平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

エジソンの母 第1話

2008年01月12日 | その他ドラマ
★面白い!
 1+1=2でないドラマだから面白いのだ。
 1+1=2のドラマとは例えば「斉藤さん」
 ストーリー展開は定石どおり。何が起こるかすぐわかる。
 だが「エジソンの母」は何が起こるかわからない。
 人形に電気を加えたら生き返る……賢人(清水優哉)くんが次に何をしでかしてくれるか?
 鮎川規子(伊東美咲)たち大人のリアクションは?
 ワクワクする。
 大体、伊東美咲さんが冒頭「つまらない女」「家事機能のついたバービー人形と結婚するつもりはない」と言われること自体が定石でない。
 女優・伊東美咲のイメージを裏切るいきなりの展開。
 しかも伊東さん演じる規子、その後も「つまらない」という言葉に過剰に反応している(笑)。

★この作品を見ていると世界が違って見えてくる。
 視聴者は規子たち大人の視点で見てるから、賢人くんの発想は新鮮だ。
 1+1=2。
 しかし10進法では1+1=10。
 その他、別に切り口で考えれば1+1=0になり、1になり11になると言う。
 1+1=2というのは『算数』というローカルなゲームのひとつの正解であり、正解は他にもいろいろあるのだ。
 こんなエピソードもあった。
 「おまえはウソつきだ」と言われて「そのとおりと言えば」、ウソつきでなくなる。
 ソクラテスとプラトンのパラドクス。
 自分たちがどんなにジョーシキにとらわれてキュークツに生きているかを教えてくれる。
 ジョーシキがどんなに可能性を潰しているかを教えてくれる。

 またそれが現在の学校教育、モンスターペアレンツに代表される過剰な親子関係への批判にもなっている。
 賢人のことを『学習障害』と決めつける親と教師。
 人と違っていることをしているだけなのに型にはまらない子は「腐っている」と言われてしまう。
 それがどんなに子供の好奇心を潰し可能性をなくしていることか。
 「金八先生」が直球でそのことを描いているとすれば、この作品は変化球だ。
 そして僕は変化球で描いてくれる作品の方が好き。

★天才VS一般人
 「のだめ」もそうだけど、天才が一般人を引っかき回すドラマは面白い。
 天才(あるいは変な人)はまわりを活性化させる。
 一般人は天才が作り出す新たな世界を求めている。
 それだけ現在の時代が閉塞しているってことだろう。

★印象的だったのは次のふたつのシーン。

・「腐っている」と怒った教師・加賀美(松下由樹)に賢人の母あおい(坂井真紀)は言う。
 「迷惑をかけたことはお詫びしますが、そんなこと言わないで下さい。この子は本が好きなんです。学校が友達が好きなんです」
 母親が子供に一生懸命になるシーン、あるいは人が人に一生懸命になるシーンというのは泣ける。

・美浦博之(谷原章介)が規子のことを「面白い」と言うシーン。
 1+1=2だけでなく、10でも0でも1でも11でもあると言われて規子はキレる。
 「私にとっては1+1=2なのよ!」
 それに対する美浦のリアクション。
 「あいつが初めて面白かった」
 美浦も相当変な人だ。

★規子の成長
 出来事を通して規子も成長している。
 1+1=2になることを賢人にこう教える。
 「1+1=2は決まり。とりあえず1+1=2で前に進もう。足し算がわかれば前に進める。1+1=10になることもわかるようになる。人形を生き返らせることも出来るかもしれない」
 同時に規子は心の中も整理。
 「とりあえず婚約のこともなくなったことにして前に進もう」
 主人公が成長するドラマは楽しい。
 「とりあえず婚約のこともなくなったことにして前に進もう」とつけ加えた所もお洒落だ。
 見事な脚本。


 

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4 コメント

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没! (教育者)
2008-01-19 03:46:23
番組の掲示板で没となった、私の書き込みです。

