日本海側に停滞した低気圧の影響で天候は荒れに荒れていました。新潟発秋田行き特急みずほは運休を決め、代行バスで目的地を目指します。防音壁で囲まれた高速道路の風景は実につまらなく、それでもほんのひとときだけ海沿いの道を走行した際に見えた景色は、まさに冬の日本海でした。
数年前に起きた特急いなほの悲惨な脱線横転事故では尊い命が奪われました。この路線の旅人はそのことを忘れてはいけないと、自分なりに手を合わせ荒波を眺めていました。
本当は津軽海峡を渡る旅になるはずでした。特別な想いを抱き続ける離島があるのです。しかしこの悪天候では諦めざるをえません。いつの日か、きっと・・・思いを馳せます。
急遽変更した旅ですが、笹川流れの絶景、羽黒山古道、加茂水族館など以前から訪ねてみたい場所はたくさんあります。が、それすら叶わぬ旅になりました。
ひとり旅の極意は、あきらめも肝心だということ。思うように行かない旅ですら楽しい思い出に残すこと。雨風にへこんだまま旅を終わらせてしまったら、それこそもったいないと思うのです。 せっかくの旅だもの、俺よ、もっと高揚しろ。
正午前に酒田駅トウチャコ。 悪天候のはざまを狙い歩きだします。勘を頼りに宿を目指すも・・・僕の方向音痴は自慢モノ、あっという間に迷子になりました。いきなりの突風に傘がピャア~と壊れ鮮魚店の軒先で雨宿り。炭火で焼かれる魚にそそられ思わず店内へ。遠火でじっくり燻されたこの香りに心が動かぬ酒呑みはいないと思います。部屋呑みの肴にハタハタ田楽と塩焼きを買い、ついでに宿までの道を訪ねますが・・・しししまった、初めての山形弁です。人の良いおじいちゃんが丁寧に教えてくださるのに、それなのに、ああそれなのに、僕ったらまったくのチンプンカンプン。そこで書いていただいたのがこの地図。なんとか聞きとれたのが、「赤いトコが神社だぁ、ココさコッチいってココ曲がってコッチさ行けば旅館の近くに行ける・・・はずだ」 少しだけ交わせた会話は、おじいちゃんもその昔は修学旅行で鎌倉、江の島へ来たことがあるとのこと。それだけでなんとなく嬉しい気持ちになれました。この鮮魚店のおじいちゃんと話せたことは間違いなく旅の思い出になります。どうもありがとうございました。
地図を片手に歩きだします・・・むむぅ、現在地が書いていなかったのでやはり迷子は続きました。でもこの地図は大切に持ち帰りたいと、そう思いました。
ずぶ濡れて宿にトウチャコ。なんとも風情のある旅籠です。黒光りの廊下の先には狭く急な階段がありそれを三階までのぼると大正の時代から修復を入れぬ空間が僕を待っていました。四畳半二間続きの特別の部屋の風情はものすごい・・・いや、風情を通り越し、実は怖いです。枕元に飾られた日本人形、丸窓、そして化粧鏡・・・付けていないはずのテレビにいきなり井戸が現れ白い着物を纏った異様に長い黒髪の女が這いずり出てきたら・・・櫛で髪をすくいるはずのない女が化粧鏡に映ったら・・・だめだ、こここわい。俺よ、もっと高揚しろ。
宿の御主人におすすめの昼メシと酒屋を聞きます。酒田に来たらラーメンは外せないとのことで近所の人気店を教えていただきました。いっそう増した雨風の街中を歩く人影はありませんが店内は満員状態。どの客もすすっていたワンタンメンを注文。相席のおばあちゃんは週に2回はこのラーメンを食べるのだと話してくれました。お歳はなんと90歳。白コショウをたっぷり振り掛けるとおいしいんだよと教えてくれました。あっさりつるつるワンタンメンが冷えた体に沁み込んでいきます。昔は好きだった作家のサインが可愛らしくて目にとまりました。
その酒屋は百年以上の歴史があります。お店のおばあちゃんも90歳を超えているとのこと。酒田のおばあちゃんは皆お洒落で元気印です。おすすめの地酒を買うと、「隣はうちの酒場だから夜にまたいらっしゃい」と言ってくれました。写真を撮らせてほしいとたずねると、こころよく笑顔をくれました。おばあちゃんに出会えたことも、旅の思い出になります。この街に似合い過ぎる、それは素敵な酒屋です。
