新 ・ 渓 飲 渓 食 時 々 釣 り

魚止滝のずっと手前で竿をほっぽり
ザックの中身をガサガサまさぐる男の日記

乗り鉄ひとり旅も楽しんでいます

根岸競馬場跡地

2012-05-28 11:11:38 | その他・・・

北海道から横浜へ越して間もなくのことだった。クラスの友人から誘われ、どこに行くのかもわからないまま日曜の朝早くから急坂の多い道を自転車で漕ぎ続けた。やっとたどり着いた場所には背丈よりも高い夏草が生い茂る草原と大きな古い建造物があった。立ち入り禁止の柵を乗り越え屋内にしのび込むと屋上からは行きかうタンカーや貨物船の停泊する港の風景が遠くに見渡すことがでた。それからキリギリスやトノサマバッタを捕まえたり、かくれんぼをして夕方まで汗まみれで遊んだ。あの時、草原はどこまでも永遠に続いていると思った・・・もう40年も前の記憶だ。その思い出の場所へ久しぶりに訪ねてみたくなった。

まずは根岸駅から15分ほど歩き『浜マーケット』へ向かう。青果、鳥肉、精肉、惣菜、菓子、漬物、パン、うなぎ、生花、金物、そしてクリーニング店と何でもそろう浜マーケットは戦後闇市から発展した昭和の趣きそのままの狭いアーケード型商店街だ。ここには横浜の商店街で一番美味しいとされるコロッケがあるのでコロッケとメンチカツ、チーズ竹輪フライを3個ずつ購入する。店には地井さんの写真が飾られていた。

次に向かったのは山元町商店街だ。根岸駅から路地裏の坂道をのぼり山手のドルフィンを通り過ぎひたすら歩くと商店街に到着。ここにも地元で評判のフライ屋がある。この店は客の注文を聞いてから揚げるのでショーケースなどないのだ。甘辛ソースにくぐらせたコロッケとメンチカツ、モツ串フライを3個ずつ注文。要は思い出の場所でコロッケとメンチカツの食い比べをしようと言うだけのことなのだ。

その前に腹が減り過ぎた。ちょうど僕好みの食堂を見つけ店に入った瞬間、なぜだか懐かしさがこみ上げてきた。『おかめ』は80過ぎの老夫婦と娘さんが笑顔いっぱいに商う大衆食堂だ。聞けば市電が走っていた頃はこのあたりが終点だったそうだ。あの頃は父親に連れられよく市電に乗せてもらったので、もしかしたら本当にこの店に来たことがあるのかもしれない。この『おかめ』は創業50年を超える老舗食堂だ。「スープは鶏と豚ガラ、昆布、他いろんな出汁からとってるんだよ。チャーシューを煮た醤油をラーメンにも使うから本当の昔の中華そばなんだよ。カレーだって市販のルウなんて使わないよ。玉葱や人参、いろんな野菜をすりおろしてチャツネを入れるんだよ。あたしの実家は神田駅前の和菓子屋でね、だからこの店でも和菓子を売ってるんだよ。朝5時から仕事初めて6時にはもう近所のお客さんが買いに来るんだよ。食べログちゅうのでは横浜で8番目に美味しいラーメン屋に選ばれたし、昨年は朝日新聞に紹介されたし、この前は15分間もラジオ日本で話したんだよ」 とにかく元気なおかあさんと、おかあんの話を嬉しそうに聞きながら優しく笑うおとうさん、テキパキと働く娘さん・・・『おかめ』のラーメンとカレーライスには懐かしさの旨味エキスが凝縮していた。いや、それだけではない、懐かしさを省いても本当に美味しいラーメンとカレーライスだった。おかあさんが厨房の中を見て行けと言う。「餅はこねちゃダメなの、ちゃんとつかなきゃ美味しくならないんだよ」と年代物の自慢の機械を見せてくれた。娘さんが妻に「旦那さん、つかまっちゃったね」と小声で話しているのが聞こえた。これはもう大福餅も買うしかない。午後5時までの営業だが酒類も置いてある。“本来の目的”を忘れ日本酒を注文したかった僕を制止したのは、妻だ。偶然だったけど良い店に出会えたと思う。次は絶対に日本酒呑んで〆にチャーシューメンだな。

 

