----「ぼくの記憶は80分しかもたない」。
これってどういうこと?
「正直、ぼくにもよく分からないんだ。
この映画では家政婦としてやってきた女性(深津絵里)と
その記憶障害を持つ博士(寺尾聡)、
そして√ルートと呼ばれるその女性の息子が過ごした大切な時間を
成長して数学教師になった√ルート(吉岡秀隆)の回想で描いてゆく。
最初、このプロットを聞いたときには、
80分経ったら、会った時のことまで忘れて
最初の挨拶からやり直すのか…と思った。
しかしよくよく考えると、
80分しかもたないということは、
80分前のことは忘れたとしても、
新しい80分は覚えていると言うことになるし…。
前提が<80分しかもたない>だから
その意味だけはクリアにしてくれないと」
----翌朝になったら前のことを80分だけしか覚えていないとか?
「いや、そういうのでもなかった。
これがまったく覚えていないだと、
『50回目のファースト・キス』になるんだけどね」
----あ~、そうか。
じゃあ、お話は、その記憶を持続させようとする
家政婦さんの奮闘を描くわけ。
「(笑)それも違うな。
むしろ博士の家政婦への数学の説明、
あるいはそれを教室で生徒に話す√ルートの話の中から、
数字の持つオモシロさが浮かび上がる映画となっている。
そういう意味では、
(これは本を読んだだけだけど)『ダヴィンチ・コード』を思い出したな。
もっとも、あちらはサスペンスミステリー。
この映画はそれとは対極ののどかな作品になっているけどね」
----キャスティングもそんな感じだよね。
「監督が晩年の黒澤明に助監督としてついていた小泉尭史。
しかも出演が寺尾聡、吉岡秀隆。
映像のテイストもどことなく昭和的で懐かしい感じがした。
よかったのは季節が春に限定されていること。
早春の淡い日だまり的なあたたかさを感じる。
たとえ記憶は続かなくとも
その時間その時間を慈しむように生きる…
こういうことなのかな…」
----そう言えば浅丘ルリ子も出ているんだよね?
「あっ、これは少し違和感を感じたね。
彼女は博士の義理の姉の役で、
博士と過去に関係を持っている。
その描き方がなぜかメロドラマ風なんだ。
なかでも不思議なのは彼女が川面を見つめるシーンで
彼女の奥にあるはずの水面のさざ波が
頬の上に映っていること。
これって合成したとしか思えない。
浅丘ルリ子の持つ日活ムードアクションの記憶が、
このようなメロドラマ的手法になったのかも知れないけど、
全体の流れには合わなかった気がするな」
(byえいwithフォーン)
※春は近い度
人気blogランキングもよろしく
☆「CINEMA INDEX」☆「ラムの大通り」タイトル索引
(他のタイトルはこちらをクリック→)
これってどういうこと?
「正直、ぼくにもよく分からないんだ。
この映画では家政婦としてやってきた女性(深津絵里)と
その記憶障害を持つ博士(寺尾聡)、
そして√ルートと呼ばれるその女性の息子が過ごした大切な時間を
成長して数学教師になった√ルート(吉岡秀隆)の回想で描いてゆく。
最初、このプロットを聞いたときには、
80分経ったら、会った時のことまで忘れて
最初の挨拶からやり直すのか…と思った。
しかしよくよく考えると、
80分しかもたないということは、
80分前のことは忘れたとしても、
新しい80分は覚えていると言うことになるし…。
前提が<80分しかもたない>だから
その意味だけはクリアにしてくれないと」
----翌朝になったら前のことを80分だけしか覚えていないとか?