 私たちの目で見ることのできるマクロな世界で、私たちが普通の感覚で正当であると認識できる古典論理の元では、1+1=2は真実です。これは決まりごとなんかでないです。二進法で(番組中で出されたその他の反例は、問題外です。)1+1=10と書こうとも、それは2であることに変わりありません。二個の粘土をくっつければ1個の粘土になるし、確かに2本のチョークが3本にあることもありますが、1+1=2で教えるべきことは、数の増減ではなく、数えるときの心の中にある(最小)単位は何なのかを教えねばならないということです。ミカンが1個とリンゴが1個で2個になるというのなら、その(最小)単位が個数だけにむけられて、ミカンであるかリンゴであるかは問わないと教えるべきです。あくまで+(足す)ときは同一単位でありその結果である=の右はやはり同一単位で表すというのが約束事なわけです。どうして1+1=2なのと疑問を持つことの方が高度な思考に基づくというのは間違った認識です。それは通常の抽象化が自然にできない結果としての疑問だからです。
 ちょっと気になったのですが、人形を生き返えさせるというは、元々生きてないのにどこに返る(帰る)のでしょう?。
 心のままに生きることを大切だと賢人くんのお母さんは願いますが、それは危険な考えではないでしょうか。人をナイフで刺したらどうなるのかと疑問をもって刺されてはたまりません(電気流されてもいやですが)。社会で生きていくのですから、自分以外の存在を考えることのできることを第一としてほしいですね。なぜ勉強するのかは、心が欲するからだけではなく、まず社会で自分が喜びを感じることのできるものを得るための道具を手に入れるためと考えたいです。とりあえず前に進むために勉強する訳ではないです。
 最後に、ソクラテスとプラトンの・・・というのは、詭弁であって決してパラドックスなんかではありません。マルタ島の人はみんな嘘つきだとマルタ島の人が言う訳ないのですから。「Aは嘘つきだ」の意味は「Aは必ず嘘をつく」ことを意味しません。通常「Aは嘘をつくことがある」と解釈すべきです。言葉の曖昧さを使って「そうです、私は嘘つきです」などと答えて、悦に入ってるとすれば、それだけで笑えてしまいます。ここで教師がやるべきことは、一緒になってぐるぐる回るのではなく、嘘はよくないこと、確信が無いのに嘘つきだと言わないこと、そして、真偽がわからないときは、一緒に調べることをすることではないか。
 影響力の大きいテレビ番組であるが故に、放っとけないかな。
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没!ですか (コウジ)
2008-01-19 12:07:29
教育者さん

コメントありがとうございます。
番組掲示板の書き込み、没ですか。
番組に対する否定的な意見も含めて様々な意見を掲載すべきですよね。

心のままに生きることのマイナスは昨日の第2話で描かれましたよね。
「心のままに生きること」と「してはいけないことを教えること」、この両者のバランスをどうとっていくかは学校教育の永遠の課題だと僕は思います。
恐らく正解はなくて、現場の先生が子供のしでかしたことにどう対処していくかが大切なのだと思います。2階から跳んだ時は叱り、世界地図を繋ぎ合わせた時はほめるみたいな。

ご指摘の「1+1=2じゃない」「ソクラテスのパラドックス」については数学や論理学の世界では様々な議論があるのでしょうね。
僕などは単純なのでただ感動してしまいましたが。
もっとも映像表現には限界がありますし、作者はこれらを通して別のこと(例えば好奇心を疎外する学校教育、既存の考え方を疑ってみることとか)を表現したかったのだと思います。
その辺は視聴者もわかっていると思いますよ。

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1+1の思い出 (nolly chang)
2008-01-24 01:07:31
こんばんは。
このドラマ、見たかったんですが見逃してばかりです。
私にとって忘れられないドラマはTBS系の「もしも学校が・・・」というドラマなんですが、主人公の少年は「1+1は大きな1になるだけだ!」と叫ぶシーンがあります。私にとってとても大切なシーンでした。関係ないコメントでごめんなさい。
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コメントありがとうございます (コウジ)
2008-01-24 13:07:46
nolly changさん

コメントありがとうございます。
「もしも学校が…」
僕は見ていないのですが面白そうですね。
そのシーンがnolly changさんにとってどうして大切なシーンになったのかも知りたいです。
「エジソン」視聴率はよくないようですが、面白いですよ。

それから僕の方はまだ「父親たちの星条旗」を見れていません。
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