目的の場所へ向かうと、大きな建造物は思い出のままの姿で残っていた。懐かしい、本当に懐かしい。蔦に覆われた外見は、なぜか自分の重ねた年輪のようにも思えた。その昔、僕らはこの場所を根岸競馬場跡地と呼んでいた。

根岸競馬場は明治維新前の幕末1866年に設立された。以降1930年に米国人建設課の設計に寄り竣工された一等馬見所という観客スタンドがこの大きな建造物だ。戦前には天皇賞や皐月賞などのレースも行われるほど華やいだ競馬場だったが太平洋戦争が激化すると1942年に競馬の開催は中止された。その後米軍に接収されその管理下に置かれた。接収中は米軍専用のゴルフ場として使用され、現在の芝生はその名残りだそうだ。1969年には馬見所以外の接収は解除され、横浜市の整備により1977年根岸森林公園の名称で市民の憩いの場として解放された。馬見所の接収解除は1982年と言うことなので、僕らがしのびこんだ建物内部はまだ日本ではなかったのだ。柵を乗り越え廃墟化した建物内部はまるでお化け屋敷のようだった。友人のひとりが「お化けが出たあ~!」と冗談で叫ぶや怖さのあまり皆が外へ飛び出すとすぐに米軍の水兵さんに捕まり説教されたっけ。僕らはあの日、“AMERICA”で遊んでいたのだ。 

   

FENCEで仕切られた向こう側は外国人居住地だ。カメラを向けると Hey you do not эёξζ¶☆÷Ψδж∮ と怒鳴られたので Wou ssey bakaching と言ってやった。 こっからこっちは日本でこっからあっちはアメリカなのだ。

 

昔はこの丘から海が見えたが、今では住宅や高速道、ビルに遮られ、やっと見つけた海も、小さく、狭く、遠く感じた。それでもこの根岸森林公園は気持ちの良い場所だった。木陰を選び芝の上に寝っ転がると思わず口ずさむ曲は『FENCEの向こうのアメリカ』 

石畳の坂を登れば 海の見える丘に出た

防波堤に当たる波間に 俺を呼ぶ声が聞こえた

どんなに離れても 決して忘れなかったよ

朽ち果てた俺の家と 鉄のFENCE

AREA ONEの角を曲がれば おふくろのいた店があった

白いハローの子に追われて 逃げてきたPXから

今はもう聞こえない おふくろの下手なBLUES

俺には高過ぎた 鉄のFENCE

あばよのひと言もなく 消え失せたあの頃

帰りたい HOME TOWN SUITE  HOME TOWN SUITE

今はもう聞こえない おふくろの下手なBLUES

俺には高過ぎた 鉄のFENCE

せめて肩の重荷 降ろすことが出来たら

帰りたい HOME TOWN SUITE  HOME TOWN SUITE

ネオンライトの空に飛び交う 黒い懺悔のハーモニー

銅鑼とJEEPの吠える声は 昨日と今日の道標

今はもう流れない 潮風と赤いCANDY

高いFENCE 越えて観たAMERICA

もう 流れない 潮風と赤いCANDY

高いFENCE 越えて観たAMERICA

高いFENCE 越えて観たAMERICA

この曲は歌詞カードなど見なくとも歌えるほどに好きな曲だ。柳ジョージさんの訃報に絶句したあの日から、カーステレオにはアルバム『Y.O.K.O.H.A.M.A』が入れられている。僕の『FENCEの向こうのアメリカ』はまさにこの場所そのものだ。 赤いCANDYにも懐かしくほろ苦い初恋の思い出がある。丸くてちっちゃくて三角のミルクキャンディを見つけたら必ず買ってしまうほどの特別な思い出があるのだ。

少し眠ってしまったようだ。妻は勝手にコロッケとメンチカツの食べ比べを始めてやがる。クーラーバッグからキンキンに冷えた缶ビールを取り出し急いで参戦。浜マーケットのコロッケが一番美味いと僕と妻の意見が一致した。

「桜の季節に、また来ようね」と妻が言う。幸せってこれぐらいが良いのかもしれないと、ふと思った。

   

 ちなみに食べきれなかった残りは、その日の晩飯になった。

僕のノルマは多過ぎるぞ、ゲップ・・・

 


源流部へ

2012-05-13 11:23:24 | 渓流釣り 山歩き

 

