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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

掟上今日子の備忘録 第3話~わたしの毎日はちょっとの謎とお金があればいい

2015年10月25日 | 推理・サスペンスドラマ
「同じものを見たとしても、見る人によって、まるで違うものとして見えている」

 これ、そのとおりですよね。
 同じドラマを見ていてもブロガーさんによって、見え方が全然違っている。
 ああ、こういう見方があるのか、と感心させられる。
 安倍首相のやってることを見て、僕はメチャクチャだなぁと思うけれど、そうでない人もいる。

 今日子(新垣結衣)の服の違いも、ファッションに興味のある人は気づくけれど、厄介(岡田将生)や男たちには気づかない。
 それは美術館に展示されている絵も同じ。
 厄介と額縁匠の和久井(山田明郷)、今日子の見ているものは全然、違う。

 人間の現実認識など、この程度のものなんですね。
 知識やこだわりや立場や思想などによって、理解の仕方がそれぞれ違っている。
 これでは争いやケンカが起こるわけだ。
 自分はまったく理解されてない、と孤独を感じるわけだ。

 それは、今日子に対する厄介の理解も同じ。
「わたしの毎日はちょっとの謎とお金があればいい」
 と語る今日子に対し、厄介は言う。
「それって寂しくないですか?」
 厄介は今日子を<寂しい存在>として見ている。
 これに対して、今日子は少し沈黙した後、こう返す。
「あなたの目にわたしがどう映っているか存じませんが、それはあなたの主観に過ぎません。見ているようで見ていないのかも」
 今日子は理解されることを拒否しているようだ。
 自分の心の中に踏み込んでほしくないと思っている。
 まあ、それはそうですよね。
 眠れば、それまでの記憶をなくしてしまう今日子の苦しみなど、そうでない人間にわかるわけがない。
 今日子にしてみれば、他人を完全に理解することなど可能だし、中途半端な理解や同情など、まっぴら御免というわけだ。

 今回のエピソードは、人間の現実認識という点で、事件と今日子のことがリンクしていて上手いと思いました。
 現実認識能力という点では、厄介より今日子の方があるようだから、厄介が今日子のことを理解するのは無理なのかなぁ。
 でも、厄介は誰よりも今日子のことを理解しようとしている。
 これからも、どんなに拒絶されても、無器用に理解しようとしていくのだろう。

 さて、今週のガッキー。
 今回は着せ替え人形でした!
 ある時は美術館職員、ある時は美術誌記者、またある時は画家……。
 探偵だから変装をするわけですね。
 その間、スカートやトップスを替えているわけですから、今日子は結構、衣装持ちのようです。


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