部屋でひとり呑みです。肴はもちろんおじいちゃんの鮮魚店で買ったハタハタ。腹からかぶりつく、プチプチネバネバのブリコは冬の日本海の旬の味。骨離れの良い身の甘さと田楽の香ばしさ。塩焼きには甘さと微かに苦いコク深い味の白子。酒はおばあちゃんおすすめの『上喜元』 庄内の地酒です。こんなにもふんわりと上品な酒は飲んだことがありません。
相変わらずの猛烈な風は本気で部屋を揺すぶるり、時折雨は雹へと変わりトタンと石瓦を容赦ない大音量で打ち付けてきます。それでも、もう怖さは感じません。 俺、すでに高揚ナウ♪
宿の夕食は豪華です。白身・烏賊・鯵刺し、鰈塩焼き、いくら、豚しゃぶ、きくらげとたらこ和え、あら汁、蕪酢漬け・・・うまい!うまいぞ!!ご飯も酒もすすまぬわけがありません。しかしとて、ここはぐぐっと我慢し腹七分目で箸を置きます。
旅人には果せば成らぬ野望があるのです。それはおばあちゃんの酒屋の隣の暖簾をくぐること。
酒田の中町には呑屋が点在します。雨にあらわれた路上に投射する酒場の灯りが艶を醸します。午後7時の店内には地元の言葉が飛び交っておりました。よそ者が太刀打ち出来るのか・・・この緊張感がたまらないのです。
入口近くに席をとります。コの字カウンターはガラスケースになっており煮魚、焼き魚を目下に見えるようになっています。壁には庄内の銘柄が所狭しと貼られ、まず驚かされたのはその値段の安さです。純米吟醸にもかかわらずどの酒も500円から600円までの設定に思わず僕は上機嫌。女将さんの対応も気持ちよくすぐに注文が通ります。よそ者のひとり酒にとっては、こんなことでも嬉しいのです。
隣の席の常連が帰ったあたりから、場に馴染めるようになりました。地元の方々が話しかけてくれるのが嬉しかったです。青森からいらした若いご夫婦は茅ケ崎に遊びに行ったことがあると話してくれました。サザンが好きで烏帽子岩を見た時には感激したそうです。酒場巡りが趣味で酒場放浪記でこの店を知ったとのこと。確かに壁には吉田類さんの写真が飾ってありました。聞けばまったく日本語を話せない海外からの客もくるようです。
「さっきまでほっといて悪かったけど、隣の人と話してたから・・・」と地元の方が言いました。どうやらその常連は皆から好感をもたれない方のようで、僕はそのイチミだと思われていたようです。あぶねーあぶねー!
それからけっこうな酒を呑みました。『上喜元』『麓井』『菊勇』『初孫』・・・あとは、覚えていませんが、とにかくどのお酒もそれぞれに特徴があり、その特徴すべてが心地良く、山形は庄内地方の酒の凄さを思い知らされた気分でした。ちなみに、料理は〆鯖ともろきゅうと、あと一品頼んだのは覚えていますが、それが何だったかを思い出させてくれたのは翌朝のゲップの匂いでした。むむぅ、餃子か! ちなみにちなみに、なぜかデジカメには僕が写っている画像が残されていました。誰かいじくってくれやがりましたね♪
和醸良酒・・・昔から酒蔵に伝わる言葉です。蔵人の酒作りに対する思いを込められた言葉ですが、良い酒は和を醸すという意味もあります。良い酒は呑み人の心をも和ませるのです。
酔っても、やはりちょびっと夜が怖かったです。どうか襖の向こうでヘンな影が揺れませんように・・・
翌朝、小雨の中を散歩しました。酒田が映画『おくりびと』 のロケ地だったことを初めて知しました。山居倉庫、鮮魚センターなど観光地はまわれませんでしたが、ごく街中にも心ひかれる風景がたくさんありました。
宿のご夫婦も本当に素敵な方でした。お世話になったことも思い出になります。食事、本当に美味しゅうございました。
酒田、また来ます。今回は寄れなかった目当ての場所が、まだあるのです。
続きます