渓流釣りの醍醐味って、なんだべ

でっけー魚を釣ることだべか

たくさん釣ることだべか

うんにゃ、オラはちげーぞ

・・・・・・・ 

想いを込めた毛ばりをよ

狙ったポイントにうち込むべ

でもよ

なかなか魚は食ってくれねーべさ

ねばっても寝っ転がっても

ダメな時はダメなもんさ

したっけ、オラは諦めねえぞ

高度差のあるおっかねー堰堤をまいて

浮き石を踏んぶして転びそうになって

人一倍怖がりなオラだけど

上へ上へと向かうんだ

それでも釣れねー時はよ

いさぎよくボウズを認ちまえばいいべ

季節ごとの山のいろや、足元のちっぽけな花をながめたりしてよ

やっぱり来て良かったって思えればいいべさ

 

渓流釣りはよ、魚が釣れなくたって楽しいもんさ

景色も知らねー釣り師のほうが

オラから言わせりゃ、かっこわるいべさ

  

  

この日も途中まではちょびっとしか釣れなかったけどよ

右から刺す沢に入った途端によ

いきなりの入れ食いよ

竿を振るたびに毛ばりにヤマメが跳び付いちまうんだ

狙ったポイントを外しても

どっからか魚がふっ飛んできて毛ばりをくわえやがるんだ

ワンサカワンサカワンサカワンサカイェ~イェ~イェイェイ~

ってな状態さ

フリャーロッドもいいけどよ

こんな時はテンカラの手返しの良さには敵わねえべさ

ブン、ポトッ、バシャ、テリャ、ズボッ ・・・

ブン、ポトッ、バシャ、ナリャ、ズボッ ・・・

これの繰り返しだぜ

まったくまいっちんぐマチコ先生さ

なかには8寸のヤツも釣れたぞ

 

したっけ、オラは思うべさ

こんなツ抜けの忙しい釣りはオラの釣りじゃねーってな

釣れなさを楽しむぐれーがオラには丁度いいのよ

入れ食いなんかで有頂天になっちまったら

釣り師はおしめーよ

ふ、ふふ、おしめーよ

ひ、ひひ、くひひっ、おしめーよ

でへ、でへへ、でへへへ、おしめーよ

ぎゃは、ぎゃはは、ぎゃーっはっはっは、おしめーよ

だからもう釣りはおしめーにして、メシにしたのよ

 

  

わAさんといつもの渓食よ

軽く塩コショウした鶏のせせりをこんがり焼いてよ

ミョウガ、ショウガ、大葉の千切りと一緒に食らうのよ

オメエ、この旨さはたまんねーぞ

あとよ、最近ハマってんのがこの即席麺よ

つるつるコシのある麺だぜ

チキンと野菜のうまみのきいたすっきりしょうゆ味だぜ

確かな品質をお求めやすくの・・・co-op ラーメンだぜ

 

 

渓流釣りの醍醐味って、なんだべ

でっけー魚を釣ることだべか

たくさん釣ることだべか

うんにゃ、オラはちげーぞ

 

渓流釣りの醍醐味なんてよ

んなことは、体裁つけたどこかのキザな野郎に聞いてくれ

 


歴史のお勉強 3

2012-05-08 12:02:00 | その他・・・

 

「オオバノミクリヤって知ってる?」 突然ライバルさんの彼女から聞かれる。・・・やばい、聞いたことはあるけど詳しくは知らないのでオドロオドロの僕、「た、確か鎌倉党の大庭氏が当時の藤沢・茅ケ崎・寒川あたりを開拓した荘園のことだったかしら?」 「うん、伊勢神宮に寄進し領地を守ってもらうかわりに農作物を献上していたんだ。その頃から引地川は用水として整備されていたんだよ」 ・・・まずい、全然知らないがライバルさんの彼女の攻撃は続く。 「源義朝は大庭御厨内の鵠沼は自分の領地であると主張し三浦氏、中村氏を率いて数回にわたり侵攻した大庭御厨事件は有名だよね」 ・・・ゆ、有名なのか?これはピンチだが、「うん、まあ、有名だ、ね・・・」とシッタカでこたえてしまう僕はかっこ悪いぞ。 「収穫物や大庭氏の財産を強奪したり、暴行による死者も出したほどの事件なのに朝廷はとりたてて問題にはしなかったんだ」 「“なしのつぶて”だったのですね」 「うん、その後は義朝の乱行もおさまったんだけど、どうして義朝と大庭氏の間でイサカイが起きなかったのかが私には解らないんだ」 「で、ですよね~」 完敗だった。ライバルさんの彼女がここまで歴史のお勉強に熱心であったとは!

