「同じものを見たとしても、見る人によって、まるで違うものとして見えている」
これ、そのとおりですよね。
同じドラマを見ていてもブロガーさんによって、見え方が全然違っている。
ああ、こういう見方があるのか、と感心させられる。
安倍首相のやってることを見て、僕はメチャクチャだなぁと思うけれど、そうでない人もいる。
今日子(新垣結衣)の服の違いも、ファッションに興味のある人は気づくけれど、厄介(岡田将生)や男たちには気づかない。
それは美術館に展示されている絵も同じ。
厄介と額縁匠の和久井(山田明郷)、今日子の見ているものは全然、違う。
人間の現実認識など、この程度のものなんですね。
知識やこだわりや立場や思想などによって、理解の仕方がそれぞれ違っている。
これでは争いやケンカが起こるわけだ。
自分はまったく理解されてない、と孤独を感じるわけだ。
それは、今日子に対する厄介の理解も同じ。
「わたしの毎日はちょっとの謎とお金があればいい」
と語る今日子に対し、厄介は言う。
「それって寂しくないですか?」
厄介は今日子を<寂しい存在>として見ている。
これに対して、今日子は少し沈黙した後、こう返す。
「あなたの目にわたしがどう映っているか存じませんが、それはあなたの主観に過ぎません。見ているようで見ていないのかも」
今日子は理解されることを拒否しているようだ。
自分の心の中に踏み込んでほしくないと思っている。
まあ、それはそうですよね。
眠れば、それまでの記憶をなくしてしまう今日子の苦しみなど、そうでない人間にわかるわけがない。
今日子にしてみれば、他人を完全に理解することなど可能だし、中途半端な理解や同情など、まっぴら御免というわけだ。
今回のエピソードは、人間の現実認識という点で、事件と今日子のことがリンクしていて上手いと思いました。
現実認識能力という点では、厄介より今日子の方があるようだから、厄介が今日子のことを理解するのは無理なのかなぁ。
でも、厄介は誰よりも今日子のことを理解しようとしている。
これからも、どんなに拒絶されても、無器用に理解しようとしていくのだろう。
さて、今週のガッキー。
今回は着せ替え人形でした!
ある時は美術館職員、ある時は美術誌記者、またある時は画家……。
探偵だから変装をするわけですね。
その間、スカートやトップスを替えているわけですから、今日子は結構、衣装持ちのようです。
これ、そのとおりですよね。
同じドラマを見ていてもブロガーさんによって、見え方が全然違っている。
ああ、こういう見方があるのか、と感心させられる。
安倍首相のやってることを見て、僕はメチャクチャだなぁと思うけれど、そうでない人もいる。
今日子(新垣結衣)の服の違いも、ファッションに興味のある人は気づくけれど、厄介(岡田将生)や男たちには気づかない。
それは美術館に展示されている絵も同じ。
厄介と額縁匠の和久井(山田明郷)、今日子の見ているものは全然、違う。
人間の現実認識など、この程度のものなんですね。
知識やこだわりや立場や思想などによって、理解の仕方がそれぞれ違っている。
これでは争いやケンカが起こるわけだ。
自分はまったく理解されてない、と孤独を感じるわけだ。
それは、今日子に対する厄介の理解も同じ。
「わたしの毎日はちょっとの謎とお金があればいい」
と語る今日子に対し、厄介は言う。
「それって寂しくないですか?」
厄介は今日子を<寂しい存在>として見ている。
これに対して、今日子は少し沈黙した後、こう返す。
「あなたの目にわたしがどう映っているか存じませんが、それはあなたの主観に過ぎません。見ているようで見ていないのかも」
今日子は理解されることを拒否しているようだ。
自分の心の中に踏み込んでほしくないと思っている。
まあ、それはそうですよね。
眠れば、それまでの記憶をなくしてしまう今日子の苦しみなど、そうでない人間にわかるわけがない。
今日子にしてみれば、他人を完全に理解することなど可能だし、中途半端な理解や同情など、まっぴら御免というわけだ。
今回のエピソードは、人間の現実認識という点で、事件と今日子のことがリンクしていて上手いと思いました。
現実認識能力という点では、厄介より今日子の方があるようだから、厄介が今日子のことを理解するのは無理なのかなぁ。
でも、厄介は誰よりも今日子のことを理解しようとしている。
これからも、どんなに拒絶されても、無器用に理解しようとしていくのだろう。
さて、今週のガッキー。
今回は着せ替え人形でした!
ある時は美術館職員、ある時は美術誌記者、またある時は画家……。
探偵だから変装をするわけですね。
その間、スカートやトップスを替えているわけですから、今日子は結構、衣装持ちのようです。
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