翌朝は4時に目が覚めました。
地図によると津軽最北端の川 “袰内川“ までは40分ほどの距離です。 どのような川なのか見てみたかったし、その河口はマッカ石と呼ばれる素晴らしい海岸美だそうで風景写真を写すのも楽しみだったのですが、残念ながら暗く低い雲に押しつぶされそうな朝の空模様のため断念しました。
すでに漁港では漁師が魚の仕分け作業に忙しそうです。 近寄って話し掛けたり写真を撮ったりもしたかったのですが、気軽な旅人が真剣に働く漁師の邪魔など決してしてはならぬこと。 あたかもレポーター気分でずうずうしくもカメラを向けるような分別ない男にはひとり旅などする資格などないのです。 この土地に生きる漁師の大切な今を、遠くからこっそりと一枚だけ撮らさせていただきました。
この花の名前は忘れちゃいましたが、子供の頃に海沿いでよく見かけた花だった記憶があります。
ポツリポツリと雨が降ってきました。 夕方までに青森に戻れば良いのですがせっかくの旅です、早めの行動を決めました。 短い滞在でしたが、竜飛は本当に魅力のある土地でした。 いつの日か地元漁師と酒など酌み交わし語らいでみたいものです。
6時55分発町営バスに乗ります。 料金は一律で100円なんです。 1日に数本しか運行されないこの町営バスは地元の方が病院へ行ったり行政機関を利用したりと町へ出るための大切な交通手段なのです。 なので土地の人間以外(僕ですね)は出来る限り小さくなって端っこにこっそりと乗車するのが正しいのです。
それぞれの集落ごとに乗客の人数が増してきました。 このバスにはどおやら序列があるようです。 「〇〇さん、おはよごぜます」 「おお!」 「〇〇さん、怪我の調子はどうだすか?」 「おお!ほとんど悪いな!」 「〇〇さん、お孫さん明日来なさるですよね?」 「来ねぐなった ・・・ おい、通路にでってえ荷物置くでね!他の客(僕ですね)に迷惑かけっべ」 「あ、どうもすんません」 「あ、いえ、どうも、はは、(僕ですね)」 間違いなくこの〇〇さんが一番のお偉方で、確かに顔も怖くて態度もでかい。 三厩駅に近づいたころに運転手がちょっと焦りの声をあげます、「あれ?病院行きのバスさ、まだ来でねな?」 「〇〇さん困っでまうぞ。すぐ電話しれ(他の客)」 どうやら三厩駅手前の国道で病院行きのバスに乗り換えるはずのようですが、その連絡バスがいないようなのです。 「もすもす、オメなにやってっだ!あ?起ぎられなかっただど?オメ今日は〇〇さんの受診日だど、どうすんだ?あ?わがっだ、今日は電車で行ってもらうよう話しとっがら、オメあとで謝っどげ!(運転手)」 どうやら病院行きのバス運転手は寝坊してしまったようです。 「〇〇さん、申しわけねども、今日は病院行きバスさ来れねえがら、悪いけんど三厩から電車で行っでもらえねべか?」 了解したのか〇〇さんは、「おお!」 と手をあげました。 が ・・・ 「おい、止めれ、おい、俺は病院いぐ、おい、バスがいねぞ、おい、電話しれ おい ・・・ 」 乗客は必死で笑いをこらえておった町営バスの車中でした。 写真は渋々と三厩のホームを歩く〇〇さん。
駅舎に貼ってあった港まつりのお方は地元ではかなり有名な民謡歌手&ローカルタレントさんだそうです。 後に調べたプロフィールには 青森県ウス郡キネ郷里モチ米村出身 佐藤キナ子の息子 とありました。 是非とも関東進出を狙ってください。
蟹田駅で下車。 贅沢にもフェリーターミナルまでタクシーに乗りました。 一区間の料金にもかかわらずとても感じのよい運転手さんでした。 「楽しい旅にしてくださいね」 ・・・ こんな言葉を掛けられると本当に嬉しいものです。
フェリーターミナル受付の美女も感じのよい応対をしてくださいました。 気に入られたかった僕はガラにもなくリンゴジュースなど飲んで爽やかな中年男子を装いました。 このむつ湾フェリーでは運が良ければ並走して泳ぐイルカさんが見られるそうです。 イルカさんが見られた日はサービスで “イルカさんバッチ” がもらえるそうで僕は欲しくて欲しくてたまらなくなりました ・・・ ガキか!
