(原題:Letters from Iwo Jima)
※映画の核に触れる部分もあります。
鑑賞ご予定の方は、その後で読んでいただいた方がより楽しめるかも。
----「硫黄島」2部作「第2弾」。
クリント・イーストウッドが日本人俳優を使って描く戦争映画。
敵国の軍隊を描くなんて、
まるでサム・ペキンパーの『戦争のはらわた』みたい。
これは観たくなるよね
「いやあ、スゴい行列だったね。
昨日の完成披露試写会は丸の内ピカデリーの1&2、
両館をあけたわけだけど、もう超満員。
この映画への関心の深さが読み取れたね」
---じゃあ、終わってから大拍手。
「いや、それがシーンとしていて…」
---それはまたなぜ?
「ぼくは完成披露試写の後は、
いつも周囲の声に耳を傾けるんだけど、
そこでは『暗い気持ちになっちゃった』
『もう、ごめんなさい。戦争はしませんって感じ』
という会話が四方から聞こえてきた」
----そんなに激烈なんだ?
「そうだね。
ある意味、これは戦争版『2001年宇宙の旅』」
----どういうこと?
「つまり、
この映画が作られたことで
これからしばらくは、誰も戦争映画を作れなくなるだろうって意味。
それほどまでにこれは戦争映画として徹底している。
そこにはこれまでの戦争映画の
ありとあらゆる記憶が詰め込まれ、
そしてそれを全くの妥協なしに描いていく。
あまりにも数多くのエピソードが描かれているため、
ここで詳しく紹介するのは止めるけど、
真っ先に脳裏に甦ったのはロバート・アルドリッチ監督の『攻撃』だね」
----えっ、あれって無能な上官に対して
部下が銃の引き金を引くという話じゃなかったっけ?
この映画って、戦略的手腕に優れた栗林中将(渡辺謙)を
主人公にした映画じゃなかったの?
「うん。
ただ、そこにもうひとりの主人公とも言うべき男がいる。
それがいま、アメリカで注目を浴びている二宮和也が演じた西郷。
彼は大宮で営んでいたパン屋が
戦争の犠牲となって潰されたあげく
自分に召集令状がきたことから、
軍への怨みは、より深い。
硫黄島でも始終ぼやいているため、
周囲から睨まれ、上官からは厳しい体罰を日々受けている。
映画では中盤、この西郷たちが
硫黄島に張りめぐらされたトンネルを抜けて
後方へと退却する姿が、
<地獄めぐり>として描かれる」
----まるで『地獄の黙示録』ウィラードみたいだね?
「うん。でも戦闘シーンは、より激烈。
全編『プライベート・ライアン』だね。
さらにそこには『フルメタル・ジャケット』のような<思わぬ狙撃>もあれば、
『ディア・ハンター』を思わせる<自死の恐怖>もある。
そこで西郷は<最前線での抗命>の現場に何度も立ち会う。
これだけ指揮官を失い、統率のなくなった日本軍を描いた映画を
ぼくは初めて観た。
しかもそこに日本の戦争映画的な
<回想による出征前>がいくつも挿入される。
いったい、イーストウッドはどれだけ多くの戦争映画を観たんだろう?」
----ふうん。でも『父親たちの星条旗』と
この映画の二つを並べて観ると、どうだったの?
あえて、両国側から作った意味はあったのかニャ?