「いや、そういうのでもなかった。
これがまったく覚えていないだと、
『50回目のファースト・キス』になるんだけどね」
----あ~、そうか。
じゃあ、お話は、その記憶を持続させようとする
家政婦さんの奮闘を描くわけ。
「(笑)それも違うな。
むしろ博士の家政婦への数学の説明、
あるいはそれを教室で生徒に話す√ルートの話の中から、
数字の持つオモシロさが浮かび上がる映画となっている。
そういう意味では、
(これは本を読んだだけだけど)『ダヴィンチ・コード』を思い出したな。
もっとも、あちらはサスペンスミステリー。
この映画はそれとは対極ののどかな作品になっているけどね」
----キャスティングもそんな感じだよね。
「監督が晩年の黒澤明に助監督としてついていた小泉尭史。
しかも出演が寺尾聡、吉岡秀隆。
映像のテイストもどことなく昭和的で懐かしい感じがした。
よかったのは季節が春に限定されていること。
早春の淡い日だまり的なあたたかさを感じる。
たとえ記憶は続かなくとも
その時間その時間を慈しむように生きる…
こういうことなのかな…」
----そう言えば浅丘ルリ子も出ているんだよね?
「あっ、これは少し違和感を感じたね。
彼女は博士の義理の姉の役で、
博士と過去に関係を持っている。
その描き方がなぜかメロドラマ風なんだ。
なかでも不思議なのは彼女が川面を見つめるシーンで
彼女の奥にあるはずの水面のさざ波が
頬の上に映っていること。
これって合成したとしか思えない。
浅丘ルリ子の持つ日活ムードアクションの記憶が、
このようなメロドラマ的手法になったのかも知れないけど、
全体の流れには合わなかった気がするな」
(byえいwithフォーン)
※春は近い度
人気blogランキングもよろしく
☆「CINEMA INDEX」☆「ラムの大通り」タイトル索引
(他のタイトルはこちらをクリック→)
完全リセットなら、下手すると夜だと思ってずーーっと寝続けたり
まだ食べてないと思って80分ごとにご飯食べたりしちゃうのかしら?
とちょっともんもんと妄想したことは・・・内緒
(って、言ってるじゃん(爆)
>下手すると夜だと思ってずーーっと寝続けたり
まだ食べてないと思って80分ごとにご飯食べたりしちゃう
そうか、完全リセットだったらそういうことも起こりうる。
いやあ、こんなこと考えて観てはバチが当たるのでしょうが、
なぜかこの映画はツッコミたくなってしまいます。
キャスティングは良かったと思いますが、私も浅丘ルリ子さんの義姉と博士のシーンが妙に生々しく感じました。数学の授業シーンは面白かったです。
この映画の魅力、
それは、回想の中の丁寧な画作りから生まれる情感を、
現代の授業で挟んだ構成の妙にあるような気がします。
1枚の枯れ葉を指さして"1"枚、葉っぱの沢山ある木を指さして"1"本、もう一度枯れ葉に戻り、その枯れ葉を粉々にしてルートに見せるシーンが印象的でした。それぞれの数字がその関係性の中で意味を持つ美しさ、全体での美しさ、映画自体もそのような美しさを表現していた感じがしました。
枯れ葉のシーンは印象的でした。
たまたまこの映画を観る前に
『ダヴィンチ・コード』を読んでいたこともあり、
数字というものの持つ不思議さを
より深く感じることができました。
「人間よりも前から数字はあった」というのは
もはや「神」の領域。
この映画は「数字」の神秘性
(と言う言葉でくくってはいけないのかも)、
その映像化に成功した貴重なケースだと思います。
えい氏のコメントを読んでやっと気付いたのですが、確かにこの作品では記憶の継続が80分である意味があまりないですよね、別に5時間でも12時間でもかまわない。
例えば夕飯の途中で80分経って自分が何をしていたのかを思い出さないという場面でもあればもう少し切なさが増した気がします。
非常に参考になりました、ありがとうございます。
ありがとうございます。
まつさんのコメントはいつも励みになります。
これからもよろしくお願いします。
最近の邦画は、お客さんが入ってますねぇ~♪大阪の映画館で観たんですが、満員でしたよ。
博士、杏子、ルートそして数学の世界・・・その絡み方が実に暖かくって、良かったです!大笑いする映画でも、号泣する映画でもなかったけど、何となく優しい気分になれる映画でした!
本欄ではキツいこと書きましたが、
心優しくなれたことには変わりなかったです。
数学の授業を受けている気にもなった
不思議な映画でした。