新 ・ 渓 飲 渓 食 時 々 釣 り

魚止滝のずっと手前で竿をほっぽり
ザックの中身をガサガサまさぐる男の日記

乗り鉄ひとり旅も楽しんでいます

GW前 新東名で興津川へ

2012-04-22 10:18:51 | 渓流釣り 山歩き

 

久しぶりに会うガリガリ君は、仕事も車も変わっていたぞ。なんでも腰に悪い夜のお仕事をしているそうだぞ。その車に乗っかって初めての新東名に連れてってもらったぞ。SAもPAも車が溢れており、あれじゃあシッ〇も〇ンコも我慢しきれずにお漏らししちゃう人は絶対にいるぞ。それにしてもこんなにも不気味な富士山は始めてみたぞ。

天気が良ければテンカラ釣りを楽しみたかったが、生憎の予報だったので誰も竿を持っていないぞ。

見覚えのある徳利型の建物が見えると少し上流へ移動だぞ。川原におりると川をのぞくのは釣り師のサガだが、まずはシッ〇するガリガリ君だぞ。なんとなく川下にいるのが嫌だぞ。 

 

この駄菓子屋はドライブで一番の楽しみだぞ。寒い時期にはおでんがあり駄菓子以外にも楽しめるお店だぞ。しかもビールもワンカップも置いてあっちゃってるものだから、これは呑むしかありゃしないぞ。「今日は仕込みが少なくてごめんね」とおばあちゃんも元気そうだぞ。竹の子の煮付け、らっきょうもいただいたがこれ以上にないほどの素朴な田舎の味付けが最高だぞ。わAさんはらっきょうが苦手で一個つまむとすぐに“しまった顔”になったぞ。僕はエシャーレっトものびるも玉葱も大嫌いだがらっきょうは好物だぞ。この店のおでんは薄出汁で食べる際に甘味噌にドボッと浸すのがよろしいそうだぞ。とても美味しかったので三人で完食したらおばあちゃんは喜んでくれたぞ。「最近は子供達が少なくなってねぇ・・・」と少し寂しげなおばあちゃんでもあったぞ。店奥でオヤジ三人が酒かっくらっていては来る客も来ないべさと少し申し訳のない気持ちになったぞ。次はかき氷と焼きそばを御馳走にまたお邪魔しますね。

 

五玉算盤を珍しそうに手に取るガリガリ君はまだまだガキンチョだぞ。オトナだったら間違いなくトニー谷の“あなたのお名前なんて~の?”ってなモノマネするぞ。算盤を縦に持ちジャカジャカするのがコツってぇもんだぞ。

食後、でっかい岩を見に行くが、それよりシッ〇が先の二人は情けないぞ。 

 

 

支流の沢はなかなかいい感じだぞ。アマゴとイワナが釣れるそうなので次は必ず竿を持ってくるぞ。

本流の上流部も見に行くぞ。このあたりが路線バスの終点だぞ。三面護岸されているのは過去に大きな災害に襲われた証なのだろう。岩の上に櫓がたっていた。

ガリガリ君が常連の宮原おとり店の主人と会い、しばし2人は鮎釣り談義に花を咲かせるぞ。カワウの腹を裂くとそりゃ臭せーとか、鮎が始まると渓流釣り師は少なくなるから狙い目だとか、真っ赤なアマゴの釣れる沢があると言った話を聞かせてくれたが、鮎釣りの話になると僕もわAさんもチンプンカンプンだったぞ。

この地はいつか電車と路線バスを乗り継いで、ふらりと訪れてみたいぞ。

 

 おでんだけでは腹はもたないぞ。近場には良い店もあるそうだが日曜は定休のようなので沼津港まで行っちゃおうと一致団結する三人は食いしん坊だぞ。天ぷら、刺身、鯵の干物、アサリバターを中途半端に食い、物足りずラーメン屋にも寄ったが無愛想なオヤジだったので美味かったがウマかったと言いたくなく店を出たぞ。

 

ガリガリ君は腰に悪い夜の仕事をしているのでそばし仮眠してもらい、起きるまで僕とわAさんは港をぶらぶら歩いたぞ。 でっかい水門があり入場料を払って(払わないで)上に上がったら・・・高かったぞ。

