<人が生きる>ということはどういうことなのだろう?
★まずは電線の鉄塔。
鉄塔は現在生きている人間たち。
それは電線という形で繋がり、関わり合っている。
平太(佐藤健)、影山(賀来賢人)、河合恵美子(高畑充希)、民子(蓮佛美沙子)、久保(池松壮亮)、藤丘(柄本時生)、中尾(細田よしひこ)。
彼らは<学校>という電線で繋がっている。
影山と恵美子、民子と久保のように太い電線で繋がれている関係もある。
藤丘は校長(小野武彦)と繋がっている。
小川(田中裕二)は柳(薬師丸ひろ子)と繋がりそうだ。
今回の平太と中尾のように切れてしまいそうな危うい電線もある。
電線を伝わってくる電気というのは<人の言葉>や<愛情>なのかもしれませんね。
<言葉>や<愛情>という電気が伝わってこなければ、人は生きていけない。
何かがあれば簡単に切れてしまう頼りない電線だけれど、繋がずにはいられない。
今回、平太はQ10(前田敦子)との電線を切断しようとした。
マンガの『ガーン』というシールを貼っていっしょに落ち込んでくれる存在なのに。
中尾はQ10との電線がうまく繋がらなくて、屋上から飛び下りて自殺しようとした。
もう一度繰り返しますが、人は<言葉>や<愛情>という電気が伝わってこなければ生きていけないんですね。
★もうひとつは人間の心臓の音。
この作品は<何かを叫びたくてもうまく叫べない若者たち>を描いているが、<心臓の音>こそが究極の叫び。
心臓の音を鳴らしながら、人は<自分はここにいるよ><自分は生きているよ>と叫んでいる。
この作品では<心臓の音>も<言葉>。
好きな人といっしょにいればドキドキするし、キレて怒っていればキリキリする。
Q10は<心臓の音>で、人の心を理解しているんですね。
だから平太を助けに来た。
平太の家族が平太の心臓の音を聞いて微笑み合うシーンや久保が民子の心臓の音を聞いて微笑むシーンはなぜか涙が出る。
<心臓の音>でその人を感じるなんて何という感性!
感覚としては、母親のお腹の中にいる感じでしょうか。
人が記憶している一番最初の音。
母親のお腹の中にいる時は守られていて愛情に包まれていて、だから心臓の音は人を穏やかにする。
自分は孤独でないことを思い出させてくれる。
言葉は行き違いがあったりして頼りないけれど、心臓の音は確かなもの。
心臓の音というのは、究極の音、宇宙の音なのかもしれませんね。
★ラブストーリーも進行中
・まずは影山と恵美子。
影山が卒業したらカナダに行くことを知って恵美子は
「影山君に出会う前に戻りたい。期待も希望も何もない昔だったら平気だった。ずっとそうやって傷つかないように用心深く生きてきたのに。……あ、バチ当たったんだ。ブスなのに調子こいたから…」
「何でそっち行く? 全然ブスじゃない…」
「ほら、そうやって信用させておいてすぐドブに叩き落とす…」
上手いせりふですね。
恵美子の性格がよく表れている。
個人的には「ブスなのに調子こいたから…」が好き。
影山と恵美子はラブコメパートですね。
・一方、久保と民子。
ネットで悪口を書かれて民子は
「声出して言えないから、あたし、違うって言えないんだよね。言えないのにウソのあたしがどんどん作られていく。あたし、どこで言えばいいんだろう。そんなんじゃないんだって誰に向かって言えばいんだろう。……声出して笑えよ! 声出してなじれよ! ふざけんな! ……でも届かない」
すると久保は民子のギターを指さして
「これ。歌で自分はそんなんじゃないって言うのはどう? そんなウワサ叩きつぶすようなやつ(曲)作ってさ。で、俺に聴かせてよ」
民子の必死の叫びもすごく伝わってくるが、久保の控えめな感じも心に染み込んでくる。
「で、俺に聴かせてよ」というラストのひと言が効いている。
※追記
この作品、深すぎて、書いていて抜け落ちてしまうことがたくさんある。
・「壊すつもりなんでしょう、今ある世界を。本当に壊しても良い世界なのか、決して壊してはならない世界なのか、それを見極められないうちは力は使ってはならない」
月子(福田麻由子)の言葉。
「エヴァンゲリオン」ですね。
<自分が生きている世界を愛するべきか憎むべきか>というテーマは、第1話で<世界>が見つかって以来、この作品に延々と流れている。
エンディングの最後に出て来る<地球儀>も今回登場した。
・「恨んでもひとつも良い事はなかった。だから『この世は不公平なものだ。それで良いんだ』と思うことにしたんだ。そうしたら、そういう目にあっているのは俺だけじゃないんだって事に気づいてさ。そうやって俺は恨みとか、嫉妬とか、そういうものを少しずつ小さく折りたたんでいったんだと思う。でも、きっと今も自分の中にあるんだと思う」
平太の言葉。
これも<世界を愛するべきか憎むべきか>というテーマを表現したもの。
以前の平太は世界を憎んでいた。
★まずは電線の鉄塔。