と言うのが1ヶ月ほど前のこと。もはやライバルさんの彼女は僕の手に負えるような相手ではないほどに成長していた。が、僕にも年上の意地はある(プライドはない) 彼女を頷かせる秘策はどこかにあるはずだ・・・そうだ!源義朝が率いた三浦氏と中村氏のことを彼女はどのぐらい理解しているのか、もしや人物像を知らぬままに並べられた名字ぐらいの知識しか持ち合わせてはいないのではないか?よし、この盲点をせめるのだ。まずは三浦氏と言えば三浦友和・・・ではなく源氏に従事し鎌倉幕府でも北条氏とともに勢力を持った重鎮的存在の一族だ。実朝の首をとった公暁を殺害する指示を出した三浦義村は実朝暗殺の黒幕であるとも言われるほどの有名人である。となると彼女は三浦氏のことはすでに勉強済みだと読んだ方がいいであろう。では中村氏とは誰だ?中村、なかむら、ナカムラ、・・・お~いナカムラ君♪ とふざけている場合ではない、中村、なかむら、ナカムラ、重鎮・・・だめだ、N先輩の酔っ払った怖顔が浮かんでしまう。よし、この中村氏に的を絞るのだ!

中村氏・・・ウィキメディアによると、相模国西部に勢力を持った。源頼朝挙兵時にその軍の中核を成した・・・う~む、なんだかかっこいいぞ中村氏。中村荘司宗平という人物名があがり調べると・・・なななんと、その屋敷跡と一族の墓は妻の実家から歩いて数分の場所にあるではないか。しかも竹♂の散歩でいつも歩いてるコース上だとは今まで気付かなんだ。こいつはすごいぞ中村氏! 敗北宣言にはまだ早い、引導など渡されてなるものか!

ライバルさんの彼女には先制パンチを仕掛けるに限る。「僕も大庭御厨について調べてみましたよ。まず義朝と大庭氏の間のイサカイの件ですが、大庭氏は義朝に対し逆らえなかったというのが率直な答えでしょう。もともと大庭氏は源氏に仕える家柄でした。地方の豪族にとって貴族の血を引く源氏の“貴種”と勢力には従事するしかなかったのです。大庭御厨は代々受け継いだ源氏の鎌倉領地であったのです。その領地を守ろうとした義朝の行動が大庭御厨事件なのです。逆にいえばこれ以上に事を荒立てなかった義朝の人間性に器の大きさを感じるほうが賢明な考え方なのかもしれませんね。その大庭氏においてですが、藤沢市住民としては大庭景義と大庭景親について知っておかねばなりません」 「それ、どなたさん?」 「大庭城を築城し、義朝の濫妨を伊勢神宮を通じ太政官に訴えた当時の荘園司であった大庭景宗の子です。この兄弟のことについて話す前に、ちょっと寄り道して義朝の濫妨に参加した中村氏のことに触れておきましょう。実は中村氏の屋敷跡と一族の墓がなんと妻の実家のすぐ近くにあったんですよ」 「あの小田原のド田舎に?」 「ド・・・、まあ、はい。なんでも源頼朝もその屋敷に泊ったことがあるようで、昭和天皇も見学にいらっしゃったほどの史跡なのだそうです。この中村氏は当時の相模国西部に勢力を持った豪族でした。名は宗平。平治の乱で義朝が敗れたのち伊豆国に監禁されていた頼朝が挙兵する際にも従事し参戦しています。石橋山の合戦での大敗は有名ですが、この時中村氏は一族の多数を失っています。それでも決死の覚悟で頼朝を守り安房国へ逃しますが、頼朝が再挙し勢力を増すと中村一族もこれに従い平家追討・奥州合戦にも参戦。つまりは頼朝の鎌倉幕府樹立に大きく貢献した豪族なのです。戦国武将で有名なあの小早川隆景はこの中村氏の血筋にあたるそうですよ」 

 