「『父親たちの星条旗』は
個人が戦場外でも国威発揚のために使われる姿が描かれていた。
この映画では、個人が進んで国のために身を捧げる。
どちらの映画も、いわゆる<国家>と<個人>の関係を描いているわけだね。
ただ、この『硫黄島からの手紙』が前作と違うのは、
両国の<個>の接点が描かれ、
そのためかイーストウッド映画にしては珍しくアップが多いこと。
3回、出てくる兵と捕虜の物語。
あるときは、それは皮膚の色こそ違えど、
人間はみな等しく、
母から生まれた二本足で歩く生きものであると言う共通項を再認識させ、
あるときは、
前線における人の運命は、国家の意志とは関係なく、
人それぞれの<個>の性質・性格によって決まると言う
戦慄の事実を教えてくれる。
そうそう、ここでは『帰らざる勇者』という
埋もれた名作を思い出したね。
それと最後にもう一つ色の使い方。
あえて褪色させ<赤>だけを強調。
これは<戦火><血>、そして両国の<国旗>の色。
それが最後に西郷の目を通して
もう一つの<赤>を見せてくれる。
この感動のショットは見逃さないようにね」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「フォーンも襟を正すのニャ」
※戦争映画の頂点だ度
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※映画の核に触れる部分もあります。
鑑賞ご予定の方は、その後で読んでいただいた方がより楽しめるかも。
----「硫黄島」2部作「第2弾」。
クリント・イーストウッドが日本人俳優を使って描く戦争映画。
敵国の軍隊を描くなんて、
まるでサム・ペキンパーの『戦争のはらわた』みたい。
これは観たくなるよね
「いやあ、スゴい行列だったね。
昨日の完成披露試写会は丸の内ピカデリーの1&2、
両館をあけたわけだけど、もう超満員。
この映画への関心の深さが読み取れたね」
---じゃあ、終わってから大拍手。
「いや、それがシーンとしていて…」
---それはまたなぜ?
「ぼくは完成披露試写の後は、
いつも周囲の声に耳を傾けるんだけど、
そこでは『暗い気持ちになっちゃった』
『もう、ごめんなさい。戦争はしませんって感じ』
という会話が四方から聞こえてきた」
----そんなに激烈なんだ?
「そうだね。
ある意味、これは戦争版『2001年宇宙の旅』」
----どういうこと?
「つまり、
この映画が作られたことで
これからしばらくは、誰も戦争映画を作れなくなるだろうって意味。
それほどまでにこれは戦争映画として徹底している。
そこにはこれまでの戦争映画の
ありとあらゆる記憶が詰め込まれ、
そしてそれを全くの妥協なしに描いていく。
あまりにも数多くのエピソードが描かれているため、
ここで詳しく紹介するのは止めるけど、
真っ先に脳裏に甦ったのはロバート・アルドリッチ監督の『攻撃』だね」
----えっ、あれって無能な上官に対して
部下が銃の引き金を引くという話じゃなかったっけ?
この映画って、戦略的手腕に優れた栗林中将(渡辺謙)を
主人公にした映画じゃなかったの?
「うん。
ただ、そこにもうひとりの主人公とも言うべき男がいる。
それがいま、アメリカで注目を浴びている二宮和也が演じた西郷。
彼は大宮で営んでいたパン屋が
戦争の犠牲となって潰されたあげく
自分に召集令状がきたことから、
軍への怨みは、より深い。
硫黄島でも始終ぼやいているため、
周囲から睨まれ、上官からは厳しい体罰を日々受けている。
映画では中盤、この西郷たちが
硫黄島に張りめぐらされたトンネルを抜けて
後方へと退却する姿が、
<地獄めぐり>として描かれる」
----まるで『地獄の黙示録』ウィラードみたいだね?
「うん。でも戦闘シーンは、より激烈。
全編『プライベート・ライアン』だね。
さらにそこには『フルメタル・ジャケット』のような<思わぬ狙撃>もあれば、
『ディア・ハンター』を思わせる<自死の恐怖>もある。
そこで西郷は<最前線での抗命>の現場に何度も立ち会う。
これだけ指揮官を失い、統率のなくなった日本軍を描いた映画を
ぼくは初めて観た。
しかもそこに日本の戦争映画的な
<回想による出征前>がいくつも挿入される。
いったい、イーストウッドはどれだけ多くの戦争映画を観たんだろう?」
----ふうん。でも『父親たちの星条旗』と
この映画の二つを並べて観ると、どうだったの?
あえて、両国側から作った意味はあったのかニャ?
