団塊太郎の徒然草

つれづれなるままに日ぐらし

日本は炭鉱のカナリア

2010-12-31 19:46:50 | 日記

世界の反面教師として終える2010年、今は日本作り直しの時か

gooニュース・JAPANなニュース2010年12月28日(火)14:30

英語メディアが伝える「JAPAN」なニュースをご紹介するこのコラム、今年最後は明るい話題にしたかったのですが、残念ながらこれというものが見つからず。閣議決定した来年度予算案を材料に、例によって「日本みたいにならないためには」という論調の記事ばかりが並んでいます。それでもギリシャのような暴動は起きていないわけですし、日本はいま自分を作り直そうとしているのだという前向きな指摘もありました。(gooニュース 加藤祐子)

○日本は炭鉱のカナリアなのか

米『ウォールストリート・ジャーナル』紙の記者ブログではジェイムズ・シムズという人が、「日本の超最悪な予算(Japan's Superbad Budget)」という記事で、来年度予算案は「ありたがくない最大級の表現 (superlative) にあふれている」と書き出しからグサリ。パッと見だけでも、一般歳出が過去最大だったり、先進国の中で「最悪」の債務GDP比だったりするし、さらに予算案の中身を見ていくと「もっとひどい。菅直人首相の政治指導力失墜と優柔不断と、政府内部の足の引っ張り合いを如実に表している内容だ」と。

その結果、「予算の賢い使い方を知らないことで悪名高い日本政府」は自分たちの欠点を根本的に改革することはせず、ただ収入を確保し、非現実的な政府公約を実現することだけに汲々としていると。「こんな予算はとうてい、維持できるものではない」、「春には日本各地で地方選が行われるため、戦略的な意味などないまま予算支出がはねあがっている」と批判が続きます。たとえば農家戸別所得補償は、日本の農業の大規模効率化を図るものではなく、ただ単に農家に現金を手渡すに過ぎないと。子ども手当は、受け手の収入レベルに関係なく増額されると。どちらも民主党の選挙公約だが、その一方で、健全財政実現の公約は守らなくても何の問題もないと思っているようだと。

そしてこの記事コメント欄では、アメリカの男性が「西側諸国にとって日本は、炭鉱のカナリアだ」と。いやはや……「
日本みたいになりたくない」という反面教師どころか、生きた危険信号扱いされるカナリアですか。「それでも欧米がこのまま突き進むなら、何も言い訳はできない」とこの男性はやはり、日本を反面教師にしているわけですが。別の(英語圏の名前の)男性も「日本は20年前に、景気浮揚策としてインフラ支出を選んだ(河岸はぜんぶセメントで埋めてしまった)。なので私たちは第一に、これを教訓とすべきだ」と。

日本は欧米のカナリアや反面教師や教訓となるために、借金まみれになっているわけではないと思うのですが。ハタからどう見えるかというと、こう見えているわけです。

しかし彼らの懸念は単なる対岸の火事の高処の見物ではなく、日本が財政危機に陥ったりすれば、「世界中の市場を揺るがす」(
英『フィナンシャル・タイムズ』紙)という危機感があるからこそ、です。

FT記事は、「日本の予算、債務懸念は払拭されず(Tokyo budget fails to ease debt concerns)」という見出しで、日本の国債新規発行高がまたしても税収を上回り、債務が対GDP比200%超になることを指摘し、税収不足の新予算案が「日本財政の苦悩を赤裸々に描き出している」と。もし日本が金融危機に陥れば、「世界中の市場を揺るがす」大変なことになるのだから、日本にはその最悪の事態を避けるという国際社会への責務がある。にもかかわらず、新年度予算案を見ると、日本政府にそれができるのだろうかとますます不安は高まったという論調です。

アイスランド、ギリシャ、アイルランドと来て、やがて日本が同じようなことになったら、その余波はアイスランドやギリシャの比ではないんだと、日本の皆さん分かってますか?——というイライラ感が(たとえばこのFT記事はそうは直接書かないものも)色々な英語メディアの行間からにじみでています。

ほかにも複数の英語メディアが日本の来年度予算案について書いていますが、
中国国営・新華社通信の英語版によるこちらの端的なまとめが、問題を言い切っているようにも思います。「日本の財政は主要先進諸国の中で最悪な状態にある。菅首相はかつて、財政健全化を最優先すると約束したが、ふくれあがる予算案はこの約束とは裏腹な内容だと言われている」。

ロイター通信の金融ブロガーは「日本の財政大失敗に学ぶ」という見出しの記事を掲載(ところで28日正午現在、"Lesson's from Japan's fiscal disaster"となっていますが、「Lesson's」の「'」は間違いでしょうか?)。「金遣いが止まらない債務超過の国となると、日本に勝るところはなかなかない」というありがたい書き出しで、予算案の新規国債発行額が税収を2年連続で上回っている点を指摘。「けれども私にとっては、税収の半分以上がそっくりそのまま債務支払いのために出て行ってしまうことの方が、よほど怖いことだ」とも。