鉄塔は現在生きている人間たち。
それは電線という形で繋がり、関わり合っている。
平太(佐藤健)、影山(賀来賢人)、河合恵美子(高畑充希)、民子(蓮佛美沙子)、久保(池松壮亮)、藤丘(柄本時生)、中尾(細田よしひこ)。
彼らは<学校>という電線で繋がっている。
影山と恵美子、民子と久保のように太い電線で繋がれている関係もある。
藤丘は校長(小野武彦)と繋がっている。
小川(田中裕二)は柳(薬師丸ひろ子)と繋がりそうだ。
今回の平太と中尾のように切れてしまいそうな危うい電線もある。
電線を伝わってくる電気というのは<人の言葉>や<愛情>なのかもしれませんね。
<言葉>や<愛情>という電気が伝わってこなければ、人は生きていけない。
何かがあれば簡単に切れてしまう頼りない電線だけれど、繋がずにはいられない。
今回、平太はQ10(前田敦子)との電線を切断しようとした。
マンガの『ガーン』というシールを貼っていっしょに落ち込んでくれる存在なのに。
中尾はQ10との電線がうまく繋がらなくて、屋上から飛び下りて自殺しようとした。
もう一度繰り返しますが、人は<言葉>や<愛情>という電気が伝わってこなければ生きていけないんですね。
★もうひとつは人間の心臓の音。
この作品は<何かを叫びたくてもうまく叫べない若者たち>を描いているが、<心臓の音>こそが究極の叫び。
心臓の音を鳴らしながら、人は<自分はここにいるよ><自分は生きているよ>と叫んでいる。
この作品では<心臓の音>も<言葉>。
好きな人といっしょにいればドキドキするし、キレて怒っていればキリキリする。
Q10は<心臓の音>で、人の心を理解しているんですね。
だから平太を助けに来た。
平太の家族が平太の心臓の音を聞いて微笑み合うシーンや久保が民子の心臓の音を聞いて微笑むシーンはなぜか涙が出る。
<心臓の音>でその人を感じるなんて何という感性!
感覚としては、母親のお腹の中にいる感じでしょうか。
人が記憶している一番最初の音。
母親のお腹の中にいる時は守られていて愛情に包まれていて、だから心臓の音は人を穏やかにする。
自分は孤独でないことを思い出させてくれる。
言葉は行き違いがあったりして頼りないけれど、心臓の音は確かなもの。
心臓の音というのは、究極の音、宇宙の音なのかもしれませんね。
★ラブストーリーも進行中
・まずは影山と恵美子。
影山が卒業したらカナダに行くことを知って恵美子は
「影山君に出会う前に戻りたい。期待も希望も何もない昔だったら平気だった。ずっとそうやって傷つかないように用心深く生きてきたのに。……あ、バチ当たったんだ。ブスなのに調子こいたから…」
「何でそっち行く? 全然ブスじゃない…」
「ほら、そうやって信用させておいてすぐドブに叩き落とす…」
上手いせりふですね。
恵美子の性格がよく表れている。
個人的には「ブスなのに調子こいたから…」が好き。
影山と恵美子はラブコメパートですね。
・一方、久保と民子。
ネットで悪口を書かれて民子は
「声出して言えないから、あたし、違うって言えないんだよね。言えないのにウソのあたしがどんどん作られていく。あたし、どこで言えばいいんだろう。そんなんじゃないんだって誰に向かって言えばいんだろう。……声出して笑えよ! 声出してなじれよ! ふざけんな! ……でも届かない」
すると久保は民子のギターを指さして
「これ。歌で自分はそんなんじゃないって言うのはどう? そんなウワサ叩きつぶすようなやつ(曲)作ってさ。で、俺に聴かせてよ」
民子の必死の叫びもすごく伝わってくるが、久保の控えめな感じも心に染み込んでくる。
「で、俺に聴かせてよ」というラストのひと言が効いている。
※追記
この作品、深すぎて、書いていて抜け落ちてしまうことがたくさんある。
・「壊すつもりなんでしょう、今ある世界を。本当に壊しても良い世界なのか、決して壊してはならない世界なのか、それを見極められないうちは力は使ってはならない」
月子(福田麻由子)の言葉。
「エヴァンゲリオン」ですね。
<自分が生きている世界を愛するべきか憎むべきか>というテーマは、第1話で<世界>が見つかって以来、この作品に延々と流れている。
エンディングの最後に出て来る<地球儀>も今回登場した。
・「恨んでもひとつも良い事はなかった。だから『この世は不公平なものだ。それで良いんだ』と思うことにしたんだ。そうしたら、そういう目にあっているのは俺だけじゃないんだって事に気づいてさ。そうやって俺は恨みとか、嫉妬とか、そういうものを少しずつ小さく折りたたんでいったんだと思う。でも、きっと今も自分の中にあるんだと思う」
平太の言葉。
これも<世界を愛するべきか憎むべきか>というテーマを表現したもの。
以前の平太は世界を憎んでいた。
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