江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

吉良邸

2011-11-12 | まち歩き

今からおよそ300年前の元禄15年12月14日深夜、赤穂四十七士が吉良邸に討ち入るという事件が起こりました。元禄赤穂事件、いわゆる忠臣蔵です。

日本人ならば誰もが良く知る忠臣蔵。結末が分っているにも関わらず、毎年のように忠臣蔵を題材とした新たな映画や小説が登場し、年末にはスペシャルドラマが放送されるのは、それだけ忠臣蔵が日本人に愛されている証拠なのだと思います。

そんな忠臣蔵ですが、それでは、討ち入られた吉良邸はどこに在ったのか?との質問に答えられる人は、忠臣蔵の知名度に比べれば、かなり少ないだろうと思います。答えは本所です。本所と言われてもピンと来ない人のために、もう少し分りやすい位置でいうと、大相撲が行われる両国国技館から直線距離で南におよそ400mのところです。

吉良上野介の屋敷は、元々は鍛冶橋[1](東京駅と有楽町駅の真ん中付近)に在りましたが、松の廊下での刃傷沙汰が元で本所に屋敷代えになりました。本所は最も江戸らしい地域の一つではありますが、それは庶民に限ったことであり、武家にとっては江戸城から隅田川を越えてさらに遠くのこの地というのは左遷されたに等しい処遇でした。

かつての吉良邸の一部は、現在は公園として整備されています。


忠臣蔵と吉良邸は切り離せない関係にありますので、吉良邸は忠臣蔵を題材とした時代小説には必ず登場していると思いますが、例えば、用心棒日月抄(藤沢周平著、新潮社)の中の「吉良邸の前日」の章では、主人公の青江又八郎と相棒の細谷源太夫が四十七士の討入りに備えて吉良邸で用心棒を勤めることになります。


[1]元禄江戸図、元禄六年(1693年)/古地図史料出版(株)復刻地図には、鍛冶橋御門の脇に「吉良上ツケ」と書かれています。


吉良邸跡(本所松坂町公園) 東京都墨田区両国3-13-9

JR両国駅から約500m 徒歩約7分


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