つまり、年収以上の借金がかさんでいて、給料やボーナスが振り込まれると同時にほとんどが右から左へ借金返済のために出て行ってしまう家と同じですね。確かに、これは怖いです。

年末ということもあってこれでつい連想するのは、落語や歌舞伎でおなじみの
『文七元結』です(腕は良いが博打好きの左官・長兵衛がこさえた借金のため「どうにも年が越せません」てことで、孝行娘が自分で自分を吉原に売りに行くのだが……という話)。あれは落語だし歌舞伎だし、ゲラゲラ笑ってホロリと泣いて最後にはめでたしめでたしの人情噺だからいいですが、借金のカタに身ぐるみはがされてるから、カカアの着た切り雀のボロ着物をひんむいて着ないことには外にも出られない、なんて長兵衛と同じようなことを国(お上)にやられたんじゃあ、こちとらたまったもんじゃありやせんぜぃ。

——と、こうやってちょっとふざけてもみないことには気分が暗くなるばかりのご時世なので、だからこそ湿っぽい話を泣いて笑っての人情噺に仕立てた三遊亭圓朝とそれを大歓迎した日本の庶民は偉大で……あ、話がズレすぎですね。どうにも、現実の予算とか財政の話に戻りたくないらしく。

ともあれ。フィリックス・サーモンというこの金融記者は、「日本にはこれといって大きな人種や政治上の分断がないだけに、この状況は特に残念だ。確かに政治のつばぜり合いはあるが、アメリカでのひどい罵り合いや不信感からすれば大したことはないし、ギリシャであったような暴動が日本で起きるとも思えない。にもかかわらず官僚たちは、打開策を見つけられない」と書いています。

いい年をした私でさえ、安保闘争ですら直接の記憶がないのですから、市街地のあちこちで暴動が起きる日本というのはなかなかイメージできません(たとえば大阪の西成暴動がミナミやキタにまで広がる事態というのは、ちょっと想像しにくい)。あるいは逆に見るなら、現代の日本人において人種や政治思想の分断がアメリカほど激烈ではなく、政治抵抗の血中濃度もギリシャほど高くないからこそ、歴代の政権は大蔵官僚が作り上げた借金体質の仕組みをのんべんだらりと続けてこられたのかもしれません。


記事に戻ります。サーモン記者は、日本から学べる教訓とはつまり「公社債市場がどうにかなってほかにどうしようもなくならない限り、政府が真剣に財政調整するのはとてもとても難しいことだ」と書きます。「各国の国家財政に世界が注目しているというのに、日本政府は農業の補助金を40%も増やすし、育児助成を必要としない家庭にまで払おうとしている。高速料金も無料化して、なんと法人税まで引き下げようというのだ」と。なんという、のんべんだらり。

記事は続けます。「予算削減が必要だ、持続可能な健全財政路線が必要だと誰もが言うのに、誰もそれを実現できない。むしろ正反対の方向に突き進んでいく。見ぬもの清しの、楽な選択だ。日本と同じように債務超過なほかの国々も、同じような選択をするのだろう。アメリカを含めて」。

つまり、世界的なのんべんだらり、ということでしょうか。世界規模の『文七元結』というか。おとっつぁんの借金のカタに身売りをしてくれる孝行娘はどこにもいないのに。お正月の過ごし方としての「のんべんだらり」は大好きですが、松の内が過ぎても金だけバラまく「のんべんだらり」は勘弁して欲しい。まして税金をや。

○幸せはスルメのように

そして
AP通信は予算案を離れた総論として、「日本にとって2010年は忘れたい一年だった(For Japan, 2010 was a year to forget)」という、実にありがたくもない見出しのまとめ記事を配信しています(AP通信は日本の「忘年会」と引っかけて「忘れたい一年」と書いているわけで、日本人的にはあまり面白くないジョークです)。

記事いわく日本は今年2010年に、「世界第2位の経済大国として中国に追い抜かれた。旗艦企業トヨタは、恥ずかしい安全問題で1000万台以上をリコールした。3年間で4人目の首相が辞任した。景気停滞は30年目に突入しようというのに政府は効果のある浮揚策が打ち出せずにいる」。「高齢化と政治的膠着と、リスクを嫌い新しいものを受け入れようとしない社会風土」ゆえに、日本の展望は明るくない。学生は就職難で、少子化は進み、終身雇用などなくなり、自殺者の数は減らない。おまけに中国は経済的な脅威というだけでなく軍事的脅威にもなりつつある——と。こう並べられると、確かにまったくロクでもない1年でした。

記事はこうも書きます。「かつて自信にあふれていた日本は、経済大国の座から滑り落ちるだろうと言われている。2010年はその下り坂における象徴的な一里塚になるかもしれない。日本はやがて、傑出した企業(
standout companies)はいくつかあるが、限られた世界的影響力しかもたない、二番手の国になるだろうと言われている」のだと。