ブラブラは飽きたのでやっぱガリガリ君を起こして帰ったぞ。

なんか楽しい一日だったぞ。

 

  ガリガリ君、僕は真っ赤なアマゴが釣りたいぞ。

 


久しぶりの渓にて

2012-04-16 11:43:20 | 渓流釣り 山歩き

 

台風被害による世附の入山禁止が今年の解禁から解放された。2年前まではほぼ毎週見ていた車止めからの風景も、今日は清々しく思える。

最初の分岐を右折ししばらく歩くといつもの水場で休憩。ザックをおろし掌に受けた水を飲む。ぴゃあ~うまい!この時をどれだけ待ちわびたことだろう。

暗い杉林にひっそりと佇み、時には釣り師を驚かせた“狸様”の姿を探したが・・・残念ながら朽ち果てていた。

途中までの林道は以前よりも整備され、ガレは撤去されてはいたが、その先はいつまた崩落してもおかしくはない危険な個所も残っていた。林道には無数の石が転がり、雨風でへし折られた木枝が足に纏わり歩行を困難にさせる。ダム個はその役目をさぼり、流れをそのまま下流部へと落とすだけの高い建造物と化していた。

千鳥橋に到着。誰が言ったか“キムラハウス” 懐かしの小屋はそのまま残っていた。数年前に野営しながら皆で酒を呑み交わしたあの日を思い出す。ランタンと焚き火の炎・・・凍てつく冬の夜だった。

秋の紅葉も良いが、遠い空や山並み、山の桜、芽吹いた緑のこの季節が好きだ。

    

地蔵さまにたどり着く。わAさんにお賽銭を出してもらい手を合わせる。 あの頃と同じことをつぶやく・・・どうか無事に帰れますように。僕だけ釣れますようにっとね。

そのままの地蔵平の風景に安堵し渓におりる。思わず、「ただいま」と言いたくなるような懐かしい水の流れ。重いザックをおろし、久しぶりの風景の中で乾杯・・・沁みる味だった。アテはわAさんのおかあさんが卵の黄身で作ってくれた練りウニモドキ。やはり世附での時間はゆったりと流れるほうがいい。

 

いよいよ渓に立つ。今日は二人ともテンカラ釣りだ。流れは変わっていたがポイントは少なくない。

どの渓流で竿を振るよりも、ここには大きな喜びがある。が、喜びだけでは魚は釣れない。それでもポイントごと真剣に毛ばりを打つ。が、真剣だけでは魚は釣れない。まったく反応がないのだ。

右側の沢へ逃げるといきなり薮がきつくなった。すぐに「魚が走った!」と、わAさんの声。その少し後、待ちに待った瞬間がきた。毛ばりに食らいつき半円を描きながら水底へ潜ろうとした魚に、テイッとアワセを入れ、トリャッと抜き上げる。やった!久しぶりの再会だ。

魚体全てを写すと小ささがバレてしまうので顔だけ撮影。

直後、わAさんも今年の初モノを釣り上げ嬉しそうだ。そして、その喜びをも忘れさせてしまう一匹がわAさんの竿をでかくしならせた。詳しくは、わAさんのブログを読んでねっと。 

  

橋までやって来たが名前を忘れてしまったので、わAさんから大滝橋だと教えてもらう。どうも最近の僕は物忘れがはげしい。まったくもって脳ミソがピンボケだ。写真もこれ以上にないほどのピンボケになってしまった。ここまでの写真は故意にでも撮れないのでは?・・・そう考えれば、逆に凄いことだと思うべさ。

橋をくぐるとすぐに現れた堰堤。随分と前のことだが雨の日にこの場所で凄い経験をした覚えがある。あの日の堰堤下は深みをもたないただのタタキのポイントだった。飛沫と白泡の中に毛ばりを投げ入れるとすぐに丸太のように太い9寸ヤマメが竿をしならせた。その後も毛ばりを投げ入れるたびに同じサイズのヤマメが簡単に釣れてしまう。毛ばりを咥えそこね砂利石の陸地まで追いかけてきたヤマメを素手で捕まえたこともあった。そのすべての魚体のパーマークは薄く淡い色合いで、マリーローランサンの描く絵画の優しいタッチと似ていた。まさに入れ食いの喜びを知ったあの日であった。それも遠い過去の思い出、この日この堰堤下であの喜びを味わうことは出来なかった。 