「義朝の大庭御厨事件後の経緯は詳しくわかりませんが、大庭御厨はそのまま存続しました。大庭景宗没後は兄景義が引き継ぎます。保元の乱で義朝の配下として参戦した大庭氏ですが景義は敵の矢を受け重傷を負ってしまい、その後の実権は弟の景親にと移ります。因みに保元の乱とは鳥羽上皇死後、崇徳上皇と後白河天皇の兄弟間の継承争いに貴族藤原氏内部の関白をめぐる闘争も加わった、いわば親子兄弟親類平氏源氏あいまみれた血みどろの醜い争いです。これまでは武家は朝廷・貴族間闘争の捨て駒的な役割でしかなかったのが、武家が政治の権力者へと移行する時代へと動くのです。この保元の乱で長く続いた平安の世は終りを告げるきっかけとなるのです」 「あ、平清盛でしょ!わたし好きな人出てるからテレビ見てるんだ」 「ほほう、松山ケンイチさんのファンでしたか」 「ちがうよ、玉木広だよ。かっこいいよね源義朝!頼朝役の岡田将生も可愛いんだ」 ・・・やばい、見てないぞ、大河ドラマ路線で話されるとまずい・・・ 「後白河天皇が勝利した保元の乱で清盛と義朝は同盟して指揮官として・・・」 「玉木広と松山ケンイチが武井咲ちゃんをとり合うんだよね」 「あ、あの、もしかして常磐御前かな?」 「松田翔太もイイ男だねえ」 「マツダショウタって、あの松田優作の息子の?」 「マツダユウサク?そんな人知らないよ」 「え?松田優作を知らないの?太陽にほえろのジーパン刑事で「な、なんじゃこりゃ~」って死んじゃったり、蘇る金狼で風吹ジュンと腸濃厚なラブシーンやったり、ブラックレインでは悪役を・・・」 「し~らな~い」 ・・・・・・ダ、ダメだこりゃ (-_-;) 

「保元の乱での清盛への恩賞は大きいものでした。国をいくつも獲得しさらに官位も与えられます。それに比べ敵対した父・為義、弟・為朝を討った功績をも重んじられなかった義朝は不服とし謀反を起こします。皇位を二条天皇に譲り上皇となった後白河上皇とその二条天皇を幽閉し清盛と親しかった信西を藤原信頼と同盟し殺害します。これが平治の乱です。清盛はといえばすぐに反撃をしたわけではありませんでした。捕えられた上皇と天皇の無事を第一と考え義朝に降伏の意を示したのです。しかしこれが清盛の策でした。義朝らが安心している裏をかいた清盛は二人の奪回に成功します。清盛の策略を知った義朝と信頼は憤怒し軍勢を率いますが清盛はこれを迎え討ち六条河原で激しい戦いを繰り広げます。この戦いで義朝と信頼は敗れ清盛が勝利したのです。藤原信頼は上皇にすがるも許されるわけもなく六条河原で斬首となりました。命からがら逃げのびた源義朝は子供たちを連れ吹雪の中を本拠地である東国 へ向かいます。途中家臣である野間の長田忠致を頼りますが、義朝の首に恩賞が掛かっていることに目がくらんだ長田忠致は君主である義朝を裏切り入浴中を狙って党郎に殺害させてしまいます。・・・我に木太刀の一つあらば・・・無念義朝38歳、この言葉を残し非業の最期を遂げるのでした」 「うえ~ん、やっぱり玉木広は殺されちゃうんだ、しかもフリ〇ンで」 「残念ながら、シカ男君は一紙まとわぬお姿で死んじゃいます。一緒に逃げた子供達も最後には死んじゃいますが頼朝だけは助かります」 「よかった、岡田将生は無事なのね」 「じゃなきゃ鎌倉幕府は存在しないでしょ。岡田君・・・じゃなかった頼朝は途中の吹雪で義朝一向とはぐれてしまいその後捕えられますが、清盛の継母・宗子に、死んだ息子に似ているから助けるよう懇願され、それで伊豆国へ幽閉されるのです」 「なるほど、その後頼朝は挙兵するんだね、やっと話がつながったよ」 「ちなみに義朝の子で頼朝とは腹違いの兄弟である義経も清盛に助けられます」 「武井咲ちゃんの子供だね」 「はい、武井咲ちゃん・・・常磐御前の美貌に清盛はホの字になっちゃって義経は京の鞍馬寺に預けられるのです。このことが後に平家の運命をかえてしまうとは・・・とにかくこの平治の乱以降平家棟梁平清盛の時代になるのです。武士が政治の権力を握るようになるのです」 