「二番手の国」と意訳した「second-
tier power」をどういう意味に取るかが、実は今後の日本の在り方に関係していると思うので、ちょっとここにこだわります。「power」はこの場合はもとの「力」から意味が派生して、「強国」とか「大国」とか。19世紀末から20世紀前半にかけての話なら、「列強」と訳します。そして「second-tier」をあえて「二級の」とか「二流の」とか訳さなかったのは、ゆえあってのことです。この記事の筆者がどういう意図で使っているかはわかりませんが、「限られた世界的影響力しかもたない」と説明していることから、前にこちらのコラムでも取り上げたような「国際舞台の秩序形成における影響力」が念頭にあるみたいです。社会インフラ整備や社会モラルが劣っている国という意味なら、「second-rate」という表現がふさわしいし。「second-tier power」とはつまり、日本が国際政治のスタメンではない、二番手の国になるということでしょう。

けれども上でリンクしたコラムでも書いたように、日本がそういう「スタメン」で「一番手」的な外交力・政治力を発揮したことは過去に果たしてどれほどあったか? それを思えば、日本が「second-tier power」となるのも、さほど大きな変化ではないのではないか。経済大国になりたてたころの戦後日本は、政治外交大国のフリをしていただけだと、私は思っているので(いつまでもそのフリをしていたい官庁は、国連安保理の常任理事国入りなどを至上命題のように掲げていますが)。

 

もちろん、世界第2位の経済大国だったからこそ各国は日本を尊重してくれて、国際機関や国際会議の場でもそれなりに扱ってくれたけれども、GDP順位がどんどん落ちていけばそういう扱いもされなくなる、という寂しい現実はあるかもしれません。そうならないように、経済力はそれほどでなくても国際舞台での発言力はしぶとく残す、英仏モデルを参考にしたらどうかという意見もあります。

たとえばこのAP通信記事では上智大学の中野晃一准教授が、日本もかつて世界大国だった英仏のように影響力の衰退を上手に管理し、国の在り方を変えていけば、ソフトパワーとして生き残れるだろうとコメントしています。日本が(経済軍事大国ではない)ソフトパワーとして生きるしかないというのは同意です。ただ日本はもともと英仏のように、国際システムの仕組みやアジェンダを動かすほどの大国だったことはないと思うので、だとするならば帝国を失って長いこと呆然と停滞した英国よりももっとスムースに、「second-tier国家」へとソフトランディングできるはずです。日本が実質的な「first-tier power」だったことなど、政治外交においてはなかったという、自分たちの「分」というか程度というか現実を、冷静に見据えれば。

それでも何とか日本が存在意義を残すためには、日本の「standout companies」が生き残ってくれないとどうしようもない。それをするには何が必要かと言えば「innovation = 革新、刷新、創意工夫」で、記事は「日本に innovation はある」と評価している。認めてくれて、ハイブリッド車や産業ロボットの分野で日本は世界一だし、任天堂もユニクロも世界やアジアのトップ企業に育ったと評価。政府が「クール・ジャパン」として後押ししている日本のマンガやアニメなどソフト産業や、高齢者介護などサービス産業もカギとなるかもしれないと。日本は時に島国根性で内向きに凝り固まって自分で自分の発展を妨げていることもある(例えば日本の携帯電話業界の「ガラパゴス症候群」)けれども、日本は変わろうとしているのだと。日本との関わりが深く、在日米国商工会議所(ACCJ)の次期会頭となるマイケル・アルファント氏(ソフトウェア会社CEO)は、日本でも起業家精神が育ちつつあり、サービス業界の発展に注力し始めているとコメントしています。「日本は自分たちを作り直している(Japan is reinventing itself)。日本はやってのけると確信している」と。

「Japan is reinventing itself」。直訳すれば「日本は日本を発明し直している」です。「
reinvent oneself (自分を作り直す)」はよく使う表現です。どん底まで落ちても再出発できる、やり直せるという、(アメリカ人が大好きな)タフで前向きな表現です。

AP通信は「日本にとって2010年は忘れたい一年」だろうと言いますが、今年2010年、
浅田真央高橋大輔たちがオリンピックや世界選手権で活躍したのを日本人は自分のことのように喜んだ。サッカーW杯でも岡田ジャパンが予想外の健闘をしてみんなして喜んだ。村上春樹さんの『1Q84』BOOK3が出た。はやぶさが無事帰還し、しかも任務を実に見事に達成した。日本人研究者が2人、ノーベル賞を受賞した。小澤征爾さんが復帰した。えーと、えーとそれから……。真央ちゃんが年末に復活した。

ともかく嬉しいことは大いに喜んで祝うのが、(おめでたいと言われようがなんだろうが)『文七元結』的な日本人の、昔からの生活の知恵。村上春樹さん的に言うなら「小確幸」です。小さくても確かな幸せをしっかりスルメのように噛みしめて味わって感謝するからこそ、日本人はそうそう街中で暴動しないのかもしれないと、そう思いたいです(官僚や政治家がそれで放免されるわけではありませんが)。たまたま昨夜、マンガ『風雲児たち』の最新刊が届き、安政の大獄のくだりを読んでいたから、私の中の「幸せ」の基準値がものすごく低くなりすぎているのかもしれませんが。でも録画しておいた『文七元結』を観て泣き笑いしたり、『風雲児たち』のようなマンガの最新刊を読んだりできる年末というのも、これも小さいけれども確かな幸せの形ではあります。Always look on the bright side of life(いつも人生の明るい側を見ようよ)。


