月の岩戸

世界はキラキラおもちゃ箱・別館
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ばらの”み” 11

2013-10-24 03:30:14 | 月夜の考古学

6 鳥の影

 サンタクロース探偵団の活動は、それからも続いていった。
 あれ以来、光はみょうに自信を持って、サンタと会って話をしたことを得意げに幼稚園でふれ回っている。光がもたらした知識は、幼稚園児にはけっこう衝撃的だったらしくて、光の『プチ・ノーレのサンタ本物説』を支持する子どもたちが急に増え、英くんを中心とした『ニセモノ説』支持者の集団をおびやかしているそうだ。また要は要で、学校で先生や友だちに質問して、みんながサンタを信じてるかどうかを調査したり、サンタに言われた通り名前集めに精を出して、『音の秘密』を探ったりしている。
 そんな風に光やカナメが持ち帰ってくる報告を、お母さんは自ら「サンタ・ノート」と名付けたノートに、ちくいち書きためていく。おかあさんは、そのノートに記した探偵団の活動記録を、いずれまとめ直して、すてきな本にするんだと言っている。別にどうしようとかまわないけど、それを友だちに配るというアイデアだけは、何とか阻止しなければと、環は思っていた。
 一体いつになったら、こんなバカげた毎日が終わるんだろう。環の心は、日に日に憂うつになった。おかあさんは、当然のように環にも活動報告を要求してくるので、そのたびに宿題があるから、疲れてるからなどと言い訳を考えて、逃れなければならない。
(おとうさん、帰って来ないかな……)
 おとうさんさえ帰って来れば、こんな幼稚な探偵団なんかいっぺんで解散させてくれるのに。でもあの日以来、おとうさんは電話一つよこして来ない。環はうらめしく思った。
 けれど、しばらく時がたつと、要も光も、サンタのことをあまり口にしなくなった。それにともなって、探偵団の熱気も少し沈静する気配をみせはじめ、環はほっと安堵した。よく考えたら、あきっぽい光が、そんなに長くひとつのことに熱中できるはずはないのだ。きっとこのまま、探偵団なんて自然消滅していくに違いない。
 しかし、それが甘い考えだったことを環が思い知るのに、そう時間はかからなかった。
 それは、十二月も半ばにさしかかった、ある朝のことだった。
 いきなり目覚まし時計のベルが鳴って、環はぱっと目を開けた。と、瞬間天井から何か黒いものが石のように落ちて来たような気がして、環は思わず悲鳴をあげた。
 心臓にずしんとショックが起こったような気がして、一瞬息がとまった。思わず目を閉じて、おそるおそるまた開けた。かすんでいた視界が、はっきりしてくると、それは例の天井の魔女の顔だということがわかった。光の加減だろうか? なんだかいつもよりそれはずっと大きく、黒っぽく、不気味に笑っているように見えた。
 すぐに起き出す気にはなれず、環はしばらく布団にしばられたように、ぼんやりとしていた。みょうに、頭が重かった。それは体の調子が悪いというのではなく、どうも、訳もなく腹が立つような、いらいらしているような、要するに、虫の居所が寝違いでも起こして、おかしくなったような、そんな感じなのだ。
 朝からいやだなと思いながら、それでものろのろと起き上がって着がえを始めると、環はようやく、それが夢のせいだということに気がついた。そういえば、さっきまでおかしな夢を見ていたのだ。何か、変なものが空を飛んできて、自分にぐんぐんと向かってくるような夢だった。
(鳥? いや、飛行機だったかしら……?)
 環は頭をぼりぼりかきながら、思い出そうとがんばってみたけど、夢のかけらはもう一つも浮かんでは来なかった。
「まあいいや。ごはん食べよ」
 着がえを終えて、居間に出てくると、要がテレビの横の窓を少し開けて、一身に耳を外に向けて立っているところに、出くわした。光も要の下に陣どって、窓のすき間からじっと外をのぞいている。
「何してるの?」 
 環が言うと、後ろから来たおかあさんが、人差し指をくちびるの前に立てて、言った。
「しっ、大きな声出さないで。今ね、庭のピラカンサに、鳥が来てるのよ」
「鳥?」
 頭の中に、かすかな夢の記憶がよみがえって、環は顔をしかめた。
「鳥が、ピラカンサの実を食べに来てるの」
「ただのスズメでしょ」
「ちがうわよ。もっと大きな鳥。環も見てみる?」
「いいよ。それより朝ご飯は?」
 環は不快げに目をそらしながら言った。
