先日は失礼しました。因美線駅巡りに戻りましょう。
前回はこちら
山陽本線957Mは、10時26分に相生駅2番乗り場に到着。3番乗り場に岡山方面行きの普通列車が接続しており、「18きっぷ」のシーズンを中心にダッシュが見られそうですが、私はここで下車します。1番乗り場はあまり使われなさそうです。
階段を上がると、正面に新幹線の改札があります。改札を出るには左折しなければなりません。ま、山陽新幹線の相生駅は退避のためにもうけられたもので、岡山終着の「ひかり」や「こだま」しか停車しません。
改札を出ると、神戸線で人身事故のお知らせが。早く抜けておいてよかった。で、改札の左手には「みどりの窓口」があり、営業時間は6:00〜21:00です。右手にはデイリーインがあります。
改札から北方に行くとすぐに待合スペースがあり、トイレが隣接しています。で、待合スペースにはベーロン祭の模型があり、肝心のベーロン祭は毎年5月の最終日曜とその前日に開催されます。
で、北口に出ました。如何にも山陽新幹線の駅らしいつくりで、2階が出入り口になっています。駅前を国道2号が通っています。
ペデストリアンデッキを渡ると、東進衛星予備校が目に入ってきました。近くのローソンで夕食用のパンなどを購入しました。
再び自由通路を通って南口に出ました。如何にも在来線の駅らしい駅舎ですが、山陽新幹線開業時に建てられた白亜のコンクリート駅舎です。エレベーターは後年取り付けられたものと思われます。
駅前広場は平成15年3月に整備されました。で、その駅前広場には錨のモニュメントがあります。女子学生がたむろしていたので、詳細は分かりませんでした。
それでは駅前の様子を。駅舎に相対して東横インがあります。港町の雰囲気が漂ってきますが、最寄りの那波港へは1.5km、相生港へは3km離れています。
そろそろ出発の時間となりました。11時6分発の山陽本線305M(115系A01編成)に乗車して上郡に向かいます。JR西日本の単色化政策により黄一色になっています。
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土山駅から715Kに乗車しましたが、後の接続が悪いため、加古川から新快速3207M(223系W15編成+V19編成)で急ぎます。姫路到着後、6分の待ち合わせで955M(223系V57編成)に乗り継ぎました。
9時49分に網干駅に到着。ある理由により快速、新快速の半数近くがここを始終着としており、2面3線の横に側線が3本ほどあります。
階段を上がって改札を出ました。4台の自動改札の右手にKIOSKがあります。トイレは改札内に。
その左手は「みどりの窓口」、券売機と並んでいます。窓口営業時間は5:30〜23:00です。
それでは駅舎撮影。昭和53年3月築の橋上駅舎で、国鉄時代を色濃く残す建築です。エレベーターは最近取り付けられたものと思われます。階段が1本しかない上に作業していたので、地上に下りるのに難儀しました。
駅前の様子。駅舎正面にはビルがあり、ファミリーマートやレオパレス21などが入っています。周辺は古くからの住宅地です。駅前はロータリーではなく公道なので、雑然としていて危険この上ないです。
再び改札前を通って南口に出ました。後年設けられた入口のようで、エレベーターと階段1本ずつあります。隣接する北沢網干パーキングの存在が目立ちすぎです。
その北沢網干パーキングの敷地内の一角に、DB2形ディーゼル機関車が保存されています。
では、駅前の様子を。件のパーキングの目の前に兵庫信金があります。真っ直ぐ道が伸びており、住宅地が続いています。駅スタンプの表題になっている魚吹八幡神社は、2.6kmくらい離れています。
30分弱滞在した後、10時17分発の959M(223系V22編成)で更に西に進みます。出発するとすぐに、網干総合車両所の脇を通過しました。
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先日は失礼しました。西日本の旅に戻りましょう。
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魚住駅8時40分発の711K(223系W5編成+V59編成)に乗車して1駅進みます。
8時43分に土山駅に到着。退避可能駅で、2面3線の構内を有します。
コンコースに上がり、改札を出ました。4台の自動改札の横に「みどりの窓口」があります。トイレは改札内の南側にあります。Daily inがラッチ内の大部分を占めています。
さて、北口に出ました。平成15年12月供用開始の橋上駅舎です。左側が階段、右側がエスカレーターで、エレベーターが左寄りにあります。少しだけ、弥生時代の高床式住宅に見えなくないですか。それにしても、駅前ロータリーがないので全貌は入りません。