「つや姫」は「コシヒカリ」を上回るおいしさ

2010-12-30 21:18:27 | 日記

山形・つや姫は、やはり「日本一おいしかった」 

 農業県・山形の期待を一身に背負い、今月10日に全国デビューを飾ったお米「つや姫」。「おいしさ」が話題を呼び、昨年の先行販売では即日完売の人気を誇ったものの、一方で「そんなにおいしいの?」との声も聞かれていた。やはり「おいしさ」の証明には科学的な根拠が必要だ、ということで、県農業総合研究センター水田農業試験場(鶴岡市)と慶應義塾大学先端生命科学研究所(同市)がタッグを組み、最先端技術で炊飯した米を解析したところ、やはりつや姫は「科学的にもおいしいお米」であること証明された。その驚くべき、うま味の原点とは?

 つや姫は山形が11年の歳月をかけて開発した自信の一品。「コシヒカリ」を上回るおいしさを持つとされたが、その要因についてはタンパク質やアミロースなどを測定して行う既存の技術では解明できなかった。

 県では販売を促進するためには、その「おいしさ」の証明が不可欠と判断。食味官能試験(外観、光沢、香り、味、粘り、硬さ、総合評価)とともに、慶大先端研が開発したメタボローム(代謝物の総体)解析技術を駆使して解明に乗り出した。

 慶大先端研が平成14年にメタボローム(代謝物の総体)解析技術の中核をなす「キャピラリー電気泳動・質量分析計」という装置の特許を取得している。この装置を用いると、細胞内に含まれる成分を一度に2千種類以上も測定できるという。先端研の塩澤明子さんは「メタボローム解析技術を使えば、将来的には人の唾液や血液などから、どんな病気にかかっているのかを分析することも可能になります」と話す。

 実際に炊いた130サンプル(28品種)の米を解析した結果、つや姫はコシヒカリに比べ、グルタミン酸アスパラギン酸といった代謝物が多いことが判明した。県水田研の後藤元(はじめ)研究員は「これら2つのアミノ酸は他の食品でもおいしさに関わっている例が報告されています。お米でも同様の可能性がある」と話す。

 また、炊飯米の代謝物のパターンは、(1)グルタミン酸アスパラギン酸などが特異的に多い(→つや姫)(2)代謝物含量が全体的に多い→市販のコシヒカリや銘柄品種(3)代謝物含量が全体的に少ない(→はえぬきあきたこまちひとめぼれなど東北の銘柄品種)(4)代謝物含量が全体的に多いが、グルタミン酸などが少ない(市販の銘柄品種)の4種に分けられことも分かった。

 先端研の富田勝所長は「つや姫はうま味の成分が多く、嫌悪感を抱く成分が少ない、バランスの良さが明らかになった。すべての成分が多い品種はあったが、バランスの良さがつや姫のおいしさの秘密である可能性が高い」と話す。

 後藤研究員も「つや姫が全国のおいしい米の中デも上位に位置することは、まず間違いありません」と太鼓判を押す。

 吉村美栄子知事が「娘」として世に送り出したつや姫は、果たしてお家の救世主になるのだろうか。


「解散時は助成金返納」政党法案-みんなの党

2010-12-30 20:56:29 | 日記

「政党法案」提出へ=解散時は助成金返納-みんなの党

 みんなの党は30日、政党の組織運営の情報開示を目的とした「政党法案」を、1月召集の通常国会に提出する方針を固めた。民主党元代表の資金問題などで政治不信が高まる中、政党運営の透明化に取り組む姿勢をアピールする狙いがある。

 法案で対象とするのは、憲法が保障する「結社の自由」に配慮し、政党助成法に基づき国から助成金を受ける政党に限定する。結党の目的や理念を記した「綱領」の制定を義務付けるとともに、(1)意思決定の仕組み(2)党首選の投票資格(3)比例代表の名簿登載順位など衆参両院選挙での候補者選定基準-の公表を求める。

 政党を解散した場合は、助成金の残額を国庫に返納することを規定。小沢氏が民主党代表当時、多額の党資金を使途報告が不要な「組織対策費」として特定の議員に配っていたことを踏まえ、党の経理に上場企業並みの外部監査を義務付けることも検討している。
 
 一方、比例選出議員の新党への移籍の可否については、「結社や政治活動の自由を縛ることになる」との理由から、制限しない方向。既成政党への比例議員の移籍は既に、公職選挙法で禁止されている。(
2010/12/30-15:05)


今の日本に欠けているのは決断と気力

2010-12-30 18:31:46 | 日記

めげる日本、めげないアメリカ
気力の差が国力の差を生む

安藤茂彌 [トランス・パシフィック・ベンチャーズ社CEO、鹿児島大学客員教授]

