江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

愛宕権現

2013-01-19 | まち歩き

標高25.7メートル。愛宕山は自然の山としては東京23区で最も高い山です。愛宕権現(現愛宕神社)は、その上に建つ神社で、慶長八年(1603年)に江戸の防火のために、徳川家康により祀られました。江戸の頃から眺めの良い場所として有名で、かつては、ここから東京湾越しに遠くは房総半島まで見渡せたそうです。


愛宕山は、NHKの前身である社団法人東京放送局が、ここに放送局と放送用のアンテナを置き、大正十四年(1925年)に日本発のラジオ放送を発信した地としても知られています。この高台にアンテナを設置したことは、電波を遠くに飛ばしたかったことと無縁では無かったでしょう。眺めが良いこととも合わせて、後の東京タワーや東京スカイツリーにも通ずる場所とも言えなくはないようにも思われます。


現代においては、江戸の頃よりも愛宕山の高さやここからの眺めへの興味は薄れたと言えると思います。しかし、「男坂」と呼ばれる大鳥居から神社へと続く長い階段、それもかなり急な石段は、東京広しと言えども、そうそう目にはしない見事な階段で、必見です。あまりに急なので、大人の男性ですら、階上から下を覗き込むと、「恐い」の声が自然に出る人が多くいます。「男坂」は、別名「出世の石段」とも呼ばれていますが、これは、曲垣平九郎というお侍が、馬でこの階段を駆け上がって名を上げたという古事に因むものです。過去、四名が馬でこの階段を上ることに成功していますが、この階段を目にすれば、事実とは言え、信じ難いものがあります。隣には「女坂」という、男坂よりは、やや緩やかな階段があります。


高くて眺めの良い場所というのは、いつの時代も人の気持ちを掻きたてるものです。おごり高ぶる気持ちが、ここに足を向かわせたかどうかは定かではありませんが、桜田門外の変で井伊直弼を襲った水戸藩士は愛宕権現に集まった後に桜田門外へ向かいました。


江戸の名所であった愛宕権現は、周辺の水茶屋などと共に時代小説にも度々登場します。例えば、池波正太郎著「消えた男」(鬼平犯科帳(十)に収録、文藝春秋)の中では、「男坂は六十八段の急な石段だが、その右手になだらかな石段道が山頂の本社へ通じていて、これを女坂と呼ぶ。」、「妙義の團右衛門」(鬼平犯科帳(十九)に収録)の中では、「この愛宕権現は、人も知る江戸四ヶ寺の一つで、胸をつくような男坂の石段をのぼりつめた愛宕山上の境内へ立つと、(中略)観光、参詣の人びとが絶え間もない。」と紹介されています。


愛宕神社 東京都港区愛宕1-5-3

東京メトロ日比谷線 神谷町駅から約550m 徒歩約7分


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石段が見事な「男坂」


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