上階からですが駅前の様子を。旧駅舎のあった所で、商店街が続いています。
再び自由通路を通って南口に出ました。中央にエレベーターがあり、左側に1箇所、右側に2箇所階段があり、階下にトイレがあります。駅前ロータリーがあり、全貌が撮影出来ます。
相変わらず上階から駅前の様子を。駅前ロータリー中心部に高床式住宅のモニュメントがあり、近くにははりま病院があります。土山駅南口はメディカルタウンになっています。
ロータリー縁を拡大。弥生時代中期〜古墳時代の遺跡である大中遺跡まで1.1kmで、ガードレールが勾玉です。勾玉といえば、玉造温泉を連想しますが。
大中遺跡には兵庫県立考古博物館がありますが、今回は行く時間はありません。9時12分発の715K(221系B10編成+B5編成)に乗車して次なる駅を目指しました。
つづく
話が変わりますが、先日、政府は大飯原発の再稼動を要請しました。私も再稼動に賛成ですが、関西電力の筆頭株主である大阪市をはじめ、地元住民や自治体が強固に反対しており、おいそれと動かせない状況です。5月5日に北海道電力の泊原発が定期検査に入れば、日本の稼働中の原発はゼロになります。もし、この状況が続いて夏場を迎えるようなことがあれば、原発依存度が高い関西地区では、ピーク時に最大18.4%の電力が不足し(2012年4月17日 日本経済新聞)、節電が求められるのみならず、京阪神地区で計画停電や節電運休の措置がとられる恐れがあります。関電管内の橋上駅舎では、エスカレーターの使用停止が行なわれる可能性もあります。関西にお住まいの方や旅行される方はくれぐれもご注意下さい。
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これより、2011年10月8日〜10日の乗り継ぎ旅行の模様をお伝えします。諸事情によりUPが半年遅れましたが、急行きたぐにが定期列車であった頃の旅をお楽しみ下さい。今回は因美線の駅を巡る予定でした。紀伊半島に甚大な被害をもたらした台風12号で美作河井〜那岐で土砂崩れが発生しましたが、1週間ほどで復旧したということで実行と相成りました。
2011年10月7日夜。この日も勤務でしたが、自転車で新津駅に行き、23時13分発の急行きたぐに(583系B5編成)で出発。新潟駅で接続した越後線の列車が遅れていたので、6分遅れで新津駅を発車。
指定された寝台は「9号車8番上段」。寝台が高さが68cmと狭いので一度寝ると起き上がるのが難しく、旅行中はずっと首の痛みに悩まされました。
定刻6時49分に大阪駅4番乗り場に到着。この時から「きたぐに」の先頭部は撮影会状態でした。彼らもこの後起こる臨時列車化を予見したのかもしれません。
11番乗り場で駅弁を購入し、7時6分発の707Kに乗車しました。223系W39編成+V4編成の12連でしたが、補助席にやっと座れるか座れないかぐらいの乗車率。それでも、持参のパンで朝食タイム。この旅行記の題は「因美線全駅下車の旅」ですが、その前段として山陽本線の駅を幾つか巡ってきました。
8時11分に魚住駅に到着。上り列車に被られましたが、対面式ホーム2面2線の構内です。
コンコースに上がり、改札を出ました。4台の自動改札の右に「みどりの窓口」があり、営業時間は8:00〜20:00です。トイレは改札内にあります。通路に相対して、Daily inn(コンビニ)とDans Marche(パン屋)があります。
さて、南口に出ました。平成21年3月に供用開始した橋上駅舎で、茶系にまとめられています。階下にトイレがあります。駅前ロータリーが駅舎の右側に隣接する珍しいパターンです。
駅前の様子。付近にデイリーがあります。ロータリーのすぐ南を山陽新幹線が通過し、タイミングがよければ500系、700系、N700系が見れます。ロータリーにはTacoバスが2台止まっていますが、いずれも愛くるしい姿です。尚、周辺は住宅地で、明石工業高専が近いです。
再び自由通路を通り、北口に出ました。駅舎の正面にロータリーがあり、中央にエレベーターが配置され、左右に階段ないしエスカレーターが伸びる橋上駅舎らしい形状です。こちらにも階下にトイレがあります。尚、右手にはセブンイレブンがあります。
駅前の様子を。駅舎の向かいに魚住モールがあり、コープが入っています。丘陵地になっており、駅前道路は上り坂となっています。付近には鴨陽池があります。
駅前ロータリーには「一バンボシミツケタ アレ アノモリノスギノキノウエニ」のモニュメントがあります。スイッチをいじれば、実際に音声が流れるらしいです。
魚住駅のスタンプの表題は「ぼたんの寺、薬師院」。で、肝心の寺院はどこにあるのだろう。
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16時31分に三石駅に到着。島式ホームの1面2線の他に、上下に1本ずつ側線があります。