 2010年はいろいろな出来事のあった年だった。北朝鮮攻撃による韓国軍艦の沈没(3月)、中国漁船の日本の監視艇への体当たり(9月)、ロシア大統領の国後島訪問(11月)、北朝鮮による韓国延坪島への軍事攻撃(11月)。周辺の海は波が高かった。こんなに安全保障を意識した年はなかった。だが日本は何も決められなかった。

 普天間基地の移転問題は今年も移転先が決まらなかった。米国政府との約束を守れないまま、5年続けて年を越す。先月、県外移設を要求する仲井真知事が当選し、移転問題の早期決着はさらに遠のいてしまった。膠着状態をどのように打破できるのだろうか。

 たとえば、国が基地周辺に住んでいる沖縄住民に5年間程度の生活保障をして、本土に移住してもらうような具体的な交渉をできないものだろうか。沖縄県民の受け入れに名乗りを上げる本土の県には財政的インセンティブを与えるのもよいだろう。そのために国の借金がちょっとばかり増えることがあっても誰も反対しないだろう。

 鳩山前首相が首相の座を放り出して、民主党の政権担当能力に多くの国民は疑問を持つようになった。そうした中で発足した菅首相への期待感は、その後の中国漁船問題への対応で萎んでしまった。これだけ重要な問題であるにもかかわらず官邸の指導力が行き渡っていないことに国民は驚いた。衝突現場のビデオ写真は関係者のユーチューブへのリークで国民は初めて見た。

 中国の国防予算が激増しているのは誰でも知っている。そんな状況の中で組まれた防衛予算は減額予算となった。2011年から始まる5年間の中期防衛予算を、23兆4900億円としたがこれは2005年から2009年までの当初予算の7500億円減である。周辺国で軍事衝突が起きているに軍事予算を減額するのは常識では考えられない対応である。

 経済面ではどうだったろうか。円高の進行を止めるべく日銀は資金面での超緩和策を打ち出したが、その後また80円台前半に戻ってしまった。昨年末には93円だったから、円高に苦しめられ続けた一年となった。株価も円高による企業業績の悪化懸念から後半は上値の重い展開となり、今年末の日経平均が昨年末の水準を抜けるのか微妙な状況である。

 海外から日本を見ていると、日本は「腑抜け国家」のように見える。脅威を脅威とも感じず、意気地もなく、肝心なことを何も決めない国だからだ。本来ならば、国家の頭脳の部分は首相官邸が掌握し、明確な国家戦略に基づき、行政府を動かして行くのが行政の姿である。国家戦略が不透明で、そのうえ頭脳と手足はバラバラに動いている。それが今の日本である。

一方、米国の一年はどうだったのか。エドワード・ケネディ上院議員(民主党)の死去に伴うマサチューセッツ州の補欠選挙で幕を開けた。民主党の候補者が共和党の候補者に敗北するという予想外のことが起きてしまったのだ。上院100議席で60議席を取っていた民主党の絶対優位があっという間に崩れてしまった。

 議事運営が難しくなる中で、オバマ大統領は3月に長年の懸案であった医療改革法をなんとか成立させた。歴史的な快挙ではあったがタイミングが良くなかった。国の財政が大幅に悪化する懸念が浮上し、国民の不安を掻き立てたからだ。

 7月には別の法案が可決されている。2008年秋から始まった一連の金融危機の反省に基づき、再発を防ぐための金融規制法が成立した。90年代から加速した金融機関の儲け一辺倒の経営に釘を刺し、健全な金融機関として出直しを図らせる目的の法律だった。だが、国が大量の血税を投入して救済した大手金融機関は、経営者や一部従業員に法外な賃金を支払っていたことが明るみに出た。こんな金融機関に血税を投入する必要があるのか。

 税金の使い方に関する国民の怒りと、国の借金膨張に対する不安、それに景気回復の遅れ、失業率は高止まりといった諸々の不満が11月の中間選挙で爆発した。これによって下院で与党民主党が大敗してしまった。

 だがオバマ氏はここで立ち止まっているわけには行かなかった。年末までに意思決定をしなければならない重要懸案があった。ブッシュ政権時代に決めた富裕層への減税措置の時限立法が年末に失効するからだ。オバマ氏は2008年の大統領選挙戦で、自分が大統領になったらブッシュ減税を廃止すると公言して大統領になった。公約を守るのか、それとも公約を破って共和党と妥協をするのかに国民の注目が集まった。

 オバマ大統領は、公約を破ってでもブッシュ減税を2年間延長する決断を下した。この決断を促した理由の一つには90年代の日本政府の失敗が念頭にあったのだろう。橋本首相(当時)は景気が回復してくると見るや増税を行い、結果として景気回復できずに「失われた10年」になった前例があるからだ。

 米国の政府関係者は「日本のようになりたくない」と平気で言う。過去20年間にわたってゼロ成長を続け、いまだにデフレ・スパイラルから抜け出せないでいる日本を「反面教師」としているのだ。反面教師効果がでたのか、オバマ大統領の選挙公約違反には表だった反対が出ていない。

