世界の反面教師として終える2010年、今は日本作り直しの時か
英語メディアが伝える「JAPAN」なニュースをご紹介するこのコラム、今年最後は明るい話題にしたかったのですが、残念ながらこれというものが見つからず。閣議決定した来年度予算案を材料に、例によって「日本みたいにならないためには」という論調の記事ばかりが並んでいます。それでもギリシャのような暴動は起きていないわけですし、日本はいま自分を作り直そうとしているのだという前向きな指摘もありました。(gooニュース 加藤祐子)
○日本は炭鉱のカナリアなのか
米『ウォールストリート・ジャーナル』紙の記者ブログではジェイムズ・シムズという人が、「日本の超最悪な予算(Japan's Superbad Budget)」という記事で、来年度予算案は「ありたがくない最大級の表現 (superlative) にあふれている」と書き出しからグサリ。パッと見だけでも、一般歳出が過去最大だったり、先進国の中で「最悪」の債務GDP比だったりするし、さらに予算案の中身を見ていくと「もっとひどい。菅直人首相の政治指導力失墜と優柔不断と、政府内部の足の引っ張り合いを如実に表している内容だ」と。
その結果、「予算の賢い使い方を知らないことで悪名高い日本政府」は自分たちの欠点を根本的に改革することはせず、ただ収入を確保し、非現実的な政府公約を実現することだけに汲々としていると。「こんな予算はとうてい、維持できるものではない」、「春には日本各地で地方選が行われるため、戦略的な意味などないまま予算支出がはねあがっている」と批判が続きます。たとえば農家戸別所得補償は、日本の農業の大規模効率化を図るものではなく、ただ単に農家に現金を手渡すに過ぎないと。子ども手当は、受け手の収入レベルに関係なく増額されると。どちらも民主党の選挙公約だが、その一方で、健全財政実現の公約は守らなくても何の問題もないと思っているようだと。
そしてこの記事コメント欄では、アメリカの男性が「西側諸国にとって日本は、炭鉱のカナリアだ」と。いやはや……「日本みたいになりたくない」という反面教師どころか、生きた危険信号扱いされるカナリアですか。「それでも欧米がこのまま突き進むなら、何も言い訳はできない」とこの男性はやはり、日本を反面教師にしているわけですが。別の(英語圏の名前の)男性も「日本は20年前に、景気浮揚策としてインフラ支出を選んだ(河岸はぜんぶセメントで埋めてしまった)。なので私たちは第一に、これを教訓とすべきだ」と。
日本は欧米のカナリアや反面教師や教訓となるために、借金まみれになっているわけではないと思うのですが。ハタからどう見えるかというと、こう見えているわけです。
しかし彼らの懸念は単なる対岸の火事の高処の見物ではなく、日本が財政危機に陥ったりすれば、「世界中の市場を揺るがす」(英『フィナンシャル・タイムズ』紙)という危機感があるからこそ、です。
FT記事は、「日本の予算、債務懸念は払拭されず(Tokyo budget fails to ease debt concerns)」という見出しで、日本の国債新規発行高がまたしても税収を上回り、債務が対GDP比200%超になることを指摘し、税収不足の新予算案が「日本財政の苦悩を赤裸々に描き出している」と。もし日本が金融危機に陥れば、「世界中の市場を揺るがす」大変なことになるのだから、日本にはその最悪の事態を避けるという国際社会への責務がある。にもかかわらず、新年度予算案を見ると、日本政府にそれができるのだろうかとますます不安は高まったという論調です。
アイスランド、ギリシャ、アイルランドと来て、やがて日本が同じようなことになったら、その余波はアイスランドやギリシャの比ではないんだと、日本の皆さん分かってますか?——というイライラ感が(たとえばこのFT記事はそうは直接書かないものも)色々な英語メディアの行間からにじみでています。
ほかにも複数の英語メディアが日本の来年度予算案について書いていますが、中国国営・新華社通信の英語版によるこちらの端的なまとめが、問題を言い切っているようにも思います。「日本の財政は主要先進諸国の中で最悪な状態にある。菅首相はかつて、財政健全化を最優先すると約束したが、ふくれあがる予算案はこの約束とは裏腹な内容だと言われている」。
ロイター通信の金融ブロガーは「日本の財政大失敗に学ぶ」という見出しの記事を掲載(ところで28日正午現在、"Lesson's from Japan's fiscal disaster"となっていますが、「Lesson's」の「'」は間違いでしょうか?)。「金遣いが止まらない債務超過の国となると、日本に勝るところはなかなかない」というありがたい書き出しで、予算案の新規国債発行額が税収を2年連続で上回っている点を指摘。「けれども私にとっては、税収の半分以上がそっくりそのまま債務支払いのために出て行ってしまうことの方が、よほど怖いことだ」とも。
つまり、年収以上の借金がかさんでいて、給料やボーナスが振り込まれると同時にほとんどが右から左へ借金返済のために出て行ってしまう家と同じですね。確かに、これは怖いです。
