体罰が社会問題となっている現在、よくこの作品をやりましたね。
「こんな世界にも希望はある。でもな。現実は、お前が思ってるよりよっぽど残酷なんだ。だから強くなれ」
茂之(浦上晟周)を強くするために、吉本荒野(櫻井翔)は〈負荷〉をかける。
賭け勝負・監禁・嘘メールで友達を信頼させておいていきなり梯子を外す……。
それらは茂之が学校で受けていたいじめなどよりはるかに思い負荷。
より強い負荷をかければ、学校でのいじめの負荷など跳ね返せるようになるというわけだ。
だけど、こんなやり方でいいのだろうか、と僕は思ってしまう。
たまたま茂之は強い子で、吉本も茂之なら大丈夫だと考えて負荷をかけたんだろうけど、親友の園田の言葉を信用して学校に行ったら、いきなり「俺があんなコメントすると思うか? 全部家庭教師の仕業だよ」なんて言われたら精神が崩壊しますよね。
茂之はそれを怒りという形で吉本にぶつけたからよかったけれど、弱い子なら、その場で自殺してもおかしくない。
僕はつらい現実があったら逃げろという立場なので、やり方としては『35歳の高校生』の馬場亜矢子(米倉涼子)のような、となりにいて〈寄り添ってあげること〉の方が好きですね。
吉本がやっていることは、柔道の体罰コーチがやっていることと同じ。
というより体の痛みでなく、精神的に痛めつけている分、より陰湿。
痛めつけている対象が子供だから尚更つらい。
この作品の製作者が、「現在の体罰批判の風潮は間違っている」と主張したいのならいいのですが、果たしてそこまで考えてこれを作っているのかどうか?
物語としては『家政婦のミタ』を意識した家族の再生もの。
頭のおかしな家庭教師がやって来たというホラー物であるのなら、ホラー物として見ればいいのでしょうが、作品の狙いは違うようです。
「こんな世界にも希望はある。でもな。現実は、お前が思ってるよりよっぽど残酷なんだ。だから強くなれ」
茂之(浦上晟周)を強くするために、吉本荒野(櫻井翔)は〈負荷〉をかける。
賭け勝負・監禁・嘘メールで友達を信頼させておいていきなり梯子を外す……。
それらは茂之が学校で受けていたいじめなどよりはるかに思い負荷。
より強い負荷をかければ、学校でのいじめの負荷など跳ね返せるようになるというわけだ。
だけど、こんなやり方でいいのだろうか、と僕は思ってしまう。
たまたま茂之は強い子で、吉本も茂之なら大丈夫だと考えて負荷をかけたんだろうけど、親友の園田の言葉を信用して学校に行ったら、いきなり「俺があんなコメントすると思うか? 全部家庭教師の仕業だよ」なんて言われたら精神が崩壊しますよね。
茂之はそれを怒りという形で吉本にぶつけたからよかったけれど、弱い子なら、その場で自殺してもおかしくない。
僕はつらい現実があったら逃げろという立場なので、やり方としては『35歳の高校生』の馬場亜矢子(米倉涼子)のような、となりにいて〈寄り添ってあげること〉の方が好きですね。
吉本がやっていることは、柔道の体罰コーチがやっていることと同じ。
というより体の痛みでなく、精神的に痛めつけている分、より陰湿。
痛めつけている対象が子供だから尚更つらい。
この作品の製作者が、「現在の体罰批判の風潮は間違っている」と主張したいのならいいのですが、果たしてそこまで考えてこれを作っているのかどうか?
物語としては『家政婦のミタ』を意識した家族の再生もの。
頭のおかしな家庭教師がやって来たというホラー物であるのなら、ホラー物として見ればいいのでしょうが、作品の狙いは違うようです。
そこに吉本が登場しその対象となった、ということでしょう
松田優作主演の映画「家族ゲーム」は80年代前半だったと思うのですが、いじめの構造は変わっていないのかも知れませんね
このところいじめを題材にしたドラマが目立ちますね
このブログの前の記事にもありましたが「リーガル・ハイ」のクールな立場と、今回の「家族ゲーム」のいじめに立ち向かう立場は正反対に思えてきます
コメントありがとうございます。
最近のドラマで描かれている子供たちの現状を見ているとハードだなって思ってしまいます。
また、この作品を含めてそれぞれのドラマは、それを克服するためにどうしたらいいかを模索している感じですね。
>残酷なこの世界を生き抜くには『強くなる』しかない
おっしゃるとおりですね。
では、『強くなる』にはどうしたらいいのか?
あるいは『強さ』とは何なのか?
そんなことも描いてくれると、苦しみ悩んでいる人に力を与える作品になると思います。
僕は、昨日も仲間がひとり増えましたが、「35歳の高校生」のように〈弱い、同じ痛みを持った者たちが寄り添うやり方〉の方が正解のような気がしますね。
コメントありがとうございます。
>茂之には怒りをぶつける対象すらなかった。そこに吉本が登場しその対象となった、ということでしょう
そうですね、茂之は怒りを外にぶつけられる強い子だったからよかったですね。
でも、弱い子だったらそれを外ではなく、自分に向けて、どんどん自分を追い込んでいってしまう。
吉本はおそらく「茂之なら立ち向かってくる」と考えたのでしょうが……。
吉本の処方箋はすべての人間に当てはまるものではない気がします。
家族ゲームの方が先に原作があったので、
ミタの方が家族ゲームとパクった作品です。
1話で吉本が母親に子供が本当に心配なら監禁なんて許さないはず的な発言をしていますよね。
今の指導自体吉本はおかしいと理解しているのではないでしょうか?
2話での長男に向かってもいじめられてる弟が居ても
助けにいかないって挑発をしているのに結局長男はいじめっ子がいるときは助けに行きませんでした。
また吉本は父親の前では暴力を振るいません。
最終的に吉本がやっていること自体に否を唱え茂之を
守ろうとすること自体が着地点に見えてなりません。
現実では転校させることが正解だと思います。
しかし父親はろくに調べもせず引っ越しできないから転校は無理と決めつけます。
ここでは家族自体が次男に寄り添う事すらできていません。
毎回毎回ドラマのように赤の他人が味方になるのは滅多にないと思います。(学生時代、家族ゲームの偽メールのようなことがまわりでありました・・)
その上で、家族という存在だけは。。。
家族ゲームの副題「壊れるまで君に向き合おう」
これは家族から次男への最終的なメッセージにつながるのではないでしょうか。
親の自慢の長男と出来の悪い次男どちらもプレッシャーと抑圧の上での危うい均衡が保たれたままだったと思います。今後展開がどんどん動いていくそうなので楽しみです。
コメントありがとうございます。
>「壊れるまで君に向き合おう」
いい言葉ですね。
おっしゃるとおり、あの家族は最終的には茂之と向き合い、家族として生きていくようになるんでしょうね。
この着地点では、傍にいて<寄り添う>ということで、この記事でも比較として出しましたが、「35歳の高校生」と同じ。
「35歳の高校生」はそれを1話でやりましたが、この作品では全13話を使って描こうとしているということなんでしょうね。
とはいえ、結論は同じでも、その過程・やり方が全然違う。
僕は吉本がやっていることは子供に対する虐待としか思えないので、第1話で脱落してしまいました……。
1年前に。
殺された。
今のドラマはいじめや殺しが多い。
どうお答えしたらいいかわからないのですが、社会問題を扱う作品の場合、インパクトとか話題性みたいなことでなく、しっかりその問題とどう向き合うかを決めてから製作に取り組んでほしいですよね。
そうすれば、自ずから描いていいことと悪いことが見えて来るはず。