これから2年経つと大統領再選の年を迎える。ここで再選されれば、二期8年間大統領でい続けられる。その時までに景気が回復してくれば再選の可能性が高まるからだ。富裕層を支持基盤に持つ共和党はブッシュ減税の恒久化を主張したが、2年間の延長で妥協した。減税を延長させることで共和党は中間選挙で大勝させてくれた支持者の期待に応えた。

 減税見送り分を含む景気刺激策は総額8580億ドル(約72兆円)にも及ぶ。その中には富裕層並みならず中間層への減税、失業給付の再延長、学生への減税が含まれる。これによって民主党の支持者にも応えた形となった。

 だが国の借金はどうするのだ。減税廃止で見込んでいた税収が減る分、国の借金はさらに増える。オバマ大統領は医療改革法案を通す時に、財源として富裕層への減税廃止を見込んでいると言っていた。共和党は中間選挙で国の借金を減らすことを重要マニフェストの一つとして勝利したはずだ。それにもかかわらず、大統領、与党、野党ともに借金問題を一時棚上げにしている。

 早期景気回復という国家の最優先課題に小異を捨てて大同についているからだ。中央銀行とて例外ではない。連邦準備銀行(日本の日銀に相当)は11月初旬に6000億ドル(約50兆円)に及ぶ連邦債購入を決めている。連邦債を市場から購入することで資金の需給を緩和し、デフレを回避するためだ。だがこの政策は一歩間違えばインフレを招く。市場金利のさらなる低下によりドル安を招くとの海外からの批判もある。それでも輸出振興による景気回復を最優先する国家の政策課題に協力している。

 米国では状況の変化に応じて政治がダイナミックに動く。これとは反対に、日本は立ち往生しているように見える。国の借金が多いのは米国も日本も同じだが、その対応に大きな違いがある。

 日本国の借金はすでにGDPの2倍もある。破綻したギリシャの借金の規模はGDPの130%だったから、日本はもう借金を一円たりとも増やせないのは理解できる。だからと言って立ち止まっていてよいのだろうか。米国の現時点での借金はGDPのほぼ100%である。オバマ政権は2015年までに借金は増え続けるが、その後減少に転じて2020年には再び100%でバランスすると大筋の予測している。この間の経済成長率は2.6~4.6%と見込んでいる。

日本のように政策課題に思い切った優先順位を付けずに、且つ、借金も増やさないようにしようと思えば、国家予算は身動きが取れなくなる。最近発表された2011年度の一般会計は92兆4000億円にすることになった。2010年度の当初予算は92兆3000億円だった。たった1000億円の上乗せである。

 だが、経済成長できれば借金依存度は自然と下がっていくのである。ノーベル賞を受賞したアメリカの経済学者ポール・クルーグマンは、「借金依存度の高さは借金の増加そのものよりは、経済成長率の低さによって引き起こされる」と指摘している。これは今の日本にそのまま当てはまる。

 日本は借金の規模に委縮することなく、日本経済をどのように立て直して成長路線に戻していくかの論議をすべきである。そして与野党、日銀、民間が一体となって日本を元気にする大胆な政策を実行すべきである。これができるならば借金依存度が一時的に230%、250%になっても怖くないはずだ。

 日本の委縮した経済運営は早く終わりにしてほしいものである。こんな状態を続けていては国民全体が憂鬱になってしまう。今の日本に欠けているのは決断と気力であるように思う。 


アルビン・トフラーが予測する今後の40年

2010-12-30 18:17:57 | 日記

未来学者アルビン・トフラーが予測する
今後の40年を左右する「40の変化」

未来学者として『未来の衝撃』『第三の波』『パワーシフト』『富の未来』など数多くのベストセラーを世に送り出してきたアルビン・トフラーとハイディ・トフラー夫妻は2010年、『未来の衝撃』刊行40周年を迎えたことを機に、「今後の40年を左右する40の変化」(英題は「40 FOR THE NEXT 40」)を発表した。これは、世界各地で政治、経済、社会、テクノロジーなど分野ごとに行った分析調査をベースに導き出された予測であり、国家や企業そして個人が未来を左右する原動力を知り、いかに生きるべきかを考察するための道しるべともなるものだ。ここでは、トフラー夫妻の右腕であり、報告書作成を担当したトフラー・アソシエーツのマネジングパートナー、デボラ・ウェストファル氏へのインタビューをお届けする。その前に、この貴重な報告書の骨子に目を通していただきたい。

アルビン・トフラー(Alvin Toffler)
アメリカの未来学者。1928年ニューヨーク生まれ。世界的ベストセラーとなった『未来の衝撃』(1970年刊)『第三の波』(1980年)『パワーシフト』(1990年)『富の未来』(2006年)など著書多数。中国の「人民日報」は、現代中国の形成に貢献した50人の外国人の1人に同氏を挙げている。Photo by ロイター/アフロ