「もうできてるわよ。食べなさい」
 おかあさんは、要や光のいる居間の方をはばかるように、声を殺しながら言った。その声の、いかにも物事を楽しんでいるような言い方が、よけいに環をいらいらさせた。おかあさんも、要も光も、どうしてこう、どうでもいいことにばかりで大さわぎするのかしら?
 環がイライラをおなかの中で煮込みながらテーブルについた時、突然電話の音が聞こえた。それと同時に、居間の方で要たちの小さな悲鳴が起こった。電話の音に驚いて、鳥が逃げでもしたのだろう。
 環は黙って立ち上がり、いそいで玄関に電話をとりに行った。こんな時間にかけてくるのは、きっとおとうさんに違いないと思ったけれど、受話器を取って耳に飛び込んできたのは、興奮気味のかん高いおばさんの声だった。
「ちょっと! 今朝の新聞見たわよ! もう亜智さんたら、ほんとにやるんだもの。びっくりしたわ!」
「あ、あの、わたし環ですけど……」
 環が言うと、電話の向こうで、おばさんは一瞬声を飲んで、あらぁ、ごめんなさいねぇ、と言った。
「タマキちゃんだったの? 声がおかあさんとそっくりね。タマキちゃんは、もう新聞見た?」
「いいえ、まだですけど……」
 環はとまどいがちに答えた。聞き覚えのある声だけれど、だれの声なのか思い出せない。おかあさんの友だちだってことはわかるんだけれど。
「じゃあ、今日の新聞の十二面、見てごらんなさい。ちゃあんと載ってるわよ! でも、ほんっとにおもしろい人ね、亜智さんて!」
「はあ……あの、母とかわりましょうか?」
「ううん、いいわ、忙しいだろうから。朝っぱらからごめんなさいね。びっくりしちゃって、つい電話しちゃったの。もう切るわ。後で電話するって言っておいてくれる?」
「はい、あの……」
 名前をきかなきゃと、環が思った時には、もう電話は切れていた。
「新聞……?」
 首をかしげつつ、居間の方に戻ると、要たちはもう台所でトーストにかじりついていた。
「ねえ、どんな鳥だった? 大きい? きれい?」
 要は興奮にほおを染めて、しきりにおかあさんにたずねていた。
「ここらへんでよく見かける鳥なんだけど、名前が思い出せないのよ。でも図鑑を調べればわかるわね」
「要、鳥の声きいたよ。なんかねえ、鳥がいるとね、すっごく、ぱちぱちしてるみたいね!」
「まあ、ぱちぱちって、どんな感じなの?」
「うーん、えーっとね、なんかね……ほら、お風呂に入った時、お湯たたくと、いつもおかあさん怒るけど、ぱちぱち!てかんじでしょ。それでね、鳥がいるとね、要の体の中、そんな感じに、ぱちぱち!って、するの……」
 台所の会話を聞き流しながら、環はコタツの上の新聞をとった。いつもはテレビ欄くらいしか見ないから、新聞を開くなんてめったにないことだ。十二面を開くと、『暮らしのネットワーク』という大きな見出しが最初に目に入った。細長い枠が紙面いっぱいにタイルのように並んでいて、運転手募集とか看護師募集とかの文字が、その枠の中にぎっしり詰め込んである。『ペットを探してください』とか『ご結婚おめでとう』とかいう文字も見える。どうやら新聞を利用した市民の伝言板みたいなものらしい。
(おかあさん、何かの伝言でも出したのかしら?)
 環が紙面に目を走らせている間も、台所では鳥の話が続いていた。
「ぼくは、鳥飼うとしたら、タカがいいな」
「まあ、ヒカルはタカ飼うの?」
「うん、こうやって手にとまらせてさ、ぼくが口笛ふくと、ぱっと飛んでったり、空から戻ってきたりするんだ!」
 ばっかね。タカなんかあんたに飼えるわけないじゃない、と環は思ったけれど口には出さず、新聞を読み続けた。
「光ちゃん、いいなあ。……ねえ、おかあさん、タカってすごく高く飛ぶんでしょ? だったら要にお星さまとってきてくれないかなあ」
「そうねえ……あ、そうだ。タマキ、さっきの電話、誰からだったの?」
 おかあさんが、思い出したように言った。環は返事をする代わりに、新聞をばさりと持ち上げて、すっとんきょうな声をあげた。
「おかあさん、これ何!」
「あらびっくりした。何って、なあに?」
「これよ、これ!」
 環は新聞をおかあさんのところに投げるように持って行くと、その枠のある所をぱんぱんたたいた。それは紙面の下の方にある小さな枠で、こう書かれてあった。
『サンタクロースを見たことある方、連絡ください。△△△-○○×× 砂田亜智』
「ああ、それ、この前申しこんどいたの。ちゃんと載せてくれたのね」
 おかあさんは環から新聞を取り上げると、しばし活字を見つめて、得意そうに言った。