「『父親たちの星条旗』は
個人が戦場外でも国威発揚のために使われる姿が描かれていた。
この映画では、個人が進んで国のために身を捧げる。
どちらの映画も、いわゆる<国家>と<個人>の関係を描いているわけだね。
ただ、この『硫黄島からの手紙』が前作と違うのは、
両国の<個>の接点が描かれ、
そのためかイーストウッド映画にしては珍しくアップが多いこと。
3回、出てくる兵と捕虜の物語。
あるときは、それは皮膚の色こそ違えど、
人間はみな等しく、
母から生まれた二本足で歩く生きものであると言う共通項を再認識させ、
あるときは、
前線における人の運命は、国家の意志とは関係なく、
人それぞれの<個>の性質・性格によって決まると言う
戦慄の事実を教えてくれる。
そうそう、ここでは『帰らざる勇者』という
埋もれた名作を思い出したね。
それと最後にもう一つ色の使い方。
あえて褪色させ<赤>だけを強調。
これは<戦火><血>、そして両国の<国旗>の色。
それが最後に西郷の目を通して
もう一つの<赤>を見せてくれる。
この感動のショットは見逃さないようにね」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「フォーンも襟を正すのニャ」
※戦争映画の頂点だ度
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土曜日に二度目の『父親達の星条旗』を観に行ってきました。
前2作のヘヴィーなメッセージでは飽き足らず、
クリントじいさん、またもやってくれました。
この硫黄島2部作、完全な確信犯です。
あえてアメリカ側の作品に感情移入するようなメジャーな俳優を起用せず、
複雑なフラッシュバックで観客を翻弄し、
客観的メッセージをクールに送っています。
偽の星条旗に込められたダブルのジョーク。
アメリカ人はこの映画を、どう観るのでしょう・・・。
まして、双子の『硫黄島からの手紙』を。
日本サイドの方は、徹底して感情移入と自己同一化を
狙っています。
おねむな日本人も、このカウンターは効くでしょうね、
きっと。
P.S トラバさせてくださいね。
正直言って、ぼくは『父親たちの星条旗』は
その複雑な構成が
一ヶ月ほど前の自分のリズムには合いませんでした。
でも、この『硫黄島からの手紙』はストレート。
まるで、
60年代の映画を観ているような、
その豪速球がずっしりと胸に響いてきました。
ご覧になったら、またお話を伺いたいです。
人が人として、この世界に存在する、本当の意味をできるだけ知りたいと思っているせいかもしれません。
「映画」の持つ力を信じたいです。この時代に存在して、この映画に触れる機会を得られたことを、本当に感謝したくなる、そんな映画に、また出逢えるのですね。イーストウッド監督にも、感謝の気持ちで一杯です。えいさんや他の方とのブログでの会話やいろいろなこと、すべてに感謝している自分です。楽しみに公開を待ちます。
素敵なコメントありがとうございます。
この映画は、ほんとうに<事件>だと思います。
ある意味、究極の反戦映画。
イーストウッドがここまでくるとは!?
『荒野の用心棒』以来のファンとしては、
もう胸がいっぱいです。
なんといっていいかわかりませんが、あらゆる意味で圧倒的な作品でした。
これだけのものを2部作として成立させてしまう偉業の前では、どんな言葉も無力ですね。
拍手どころではない衝撃にしばらく腰が上がりませんでした。
イーストウッドの、国よりも個に目を向ける姿勢が
ここまで強く現れた作品もないでしょう。
日本が作ったら、大本営の様子などを入れちゃうんでしょうね。
過去の回想シーンは別として
現在はすべて硫黄島、そこの個人だけだったというのも
いま、改めて気づきました。
ありきたりの映画だったら
フラッシュバックで裕木奈江の思いつめた表情とかも入れそうです。
この作品がアメリカ人の目にはどう映るのか、知りたくなりました。
クリント・イーストウッド作品は数本しか観ていなくて、それも今まで苦手だったのですが、『父親たちの星条旗』を見て考えを改めました。
プレミアで、多分一生のうちでこれが最初で最後となると思われる、生クリントとの大接近が出来て感激しました☆
ワールド・プレミアの写真、拝見しました。
まさにナイスショットですね。
生イーストウッドを、あんなに近くで拝めたなんて、
ほんとうにうらやましい限りです。
私もアルドリッチを思いました。彼の『特攻大作戦』と『攻撃』の関係が、『ハートブレイク・リッジ』と今回の2部作の関係に重なって。エンタテインメント大活劇もシリアスな映画もつくれるのがアルドリッチの、そしてイーストウッドのすごいところですね。
雄さんのレビュー、興味深く読ませていただきました。
ぼくはイーストウッドは日本の戦争映画も観ているのではないかと思いました。
それは戦場のシーンよりも、
むしろ徴兵、赤紙を受け取るシーンなどに
感じたのですが…。
これは他の方の意見もお聞きしたいところですね。