始まる徳川と豊臣の緊張関係。
この中で、江(上野樹里)は主人公になっていない。ただの<目撃者>である。
たとえば、北政所(大竹しのぶ)に「淀殿とは歩く道が違うのかもしれぬ」と言われて、江は何も返せない。
利休の切腹の時も、会いに行ったりしたが、結局、話を聞くだけで何も出来なかった。
秀忠(向井理)は、それなりに手を打った。
三成(萩原聖人)を呼び出して、軽挙を慎むように、父・家康(北大路欣也)につけ込まれないように釘を刺す。
この夫の行動に対し、江はただ感心するのみ。あるいは、相変わらず「いくさはイヤだ」と繰り返すのみ。
北政所や秀忠、あるいは淀(宮沢りえ)の方が深く時代を洞察し、未来を見ている。現実的に生きている。
江の洞察力と言えば、「すべては三成のせいなのですね」というレベル。だが、果たして三成が本当に緊張の元凶なのか?
こんな江だから、彼女が戦う相手として、作家は大姥局(加賀まりこ)を持ってきた。
巨大な歴史の流れとは戦えないから、大姥局でお茶を濁したというわけだ。
今回、唯一、江が主人公になり得る場面があった。
娘・完との再会のシーンだ。
ここで江は完に「叔母上」と言われる。
ここは江の心のドラマを描く重要ポイント。だが、わりとあっさり。もっとあざとく描き込んでもよかったのでないか?
作家は江を主人公としてどう描いたらいいか迷っている。
もっと主人公としてイキイキと描くつもりだったのだが、実際の映像になってみたら、あまりインパクトがなかったという所であろう。
この際だから、秀忠を主人公にしたらどうか?
向井 理さんだし、秀忠の方が政治的に動けるし、心のドラマをしっかり描けそう。
コウジさんの記事を先に読んでからの視聴だったので「江戸の鬼」とのタイトルと相俟って大姥局とは何者かと思っていましたが、「篤姫」の広川や幾島とのエピソードの縮小版ですね。
今回は「秀吉物語」終幕後の舞台装置の入れ替えのように思いました。
>北政所や秀忠、あるいは淀(宮沢りえ)の方が深く時代を洞察し、未来を見ている。
たしかにこれらの人々と比べて江は自分の立場を今ひとつ弁えきっていない感じがしますが、おそらく織田・豊臣の女性から「徳川の嫁」へという立場の変化そのものを当面の主題としようとしているのだろうと思います。
いつもありがとうございます。
>「篤姫」の広川や幾島とのエピソードの縮小版
>「徳川の嫁」
まさに「篤姫」ですよね。
しかも<縮小版>という言葉が示すとおり、「篤姫」の縮小版。悪い言葉を使えば<劣化>してしまっている。
田渕さんのコンセプトとしては、<徳川家を終わらせた女性>と<作った女性>ということなのでしょうが、二番煎じは否めない。
毎度書きますが、<徳川の嫁>になってからが、江の本格的なドラマになるのですが、<舞台替え>が遅すぎた。
これからは駆け足で、味の薄いドラマになるのではないかと思っています。