<政治分野>
●世界各地でリーダーシップが交代することによって、(政治の)目標や関係性が激変する(補足(※)今後3年間で約80カ国において大統領選が行われる/国家のリーダー的な地位に就く女性が空前のペースで増える/世界各地で宗教グループが政府に進出しようとする)
●世界における国家パワーは、誰がどこでそれを行使するかという点において、ますます多極化する(※ブラジル、中国、インドの経済はますます米国・EU中心ではなくなっていく)
●非政府的存在のパワーが高まり、国家のパワーや影響力により広く挑戦するようになる(※ここでいう非政府的存在とは、プライベートセクター、NGO、宗教グループ、国家を上回るリソースを持つことで非常に大きな力を与えられた個人“hyper-empowered individuals”等を指す)
●社会貢献資本家(philanthro-capitalists)が、世界的スケールで影響力とパワーを行使するようになる(※ビル&メリンダ・ゲイツ財団のような組織がやがては、第三世界諸国における教育や疾病根絶では、国家組織や多国間組織よりも大きな影響力を持つようになる)

社会分野>
●急速な都市化と世界規模の人口移動によって、メガ都市が生まれる。
●世界の人口と人口構成の変化が、国家の財政的、社会的、経済的な重荷となる(※先進諸国の人口は、本国生まれの高齢者と他国から移民してきた若年層で構成されるようになっていく)
●ソーシャルネットワークは、新しい方法による影響力行使を可能にしていく(※政府や企業はそれまでつながることがなかったコンタクトに触れることになり、それによって新たなリスクに晒される)
●消費者が選択を動かすようになる(※コミュニケーション技術やソーシャルネットワークがますます影響力を持つようになり、製品やサービスの提供において決定的ファクターとなる)
●組織が不適切な行為を隠すことは不可能になる(※情報量が急速に増えることに加えて、プロフェショナル・コンシューマ向けの分析ツールが“拡散”することで、前述したhyper-empowerd individualsが組織の行動を見張り、その情報を他者に伝えやすくなる)

<経済・ビジネス分野>
●中国は、長期に渡り、世界的な経済パワープレイヤーであり続ける(※通貨の分野ではブラジルやインドなどの新興国とチームを組み、エネルギーや原材料の分野ではベネズエラやアフリカなどの他国とパートナーシップを組む)
●南米は、長期に持続する経済成長によって姿を変える(※国際的な影響力を回復させるほか、ベネズエラのような国が域内での米国の影響力に挑戦する)
●無用知識のコストが高くなり、国際競争力に影響を与えるようになる(※無用知識=OBSOLEDGEとは、obsolete(役に立たない)とKnowledge(知識)を合成したトフラーによる造語。全ての知識には寿命があり、どこかのポイントで無用になっていく。しかも無用になっていくペースは加速する。知識を新たなものに保つためのコストは上昇し、意思決定に影響を与える)

<テクノロジー分野>
●イノベーションのためのオープンなネットワークが、世界中の専門家への迅速なアクセスを可能にする
●プロセシングとストレージの新技術が、情報処理の方法を根本的に変える(※世界はペタバイトの時代に入り、10~15年以内に量子コンピューティングが現実的な可能性を帯びる)
●大量生産は、複雑な製品・サービスのオンデマンド・カスタム生産に取って代わられる(※小さく俊敏な企業が顧客の関心を集めることで、大メーカーと効果的に競争していく)
●企業は、「コネクター」となることによって、その価値を高めていく(※企業は引き続きアップルのiPhone型の価値創造を追求する。すなわち製品をクリエートするのではなく、市場をホストし、生産者と消費者をコネクトすることから収益を上げる)

<環境分野>
●エネルギー競争は激化し、国家権力を変動させる(※エネルギー資源は経済戦争の中で影響力を及ぼすための“てこ装置”として使われる)
●気候変動は、脆弱な国家にとって紛争の種となる(海面レベルの上昇に伴う領土の喪失によって引き起こされる人口移動が原因で、紛争が起きる)

さて、トフラー夫妻が設立したトフラー・アソシエーツは、こうした未来の波にどうすれば乗ることができるか国家や企業などに対するアドバイスを行っている。では、「今後の40年を左右する40の変化」報告書作成を担当した同アソシエーツのマネジングパートナー、デボラ・ウェストファル氏へのインタビューをお届けしよう。(聞き手/ジャーナリスト、瀧口範子)

デボラ・ウェストファル(Deborah Westphal)
2007年からトフラー・アソシエーツのマネジングパートナー。約60人の調査分析コンサルタント部隊を率いる。ウェブスター大学大学院修了。

――「40の変化」からいくつか具体的に解説をお願いしたい。政治分野では「非政府的存在のパワーが高まり、国家のパワーや影響力により広く挑戦するようになる」という項目がある。その中で「高度にエンパワーされた個人集団(hyper-empowered individuals)」が果たす役割の重要性が語られているが、そもそも「高度にエンパワーされた個人集団」とはどんな存在なのか。

