都合で今日もおやすみ。
真夏の熱気が眼の前の森から無数の蝉の声とまじりあって空に満ちる。
じじじ、と鼓膜に煎りつけるような声は夕方になるとひぐらしの鈴ふり声に変わる。
蝉とりに夢中だったとてもちいさいころを思い出す。わたしはへたくそで、たいてい蝉取り上手な誰かのおこぼれをもらっていたのではないかしら。
見るのは好きだったが、蝶々は鱗粉がこわくて触れなかった。
誰かに、蝶々の鱗粉は毒だと聞かされたから。
それは嘘だとあとでわかったが、ちいさいころの怯えは長く残り、蝶々は大好きなのに、蝉や蟋蟀、蜻蛉のような捕獲対象にできなかった。
それに、蝶々はひよわで乱暴にあつかうとすぐに綺麗なつばさが取れてしまう。
男の子たちの中にはおもしろがって、手の中でもがく蝶々の羽根をむしる嫌なヤツがいた。
そいつが嫌いで、わたしはいつのまにか虫取り仲間から外れた。
今もクワガタ虫や兜虫を見るとわくわくする。
幼児期はたまさかに玉虫など、青緑に虹のかかったすばらしい羽根のかけらでも見つけた日には、しばらく有頂天になれた。
ビーズや貝殻、ガラス玉、玉虫の羽根やグリコのおまけ。
そんなものをどっさりと小箱にためこんでよろこんでいた頃を、真夏は思い出させてくれる。
フェイスブックで、いろいろな反戦平和運動の記事を見る。
政治社会に無関心だった内向的で極度にマイペースな自分の二十代を思うと、そうした青年たちがまぶしく見える。
高度経済成長後、バブル爛熟時代に比較的潤沢な青春を生きたから、国力の傾いた世相険しい今とは時代も違うといえばそうだが、やはり少年少女でも、自分が直面している社会の姿に心を向けて活動するのはすばらしいと、いまさら感じる。
自分の生きる社会と時代は自分たちで作っていくものだ。
なぜ戦争が起きるのか。それは経済力が傾いてきたからだ。
なぜ戦争をしたいのか。それはお金儲けがしたいひとたちがいるから。
なぜ平和を主張するのか。それは幸せでいたいからだ。
お金儲けしたいと願うのも、平和を願うのも、基本ベクトルは「自分が幸福な状態を守りたい」からだ。
戦争と平和の欲望の出発点は同じ。自分と家族がたいせつ。
だから、反戦平和運動にそそぐエネルギーと同じように、若者たちにこの国の経済を活性化して、戦争しないでお金儲けできる方法を考え出して欲しいと私は思う。
デモ行進もだいじだけれど、暴力に走るよりも、国力を平和な手段で上昇させる経済手段あれこれを、若い人の智恵を集め、エネルギーを振り絞って編み出してほしい。
国が貧しくなれば、福祉は切り捨てられ、青少年は徴兵の憂き目にあい、文化芸術は疲弊する。
お金儲けはたいせつなことだ。