平成元年4月に飯田市立病院に産婦人科が開設されることとなり、恩師の(故)福田透・信大教授に命ぜられて、不肖ながら信大産婦人科より初代一人医長として赴任しました。私が飯田の地に足を踏み入れたのはその時が生まれて初めてでしたし、病院内に産婦人科医はたった一人しかいませんでしたので、地域の皆様にはいろいろと御不便をおかけし、はらはらするような事も非常に多かったと思いますが、市民の皆様や地元医師会の先生方は、誕生したばかりの飯田市立病院産婦人科を暖かく見守り育ててくださいました。
平成元年当時、当地域内に産婦人科医は十数名いましたが、私の父親世代の先生がほとんどでした。平成3年には、相前後して、波多野久昭先生が日本医大から飯田市立病院に赴任、羽場啓子先生が新潟大学から下伊那赤十字病院に赴任、椎名一雄先生が椎名レディースクリニックを継承するために母校の東邦大学より帰飯されました。地域内に同世代の若手産婦人科医が急に増えてきましたので、平岩ウイメンズクリニック院長の平岩幹夫先生を中心にして、飯田下伊那産婦人科医会の中に「若手グループ」を結成し、年6回の勉強会を開催し始めました。平成3年以来、「若手グループ」勉強会は20年間絶えることなく続いています。
その20年の間にも、当飯田下伊那地域の周産期医療提供体制は壊滅的な危機を何度も経験してきました。「若手グループ」の産婦人科医たちは出身大学もばらばらで、それぞれの事情でこの地にやってきてたまたま遭遇した同じ職業の者たちの集まりですが、結束は非常に固く、力を合わせて多くの危機を乗り越えてきました。
当初は十数施設あった分娩取扱施設も年々減少し続けて、本年3月には当地域内の分娩取扱施設は飯田市立病院と椎名レディースクリニックの2施設のみとなってしまいます。これからも、地域のみんなで一致協力し、この危機を乗り越えていく必要があります。
若い若いと思っていた「若手グループ」の面々も、いつの間にかみんな還暦を迎えるような年齢となってきて、次世代へのバトンタッチも考えなければならない時期がだんだん近づきつつあります。今後は、次世代の「New若手グループ」にいい形でバトンタッチしていきたいと考えています。