり混雑していた。


亘理駅は、駅舎とお城のような建物が一体となっているように見えるが、実は別々。
お城のような建物は悠里館といい、自由通路も兼ねている。ここで20分しか滞在できなかったのが悔やまれる。後日ゆっくり見たいところ。

 亘理から232M(717系T3+T2)で坂元へ。

 
宮城県内の常磐線で最南端の駅。入線音については、この駅以北が東北線標準タイプ。しかし、10分しか滞在せずに、241M(228Mの折り返し)で山下へ。


開業はS24.5.10。中線もあり、この駅止まりの列車もいくつか設定されている。ここでは40分滞在し、234M(E721系P2編成)で県境を越える。


福島県最北端の駅。ここでは717系を撮影しつつ、54分間の小休止。駅舎はM30築。ここから入線音は、ほくほく線タイプ。


散歩をしていると、画面ではよくわからないと思うが、面白い形の山が見える。左側の山を鹿狼山という。

昼食後、236M(701系F2-22)で相馬へ向かったのである。

つづく
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水戸線駅巡り(その2)

2007-07-09 23:37:29 | 常磐線
11時30分に笠間駅に降り立つ。駅員のほかに、サービスマネージャーのお姉さまがお出迎えしていた。


笠間駅は大正の駅舎であるが、御覧のように足場が組まれていた。外壁修繕工事だろうか?おまけにトイレも新築中。近いうちにリベンジしないと。尚、笠間は笠間焼きと笠間稲荷神社で知られる町で、見所が多いが、駅から離れているのでレンタサイクルか循環バスの利用がおすすめ。


32分の滞在で748M(415系K540)にて福原へ。駅舎はT12築。出雲大社へは徒歩7分で行けるが、10分ほどでこの駅を後にした。


745M(415系K536)にて宍戸へ。棒線駅だが駅員は居る。


752M(415系K536)で稲田に戻る。ここで20分滞在して749M(415系K533)へ。


そして、2週間前に橋上駅舎化したばかりの友部駅を訪問。笠間市があの坂本九の出身地ということで、1番線に「上を向いて歩こう」、2番線に「明日があるさ」、3番線に「幸せなら手をたたこう」が発メロに使用されている。折角なので全番線の入線音&発メロを録音する。尚、明日から4,5番線も使用開始となった。また、ここで見た常磐線列車は、全てE531系であった。415系鋼鉄車は1度も見なかった。

友部で52分滞在した後、756Mにて羽黒へ。E501系K752編成で、シーメンス社のドレミファインバータ音は鳴らなかった。きっと換装されたに違いない。

 水戸線全駅訪問達成まであと1駅!T12築の木造駅舎。

羽黒で35分滞在後、758M(415系K540)へ。4分後、岩瀬に降り立ち、水戸線全駅下車達成

 
M31築の木造駅舎。右側では駐輪場建設中。キオスクは3月末で閉店(しかも、当時の営業時間は平日の午前中のみ)。

 岩瀬駅前から出ているバスは、真壁方面へのバスを中心に4路線だけで、しかも本数はさほどない。下館方面へのバスは無いので、45分の間、セイコーマートで買い物などして過ごす。セイコーマートは北海道に多いコンビニだが、水戸線沿線にも多いというのはであった。
 水戸線で最後に乗った760M(415系K536)もロングシート車であった。これでダイヤ改正前日の勝田車乗り継ぎは終わったが、こうして見ると、水戸線は、415系ステンレス車またはE501系に統一されていたことがわかる。つまるところ、水戸線は既に「通勤路線」と化していたのである。ダイヤ改正後の姿は既にここにあり。

 小山到着後、腹が減ったので、坦坦麺と餃子で夕食にする。17時33分発の470M(115系T1147)で夕暮れの両毛線を走破する。井野で749M(115系T1040)に、更に水上で1751M(115系N23)に乗り継いで夜の上越線を北上する。湯沢は、2週間前より雪が多いにもかかわらず、越後中里、岩原の両スキー場とも営業している様子が無い。時間が遅いせいだろうか。それとも、あまりの少雪で早めに営業をやめてしまったのだろうか。2007年の冬は、1,2月に雪が少なく、3月入って雪が多くなるのだから、スキー場にとって例年に無く厳しい冬だったといえる。確かに、越後湯沢でもスキー客は殆ど乗ってこない。
 長岡で465M(E127系V7+V8)に乗り継いで帰路につく。新津到着は23時55分で、ダイヤ改正前日の乗り継ぎをしめくくった。