地下道を通り、改札を出ました。大昔に運転されていたと思われる団体列車のHMが飾られています。窓口営業時間は、7:00〜18:00(休み3回)です。

いよいよ駅舎に出ました。大正10年2月築の木造駅舎が健在ですが、駅前広場がなく全貌を撮影することが出来ません。その代わり、駅舎につながる階段の脇のツツジが満開で、素晴しい絵が出来ました
。
折角なので、悔いの残らぬよう周辺散策します。この付近は煉瓦工場の多いところです。

とは別の工場の敷地脇から。GW中なので稼動していませんが、焼成前の白い煉瓦がしこたま積み上げられています。製品になる前の煉瓦を見たのは生まれて初めてです。
煉瓦工場が一段落するところに三石(明)神社があります。孕石神社ともいい、不妊治療や安産祈願のための神社なのです。境内にある石を持ち帰り寝室に飾ると、子宝に恵まれるといわれています。男性である私が参拝してよかったのかな。

神社を訪問してもなお南西方向に歩を進めます。静かな通りに古い町並みが形成されています。このあたりは三石城址への入口ですが、1時間以内では行ってこれそうにないので止めておきます。

駅から20分ほど歩いて金剛川の橋に出ました。「広島 204km 和気 12km」との標識を見つけたので、今まで辿ってきた道は、実は旧国道2号だったのです。正面に見える品川三石鉱山が大きくなってきました。
入線音の録音を決め、17時26分発の1326M(115系D23編成+D19編成)に乗車して三石を後にしました。上郡の木造駅舎は未だに解体されていませんでしたが、工事が大分進んでおり、予断を許さない状況でした。
18時10分に姫路駅に到着。速攻で新快速3296M(223系V17編成+W34編成)への乗り継ぎを決め、三ノ宮へ急ぎます。車窓から見えた明石海峡大橋は長い光の帯が形成されており、翌日の神戸新聞の朝刊によると、徳島まで66kmの大渋滞になったそうです。麻生内閣の経済政策のおかげもあろうが、この日に徳島から神戸まで高速バスを利用していたら、5時間かかっても垂水にも辿り着けなかったでしょう。
18時51分に三ノ宮駅に到着。今夜は東横イン神戸三ノ宮2にチェックインします。夕食は明石焼きとたこ飯でした。入浴後、御前酒で打ち上げしました。
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15時20分に和気駅2番乗り場に到着。岡山からの普通列車の約半数がここで折り返すということで、2面3線の横に側線が2本ある構内です。

「岡山・倉敷ゾーン」の東端まであと1駅なので、駅員に切符をじっくり拝見されて改札を出ました。昭和37年8月築の細長い駅舎です。窓口営業時間は6:30〜20:00です。