入渓点までの帰り道、沢から排出された土砂が林道を塞ぐ光景と、堰堤より上流で数年前に首つり自殺があった話を思い出し、ちょびっと背筋が寒くなった。もしやこのピンボケ写真は・・・霊の悪戯か? きゃあぁぁぁぁぁ~

   

やっぱ世附はいいね!・・・わAさんと昼飯を食いながらつくづくと話す。しかしどうしたことかチビメの反応が一度たりとも無かったことが気にかかる。こんなことは初めてだ。林道の荒れようから上流部への放流は難しそうだし、監視の目が行き届くとも思えない。もしや世附が無法地帯になり下がるのでは? はたして渓流釣りの禁止を解除して良かったのか否か、世附はこれでいいのだろうか?・・・そんなことを考えてしまう一日でもあった。

 

追記

脳ミソピンボケの僕はこの日ジャンパーを林道途中で落としてしまいました。拾って地蔵さま近くのポールに掛けておいてくださった方、どうもありがとうございました。もしも、もしももしも、もしもしもしもこのブログを見てくださっていましたら御一報いただけると幸いです。

 


わさび栽培発祥の地 ・・・ 有東木

2012-04-10 10:44:22 | 旅行、食い歩き

 

8時48分静岡駅発梅ヶ島温泉行バスは数人程度の乗客を乗せて安倍川沿いをゆったりと走ります。10時に渡本という停留所で下車、山奥へとつづくうねった急坂の舗装路を歩き始めると早くも息が切れてきました。「箱根の七曲りか日光のいろは坂を歩いてるみたいだ、ヒィフゥ、山登りにきたわけじゃないんだから、ヒィフゥ、」と妻の愚痴が飛び出します。さらに見上げた山頂部に付いた道路を見つけ、「まさかあそこまで歩かせんじゃないでしょうね?」と今日の妻はちょびっと不機嫌です。車で来れば苦労せずも、電車とバスで来るにはとても辺鄙な目的地の名は有東木村。誰が言ったか『静岡のチベット』 そんな異名をもつ、それは山奥の集落なのです。

大きなおむすび型の岩、茶畑、ひょっこり姿を現したカモシカ、なんとも長閑な風景にどこか懐かしさを感じながら歩きつづけると、やっと有東木集落に到着。わさび栽培発祥の地の碑がありました。有東木の歴史は500年ほどだそうです。沢の源流に自生していたわさびを村人が湧水地に移植しそれが繁殖したことがわさび栽培の始まりだそうです。当時駿府城に隠居していた徳川家康がこのわさびの味を大変気に入り、わさびの葉が徳川の家紋である三葉葵の模様にも似ていたことから門外不出のご法度品として珍重されました。この有東木わさびが広まったのは伊豆から椎茸栽培を教えに来た男に村人がこっそりと弁当箱にしのばさせ持ち帰らせたことから天城地方にもわさび栽培が伝わったとされているそうです

沢沿いや湧水周辺のあちらこちらでわさびは栽培されています。山間の清らかな水は四季を通じて温度差が少なく適しているのです。有東木の始まりは、大阪の役で敗れ落人となった真田幸村の家臣がこの地に逃れ大樹のウロを住家とした。それにより地名を「うとろ木」 と名付け→うつろぎ→うとうぎ(有東木)と変化した説が有力だそうですが、今川、武田の時代に金の採掘目的で住み着いたものが村を拓いた説や、なかには大昔に泥の海だったこの地に白セキレイが舞い降りて尾をチョンチョンと動かし土地を固めていったなどの俗説もあるようです。この村に白鳥の姓が多いのはロマンを感じますね。

   

   