「大庭兄弟はまだ出てこないけど?」 「歴史の話は肝心な部分にたどり着くまでが長いのです。前後左右上下縦横無尽と話を膨らませて説明せねばならないのです」 「先生は最近横にばかり膨れてるね、きゃは」 「ほっときなさい、きゃは・・・さて、先に保元の乱で大庭景義・大庭景親も義朝の配下として参戦さした話をしましたが、平時の乱にも参戦しています。この戦いで弟・景親は平氏に囚われの身となってしまいます」 「じゃあ殺されちゃったんだ」 「それが、平清盛に“桓武平氏の名門がここで滅びるのは惜しい”と助命され処刑を免れるのです」 「桓武平氏ってどなたさん?」 「桓武天皇の子孫で、平家はこの桓武平氏を祖とした一族なのです。大庭氏も同じ血筋にあたるということですね。だから清盛は景親を助けたのでしょう」 「あれ?じゃあもともと大庭氏は平氏側の人だったの?」 「あれ?あれれ?考えてみればそうですよね?」 「じゃあ、どうして源義朝に味方したの?どうして?なんで?」 「む、むむう、わかりません」 「もしかして、嫌いな上司でもいたのかしら?」 「なるほど!そういうことにしておきましょう・・・で、景親は清盛に助けられた恩義を感じ、以降清盛の家臣として仕えるようになるのです。このことが兄・景義と弟・景親の運命の分かれ目となりました。そして頼朝が伊豆国から挙兵、石橋山の合戦で兄・景義と弟・景親は頼朝側、清盛側にわかれ敵対することになるのです。この戦いで景親は清盛から総大将を任ぜられ圧勝をおさめます。しかし安房国に逃れた頼朝が再挙し同年10月鎌倉入り、11月には富士川の戦いで平家を敗走させ関東支配を確立させるのです。

その後景親は囚われ頼朝が再挙する際に貢献した上総広常に預けられます。これについては、景親はもう逃げ切れぬと降伏した説と、鵠沼北東(現・本町小学校周辺)で頼朝軍と最後の激戦を交えた末に囚われた説とにわかれます。頼朝は景親の処分に対し兄・景義に「助命嘆願するか?」と打診するも景義はこれを断り頼朝の裁断に任せた説と、平氏に味方し自分の首を狙った弟・景親を頼朝は許すはずなど考えられぬと助命嘆願はしなかった説とがあります。いずれにせよ弟・景親は固瀬川辺(現・片瀬)で兄・景義の手により斬首されてしまいました」  「それって酷くない?兄弟なのにどうして殺せるの?仲は悪かったの?」 「確かに不仲説もあったようですが、保元の乱では矢に膝を砕かれた兄・景義を弟・景親は肩を組み必死に救出しています。平治の乱での清盛に対する恩義も兄・景親に相談していますので兄弟の仲は悪くなかったと思います。敵味方にわかれても兄弟頼っていこうと話したそうです。それでも兄・景義が弟・景親を処刑せねばならなかった理由は定かではありませんが・・・せめて、自分の手で弟を葬ってあげたいといった気持ちがあったのではないでしょうか、と僕は思いたい。翌年平清盛は病死、その4年後壇の浦の戦いで平氏は滅亡と、あわただしく移り変わる時代の中、翻弄されながらも一族の血を途絶えさせぬことを、この大庭兄弟は考えたように思えてならないのです」

「先生すごいよ。昔から頭良かったの?」 「いや、今でも決して・・・」 「でもやっぱすごいよ。歴史の話になるとまったく別人になるね」 「そうかしら?」 「だって魚釣りの話しや居酒屋の話しの時は、もっとふざけた人だもん。 真面目過ぎないところも、ス・テ・キ♡」 「でへへへ~♡」 「でも次はわたしがぎゃふんって言わして、あ・げ・る!」 ・・・ ライバルさんの彼女とのバトルは、まだまだ続くのだ。

 


GW 竹♂と遊ぶ

2012-05-07 15:44:09 | 犬のこと

 

