
8時48分静岡駅発梅ヶ島温泉行バスは数人程度の乗客を乗せて安倍川沿いをゆったりと走ります。10時に渡本という停留所で下車、山奥へとつづくうねった急坂の舗装路を歩き始めると早くも息が切れてきました。「箱根の七曲りか日光のいろは坂を歩いてるみたいだ、ヒィフゥ、山登りにきたわけじゃないんだから、ヒィフゥ、」と妻の愚痴が飛び出します。さらに見上げた山頂部に付いた道路を見つけ、「まさかあそこまで歩かせんじゃないでしょうね?」と今日の妻はちょびっと不機嫌です。車で来れば苦労せずも、電車とバスで来るにはとても辺鄙な目的地の名は有東木村。誰が言ったか『静岡のチベット』 そんな異名をもつ、それは山奥の集落なのです。
大きなおむすび型の岩、茶畑、ひょっこり姿を現したカモシカ、なんとも長閑な風景にどこか懐かしさを感じながら歩きつづけると、やっと有東木集落に到着。わさび栽培発祥の地の碑がありました。有東木の歴史は500年ほどだそうです。沢の源流に自生していたわさびを村人が湧水地に移植しそれが繁殖したことがわさび栽培の始まりだそうです。当時駿府城に隠居していた徳川家康がこのわさびの味を大変気に入り、わさびの葉が徳川の家紋である三葉葵の模様にも似ていたことから門外不出のご法度品として珍重されました。この有東木わさびが広まったのは伊豆から椎茸栽培を教えに来た男に村人がこっそりと弁当箱にしのばさせ持ち帰らせたことから天城地方にもわさび栽培が伝わったとされているそうです
沢沿いや湧水周辺のあちらこちらでわさびは栽培されています。山間の清らかな水は四季を通じて温度差が少なく適しているのです。有東木の始まりは、大阪の役で敗れ落人となった真田幸村の家臣がこの地に逃れ大樹のウロを住家とした。それにより地名を「うとろ木」 と名付け→うつろぎ→うとうぎ(有東木)と変化した説が有力だそうですが、今川、武田の時代に金の採掘目的で住み着いたものが村を拓いた説や、なかには大昔に泥の海だったこの地に白セキレイが舞い降りて尾をチョンチョンと動かし土地を固めていったなどの俗説もあるようです。この村に白鳥の姓が多いのはロマンを感じますね。
村を散策しましょう。山間の平坦な土地の少ないこの村にはそこかしこに石垣を見ることが出来ます。白髭神社は村の鎮守様です。樹齢750年を超える大杉に囲まれた神楽殿と社はまさに静寂の地。春秋に行われる祭典では雅やかな衣装をまとった村人の神楽の舞いを見ることが出来るそうです。・・・村の鎮守の神様の今日はめでたい御祭日どんどんひゃららぴーひゃららどんどんひゃららぴーひゃらら朝から聞こえる 笛太鼓・・・ こんな歌詞を思い出したのは何十年ぶりでしょうか。神楽殿の天井部に飾られた色とりどりの折り紙が春の風に揺れておりました。茶畑の農道を登ると風景がひらけました。バスを降り途中で見上げた山頂部の道を僕達は今歩いています。下界にのぞむ安倍川の流れ、そして有東木の集落を見降ろす素晴らしい風景に出合うことが出来ました。
腹が減りました。この集落には一軒だけ蕎麦屋があります。ツンと鼻を刺激するわさびの茎の酢漬け、地野菜の天ぷら、手打ちの蕎麦、素朴なわさび飯など、どれもが風味豊かな田舎の味がしました。ただ・・・残念ながら酒は置いていませんでした。有東木のゆったりとした時間の中で酔いを楽しみたかったなあ。ちなみにこの店で購入したわさび漬けは今まで食したそれのなかで一番美味いものでした。
再び集落を散策します。狭いけどしっかりと舗装された路地、古民家、湧水を貯めた防火用水、お地蔵さま・・・この集落の戸数はおおよそ八十ぐらいだそうです。東雲寺は集落の真ん中に位置します。有東木の盆踊りはこの境内で行われ国指定無形民俗文化財に指定されているそうです。敷地内にはわさび田があり脇の石段を登ると小さな墓石が並べられていました。鎮座されるお地蔵さまは季節ごとの花に囲まれながら優しく集落を見守っておられるのでしょう。小学校跡地はこの集落で一番広い場所です。校庭に残された遊具で遊びました。