『名も無く豊かに元気で面白く』

読んだ本、ニュース、新聞、雑誌の論点整理、備忘録として始めました。浅学非才の身ながら、お役に立てれば幸いです。

人生100年時代、なぜ「ジャネーの法則」後半生は瞬く間に過ぎるのか

2024-05-01 05:28:58 | 日記
後半の人生。そもそも私たちにはどれくらいの時間が残されているのでしょうか。
人生100年時代だとすると、50歳ならあと50年? 平均寿命で考えると、50歳ならあと30年?
いずれの答えも間違いです。実際には、そんなにまとまった時間は残されていません。
なぜ? 健康寿命はもっと短いから? 確かにそれも一理ありますが、もっと端的な理由は、認識できる時間の速度が後半生になるにつれ加速度的に速くなるからです。これまで感じてきた50年分の時間感覚と、これからの50年の時間感覚はおそらくまったく違うものになるはずです。
なぜでしょうか。歳を取れば取るほど、なぜ、1年があっという間に感じられるのでしょうか。
次のような論理があります。
「歳を取ると未経験のことが減るから、その分、時間を短く感じる」というもので、「ジャネーの法則」と呼ばれるそうです。
つまり、1歳のときに感じる時間の流れはそのまま1年分であり、2歳のときに感じた1年は、2年間の人生の内の半分なので2分の1に感じる。3歳のときは2歳までに経験したことに対し、新しい1年は3分の1になるので、感じる時間は3分の1になる……というわけです。ですから100歳まで生きるとしたら、人生全体の体感時間は、
1 + 1/2 + 1/3 + 1/4 + …… + 1/99 + 1/100
になるということです。
40代の頃、実際にこの算式を計算してみました。
さて、いかがでしょう。40歳時の体感時間はどのくらいの数字になると思いますか。前述の式を、100歳をゴールにして合計します。その値は5.2。そして40歳までの合計の数値は4.3でした。なんと人生の約83%(=4.3/5.2)がすでに終わっていることになるのです! しかも、50歳時点では87%終了です。
この思考実験からは、2つの学びがありました。
1つ目は、「時間は大切な希少資源だ」というシンプルな教えです。流されて生きていれば、人生の残り時間はあっという間に終わってしまうということです。
2つ目は、この計算式を逆手にとればいい、という考え方。というのも、この式は(この算式の根本的な弱点ですが……)、41歳時の1年を、41分の1とみなします。つまり、40年の延長と繰り返しで41歳を捉えている。いわば、「新鮮な体験はその程度だよ」というわけです。
ですから、41歳で未知の体験にいくつも挑戦すれば、1年が単なる41分の1ではなく、あらためて「1」に近づくような1年にできるかもしれません。
1歳の赤ん坊のような気持ちで41歳の日々を生きてみるのです。「なんだろう?」とすべてをゼロから眺めてみるのです。ちょっと極端な言い方になりましたが、「1年毎に新しい経験をして、新鮮な時間を生きる」ことで、生きる時間が増えるわけです。新たなチャレンジが、生きるうえでどれだけ大事か。 
後半生の戦略とは、時間の「配分」と「運用」。そこから始まるのです。 
これまでの延長線上での「やるべき事」ではなく、「やりたい事」に積極的に時間(資源)を配分しなければ、あっという間に後半生は終わってしまいます。自分が最もやりたい事は何かを見極め、そこに強制的に時間配分を行う――そんなストラテジー思考が必要になるのです。
かつてアメリカの心理学者フレデリック・ハーズバーグ(1923〜2000)は、「二要因理論」という説を展開しました。二要因理論では、人間の満足や不満足には2つの大きな要因があるとされます。1つ目は「衛生要因」、2つ目は「動機付け要因」です。
衛生要因とは、作業条件や給与、対人関係といった、それが整ってなければ不満足を招く要因を指します。一方、動機付け要因とは、達成感、自己成長、承認といった、やる気やモチベーションにつながる満足を招く要因のことです。
相転移の機を迎えた私たちが注目するべきは後者、動機付け要因のほうです。統合を迎える人生の段階では「目に見えないもの」、すなわち充実を感じられることに対して、より積極的に希少資源である時間を配分していくべきなのです。
インターネット・ビジネスそのものを知らなかったことです。より正確に言えば、「知った気になっていた」ことでした。時代の風潮に流され、ただなんとなくのイメージだけで捉え、よくよく調べもせずに飛び込んでしまったのです。
インターネット自体は非常に大きな革新であり、可能性の宝庫であったのは言うまでもありません。見誤ったのは、その領域で実際に生計を立てていく自分自身です。もっと熟考し、もっと想像力を駆使して、インターネット・ビジネスの専門家として自分が何を目指しどこまで行こうとしているのかを考え抜く必要がありました。そうすれば、時代に踊らされる前に、
「興味が持続するかな?」と自分自身にブレーキをかけられたことでしょう。
冷静に考えてみれば、実際そこまで興味がありませんでした。そればかりでなく、インターネット・ビジネスに活かせる強みも持っていませんでした。理系出身ですが、情報、通信、ソフトウェアといった領域は苦手で、そもそも関心が薄い。興味を引かれるのは半導体や粒子といったハードウェア領域で、それらの知識やセンスは、インターネットの世界ではほとんど必要がなかったのです。
ネットの世界はかっこいい。ベンチャーも今どきだ。「君の力を活かしてみないか」と誘われている。自分は理系だから大丈夫――そんな甘い考えで、根拠のない空気に流され、失敗したのです。
「自分は自分を知らなすぎた……」
言うなれば、自分の資産を知らなすぎました。必要なのは、自分資産の棚卸しでした。

後半生の戦略とは、時間の「配分」と「運用」。そこから始まるのです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする