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【詩をめぐる対話】




【詩をめぐる対話】 ロミー・リー、尾内達也
                  (翻訳・解説 尾内達也)


ロミーと西行のもっとも有名な歌「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃」をめぐっての対話。
やはり、思ってもみなかったような反応があったのが楽しい。「春死なん」の捉え方が、生命の最高潮のときの死を望む、生命が一番美しいときの死だと言っているのが印象的だった。ユダヤの格言「夕方に死にたい。丸一日学べる時間が取れるから」を思ったという指摘は、こっちの社会にいるとまったくわからない。この格言は、ユダヤ人らしい知識欲の表れだろうか。西行の歌に、春と死の緊張関係や、夜と春の緊張関係を読むのは、面白い視点だと思った。最後の崇高な魂の問いかけと答えをめぐる思索には、心を揺さぶられるものがある。

第一信(T.O→R.L)二〇一四年六月九日

願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃   西行

Let me die in spring
under the blossoming trees,
let it be around
that full moon
of Kisaragi month

「きさらぎ」とは旧暦二月の日本語名です。仏陀は旧暦二月十五日に入滅したと言われています。西行はこの歌で表現していた願いを、一一九〇年二月一六日に死去するという形で、鮮やかに実現し、この歌を知っていた当時の人々を驚かせました。
この歌は、日本人なら、だれでも一度は聞いたことのある有名な歌です。歌の背景は、翻訳者が簡潔に説明しています。わたしが、これに、客観的な情報を付け加える必要がありませんが、翻訳について少し疑問に思ったことを述べます。第一に、「under the blossoming trees」という表現は、西行が亡くなったときの空間がかなり広いことを意味しています。西行の念頭にあったのは、一本の桜の木の下ではなかったか、と思うのです。この印象を説明するのは難しい面があります。というのは、ここには、部分で全体を表現する思想の典型が、ここにはあるからです。この思想は俳句ではより鮮明になります。詩が表現しているのが狭い空間であっても、詩人は広大な空間を想像ずるのです。これは、西欧の「神は細部に宿る」という思想と似ています。
第二に、「let it be」という翻訳です。これは、その前の二つの詩句を踏まえた繰り返しですが、必要ないのではないかと思います。以上から、新しく翻訳し直すと次のようになります。

Let me die in spring
under the blossoming tree,
around
that full moon
of Kisaragi month

どうでしょうか。あなたのコメントを楽しみにしています。

第二信(R.L→T.O)二〇一四年六月十六日

 歌の背景情報をありがとうございます。それは歌の正しいコンテキストを教えてくれるので、常に重要で大変興味深いものです。
 しかし、わたしがこの歌から感じたものは、事実の知識よりもはるかに広大なものです。(事実は付加的なものですが、歌に関する直観とお互いに排除し合うものではありません)
 最初に読んで、わたしの心の底から自然に湧きあがってきた感想は次のとおりです。
 Let me die(死なん)(これは魂の祈りですね)
In spring(春)(このとき、生命は上昇曲線を描く中で、もっとも強くなります。このとき、生命は最も強力で信頼性の高いものになると・・・わたしは思います。もしわたしが死ななければならないとしたら、生命がもっとも高みにあるとき・・・そうすれば、生命は自分よりもはるかに偉大だと信じることができるし、自分はその一部になれると思うのです)
 わたしは、ユダヤの格言を考えていました。「夕べに死にたい。そうすれば、丸一日学ぶ時間が取れる」西行がこう考えていたとは思いませんが、生命が衰える前に死にたい、という思想は、生命がもっとも美しいときに死にたいと言っているのと同じです。生命の衰えを回避したいということです。
 full moon(of K)(きさらぎの望月)この個所は季節を述べているのではなく、日と夜のリズムを述べている。ここに再び同じ発想が見られます。満月は、月の最高潮のとき、その完成態です。完全な成熟を意味します。
 spring and maturity(春と完成)春と完成はいまや同時的です。
 この歌で私の好きなところは、もちろん、あなたが言うように、部分で全体を表現しているところです。ここには、鳥肌が立つようなものを感じます。
 また、わたしは、春と死や夜と春の緊張関係があるところが好きです。あなたが言うように、もし、二月の満月が特別重要な意味を持っているとしたら、それは歌に精神的な力と密度を与え、歌の完成度に貢献しているのでしょう。歌の持っている密度や力に負けないくらい何度も読み返してみたいと思います。考えられるあらゆるコンテキストを想像して・・・。
 詩には時間と空間の制約はありません。しかし、「わたしの書く詩」は、もっとも深い意味で、時間と空間に規定されます。
 西行の魂は、多くの問いかけを行い、その答えを得ています。生命のきらめきが最高潮のときに死にたいというのが、その答えです。それはあらゆるレベルでの問いかけへの答えなのです。西行のエピソードが告げているように、崇高な魂だけが、多くを問いかけ、そして、その答えを得ることができるのでしょう。

COAL SACK 80
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2014-12-13 07:08:56
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