年末ということもあってこれでつい連想するのは、落語や歌舞伎でおなじみの『文七元結』です(腕は良いが博打好きの左官・長兵衛がこさえた借金のため「どうにも年が越せません」てことで、孝行娘が自分で自分を吉原に売りに行くのだが……という話)。あれは落語だし歌舞伎だし、ゲラゲラ笑ってホロリと泣いて最後にはめでたしめでたしの人情噺だからいいですが、借金のカタに身ぐるみはがされてるから、カカアの着た切り雀のボロ着物をひんむいて着ないことには外にも出られない、なんて長兵衛と同じようなことを国(お上)にやられたんじゃあ、こちとらたまったもんじゃありやせんぜぃ。
——と、こうやってちょっとふざけてもみないことには気分が暗くなるばかりのご時世なので、だからこそ湿っぽい話を泣いて笑っての人情噺に仕立てた三遊亭圓朝とそれを大歓迎した日本の庶民は偉大で……あ、話がズレすぎですね。どうにも、現実の予算とか財政の話に戻りたくないらしく。
ともあれ。フィリックス・サーモンというこの金融記者は、「日本にはこれといって大きな人種や政治上の分断がないだけに、この状況は特に残念だ。確かに政治のつばぜり合いはあるが、アメリカでのひどい罵り合いや不信感からすれば大したことはないし、ギリシャであったような暴動が日本で起きるとも思えない。にもかかわらず官僚たちは、打開策を見つけられない」と書いています。
いい年をした私でさえ、安保闘争ですら直接の記憶がないのですから、市街地のあちこちで暴動が起きる日本というのはなかなかイメージできません(たとえば大阪の西成暴動がミナミやキタにまで広がる事態というのは、ちょっと想像しにくい)。あるいは逆に見るなら、現代の日本人において人種や政治思想の分断がアメリカほど激烈ではなく、政治抵抗の血中濃度もギリシャほど高くないからこそ、歴代の政権は大蔵官僚が作り上げた借金体質の仕組みをのんべんだらりと続けてこられたのかもしれません。
記事に戻ります。サーモン記者は、日本から学べる教訓とはつまり「公社債市場がどうにかなってほかにどうしようもなくならない限り、政府が真剣に財政調整するのはとてもとても難しいことだ」と書きます。「各国の国家財政に世界が注目しているというのに、日本政府は農業の補助金を40%も増やすし、育児助成を必要としない家庭にまで払おうとしている。高速料金も無料化して、なんと法人税まで引き下げようというのだ」と。なんという、のんべんだらり。
記事は続けます。「予算削減が必要だ、持続可能な健全財政路線が必要だと誰もが言うのに、誰もそれを実現できない。むしろ正反対の方向に突き進んでいく。見ぬもの清しの、楽な選択だ。日本と同じように債務超過なほかの国々も、同じような選択をするのだろう。アメリカを含めて」。
つまり、世界的なのんべんだらり、ということでしょうか。世界規模の『文七元結』というか。おとっつぁんの借金のカタに身売りをしてくれる孝行娘はどこにもいないのに。お正月の過ごし方としての「のんべんだらり」は大好きですが、松の内が過ぎても金だけバラまく「のんべんだらり」は勘弁して欲しい。まして税金をや。
○幸せはスルメのように
そしてAP通信は予算案を離れた総論として、「日本にとって2010年は忘れたい一年だった(For Japan, 2010 was a year to forget)」という、実にありがたくもない見出しのまとめ記事を配信しています(AP通信は日本の「忘年会」と引っかけて「忘れたい一年」と書いているわけで、日本人的にはあまり面白くないジョークです)。
記事いわく日本は今年2010年に、「世界第2位の経済大国として中国に追い抜かれた。旗艦企業トヨタは、恥ずかしい安全問題で1000万台以上をリコールした。3年間で4人目の首相が辞任した。景気停滞は30年目に突入しようというのに政府は効果のある浮揚策が打ち出せずにいる」。「高齢化と政治的膠着と、リスクを嫌い新しいものを受け入れようとしない社会風土」ゆえに、日本の展望は明るくない。学生は就職難で、少子化は進み、終身雇用などなくなり、自殺者の数は減らない。おまけに中国は経済的な脅威というだけでなく軍事的脅威にもなりつつある——と。こう並べられると、確かにまったくロクでもない1年でした。
記事はこうも書きます。「かつて自信にあふれていた日本は、経済大国の座から滑り落ちるだろうと言われている。2010年はその下り坂における象徴的な一里塚になるかもしれない。日本はやがて、傑出した企業(standout companies)はいくつかあるが、限られた世界的影響力しかもたない、二番手の国になるだろうと言われている」のだと。
「二番手の国」と意訳した「second-tier power」をどういう意味に取るかが、実は今後の日本の在り方に関係していると思うので、ちょっとここにこだわります。「power」はこの場合はもとの「力」から意味が派生して、「強国」とか「大国」とか。19世紀末から20世紀前半にかけての話なら、「列強」と訳します。そして「second-tier」をあえて「二級の」とか「二流の」とか訳さなかったのは、ゆえあってのことです。この記事の筆者がどういう意図で使っているかはわかりませんが、「限られた世界的影響力しかもたない」と説明していることから、前にこちらのコラムでも取り上げたような「国際舞台の秩序形成における影響力」が念頭にあるみたいです。社会インフラ整備や社会モラルが劣っている国という意味なら、「second-rate」という表現がふさわしいし。「second-tier power」とはつまり、日本が国際政治のスタメンではない、二番手の国になるということでしょう。
