ラムの大通り

愛猫フォーンを相手に映画のお話。
主に劇場公開前の新作映画についておしゃべりしています。

『ペコロスの母に会いに行く』

2013-09-04 23:09:37 | 新作映画

----あれれ。これって
今日観たばかりの映画だよね。
こんなに早く喋るの、珍しくニャい?
「そうだね。
それは、この作品が
ぼくにとって喋りやすいタイプの映画というところもあるだろうね」

----でも監督が森崎東。
『ニワトリはハダシだ』、喋るのずいぶん苦戦していたよ。
あのときは正直言って、
何言ってんのかまったく分らなかった。
「あらら。
あれは確かに一筋縄で行く映画じゃなかったからね。
森崎東監督といえば、
一般には人情喜劇の監督のように思われているけど、
それだけでくくれはしない。
かなり癖のある映画を作る監督。
それもあってか松竹を飛び出して、
いまではフリーで活動している」

----でも、今回取り上げた題材は認知症、介護。
原作はベストセラーとなった
漫画家・岡野雄一のエッセイコミック
泣けて心温まる映画になっていそうな気が…?
「そこなんだよね。
正直言ってぼくも最初聞いたときは、
なぜ森崎東監督が…?って思ったもの。
でも、観てみて納得。
やはり、森崎東監督は反骨の作家だった。
確かに、入り口は認知症とその介護。
ところが
観終わった後に強く心に残るのは
主人公ゆういち(岩松了)の悩みや母への思い、
介護の苦労ではなく、
認知症を発症した母みつえ(赤木春恵)の心の中。
彼女の心に甦る若い日々(原田喜和子)…」

----ふうん。
そのみつえさんの青春っていつごろなの?
「昭和初期だね。
彼女の母親は多産で、彼女は10人兄弟の長女上。
子どもたちは、みな畑仕事を手伝わなくてはならなかった。
そんな中、彼女はピカドン(原爆)のキノコ雲をその目で見る。
と、実は、この映画は
ここから森崎東監督の反核メッセージが強く前面に出てくる。
当然のようにぼくは
『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』
『ニワトリはハダシだ』
との関連を考えないわけにはいかなかった。
そしてそこから立ち上がってくるのは、
森崎映画ならではの大いなる生命賛歌、女性賛歌
『生きとかんば。何が何でも生きとかんばならん』――
これは、売春街で春をひさいでいる
みつえの幼なじみ・ちえこ(原田知世)の言葉」

----ニャるほど。
最近の映画は、そういうのあまりないよね。
「特に平成になってからね。
喰うか喰われるかの殺伐とした映画、
国家の管理もやむなしの映画、
そんな中にあって、この映画は
昭和の日本映画が持っていた
社会の底辺で生きる人に心寄せる人情というものが残っている」

----それは長崎という舞台とも関係あるかもよ。
「そうそう。
それはぼくもそう思った。
だからこの映画のクライマックスを
長崎ランタンフェスティバルに持ってきたのはよく分かる。
地方で映画を撮るとき、
お祭りを入れるのはだれもがよくやることだけど、
これほど意味を持たせた使い方はそうはない。
しかし、あのクライマックス、
原作にもあるのかな?
まるで、浅田次郎文学を読んでいる味わい。
ちょっと確かめてみようかな」



         (byえいwithフォーン)

フォーンの一言「介護の話はどこ行ったのニャ」小首ニャ

※いや、それもきっちり描かれてはいるのだ度}


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