むつ湾フェリーの乗客は5人ほどでした。 間違いなく赤字だべなぁ~ 途中携帯ナビで現在地を確認しました。 住所未特定と表示されました。
途中、青森発函館行フェリーが見えました。 子供の頃、僕も同じ航路をたどったあの青函連絡船を思い出します。 船内のレストランでカレーライスが食べられずにダダをこねたちっぽけなことほど大きな思い出となっています。
・・・ あの船にいつかまた乗りたいなぁ ・・・ 苫小牧発仙台行きフェリーにも乗ってみたいなぁ ・・・ 頭の中ではAmコードのギターストロークが響いています。 そんなことより、今はただただ ・・・ イルカさんバッチ、欲しいなぁ ・・・ ガキか!
1時間で脇野沢湾に到着。 フェリーターミナル待合所にあった写真は先程たまたま撮った岩の写真でした。 この岩は 『鯛島』 という名でこの脇野沢のシンボルだそうです。 この鯛島には語り継がれる悲恋の物語伝説があるそうです ・・・・・・
『約1200年程前の延暦の頃、蝦夷征伐のためこの地にやって来た坂上田村麻呂将軍に恋憧れた娘が京に帰ってしまった将軍を恋しがり、身に宿した将軍の子を生むと、自ら命を断ってしまいます。 哀れ悲しんだ村人たちは、少しでも都に近い場所にと、この鯛島に娘の亡がらを葬ったのです。 しかし、それからは島の付近で船の難破が相次ぎ、それが娘のたたりとされ、この島には誰一人近寄らなくなりました。 それから500年程後、戦いに敗れこの地に逃れてきた藤原藤房卿がこの話を聞き、自ら彫った天女の像を島に奉ったところ怪事がおさまったとされています。 今もこの島の付近のワカメは、その娘の髪の毛と云われ、鯛島周辺の漁をさける人が多いのです』 ・・・ だそうです。
大湊駅行きJRバスの時刻まで2時間半近くあります。 ターミナル受付のまたまた美女の方が やはりとても感じのよい方で周辺図を見せてくださいました。 近くにある商店街で運が良ければスーパーマーケットの惣菜が残っているのではと教えられ、運まかせで行ってみると ・・・ 運はありませんでした。 でも初めての地を歩くのは楽しいものです。 スーパーマーケットの女性店員さんも、酒屋のおばちゃんも、この脇野沢町の方は本当に親切な方が多いのです。 何気に立ち寄った、さっきまで土地の名前すら知らなかったこの町で旅の思い出が作れるとは思いもよらぬことでした。
なんとか手に入れたニューカツサンドと牛乳とカミカミスルメとウメッシュで昼飯。 ターミナルには立派な食堂が隣接されていたのですが、今夜は青森で暴飲暴食を決め込んでいたので満腹にはなりたくなかったのです。
待ち時間中、フェリーに同乗された方とずっと話をさせていただきました。 川口在住のこのお方、あのU鬼隊長にとにかく激似なんです。 年間60日をも登山に費やし昨日までは八甲田山にこもっておられたそうです。丹沢にも詳しく、「谷太郎はヒルが多いんですよね」 なんて細かなことまで知っておられるこのお方を僕は気付かぬうちに “隊長!” と呼んでしまっておりました。 いや、ほんと、シ・グ・サ・までそっくしでした。 本物のU鬼隊長、お元気かしら?
