医学の常識はどんどん進化していきますから、ベテラン産婦人科医でも孤立して診療をしていると自分では気がつかないうちに時代から相当とり残されている可能性もあります。大病院でも、知らず知らず相当に時代遅れの診療を実施している場合もあり得ます。やはり最新の医学常識を日々学んでいくためには、大学医局に所属して、日常的に多くの仲間達と交流することが非常に大切だと思います。医局の先輩・後輩から教えられることも非常に多いですし、いつ遭遇するかわからないいざという時にも全面的に助けてもらえます。
病院ごとに得意分野と不得意分野がありますし、どんなベテラン医師でもすべての分野に精通しているということはあり得ません。若いうちは修行だと思って、一つの病院だけでなく、いろいろな病院でいろいろなやり方を学ぶ必要があります。大学の医局に所属し、若いうちは医局人事でいろいろな病院で修行を積むことが大切だと思います。特に産婦人科はチーム医療の世界ですから、チームでよく話し合い協力して、チームのために全力で頑張る精神を学ぶことも非常に大切だと思います。
また、最近、若い産婦人科医では女性医師の比率が高まっています。女性医師の場合、専門研修を開始して数年後に、妊娠・出産・育児などのために一時的に現場から離れざるをえなくなることも予想されます。休職した女性医師の補充を各病院だけの努力で対応するのは絶対に無理だと思います。やはり、大学医局の人事で適切に対応して頂くしかないと思います。
私の場合、大学院を終えたばかりで未だ臨床経験の乏しい時期に、一人医長として現在の病院に配属されました。大学では組織診や細胞診の勉強に明け暮れていて、当時、まだ帝王切開の執刀を一度もしたことがありませんでした。未だ自分自身も全く頼りない存在なのに、周囲半径数十kmの範囲に知り合いの頼りになる産婦人科医は一人もいなくて、誰にも教えを乞うことができない非常に厳しい状況での出発でした。
その頃は、小児科、外科、泌尿器科などの院内の他科の先生方から学ぶことが非常に多かったです。緊急手術のたびに周囲の先生方を巻き込み全面的に助けてもらいました。私の非力のため、周囲には迷惑のかけ通しだったと思います。
私の場合、幸いにも、一人医長の最も苦しい時代は最初の2年間だけで済みました。幸運にも、日本医大・講師・医局長でそれまで一面識もなかった波多野先生が突然助っ人として赴任してくださり、日々いろいろ教えてもらったり、困った時にはいろいろ相談できるようになりました。相棒の存在のありがたさをしみじみと実感しました。また、京大から信大教授に就任されたばかりの藤井先生が毎週のように来院してくださって直接指導を賜る幸運にも恵まれました。難しい症例の対応について困った時には藤井教授にすぐに直接相談できるようになり非常に助かりました。さらに、日本医大教授の可世木先生が毎週数時間かけてはるばる来院してくださって、内視鏡手術の指導をしてくださるという幸運にも恵まれました。大学幹部のオーソリティの先生方から直接教えていただけるのも非常にありがたいことですが、1~2年の任期で信大から赴任して頑張ってくれている若い医師達からも、日々、多くの新しい医学知識を学んでいます。彼らに教えることよりも、教えられることの方がはるかに多いと思います。
最近では、当科の分娩件数は月(100~)120件程度と、県内でも最も忙しい病院の一つとなりました。県内総分娩件数の一割弱を当科で取り扱っている計算になります。婦人科の難しい症例も非常に多いです。日々、若い医師達とともに、困難な症例と立ち向かって、充実した楽しい日々を送ってます。
ゼロから出発して23年4か月間、科存亡の絶体絶命の危機にも何度か遭遇しましたが、科をつぶさないように何とか頑張ってここまでやって来ました。赴任して間もなく私が帝王切開でとりあげた女の赤ちゃんが、今年、助産師として当院に就職しスタッフに加わりました。県下最弱だった産婦人科も、いつの間にか県下最大級の産婦人科の一つにまで成長しました。ここまできたら、心情的にも自分の任期中にこれをつぶしたくはありません。定年退職までの残りの6年8か月間は、最後の御奉公だと思って、大学医局から配属されてくる若い医師達とともに、死ぬ気で頑張り抜きたいと思います。