おわり
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水戸線駅巡り(その1)

2007-07-08 19:16:07 | 常磐線
 これから2回にわたって水戸線駅めぐりを取り上げる。常磐線の駅巡りではないが、車両運用などが常磐線と共通で、しかも友部駅も訪問しているので、あえて「常磐線」のカテゴリーに入れさせてもらう。尚、お断りしておくが、ここでは「下館駅」については取り上げない。なぜならば、2003年の関東鉄道&真岡鉄道乗り潰しの際に訪問しており、今回は訪問を果たせなかったからである。
 2007年3月17日土曜日。例によって、新津0時6分発のMLえちご(K1)で旅立つ。白新線1925M車内でいつも見る人の隣だが、大洋盛を飲み干せば長岡に着かないうちに眠りに入り、気がつけば赤羽通過中であった。尚、2007年春シーズンの「青春18」は、JR発足20周年ということで、特別価格の8000円であった。

 485系K1編成。この春は3回も乗った。

 5時1分に池袋到着。ここで下車し、埼京線543Kに乗り継ぐ。下り始発であるが、席はほとんど埋まっていた。たった9分で赤羽に着いちゃった。赤羽からは東北線523M(E231系U37+U539)で小山へ。朝食を兼ねてG車で過ごす。小金井終着ということもあり、小部屋は私1人だった。
 ここから水戸線駅巡りの始まり。まずは、727M(415系K540)で小田林へ。たった5分間の乗車だったが、自然とで、本当に乗り過ごしそうになった。

 ホームのみの駅。通過列車あり。

小田林で25分滞在した後、731M(E501系K754)で東結城へ。

 小田林と同様、ホームのみの駅。通過列車あり。

23分後、732M(415系K527編成)で結城へ。結城は古くからの織物の町で見所は多いが、今回は駅巡りであるため、18分で後にしなければならないのが残念なところ。

 H6.12竣工。これは北口。

735M(415系K527)で4分揺られて川島に到着。

 S12築の木造駅舎

28分後、2737M(415系K532)で3分揺られて玉戸に到着。


玉戸は片面ホームで入線音はない。スロープを降りれば簡単な待合室がある。ここでは47分滞在し、付近のセブンイレブン調達したハーゲンダッツのクリスピーサンドを食す。高いけど美味いんだよな、これ。 今になって思えば、2737Mで下館を再訪し、740Mで玉戸を8分間だけ訪問し、739Mで発てばよかったな。


739M(415系K533)で新治駅に降り立った。ここでは37分滞在。


740M(415系K528)で大和に降り立つ。片面ホームのみの無人駅であるが、待合室が広く、しかも地元の画家の絵などが飾られてあった。ゴルフ場に近く、雑木林が広がる。

28分後、743M(415系K540)で笠間へ向かったのである。

つづく
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常磐線(その3-3)~いわき以北へ~

2007-07-07 18:34:09 | 常磐線

 爆弾低気圧に翻弄された、いわき以南の駅巡りから一夜明けた2007年1月8日月曜日。NHKの情報では、この日もいわき以北が強風のため運転見合わせである。朝食をとり、チェックアウトして、とりあえずいわき駅に向かう。外は結構風が強い。
 駅に入ってみると、いわき以北が運転再開との知らせが入る。次の原ノ町行きは7時58分とのこと。しかし、8時5分発の小山行き(2742M=415系K516)に乗り、前日行けずに終わった内郷駅を先に訪問する。

 S11築の駅舎

 内郷8時29分発の321Mは15分ほど遅れていた。編成は前日の363Mと同じK504+K808であった。果たして前日のうちに上野にたどり着くことができたのだろうかもしかしたら、前日の強風の影響で321Mが水戸始発になったかもしれない。
 いわき到着後、6番線の「春の歌」を録音し、原ノ町行きの681Mに乗り換える。通常であれば701系2連であるが、この日は717系6連(T3+T1)であった。更に、「スーパーひたち3号」の接続をとったため、20分遅れの9時40分にいわき駅を発車した。草野、四ツ倉…と向かいのホームを見たが、対向列車は現れない。しかし、後ろ髪を引かれる思いで末続に下車した。