バスの車内でもずっと話をさせていただきました。 「ほほう、君も大人の休日倶楽部の旅でしたか」 「はい隊長!やっと50歳になれたもので、えっへっへ、隊長は今日は?」 「僕は今日帰るんです。君は?」 「はい隊長!実は寝台急行あけぼのの指定がとれたので、夕方まで青森で暴飲暴食するつもりっすよ、えっへっへ、」 「ええ、あけぼのがとれたの?いいな!僕なんかびゅう窓口で1か月前の10時ピッタシに係の人にボタン押してもらったのにとれなかったんだよ」 「運がよかったっす、えっへっへ、」 寝台急行あけぼのとは青森・上野間の日本海沿いを13時間もかけて運行される、今では残り少ない貴重な夜汽車なのです。 このあけぼのに乗車することが今回のひとり旅の最大の目的なのです。
まずは本州最北端の路線 “大湊線” に乗って北青森のローカル線を完全制覇しましょう。 バスから降りると“隊長”ともお別れです。 大湊駅駅改札でお別れの挨拶をすると ・・・・・・
「それよりも、君 ・・・ 」 「はあ?」
ホワイトボードに目線を移すと ・・・・・・
そ、そんなばなな! なんて、 なんてこった!! むむぅ!!!
憧れだった寝台急行あけぼの。
駅弁と酒類と週刊誌を買い込み乗車。 18時25分、定刻通りに動き出すとまもなく各駅ごとの到着時刻を告げる車内放送。 夕暮れ前、車窓には最後の青森がまだ写されている。 田園風景や果樹園畑、時折通過する小さな町の風景や一瞬で過ぎ去る踏切音。 僕は思わず500ml缶ビールのプルトップをあげる。 停車駅ごとに大きな荷物を持ち込んだ乗客がまだ車内の静寂をゆるさない。 気がつくと僕の正面席には幼さの残る女性が座っている。 少し泣いているのかうつむいたままだ。 親元を離れ、故郷を離れ、そして恋人に別れを告げ大都会へと旅立つ不安さを僕は自分ことのように噛み締めながらも、それでも無関心を装う。 吉田拓郎の『制服』と中島みゆきの『ホームにて』が似合うこの寝台急行あけぼのもやがて個々のカーテンがひかれると、やさしい静かな夜汽車の顔へと変わる。 最後の乗客は象潟駅だった。 正面の席の少女はカーテンの向こうでかすかな寝息をたてている ・・・良かった・・・ 時計を見ると22時53分、僕はまだ眠りについてはいない。 GF1のディスプレイから撮影した数々の画像を確認する。 八甲田丸、竜飛漁港、脇野沢とたくさんの旅の余韻にひたりながら駅弁の紐を解く。 ホタテ、焼きウニ、イクラ、地鳥照り焼き、山菜、椎茸煮付け、漬物 ・・・ 僕の好物ばかりがつまった贅沢なこの駅弁を買うまでに10分近くも迷ったものだ。 カップ酒をちびりすすると、旅の初めにおさない食堂で飲んだ弘前の地酒“玉川”の澄んだ味が蘇る。 ・・・ああ、本当に良い旅だった。 いや、まて、僕の旅はまだ終わってはいない・・・ 携帯時刻表を取り出し途中停車駅を調べる。 ・・・高崎か!ここで下車すれば吾妻線の始発に乗れるんだ。 八ッ場ダム建設で揺れている川原湯温泉で旅の疲れを癒してから帰ろう ・・・・・・
こんなイメージトレーニングをずっとずっとしていたのに、それなのに、ああそれなのに ・・・
途方に暮れるとは、まさにこういうことを言うのでしょう。
大湊線で八戸へ向かうまで、気力を振り絞るようでした。 こうなれば八戸で暴飲暴食をしかねえべさ! それはそれはカッチカチの硬い決意でした。
それなのに、ああそれなのに ・・・ 開いてる店、ありませんでした。 最後の悪あがきに携帯のじゃらんで当日の宿を探すも、八戸、青森、弘前、秋田、盛岡、仙台、すべてが満室、ありませんでした。
今回の青森ひとり旅、最後にしたことは、FKさんそっくしのコイツの写真を撮ったこと。 キャッキャキャキャ~ッ!
八戸 ワ・ラッセ のねぶたの一部
ちなみに、欲しかったイルカさんバッチももらえませんでした、うぇ~ん ・・・ ガキか!
最後まで読んでくださりありがとうです。