The Last Emperor
清朝最後の皇帝にして満州国の皇帝、愛新覚羅溥儀とその時代。
歴史、政治がわからないし
風景と音楽の走馬灯で見て、“こんなだったんだ”で書いたから
変な記述があるかもしれないが、つらつらと。*1
1950年ハルピン駅 ソビエト連邦での抑留を解かれ中華人民共和国に送還された「戦犯」の1人の男が洗面所で自殺を図る。
不審に思った収容所所長のノックの音と、
1908年北京 夜の大門の音がクロスする。その夜 3歳で生母から宮廷に召される。
そして、オールド・ブッダと呼ばれた西太后の死とともに王位を継承する。
原作『わが半生』(溥儀の自伝)は読んでいないが、ベルトルッチは歴史作家でなく映像作家だ。
Wall of Sound♣, Wall of Colorに圧倒される。
収容所と紫禁城、現在と回想、囚人981号の取り調べ*2 と皇帝 のいったりきたりの編集も絶妙。
通底しているのが城壁(の外への思い)だが、3ステージ(役者)ある。
歴史に翻弄された青年期以降、ジョン・ローンの激動の時代がハイライトだが
無邪気な幼少期、意志と葛藤/出会いと別れの少年期も味わい深い根っこだ。
10歳で7年ぶりに生母に会い、弟、溥傑と共に学ぶことになり
外の世界を知る弟と屋根の上から軍隊行進と外の皇帝の車を眺める。
「朕はまだ皇帝か」
「紫禁城内では皇帝でございますが、城外では違います」側近。
回廊を、乳母アーモが籠で去っていく。声をかぎりに追うが叶わない。
英国から家庭教師レジナルド・ジョンストン(ピーター・オトゥール)がやってくる。
強い意志と葛藤も出てきた溥儀の役者も変わっている。
「ワシントンって、車持ってるの」
人恋しさに大勢で布越しに人を当てるゲームに興じるさまに
目をむくレジナルドが自転車を差し出すが、
生母の死の知らせを受けても城下へは出られず、ペットのネズミを投げつける。
それから皇妃婉容と第二皇妃文繍を迎える。
宮廷内の横領が横行する旧態依然の体質の改革。
ここから 溥儀はジョン・ローン。
宦官1200人を追放し改革に乗り出すが
城の外はもっと動いていて、国民党軍に紫禁城を追われ天津に移る(1927年)
そこで、寂しさに耐えかねた第二皇妃文繍が去って行くが、
(どしゃ降りシーン、画と音、演技、ヨカッタ)
入れ違いに東洋の真珠・川島芳子、そしてキーマン甘粕正彦(坂本龍一)*3 と交差する。
(歴史物好きならたまらないスクランブル交差点、“いよいよ”と身をのり出すかもしれないが、
たらたら並べているのは、歴史・政治音痴の“私”が迷子にならないようにするため)
傀儡国家満州国と歴史の轍に落ちて行き(1931年秋)、
それと前後して、長年親交を温めた英国紳士ジョンストンが国に帰る。
取り調べ尋問官の激昂は家族を殺した満州国/日本への恨みであり、
満州族を支配する者の、民族の理想とはまったく違うところにあった。
「国を裏切るのですか」側近。
「どっちの国?」溥儀。
ジツは言葉一つ拾っても、とてもおもしろいのだが、興醒めな野暮は控えたい。
戴冠式の晩
レセプション会場で蚊帳の外のアヘン中毒の皇妃婉容
華やかなオーケストラと深い悲しみの中、去り際、グラスを取り
「皇帝陛下に1万年の栄光を!」
「栄光を」満場で呼応する。
ここから佳境になだれ込む。あとは一気に日本の終戦まで。歴史教科書でもお馴染みだろう。
そして同時に、私に「黙らっしゃい。皆まで言うな!」が飛んでくるかもしれない。
クールな甘粕とかキャラももっとつっこめた。
また、厳格だが慈しみも持った所長、釈放後の再会のシーンなど、
時代と人についても、いくらか書ける。
しかしながら、
歴史と人、ごちゃごちゃ書かないで、
かわりに、このお気に入りシーンに譲る。
チケットを買い、故宮に。
カラスの声はするが、ゆったりした音が流れる夕べ。
立ち入り禁止を超え、玉座へ上がるところで
「止まれ!そこに入ってはいけない!」少年衛兵の声。
「だれ」溥儀
「守衛の息子。ここに住んでる」少年