25分の滞在時間を利用して周辺散策。駅前の道路をまっすぐ行くと、金剛川の堤防に突き当たり、面白い山が聳えていました。

西側に振り返ってみれば、平成3年に廃止された片上鉄道の鉄橋が見えます。現在は、片鉄ロマン街道というサイクリングロードの橋となっています。
急に
になったので、早々と駅に戻り、15時45分発の1320M(115系B01編成)にて吉永駅に向かいました。
15時50分に吉永駅に到着。大正15年4月築の駅舎が現役です。窓口営業時間は5:30〜22:30(休み10回)ですが、ちょうど駅員のいない時間帯でそのまま出場しました。改札機は、ローカル駅によくある、ただ印字するだけのタイプです。

この駅で折り返す列車も存在するので、2面3線+側線1本の構内を有しています。駅裏は備前市立吉永病院です。

駅前の公園のモニュメント。江戸時代の貨幣を表しています。何か理由があるのでしょうか。

吉永での滞在時間は35分。例によって周辺散策。駅前通をまっすぐ行くと、古い町並みに出ます。小看板といい、まるで30年以上も前にタイムスリップしたかのようです。

時間が近くなったのでホームに上がります。1番乗り場には、閑谷学校の案内が出ています。駅から3.5kmですが、バスが通じておらず、タクシーか自家用車(レンタカー含む)で行くことになります。紅葉の名所のようです。

一方、2,3番乗り場には八塔寺の案内があります。駅から
で30分ですが、1日4〜5本のバスが出ており、時間帯さえ良ければ利用可能です(片道690円)。ここもまた紅葉の名所のようで、純日本的な集落が広がっているようです。ここで「ゾーン券」の利用を終了し、「かえり券」利用開始です。16時22分発の1322M(115系K03編成)に乗車して姫路方面へ進みますが、3分くらい遅れていました。
つづく
12時57分に岡山駅10番乗り場に到着し、さるうどん定食で昼食タイム。土産用のきび団子を購入し、13時50分発の山陽本線718M(103系H19編成)より帰路に就きます。3番乗り場からの発車でしたが、直前に「やくも14号」が到着して客を下ろして入換したので、発車の1,2分前の入線でハラハラさせられました。

14時3分に上道駅に到着。昭和61年11月開業の駅で、対面式ホームは山陽本線で最狭の部類でないでしょうか。

1度もリニューアルされていないようで、バリアフリー設備の無い橋上駅舎です。窓口は2Fにあり、営業時間は7:15〜18:30(休み4回)です。

南口は国道250号に沿っており、眼前にローソンがあり、道沿いには多くの店舗があります。また、周辺はアパートが多く、この時も若者の下車が多かったです。

北口の様子。新幹線の高架をくぐって駅舎に入る構造です。

北口は長閑な田園地帯となっています。南口とのギャップが面白い駅でした。

時間になったのでホームに入ると、115系K02編成(469M)が入ってきました。その発車直後に到着した、14時25分発の1318M(115系A13編成)に乗車して上道を後にしました。

14時30分に瀬戸駅に到着。2面3線の構内を有し、この駅で折り返す普通列車も存在します。

改札を抜けて駅舎に出ました。昭和13年3月改築の木造駅舎です。窓口営業時間は5:05〜24:00です。尚、隣接のトイレは昭和48年3月築です。

駅施設脇の様子。見事なまでのツツジとサツキとの組み合わせ

。改めて申し上げますが、この時期だけの光景です。
駅前の様子。石橋を渡ると、最初の信号まで古い町並みが見られます。しばらく行くと、税務署や銀行などがあります。
ふじうらというスーパーで缶コーヒーなどを購入し、15時7分発の720M(115系D06編成)で終点・和気駅へ進みます。
つづく
参考サイト さいきの駅舎訪問