一人で釣りに行ってくると妻に言うと、玉葱の収穫を手伝えと怒られた。

嫌だと言ったら、せめて竹♂の面倒をみろと言われた。

ハイとこたえ、車に竹♂を乗せて出発しようとしたら、釣り道具は置いてけと叱られた。

竹♂は西丹沢が好きだ。嬉しそうにはしゃいでいる。

3時間ほどで帰宅すると、“裏の畑にいます”と妻の置き手紙。

見なかったことにして、みかん山を散歩。

春の花が可愛く咲いていたが、竹♂は地の中でうごめく虫の方が興味があるようだ。

小石を投げると、その場所に鼻先を突っ込む。

ピンク色の絨毯を敷きつめたような小道は、毎年この季節に竹♂と歩く農道だ。

   

   

 家に帰ると、トマトの苗植えを命じられた。

昼飯食わせろと言うと、軽トラで畑の玉葱を積んでこいと命じられた。

食後に昼寝しようと思ったら、竹♂を風呂に入れろと命じられた。

半年ぶりに洗った竹♂は、ドロドロだった。

  

 ここにいるとまた何を命じられるかわからないので、竹♂を連れて近くの川へ釣りに逃げた。

食紅で練ったご米粒をまるめて餌にすると、一発でトウガラシ浮きが消し込んだ。

前回ボウズだったので、これでリーチ脱出だ。

証拠写真が、これだ。

わっはっは。。

 


GW 不沈君、不発

2012-05-02 14:22:16 | 渓流釣り 山歩き

 バスを降り里川に差し掛かったあたりから急に汗が吹き出し息苦しくなった。ザックを降ろし休憩を入れると楽になるものの、歩きだすと同じことの繰り返し。こりゃヤバイかなと脈をはかってもらうとなななんと150近くもあるでは!「ξξξがξξでξξがξξしξξにξξがかかったにξいない」とK田博士。とりあえずはゆっくり休むとなんとか楽になったのでホッとする。

途中で抜かされた車は釣り師だった。僕達が入ろうとしていた場所に駐車し支度をしていたのでさらに上流の堰堤から入ることにした。なんだか悔しかったので “ボウズ食らえコンニャロメ!” と小声で言ってやったら、しっぺ返しを食らってしまった・・・おっと、この日の釣果を先に話してしまった。そう、僕らは揃ってボウズを食らったのだ。しかもパーフェクトな丸ボウズだ。参ったか、ひゃっひゃっひゃっ!

実は新しいフライを久しぶりに巻いてみたのだ。最近どうにも視力の衰えが激しく沈んだフライが扱い難くてしょうがないので、そこで板状の発砲スチロールをウイング代りに使い絶対に沈まぬフライにしたのだ。名付けて『不沈君1号』 しかし一度の反応すらも無かったので、魚がいないのか?それとも不沈君では釣れないのか?いずれにせよいつかは水底へと引きずり込まれる不沈君を見たいものだ。

入渓地点の駐車スペースにイヤなものを見つける。茶色くしみたテイッシュの下にはこんもりとした汚物が隠されていると思われ、しかしとてその真相をわざわざと確認するほどまでの興味もなく、勇気もなく、ましてや意味もなく、ただ踏まぬように注意しながらスルーしようとしたその時、ひとりの年配男性が裸体のまま川から上がってきた。その手には何故か下着が握られしかもそれはテイッシュと同色に汚れていたことから察するに、これは間違いなくこの年配男性はお漏らしあそばせたその後の処理を渓流の水で洗う作業をなさったのであるなと推測できた。「危ないところでした、下流で釣りしてたらきっとウ〇コ流れてきましたね」とK田博士がほくそ笑む。「はい、ウ〇コに触れたヤマメなんかばっちくて釣りたくありませんからね」と僕。 「さっきの釣り師、気持ちよさそうに顔なんか洗ってたりして」とK田博士。「まさか、ゴクゴクと・・・」と僕。釣り場を先取りされた僕達は人の不幸を想像しながら楽しむのだ。そんな話をしているとその年配男性がすげー険悪な顔で僕らを睨みつけるものだからK田博士が、「気分悪いジジイだな」と憤慨するも、この男が本気で怒ることの方が怖いので、「ウン〇タレだから、まさにクソジジイですね、ささ、相手にせず行きましょう」と場をやわらげ渓を目指すのであった。