「私も昔 ここに住んでいた。中国の皇帝だった」
「証拠は?」。
劇中いちばんの笑顔で
玉座の後ろから取り出したコオロギの壺*4。
それは幼き日、宮廷で貰ったもの。
民族、策略、誤解、時代、通り過ぎた後も残ったもの*5。
*1. もともとの興味はふるい。
飲茶の本だと思って借りた『お茶をどうぞ』(楊絳)
たまたまこの時代にかぶさっていた。ひらたく言えば、「お箸と漢字」つながり。
軽い筆致のエッセイだが、『大地の子』(山崎豊子)とともに
このコオロギの終わり方みたいな束ね方、いつかできないものかと思っていた。
あと、歴史を言うとき、自国(当事国)だと力入りすぎると感じることがある、
前にソクーロフ書いた事があったが、そんな興味もあった。
*2.英語で聞き、中国語で書きとる調書。4000年の歴史の中国、凄過ぎる。
*3. 才人甘粕は、この映画のスコアも書いている^^
*4. ピノキオもだし、レイもだし、よくよくコオロギに縁がある。
レイの時キリギリスと書いたのは、大きすぎたから。
私の(日本の)コオロギ像はエンマコオロギとかスズムシあたり。
*5. 民族間の感情、他人の国の政治や歴史を(好きか嫌いかはあるにしても)いいの悪いの・どうこうは書けないが、
それよりも、もっと個人的な喜怒哀楽の根っこな感じがする。
で、書いているうちに、
“漢字とお箸の国だもの”の共感の部分は書ききれないでしまった。
私も時代に翻弄されてしまったようだ。メンゴm(--)m
でも、中国・大陸的でありながらも、“漢字とお箸”感じたところはあった。
宮廷よりも、背景の市井の人いきれの中とか食事とかに、どこか近しい感じを受けた。
♣: Phil Spectreとは関係ないです^^。
私がそう思ってるだけですが、シーンの昂ぶりと管弦楽も素晴らしいのだけど、
邸内で流れてた日本の流行歌、収容所のヤツ、市街の行進のアコーディオンも絶妙。
時代の棘となりアクセントになっていた、音の名脇役。
清朝最後の皇帝にして満州国の皇帝、愛新覚羅溥儀とその時代。
歴史、政治がわからないし
風景と音楽の走馬灯で見て、“こんなだったんだ”で書いたから
変な記述があるかもしれないが、つらつらと。*1
ラストエンペラー ディレクターズ・カット (初回生産限定版) [DVD] | |
クリエーター情報なし | |
東北新社 |
1950年ハルピン駅 ソビエト連邦での抑留を解かれ中華人民共和国に送還された「戦犯」の1人の男が洗面所で自殺を図る。
不審に思った収容所所長のノックの音と、
1908年北京 夜の大門の音がクロスする。その夜 3歳で生母から宮廷に召される。
そして、オールド・ブッダと呼ばれた西太后の死とともに王位を継承する。
原作『わが半生』(溥儀の自伝)は読んでいないが、ベルトルッチは歴史作家でなく映像作家だ。
Wall of Sound♣, Wall of Colorに圧倒される。
収容所と紫禁城、現在と回想、囚人981号の取り調べ*2 と皇帝 のいったりきたりの編集も絶妙。
通底しているのが城壁(の外への思い)だが、3ステージ(役者)ある。
歴史に翻弄された青年期以降、ジョン・ローンの激動の時代がハイライトだが
無邪気な幼少期、意志と葛藤/出会いと別れの少年期も味わい深い根っこだ。
10歳で7年ぶりに生母に会い、弟、溥傑と共に学ぶことになり
外の世界を知る弟と屋根の上から軍隊行進と外の皇帝の車を眺める。
「朕はまだ皇帝か」
「紫禁城内では皇帝でございますが、城外では違います」側近。
回廊を、乳母アーモが籠で去っていく。声をかぎりに追うが叶わない。
英国から家庭教師レジナルド・ジョンストン(ピーター・オトゥール)がやってくる。
強い意志と葛藤も出てきた溥儀の役者も変わっている。
「ワシントンって、車持ってるの」
人恋しさに大勢で布越しに人を当てるゲームに興じるさまに
目をむくレジナルドが自転車を差し出すが、
生母の死の知らせを受けても城下へは出られず、ペットのネズミを投げつける。
それから皇妃婉容と第二皇妃文繍を迎える。