村を散策しましょう。山間の平坦な土地の少ないこの村にはそこかしこに石垣を見ることが出来ます。白髭神社は村の鎮守様です。樹齢750年を超える大杉に囲まれた神楽殿と社はまさに静寂の地。春秋に行われる祭典では雅やかな衣装をまとった村人の神楽の舞いを見ることが出来るそうです。・・・村の鎮守の神様の今日はめでたい御祭日どんどんひゃららぴーひゃららどんどんひゃららぴーひゃらら朝から聞こえる 笛太鼓・・・ こんな歌詞を思い出したのは何十年ぶりでしょうか。神楽殿の天井部に飾られた色とりどりの折り紙が春の風に揺れておりました。茶畑の農道を登ると風景がひらけました。バスを降り途中で見上げた山頂部の道を僕達は今歩いています。下界にのぞむ安倍川の流れ、そして有東木の集落を見降ろす素晴らしい風景に出合うことが出来ました。

   

    

   

腹が減りました。この集落には一軒だけ蕎麦屋があります。ツンと鼻を刺激するわさびの茎の酢漬け、地野菜の天ぷら、手打ちの蕎麦、素朴なわさび飯など、どれもが風味豊かな田舎の味がしました。ただ・・・残念ながら酒は置いていませんでした。有東木のゆったりとした時間の中で酔いを楽しみたかったなあ。ちなみにこの店で購入したわさび漬けは今まで食したそれのなかで一番美味いものでした。

  

再び集落を散策します。狭いけどしっかりと舗装された路地、古民家、湧水を貯めた防火用水、お地蔵さま・・・この集落の戸数はおおよそ八十ぐらいだそうです。東雲寺は集落の真ん中に位置します。有東木の盆踊りはこの境内で行われ国指定無形民俗文化財に指定されているそうです。敷地内にはわさび田があり脇の石段を登ると小さな墓石が並べられていました。鎮座されるお地蔵さまは季節ごとの花に囲まれながら優しく集落を見守っておられるのでしょう。小学校跡地はこの集落で一番広い場所です。校庭に残された遊具で遊びました。幼少の頃二段とばしで手長猿のようにぶらさがった雲梯、誰よりも大きくこいだブランコ、ローラー滑り台ではお尻を汚して帰るとかあちゃんに怒られたっけ・・・放課後、友達と遊びほうけたあの頃の汗まみれの笑顔と青空を、この有東木で思い出すことが出来ました。この小学校は昭和44年に廃校になったそうです。最後の卒業生はさほど年齢の変わらない方々なのでしょう。片隅の用具入れに刻まれた落書きは、錆びて読み取ることが困難なほどに時は流れてしまいました。消防団の建物は寄り合いにも利用されているようです。この集落に消防信号が鳴り響くことがありませんように。集落の奥まで歩きました。茶畑の中の石段の向こうには高くそびえる遠くの山々。この有東木は山梨との県境に位置するそうです。山葵栽培発祥の地の碑を見つけました。すぐ近くにはえぼし石の上に鎮座するお地蔵さま。この有東木は幾度の大災害をも乗り超えてきた集落です。山肌から剥がされ土砂は民家を襲い、沢の流れは濁流となりすべてを流しつくす・・・その度に村民の方々は助け合い大災害と戦ってきたのです。釣り師の性でしょう、水の流れには必ず渓魚の姿を追ってしまいます。この有東木沢でも美しいヤマメが釣れたそうですが、現在は山奥まで河川工事が施され淵もトロ場もエグレもない流れと化しています。しかしそれでこの集落が守られれば良いと思います。人の命・暮らしを守るためには必要なのです。ぷらっと訪れた旅人はこの部分には触れてはいけないことだと思いました。

帰りは有東木発新静岡行のバスが出ています。乗客はもちろん僕達だけ。次はこの集落の祭りの日に来てみたいと思いました。賑わいだ有東木もまた趣深いことでしょう。

わさび栽培発祥の地で素晴らしい原風景に出会えることが出来ました。いつの日までも、水も空気も清いままの有東木であれ。

   

   

   

   

   

 

静岡に来ると決まって訪れるのは青葉おでん街。真っ黒な出汁に浸かったタネをながめるだけで涎が出てしまいます。しぞーかおでんと言えば絶対に黒はんぺんは外せません。魚粉と青のりのふりかけをたっぷりかけるとたまらなく美味いのです。緑色の飲みものはしぞーか割りです。緑茶粉を焼酎で割ったローカルドリンクです。昼に飲めなかったぶん、この店で爆発してから帰りました。ちなみに妻も会計直後に爆発しておりました。