「なかなかのアイデアでしょ、どう、タマキ」
 環は口をあんぐり開けて、おかあさんの顔をまじまじと見つめた。
「どうって、おかあさん、何したかわかってるの?」
「いやねえ、こわい顔して。何を怒ってるの?」
「怒るわよ! 前からバカだバカだって思ってたけど、おかあさん、こんなことまでやるほど、バカだとは思わなかったわ!」
 環はこの時、自分で自分の言ったことに、少しびっくりした。おかあさんにこんな乱暴な口答えをするなんて、もしかしたら初めてなんじゃないだろうか?
「……失礼ね。それじゃ、おかあさんがよっぽどバカみたいじゃない」
「バカよ! そんな記事、もし友だちに読まれたら、わたしがバカにされるじゃない!」
 環は、内心とまどいつつも、言葉の勢いにかられて、たたみかけた。さすがのおかあさんも、ちょっと煙たそうにまゆをひそめて、言った。
「心配しなくても大丈夫よ。子どもは新聞なんか読まないわ。だいたい……」
「子どもは読まなくても、親が読むわよ! きっといつか、ぜったいクラスのみんなにばれるんだから! そうなったらどうしてくれるのよ! だいたいおかあさんて、いつもそうなんだから! わたしの気持ちなんて、全然わかってないんだから!」
 環は、わめいているうちに、だんだん怒りがふくれあがってきているのを感じた。おかあさんは、いつもとちがう環の勢いにとまどいつつも、何とか平静を保って、返した。
「タマキったら、落ち着きなさい。何怒ってるの。広告を出したのが、そんなに悪いことなの?」
「サンタを見た人なんているわけないじゃない! 何でそんな常識がわからないのよ!」
「あら、じゃあかける?」
 おかあさんは、ちょっとカチンと来たようで、パッと言い返した。環を見つめる目が、少しとんがっている。それを見た環は、ちょっと心がひるんだけれど、もうどうにも気持ちがおさまらなかったから、目を閉じて思い切り大声で、「バカぁ!」と吐き捨てた。
 するとおかあさんは、大きな石つぶてでもくらったように、ぱっと目をとじた。環はおかあさんの表情の中に、むずむずしている怒りを読んで、一瞬勝ち誇ったような気分になった。今にもバクハツするんじゃないかと思って身構えていたけれど、おかあさんはごくりと何かを飲み込み、小さなため息をついた。そしてすぐに普段の顔にもどって、少し悲しそうな笑顔を作ると、環を見て、なだめるように言った。
「さあ、タマキ、朝っぱらからそんなに怒ると消化不良起こすわ。これも探偵団の活動の一環なんだから。心配しなくても、おかあさんは団長として、ちゃんと考えを持って活動してるの。いつかきっとタマキにもわかるわ。……さ、ご飯食べなさい」
 環は、なんだかバカにされたような気分になった。持っていきようのない感情が、おなかのなかでぐるぐるして、気分が悪かった。何かを言い返したいんだけど、言葉が浮かんで来ない。テーブルの上をちらりと見ると、おいしそうなフレンチトーストが並んでいた。でも環は、それに手をつけようともせず、ぷいと背を向けると、何も言わずに洗面所の方に向かった。
 背後で、おかあさんが小さなため息をついたのが、また聞こえた。するとそのとたん、環の怒りは、もうどうにも手のつけようがないほど、激しく燃え上がってしまった。
 洗面所に入り、鏡の中の自分をにらみながら、環は洗面台のコップをとって激しく床にたたきつけた。
(みんな、なにもわかってないんだから!)
 環は怒りに全身をこわばらせながら、今この家の中で、真実をわかっているのは自分だけなのだと、半ば絶望的な思いで、確信した。

 給食の後の休み時間、環は一人で教室を出て、図書室に向かった。この前に借りた本を返すためだ。おかあさんは読んで感想を言えなんて言ってたけど、ばかばかしくて結局一行も読まないまま、本は机の奥で忘れられていた。
 今のところあの新聞のことは全然クラスの話題にはなってない。おかあさんの言ったとおり、子どもは新聞なんか読まないのだ。でも、親の口を通じて、いつみんなに知られるかわからないから安心はできない。環は、どうか、今日一日、関係者は誰もあの枠を見ませんようにと、祈るしかなかった。
「砂田さん、どこに行ってたの?」
 教室に戻ると、さっそく史佳が環をつかまえて言った。史佳は、環が自分に黙って一人で行動することが、あまり好きではないらしい。

   (つづく)



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