 S22築の駅舎だが、それとは思えないくらい渋い

駅舎撮影を終え海岸まで歩こうとした矢先、ほくほく線タイプの入線音が鳴り、いわき行きの列車が入ってきた。列車名はわからないが、717系T104編成でとにかく草野に向かう。相客のおじさんに聞くと、この列車は226Mで、15分遅れだという。先行列車はどうやら運休したようだ。



 草野駅には実に12年半ぶりの下車となる。駅舎撮影後、平YHに宿泊したあの時を思い出して散策してみる。住宅地の入り組んだ路地を通って国道6号まで出てみる。佇まいはあの時と何ら変わりなかったような気がした。
 定刻の10時58分に247M(717系T104編成)がやってきて、草野を後にする。久ノ浜から先は太平洋をちらりと望める区間に入る。童謡『汽車』のモデルとなった区間である。しかし、広野停車時にそろそろと入線した。

 S12築の駅舎。1番線に「汽車」の碑あり。

 
駅舎撮影後、広野町役場のあたりまでそぞろ歩きして、「とんぼのめがね」の碑を発見する。

時間になったので駅まで戻ってみると、再び風が強くなったため広野から先の3区間で徐行運転との情報が入る。
 682Mは27分遅れの12時12分に入線する。701系2連(F2-104編成)で、座席は全て埋まり、立ち客も多い。久ノ浜では「スーパーひたち15号」との交換のためしばらく停車する。

 交換待ちの間にGET

四ツ倉には12時25分の到着。バス停のところまで行ったが、ちょうどいいバスは無く、付近のローソンで調達した焼きそばなどで昼食にする。

 長い木造駅舎

 684M(457系S31+S71)が10分遅れにとどまったことで、磐越東線で帰れる目処がついた。いわきで快速あぶくま(キハ111-104+キハ112-204)に乗り継ぐ。磐越東線を列車で辿るのは12年半ぶりだ。(ただ、大学の学部生時代に友人とクルマで磐越東線の全駅を訪問したことがある。)

 改築後初訪問。付近の道は凍っていた。

 船引駅再訪後、741D(キハ111-202+キハ112-202)、1229M(455系S16編成)、233D(キハ110-213+キハ110-224+キハ110-215)で新津に帰った。

おわり
 

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常磐線(その3-2)~爆弾低気圧にやられて〈後編〉~

2007-07-04 23:33:10 | 常磐線
12時35分にようやく、茨城県最後の駅・大津港に降り立った。


大津港では1時間滞在。国道6号を越えて散策してみたが、常磐線は少し内陸を走っていて、海岸までもう少しのところでタイムアップとなった。

このあたりからいわき以南も乱れ始める。大津港から乗った359M(415系K626+K804)は、2~3分遅れて運転し、勿来到着時に少し勿体ぶったような停まり方をした。これから運転規制か何かありそうな感じだ。


勿来駅は、関所を意識したつくりで、東北の駅100選に選定されている。勿来の関跡まで3km離れている。

359Mが行った後、駅のホワイトボードを見ると、次の列車が43分遅れているとのこと。駅前の地図を見ると、1時間程度で植田まで歩いて行けそうなので、思い切って駅間徒歩にかけてみる。鮫川を渡る時に常磐線が見えたが、運転されている気配は無かった。


植田駅には14時45分頃に到着したが、そこで私を待っていたのは「運転見合わせ」の案内だった。しばらくして、「14時44分発」の案内が出て、一安心。とりあえず泉には進める。

植田14時44分発と思われるいわき行き列車(415系K504+K808)は、入線アナウンスから5分以上後の15時27分に、「徐行」で入線してきた。これで泉まで歩を進めるが、「通常」の速度で丘陵地帯を越える。