幼少の頃二段とばしで手長猿のようにぶらさがった雲梯、誰よりも大きくこいだブランコ、ローラー滑り台ではお尻を汚して帰るとかあちゃんに怒られたっけ・・・放課後、友達と遊びほうけたあの頃の汗まみれの笑顔と青空を、この有東木で思い出すことが出来ました。この小学校は昭和44年に廃校になったそうです。最後の卒業生はさほど年齢の変わらない方々なのでしょう。片隅の用具入れに刻まれた落書きは、錆びて読み取ることが困難なほどに時は流れてしまいました。消防団の建物は寄り合いにも利用されているようです。この集落に消防信号が鳴り響くことがありませんように。集落の奥まで歩きました。茶畑の中の石段の向こうには高くそびえる遠くの山々。この有東木は山梨との県境に位置するそうです。山葵栽培発祥の地の碑を見つけました。すぐ近くにはえぼし石の上に鎮座するお地蔵さま。この有東木は幾度の大災害をも乗り超えてきた集落です。山肌から剥がされ土砂は民家を襲い、沢の流れは濁流となりすべてを流しつくす・・・その度に村民の方々は助け合い大災害と戦ってきたのです。釣り師の性でしょう、水の流れには必ず渓魚の姿を追ってしまいます。この有東木沢でも美しいヤマメが釣れたそうですが、現在は山奥まで河川工事が施され淵もトロ場もエグレもない流れと化しています。しかしそれでこの集落が守られれば良いと思います。人の命・暮らしを守るためには必要なのです。ぷらっと訪れた旅人はこの部分には触れてはいけないことだと思いました。
帰りは有東木発新静岡行のバスが出ています。乗客はもちろん僕達だけ。次はこの集落の祭りの日に来てみたいと思いました。賑わいだ有東木もまた趣深いことでしょう。
わさび栽培発祥の地で素晴らしい原風景に出会えることが出来ました。いつの日までも、水も空気も清いままの有東木であれ。
静岡に来ると決まって訪れるのは青葉おでん街。真っ黒な出汁に浸かったタネをながめるだけで涎が出てしまいます。しぞーかおでんと言えば絶対に黒はんぺんは外せません。魚粉と青のりのふりかけをたっぷりかけるとたまらなく美味いのです。緑色の飲みものはしぞーか割りです。緑茶粉を焼酎で割ったローカルドリンクです。昼に飲めなかったぶん、この店で爆発してから帰りました。ちなみに妻も会計直後に爆発しておりました。
この村は、私の住んでる村にソックリなのは、なぜ
チャリで丹沢湖を一周して世附も行ったんです。
ありゃ?見たことある車、I原さんの車です!
日曜日、魚がスレきって釣れるかな・・・
消防信号興味津々!いまどき半鐘使ってるんだ?
ご夫婦で最後に爆発!!かわいい(小さい)奥様も怒ると怖いのね。
のんびりとした環境でおおらかに子育て頑張ってください。
原風景は日本の財産です。
久しぶりの馴染んだ景色見ながら、まったりするっちゅうことでいいっしょ!
妻は怒るとテポドンよっか怖いです。。
山肌には地滑りの痕跡が残っているし、大雨による災害と闘ってきたのでしょうね。
いつの日かホリさんが別荘でも建てたら、呼んでください。
体調も崩されたようで、パパ、頑張ってください。
K田博士も重篤な病気にかかり、とうぶんは渓流には立てないようです。かわいそね。
有東木の風景は心に残るものになりました。
別荘建てたらいの一番にお声かけさす・・・いつの日か。
朝一からは無理ですが久しぶりの林道をわAさんと歩いてきます。
里山は本物の自然じゃないって言った人がいるけれど
良く管理された里山は美しくて住む人の気配があって心安らぐ風景です。
この小さな集落に山、川、畑、祭りと祈りの鎮守様
人が生活するのに必要な最小限のものがそろってる
僕のふる里を思い出してしまいました。
同感ですね。暮らしをする中で本物の自然に住む必要性ってあるのでしょうか?自然災害と闘いながら耐えしのび打ちひしがれても幾度も幾度も復興させ故郷を離れずに暮らし抜いた先祖の魂と生きる方々の努力はもの凄いことだと思います。里山=故郷=家族 こんな結びつきって大切なのでしょうね。
ちなみに僕はずっと町で育ちました。高崎さんやゆうママがちょびっと羨ましいです。一度高崎さんのふる里にお邪魔してみたいです。