改札を抜けて駅舎に出ました。大正13年3月築の木造駅舎が健在で、松の木がいいアクセントになっています。窓口営業時間は6:50〜20:00(休み4回)です。左隣には浅口市営駐車場があります。
鴨方駅には1999年8月に下車したことがありますが、橋上駅舎への改築が計画されているので今回の再訪に踏み切りました。駅前は古くからの住宅地ですが、駅裏には国道2号が通り、大型スーパー等が立ち並び相当賑やかな立地条件になったからに違いありません。

少し早めに改札をくぐり、ホームでおやつタイム。464Mの発車直後に入ってきた、16時14分発の473M(115系D10編成)にて里庄駅へ移動しました。

16時18分に里庄駅に到着。昭和41年3月築の、後期国鉄標準様式の細長い駅舎です。駅前は狭く、どうしてもアーケードが入ってしまいます。窓口営業時間は6:45〜19:30(休み3回)です。付近にある金光教里庄教会にて大祭を次週に控えており、このような大きな横断幕が掲げられていました。

駅入口には国鉄電化3000km達成記念碑があります。昭和36年10月に山陽本線の大阪〜三原の電化が完成し、当駅西方の新庄地点で累計3000kmとなり、昭和55年2月にこの碑が建てられました。

広島方の陸橋から構内を見渡してみました。2面3線の横に貨物用の待避線があります。橋の向こうにはニュータウンが広がっています。
1番乗り場の「百万本のバラ」、3番乗り場の「いい日旅立ち」の入線メロディーを其々録音し、16時56分発の360M(115系ヒロL09編成)にて岡山へ戻りました。新倉敷にて快速「サンライナー」を先行させましたが…。

倉敷で先行した特急「やくも22号」の遅延の関係で、我が360Mは3分遅れの17時49分に岡山駅4番乗り場に到着しました。周遊きっぷの範囲内なので、岡山電軌鉄道を完乗しちゃいましょう。

18時発の電車(8501)に乗車して2系統から攻略。2つ目の停留所・柳橋から右折して終点・清輝橋までまっすぐ。途中の停留所の近くに飲食店があったっけ。岡山駅前から10分で清輝橋電停に到着。女性運転士が乗務していました。

電停名になった清輝橋です。ほんの小さな橋ですが、可也年季が入っていそうです。
清輝橋付近には適当な飲食店が無く、22分発の電車(8101)で柳川に折り返し、1系統の電車(8201)に乗り継いでもう1つの終点・東山へ。

東山電停に到着したのは18時47分。これにて岡山電軌鉄道を完乗しました
。腹が減っているし周辺に飲食店が無いので、50分発の電車(8501)で引き返しました。19時6分に岡山駅前に到着し、駅前のうどんチェーン・kondoyaで夕食。入浴後、嘉菱心で打ち上げ。
3日目の模様はこちら
参考サイト さいきの駅舎訪問
津山線全駅下車達成の模様はこちら
津山線953Dは、14時5分頃に岡山駅9番乗り場に到着。大急ぎで、1番乗り場に停車していた、14時10分発の山陽本線467M(213系C5編成+C4編成)に乗り継いで岡山県西部の駅巡り開始です。

14時31分に西阿知駅に到着。複線間に挟まれた、可也広めの島式ホームの脇に側線が1本ずつあります。
地下道を通り、駅舎に出ました。大正9年5月の開業時からの木造駅舎が健在で、KIOSKが併設されています。窓口営業時間は7:00〜11:00、15:30〜20:45です。
駅前公園のモニュメント。他にも面白い像がたくさんあります。
付近のハピーマートで缶コーヒー5本と御前酒を購入し、15時1分発の469M(115系K03編成)にて金光駅を目指しました。
15時12分に金光駅に到着。明治35年3月築の木造駅舎が健在で、KIOSKも併設されています。窓口営業時間は、6:50〜20:00(休み3回)です。
駅舎撮影を終えると、陸橋を渡って金光教本部へGO