 この日の乗り継ぎは、泉にて事実上終了した。

お決まりの通り、駅舎撮影し中に入ると、「スーパーひたち27号」が入線してきた。しかし、風が強くなり、再度運転見合わせに。看板が飛ぶような風では、列車なぞ運転できるはずがない。16時12分にいわき駅前行きの路線バスがあったが、あと1駅行きたいという思いが強かったのか、湯本駅までタクシーを走らせた。


2380円の「追加料金」を払い、明るいうちに湯本駅にたどり着いた。駅構内に足湯あり。「シャボン玉」が発メロとして採用されている。

 湯本駅に入ると、待合室は人で一杯で私の居場所が無い。湯本温泉でゆっくりしてこれから東京方面に帰る人が多いだろうが、彼らはいつ帰れるかわからず不安になっているに違いない。情報によると、高萩から先が停電で全く動いていない状態だ。爆弾低気圧に起因する強風の影響に他ならない。駅員は対応に追われていた。とても「シャボン玉」どころではない。
 小一時間時間を潰したが、状況が変わらない。それどころか、JR職員であろう者が「他の交通機関をご利用ください」と案内する始末。さすがに常磐線で移動することは諦め、いわき駅までバスで行くことに。17時39分頃にバスがやってきた。18時2分頃にいわき駅前に到着し、東横インにチェックインした。湯本駅からいわき駅前までは、バスだと380円で行けた。
 夕食は鮟鱇鍋にありつけず、コンビニの弁当にした。

つづく
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常磐線(その3-1)~爆弾低気圧にやられて〈前編〉~

2007-07-03 22:44:44 | 常磐線
 高萩駅等訪問から4ヶ月あまり。年が明けた2007年1月7日日曜日。新津駅0時6分発のMLえちご新宿ゆき(485系K1)で旅立つ。この冬はエルニーニョ現象の影響で、日本海側は雪が少なく、太平洋側は晴れが続かない。これもあって、上越線内でも極めて順調に動いていた。
 池袋到着後、山手線内回り電車(471G)で上野に出て、水戸~日立間の乗車券・特急券を買い、いわき行きの325M(415系K535+K809)のボックス席に座る。


水戸までお世話になったK809編成。325Mは、2007年2月17日までにはE531系と化し、更に3月18日改正では水戸止まりとなった。

水戸から日立までは「スーパーひたち3号」(651系K107)を利用し、日立からは323M(415系K506+K806)で小木津を訪問する。


この駅に急いだのは、1番線の「明日は咲こう花咲こう」、2番線の「いつまでも夢を」を録音するためだ。この時点でも結構風があった。


小木津で28分滞在した後、368M(415系K806+K506)で日立に戻り、1,2番線の「寒い朝」を録音する。ここまでは予定通りだったが…。

駅舎を撮影して改札に入ろうとすると、にわかには信じがたい放送が流れてきた。「(前略)本日、いわきからの電車が運休した関係で、折り返し水戸からの9時44分発のいわき行きは本日は運転をとりやめております。運休とさせていただきます。(中略)ただいま1番線に到着いたしました電車はスーパーひたち7号、特急の仙台行きです。なお、現在のところいわきまでの運転となります。本日、いわき以北、仙台方面は、強風の影響によりまして、運転中止区間が3箇所ございます。…」
要するに、635Mは運休で、次に南中郷以北に行ける普通列車は10時33分発である。また、いわき以北は強風の影響で運転不能であり、日立から仙台方面へは、上野、小山、郡山からの新幹線を利用するようにとの事である。


日立で待機していると、415系が次々とやってくる。(写真はK518編成など=クハ401-53以下11連)

時間があったので、海岸口駅舎にも出てみた。

日立10時33分発の637M(415系K521)は定刻に運転され、ようやく高萩以北に踏み出せた。

南中郷駅はM41築の木造駅舎。上下線とも発メロは「水の冠」。


南中郷で33分滞在した後、2737M(415系K528)で磯原に進む。ほか弁を買い、ホーム上のベンチで昼食にしたが、この時点でもかなりの強風で、食べるのに一苦労だった。童謡「七つの子」がそのままの形で発メロに採用されている。

磯原で59分滞在した後、351M(415系K541+K811)乗車時に「七つの子」を録音し、大津港に進んだ。

つづく
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