 たとえば、1人の人間が何100万人ものフェイスブックのメンバーを喚起して、何らかの運動を起こすようなことだ。これはいい意味でも悪い意味でも起きる。テクノロジーの仲介によって個人がエンパワーされ、仲間を見つけていくのだ。あるいは、NGOの数が増えていることも同じだ。数年前、インドには一握りのNGOしかなかったが、今では50万ものNGOがそれぞれの影響力を行使している。これは、インド一国での話だ。ここで見られるのは、国家という存在からこうした組織にパワーがシフトしているということだ。

 ――なぜそうしたことが起こっているのか。NGOは政府よりも柔軟に行動できるからか。

 テクノロジーによって知識を得て、他人ともコネクトできるという可能性を手にした人々が力を得た結果だ。今や、地球上の誰とでもコネクトできる状態になったと言っても過言ではない。これを起点に、これから真のエンパワーメントが生まれる。

 フェイスブックひとつとっても、今はただおしゃべりをネットに上げているに過ぎないが、世界や地域の深刻な問題を解決するために、あるいはセキュリティのためにこうしたネットワークが集結することも考えられる。

――非政府的な存在が大きくなった時、政府はどのような存在になるのか。

 政府は、その時々に社会から求められる要望に応えられるように変化するしかない。なぜ政府があるのか、政府の目的は何かについて今多くの疑問が出ているのは周知のとおりだ。いずれ、基礎工事をやり直すような時期がくるだろう。根本的な変化が起こるだろう。政府はこれまで信頼を置いてきたルールが未来においては通用しないことを思い知らされるだろう。既得権にしがみついて同じことをし続けるのではなく、鍬を持って未来の大地を耕さなければならないことを理解する必要がある。

――同じ政治分野で「社会貢献資本家(philanthro-capitalists)が、世界的スケールで教育や疫病根絶などに影響力とパワーを行使するようになる」としている。象徴的な例として、ビル&メリンダ・ゲイツ財団の存在を挙げているが、つまりこれは巨額の資産を持つ個人が影響力を増すということか。

 金だけの力とは限らない。同じ政治分野で「スマートパワーが、国防上の問題の解決に活用される」と予測したが、貧困問題、政治不安、移民問題、若者の雇用問題などは、もはや軍事力や金の力だけでは解決できない。知識やスキルなど他のスマートパワーによって、道路や水道を整備し、国の経済力を高める必要がある。そうした意味で、政府だけでなく、企業、NGO、個人などが協力するということだ。

――テクノロジー分野では、「イノベーションのためのオープンなネットワークが、世界中の専門家へのアクセスを可能にする」という項目がある。オープンネットワークによってイノベーションが進められるようになると、企業自体はどんな組織になるのか。小規模なものでいいということか。

 その企業のコア自体は残るが、ピラミッド構造ではなくパンケーキ構造になるだろう。それが、外部も含めたネットワークに組み込まれるということだ。その企業のコアの強みが1枚のパンケーキとなり、複数あればそれが積み重ねられる。その中でのリーダーの素質は、これまでのマネージャ的なものからコーチやメンターのようなものに変化するだろう。つまり、ボスではない違ったタイプのリーダーだ。それに応じて、管理や業績を測る基準も変わる。これまでとは異なった素質、プロセス、管理方法、構造が求められる。これを可能にするためには、膨大な量の才能を活性化させなければならない。

――大企業は存続するのか。

 依然として存在し続けるだろう。すべてが小さくなるわけではない。ただ、その企業の財産は何か、その企業がどう評価されるのかは変化する。これまでは売り上げや利益、規模、どれだけの資産を持つかによって、つまり産業的尺度によって測られてきたが、未来においては、世界が抱える問題をどう解決するかによって評価されるだろう。見えないものが、その企業の財産を測る要素として入ってくるわけだ。

――興味深い項目が、経済分野で挙げられている「無用知識(obsoledge)」だ。知識がすぐに陳腐化して無用の知識になるので、「知識を新たなものに保つためのコストがグローバル競争の要になる」というものだ。どうすれば、そのコストを低く保てるのか。

 無用知識とは、物置に打ち捨てられたガラクタのようなものだ。もう使わないが、捨てるには惜しい。変化が急速なため、そんな無用の知識はどんどん貯まっていく。未来においては、無用知識を処理するビジネスが出てくるだろう。物置に入って行って整理したり、いい知識を探し出したり、古い知識をリサイクルして新しいものに変えたりするようなビジネスだ。コンサルタントかもしれないし、データベースやソフトウェアとなるかもしれない。

――さて、この「40の変化」は国家や企業向けに役立つ指針だが、この変化に対して個人はどう準備すればいいのか。

 急速な変化の中で生き残るために、個人は変化を見定めて賢く対応しなければならない。目を見開いて、世界で起きていることを理解する必要がある。もっと旅行して方々へ出かけ、たくさんの本を読まなければならない。世界の出来事の点と点を結びつけるために、幅広い理解力が求められるからだ。そうすることによって、そこに機会を見出すことが可能になり、この変化を恐怖として捉えるのではなく、歓迎すべきものとして捉えることができるはずだ。