けれども上でリンクしたコラムでも書いたように、日本がそういう「スタメン」で「一番手」的な外交力・政治力を発揮したことは過去に果たしてどれほどあったか? それを思えば、日本が「second-tier power」となるのも、さほど大きな変化ではないのではないか。経済大国になりたてたころの戦後日本は、政治外交大国のフリをしていただけだと、私は思っているので(いつまでもそのフリをしていたい官庁は、国連安保理の常任理事国入りなどを至上命題のように掲げていますが)。
もちろん、世界第2位の経済大国だったからこそ各国は日本を尊重してくれて、国際機関や国際会議の場でもそれなりに扱ってくれたけれども、GDP順位がどんどん落ちていけばそういう扱いもされなくなる、という寂しい現実はあるかもしれません。そうならないように、経済力はそれほどでなくても国際舞台での発言力はしぶとく残す、英仏モデルを参考にしたらどうかという意見もあります。
たとえばこのAP通信記事では上智大学の中野晃一准教授が、日本もかつて世界大国だった英仏のように影響力の衰退を上手に管理し、国の在り方を変えていけば、ソフトパワーとして生き残れるだろうとコメントしています。日本が(経済軍事大国ではない)ソフトパワーとして生きるしかないというのは同意です。ただ日本はもともと英仏のように、国際システムの仕組みやアジェンダを動かすほどの大国だったことはないと思うので、だとするならば帝国を失って長いこと呆然と停滞した英国よりももっとスムースに、「second-tier国家」へとソフトランディングできるはずです。日本が実質的な「first-tier power」だったことなど、政治外交においてはなかったという、自分たちの「分」というか程度というか現実を、冷静に見据えれば。
それでも何とか日本が存在意義を残すためには、日本の「standout companies」が生き残ってくれないとどうしようもない。それをするには何が必要かと言えば「innovation = 革新、刷新、創意工夫」で、記事は「日本に innovation はある」と評価している。認めてくれて、ハイブリッド車や産業ロボットの分野で日本は世界一だし、任天堂もユニクロも世界やアジアのトップ企業に育ったと評価。政府が「クール・ジャパン」として後押ししている日本のマンガやアニメなどソフト産業や、高齢者介護などサービス産業もカギとなるかもしれないと。日本は時に島国根性で内向きに凝り固まって自分で自分の発展を妨げていることもある(例えば日本の携帯電話業界の「ガラパゴス症候群」)けれども、日本は変わろうとしているのだと。日本との関わりが深く、在日米国商工会議所(ACCJ)の次期会頭となるマイケル・アルファント氏(ソフトウェア会社CEO)は、日本でも起業家精神が育ちつつあり、サービス業界の発展に注力し始めているとコメントしています。「日本は自分たちを作り直している(Japan is reinventing itself)。日本はやってのけると確信している」と。
「Japan is reinventing itself」。直訳すれば「日本は日本を発明し直している」です。「reinvent oneself (自分を作り直す)」はよく使う表現です。どん底まで落ちても再出発できる、やり直せるという、(アメリカ人が大好きな)タフで前向きな表現です。
AP通信は「日本にとって2010年は忘れたい一年」だろうと言いますが、今年2010年、浅田真央や高橋大輔たちがオリンピックや世界選手権で活躍したのを日本人は自分のことのように喜んだ。サッカーW杯でも岡田ジャパンが予想外の健闘をしてみんなして喜んだ。村上春樹さんの『1Q84』BOOK3が出た。はやぶさが無事帰還し、しかも任務を実に見事に達成した。日本人研究者が2人、ノーベル賞を受賞した。小澤征爾さんが復帰した。えーと、えーとそれから……。真央ちゃんが年末に復活した。
ともかく嬉しいことは大いに喜んで祝うのが、(おめでたいと言われようがなんだろうが)『文七元結』的な日本人の、昔からの生活の知恵。村上春樹さん的に言うなら「小確幸」です。小さくても確かな幸せをしっかりスルメのように噛みしめて味わって感謝するからこそ、日本人はそうそう街中で暴動しないのかもしれないと、そう思いたいです(官僚や政治家がそれで放免されるわけではありませんが)。たまたま昨夜、マンガ『風雲児たち』の最新刊が届き、安政の大獄のくだりを読んでいたから、私の中の「幸せ」の基準値がものすごく低くなりすぎているのかもしれませんが。でも録画しておいた『文七元結』を観て泣き笑いしたり、『風雲児たち』のようなマンガの最新刊を読んだりできる年末というのも、これも小さいけれども確かな幸せの形ではあります。Always look on the bright side of life(いつも人生の明るい側を見ようよ)。