しろくま

軟い雑感、とりとめなく。

虫眼とアニ眼

2013-08-18 | 本棚
マンボウ手塚治虫ときて、養老孟司と宮崎駿。
わりと順当なところだろう。

虫眼とアニ眼 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社


でも、
ぞわっとなる虫のはなしでなく
人のはなし。
虫を見る眼、アニメ作家/ファンの眼
ジブリ・もののけの楽屋話から
興にまかせた爺jiji放談*1。
(話の展開というか、編集者のウナズキ、向ける呼び水もナカナカ)

やわらかあたまなふたりは こんな感じ*2


『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』の向こうに見えるもの(97年、98年、2001年)
まだ地震の前だった。どこか楽観的なところはある。理想郷、イーハトーブ町なんて言葉も出てる。

しかしながら、今なお共感できるところは多い。
さらっとあげれば*3
蝶の道のはなし(養老さん)。
どこ飛んでも良さそうなものなのに、周囲の環境をそれなりに“把握”しているから、
前に飛んでいるのを見ていなくとも、蝶はその“道”を飛ぶ。
それから、それを感じとる感性について。差異を見分ける眼、能力がいまのこどもから抜け落ちているのではないか、と。
その視点が人間関係(の歪み)のみにしか向けられなくなってしまっている。
社会・教育の中で、枠組み、尺度ばかり偏重されて
(怖いもの見たさ、気持ち悪さをも含む)なんか違うぞの感覚、デリケートさを考えることができなくなっている、と。*4

いもづるでうかんだ(私感)。
どっかの図書館で『はだしのゲン』が閉架になったという記事があったが
これなんかも、“キモさ”だけで、作者の気持ちが見えないのだろう*5。
要は、教育委員会の側に、そういった眼がない。
読ませないで、子どもの感性・判断の芽を摘むことはない。



しかしながら、批判・小言はあるが、
かれら(養老、宮崎)は、昔からのいいものを大事に思い、見直す温故知新のタイプだと思う。


*1養老孟司は1937年生まれ、宮崎駿は1941年。
文庫版あとがきで、「養老さんとは、ぶつかりようがない」って言っている。カリカリの対談ではない。
宮崎駿さんって“だったらいいなぁ”のおおまかなひとかたまり考えてる人だ。
タバコがどうのとか、こまごまとしたことツッコミ入れられてたが、なんだかなあ。
(“当時の風景”として。“昔の映画の”カッコいいシーンとか心に残ってて、それが無造作に出たのだろう。
スポンサーだろうが、今の時世、タバコは復権しないと思う)

*2冒険者たち
「モビールよ」(レティシア)
「何を表わす?」(ローラン)
「わかるのは自由人だけよ」(レティシア)
て会話があるが、それに近い

*3あげ出すと、きりがない。数冊分以上になる。何気ないが、中身濃い(蝶の道といもづるだけでもこれだ)。

*4宮崎駿さん「キノコ目」に喩えてた。山道を歩くとき、キノコ採りは足元だけでなく、山全体を見て空気を感じている。
そういった感性、勘、知恵みたいなやつ。いまのこども(おとなも)失くしてるって。
学校、社会って、ホントはこういうものなのだろう。(いまさらながらの気もするが)
“はだしのゲン” はじめて見たとき、ホント怖く、途中で投げ出した。
そのときわからなくても、後で沁みてくるヤツってある。後悔から学ぶ“失敗学”みたいなもの。
枠・効率だけでしか考えられないと、こういうこともわからない。
なるほど、USJ迷惑学生だの、コンビニ冷蔵庫昼寝店員みたいなの、出てくるわけだ(極めて、私感)

*5いつだったか、カート・ヴォネガット、アメリカのどっかの教区で発禁になったって記事あったが、それに似ているかな。
もっとも、ヴォネガットはグロテスク・過激描写でなく、あまりのすっとぼけ口調・不敬だろうが


『はだしのゲン』で、ひとことだけ (8/22)
アメリカだけでなく、日本(軍)に対しての怒り、残虐シーン、恐ろしさも
良いの悪いの査定して言っているようだが
(松江教委の検閲は、立場のどこかに正当性、整合性を求めているのか?)
この作品の値打ちは、そんな正誤表的な査定でなく
ぎりぎりで生き残った“原爆の被害者、作者自身”がどんな思いだったかにつきる。
傍観者、健常?者向けの“きれいごと”にできなかった事の史実の一つ。
こういった議論だと、必ず、代表のケースみたいな論点になるが、
史実のうちの一つ、こんなのもあったでとらえた方がイイと私は思う


! (9/1)
宮崎駿監督が引退!スタジオジブリ社長がベネチア映画祭で発表 (スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
宮崎駿長編映画製作から引退へ 「風立ちぬ」が最後の作品に- 毎日jp(毎日新聞)

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