あの大きな神社みたいな建物が金光教本部と思われます。予備知識が無ければ、普通の閑静な住宅地と思うでしょう。
交差点を右折して南口に出ました。でも、開かれるのは、金光教の大きな行事があり多くの人出が見込まれる時期だけで、普段は閉鎖されています。
構内が見える場所にやってきました。申し遅れましたが、金光駅の構内は3面4線(南側の1面は撤去済み)ですが、4番乗り場は団体列車の発着しか利用されません。12両編成は余裕で入れそうな長いホームです。満開のツツジと絡んで最高の絵になりました
。
金光での滞在時間も30分なので、本部へは行かずに駅に戻り、15時42分発の471M(103系H18編成)に乗車しました。
15時45分に鴨方駅に到着。もともと2面3線でしたが、山陽新幹線の開通などによって副本線が撤去され、2面2線となっています。
つづく
参考サイト さいきの駅舎訪問

付近に古い町並みがあるということで、国鉄後期標準型の駅舎を有しており、みどりの窓口と駅そば屋も併設されています。悪天候もあって、1/20秒という厳しい条件での撮影を強いられました。

駅前の道路を真っ直ぐ行くと国道2号と交差し、下関競艇の大きな建物が見えます。埴生といい、長府といい、ギャンブル地帯ですね。周辺には飲食店が多く立ち並んでますが、入店すると本日の駅巡りが終わるので、ここは我慢です。尚、下関方にはブリジストンなどの大きな工場が点在します。ここでようやく雨が上がりました。

最後に駅構内です。もともと2面4線の構内を有していましたが、下り副本線(2番のりば)と上り副本線(4番のりば)が其々断ち切られており、実質2面2線です。2,3番のりばの島から4番のりばに向かう跨線橋は閉鎖されています。
撮影条件が厳しくなりましたが、17時33分発の3565M(117系C104編成)にて次なる下車駅へ。時間帯が時間帯だけに、大分混雑してきました。

17時43分に幡生駅に到着です。山陰本線との合流駅ということで2面4線の構内+中線1本を有しており、山陽本線の列車は1,4番乗り場から発着します。

日が落ちないうちに駅舎撮影。1/10秒という極めて厳しい条件でしたが、ちゃんとモノになりました。木造駅舎が現役で、キオスクも併設されています。窓口営業時間は7:05〜20:00です。山陰本線の強風の影響もあって、18時過ぎまでこの軽自動車が居座ってました。
付近には下関車両センターがあります。また、時間帯が時間帯だけにスーツ姿のサラリーマンと多数すれ違います。
辺りはすっかり暗くなり、ダイヤ改正の準備が進む待合室で待機し、18時15分発の3657M(105系U05編成+101編成)に乗車。18時20分に「はやぶさ&富士」関連で賑わい始めた下関に到着し、255Mに乗り継いで九州に渡ります。しかし、東郷〜赤間間の人身事故の影響により鹿児島線のダイヤが乱れており、充当編成となる415系FJ119編成は18時38分にやっと入線し、3分遅れで九州に渡れました。

18時47分に門司駅に到着。5、6番乗り場には多数の「同業者」や報道陣が待ち構えておりますが、「はやぶさ」のみならず「富士」も来ません。
チェックインの時間もあるので、19時18分発の629H(817系V107編成)にて小倉へ。しかし、小倉駅手前の場内信号で5分も止められます。その間、無情にも寝台特急はやぶさ号が通過していきました。
19時28分にようやく小倉駅に到着。上等かしわめしを買い改札を出ようとした途端、電光掲示板に「寝台特急富士」の表示を見つけました。これはもう、行くしかありません。

ほどなくして「富士」が入線。これが正真正銘、最後の東京行きです。

機関車付近のこの通り。最終日にスッキリ納めるのは土台無理です。ヘッドライトの光線で幻想的な姿に仕上がっています。門司までの牽引機はED76 94。
最後尾はご覧の通り。当然ながら、老若男女を問わず、
で納める者は数あまた。
乗客が持ち込んだ張り紙。「富士」が優等列車の愛称に再び使われることはあるのでしょうか。
上り「富士」の最終便をとことん味わった後、ようやく初日の行路を終えました。改札を出て東横イン小倉駅南口に向かっているさなか、ED76の汽笛が聞こえ、「富士」は門司へと向かいました。
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