宮廷内の横領が横行する旧態依然の体質の改革。
ここから 溥儀はジョン・ローン。
宦官1200人を追放し改革に乗り出すが
城の外はもっと動いていて、国民党軍に紫禁城を追われ天津に移る(1927年)
そこで、寂しさに耐えかねた第二皇妃文繍が去って行くが、
(どしゃ降りシーン、画と音、演技、ヨカッタ)
入れ違いに東洋の真珠・川島芳子、そしてキーマン甘粕正彦(坂本龍一)*3 と交差する。
(歴史物好きならたまらないスクランブル交差点、“いよいよ”と身をのり出すかもしれないが、
たらたら並べているのは、歴史・政治音痴の“私”が迷子にならないようにするため)
傀儡国家満州国と歴史の轍に落ちて行き(1931年秋)、
それと前後して、長年親交を温めた英国紳士ジョンストンが国に帰る。
取り調べ尋問官の激昂は家族を殺した満州国/日本への恨みであり、
満州族を支配する者の、民族の理想とはまったく違うところにあった。
「国を裏切るのですか」側近。
「どっちの国?」溥儀。
ジツは言葉一つ拾っても、とてもおもしろいのだが、興醒めな野暮は控えたい。
戴冠式の晩
レセプション会場で蚊帳の外のアヘン中毒の皇妃婉容
華やかなオーケストラと深い悲しみの中、去り際、グラスを取り
「皇帝陛下に1万年の栄光を!」
「栄光を」満場で呼応する。
ここから佳境になだれ込む。あとは一気に日本の終戦まで。歴史教科書でもお馴染みだろう。
そして同時に、私に「黙らっしゃい。皆まで言うな!」が飛んでくるかもしれない。
クールな甘粕とかキャラももっとつっこめた。
また、厳格だが慈しみも持った所長、釈放後の再会のシーンなど、
時代と人についても、いくらか書ける。
しかしながら、
歴史と人、ごちゃごちゃ書かないで、
かわりに、このお気に入りシーンに譲る。
チケットを買い、故宮に。
カラスの声はするが、ゆったりした音が流れる夕べ。
立ち入り禁止を超え、玉座へ上がるところで
「止まれ!そこに入ってはいけない!」少年衛兵の声。
「だれ」溥儀
「守衛の息子。ここに住んでる」少年
「私も昔 ここに住んでいた。中国の皇帝だった」
「証拠は?」。
劇中いちばんの笑顔で
玉座の後ろから取り出したコオロギの壺*4。
それは幼き日、宮廷で貰ったもの。
民族、策略、誤解、時代、通り過ぎた後も残ったもの*5。
*1. もともとの興味はふるい。
飲茶の本だと思って借りた『お茶をどうぞ』(楊絳)
たまたまこの時代にかぶさっていた。ひらたく言えば、「お箸と漢字」つながり。
軽い筆致のエッセイだが、『大地の子』(山崎豊子)とともに
このコオロギの終わり方みたいな束ね方、いつかできないものかと思っていた。
あと、歴史を言うとき、自国(当事国)だと力入りすぎると感じることがある、
前にソクーロフ書いた事があったが、そんな興味もあった。
*2.英語で聞き、中国語で書きとる調書。4000年の歴史の中国、凄過ぎる。
*3. 才人甘粕は、この映画のスコアも書いている^^
*4. ピノキオもだし、レイもだし、よくよくコオロギに縁がある。
レイの時キリギリスと書いたのは、大きすぎたから。
私の(日本の)コオロギ像はエンマコオロギとかスズムシあたり。
*5. 民族間の感情、他人の国の政治や歴史を(好きか嫌いかはあるにしても)いいの悪いの・どうこうは書けないが、
それよりも、もっと個人的な喜怒哀楽の根っこな感じがする。
で、書いているうちに、
“漢字とお箸の国だもの”の共感の部分は書ききれないでしまった。
私も時代に翻弄されてしまったようだ。メンゴm(--)m
でも、中国・大陸的でありながらも、“漢字とお箸”感じたところはあった。
宮廷よりも、背景の市井の人いきれの中とか食事とかに、どこか近しい感じを受けた。
♣: Phil Spectreとは関係ないです^^。
私がそう思ってるだけですが、シーンの昂ぶりと管弦楽も素晴らしいのだけど、
邸内で流れてた日本の流行歌、収容所のヤツ、市街の行進のアコーディオンも絶妙。
時代の棘となりアクセントになっていた、音の名脇役。