江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

俎橋

2013-06-22 | まち歩き

いわゆる難読漢字の一つに「俎」という字があり、「まないた」と読みます。料理をする時に使う「まないた」です。「まないた」という字には、偏の部分にあたる二つの「人」を「メ」に置き換えた「爼」もあり、魚を料理するのに用いる板ということで、「真魚板」という書き方もあります。ワープロで変換されるという点では、「俎」の方が一般的なような感じもしないではありませんが、「俎」も「爼」も常用漢字では無いということを考えれば、どちらかの字が、より一般的ということは無いのかもしれません。


「まないた」を辞書で引くと、新選国語辞典(小学館、S58年)には、「まな板」と記され、その他の使い方は常用外の注記付きです。漢和辞典第二版(角川書店、S58年)には「俎」が載っており、「爼」は俗字と記されています。広辞苑第五版(岩波書店、1998年)には「俎板」「俎」「真魚板」の三つが記されています。漢字源(学研、電子辞書)には、「爼」は「俎」の異字体と記されています。変わり種としては、ライトハウス和英辞典(研究社、1995年)には、「爼」が載っているだけで、「俎」はありません。そして、新聞記者のバイブルとも言える記者ハンドブック第12版(共同通信社、2012年)には、新選国語辞典と同じように、「まな板」と記され、その他は常用外の注記付きです。従って、新聞記事では、基本的に「まな板」が正です。辞書ごとに、ここまで違いがあるのは興味深い発見です。


この「まないた」の名が付いた、「まないたばし」という橋が、千代田区の九段下にあります。日本橋川に架かる橋で、靖国通を通す、かなり交通量の多い橋です。現在の橋は1983年(昭和58年)に架けられたもので、親柱には「爼橋」と彫られているのですが、橋の本体には、ペンキで「俎橋」と書かれており、ここでも、ややこしいことになっています。


では、江戸の頃はどうだったかというと、古地図[1]には、「爼板橋」と記されています。一方、新訂江戸名所図会1(ちくま学芸文庫、2009年第7刷)には、「魚板橋(まないたばし)」(併記して「俎橋」)とあります。いずれも事実には違いありません。しかし、複数の字の当て方があったということは、いずれか一つが「正解」だったのかもしれませんし、どちらも「正解」ではなかったのかもしれません。橋は昔からここに在って、この橋を沢山の人が渡るというのに、誰もこの橋の本来の名前を知らないように思えてなりません。都会のミステリーです。


「まないたばし」は、みをつくし料理帖シリーズ(高田郁著、ハルキ文庫)の中では、「俎橋」の名で、主人公の澪が働く料理屋「つる家」近くの橋としてお馴染みです。澪は、時にこの橋まで客を送り、時にこの橋で友と語らい、時にこの橋の上で一人思い悩みます。主人公は、真面目で一途、何事にもとことん取り組む性分なので、橋の名前の秘密に気が付いたら、頭から離れないこと必至でしょう。


俎橋が登場するその他の作品
・池波正太郎著「五月雨坊主」(鬼平犯科帳(十)に収録、文藝春秋)(作品中では「俎板橋」)


[1] 飯田町駿河台小川町絵図 文久三年(1863年)


俎橋 東京都千代田区九段北1-1-4

東京メトロ半蔵門線・都営新宿線 九段下駅からすぐ 徒歩約1分


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橋の本体に記された「まないたばし」の文字。反対側には「俎橋」と記され、親柱には「爼橋」と刻まれています。


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