K田博士は少し前まで入院していた。原因不明の病だそうで首が腫れ高熱が続いたそうだ。ちょうど職場では新人が入ったばかりの多忙な時期に一週間も病欠したものだから弱気になっている。「今回はさすがにまずかったよ。しばらくは不摂生せずに体調を管理しようと思っている」とか言っちゃいやがるが、いつもの儀式はしっかりと行う。缶ビールをあっという間に呑み干し冷や酒を注げば注ぐだけ素直にカポカポとあおる。この男には反省という文字は、無い。

   

 

 で、釣りは先に言った通りの丸ボウズ。魚影もなければ反応もない。初めは岩陰に身を隠した姿勢で丁寧にポイントを探るK田博士であったが、さすがに飽きたようで最後の方は、“どうせ釣れるわけ無いけど一応打ちこんでみるか”的ないい加減な釣りをしていた。それでも渓は気持ちよいようで、「電車とバスで来て、こんな身近に素晴らしい渓相があるのだね、はっはっは、」と笑いながら立ち〇ッコを決めていた。

さて、昼飯だ。T先先輩の“なんちゃってチャーハン”のレポを見てから、たまにはこちらもマシな渓食をせねばと今日はザックを膨らませてきた。 まずは手軽なアテにとコンビニポテサラとアンチョビをのせたソーダクラッカー。これはなかなかイケるぞ。因みにセベンイレベンのポテサラは玉葱が混入されているのでローソンのものを選ぶのが好し。 よく歩いた後は塩味のきいたワンタンスープがうまい。 僕のメインはフレンチトースト。昨夜から卵、牛乳、砂糖を目一杯染み込ませたフランスパンをバターで焼く。表面はこんがり、中はトロトロのプリン状態。これに妻の実家で収穫する純度100%蜜柑ハチミツをたくさん垂らしてかぶりつくとお口の中はもう甘々ドロドロのメルヘンチックなお花畑。 渓食での肉類は必須だ。ベーコンブロックと赤ウインナーの競演にはなんとも華がある。「マヨたっぷりの赤ウインナーが嫌いな人がいるなんて信じられませんな!」とK田がフンッと東京の端っこ方面に向け鼻息を発射した。 K田の定番あんかけ焼きそばもうまい。 オイルサーディン缶も引き出しのひとつだ。鷹の爪、ニンニクパウダー、レモン汁、醤油、刻んだアンチョビ、そして大量の黒コショウを入れると辛さと塩味のアクセントがでる。ちびちび酒をやるには良いアテなのだ。 このだらしなく散らかった“会場”はまさに心休まる安堵の地だ。アリさんもおこぼれにあずかっていた。「やっぱ渓食はいいですな」といつになくご機嫌のK田博士であった。

来る時に見つけておいたワラビを摘んで帰るはずだった。あの時僕は、「誰かにとられちゃわないか?」とK田博士に言ったのに、それなのに、ああそれなのに、「車で通過する人には見付けられないでしょ」と帰りに採取することを提案しやがったのだ。案の定、あんなにたくさんあったワラビは・・・3本しか残っていなかった。K田博士の小さな目ん玉を信じた僕がバカであった。コゴミはすっかりと伸びきっていた。

  

 

 

  

 

ボウズの日の帰り道はK田博士で遊ぶに限る。「おい、なんかオモシロイ話しをしろ」「んー、ありませんな」 「じゃあ、あそこに鐘があるから鳴らしてみろ」「へい!」 「あれ?この鐘は花嫁しか鳴らしちゃいけないみたいだぞ」「はーなーよめはー夜汽車ーに乗って」「歌うなバカ」「へい!」 「こら、握った棒を輪っかに何度も出し入れしちゃダメだろ」「エヘヘヘェ~」 「ストレスたまっているね?」「エヘヘヘェ~」 「おい、あの看板の絵はなぜにリス君なのだ?」「エヘヘヘェ~、それはク・・・」 「その先は言わなくていいぞ」「へい!」

バス停での待ち時間もK田博士で遊ぶに限る。「おい、手旗もって小学生の真似しろ」「へい!」 「おい、道の真ん中まで歩いてみろ」「へい!」 「おい、来た車とめてみろ」「むむう、」 「おい、そのままバスに乗れ」「む、むむう、」 K田博士の目ん玉は・・・やっぱり小さくなっていた。

 

おしまい。。