雪香の星月夜日記

山口雪香の歌がたり、ささやき、ひとりごと

過ぎゆくやいのちの軌跡きららかにおほきちひさきまこと星空

2022-05-31 19:23:00 | Weblog

 星空に。

 


 昔、ドストエフスキーの長編作品をいくつか読んだときも、山﨑作品ほどに衝撃は受けなかった。若かったせいだろうか。
 ドストエフスキーの踏み込む人間ドラマの深淵に感動はしたが、ページを繰る手が重くなるほどではなかった。たぶん、彼の作品が基本的に物語の定石どおり勧善懲悪で、ハッピーエンドに近いから、安心できる範囲でのカタルシスがあったせいだろう。
 一方、綿密、膨大な事実取材を駆使してリアルを追求する山﨑豊子作品は、むしろ悲劇に傾く。そのため、登場人物に感情移入して読む私には、魅力的で優れた主人公の寂しく悲しい運命の後味が重い。が、その方が読み応えあり、またリアルという観点からは納得できる。

 勧善懲悪ではなく弱肉強食、狡猾で業の深い人間坩堝を書き尽くす山﨑作品の描写は、しばしばむごい。
 けれども彼女の眼差しは正義を問い、人間の尊厳を追求する。

 この偉大な作家に、私はただ敬服する。

 いつか山﨑作品を楽に読めるようになれるだろうか。


 すべてに愛と感謝。

 
 

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星降るや薔薇に棘あり明日へ行く少女に夜風きらきらと吹く

2022-05-30 18:41:00 | Weblog

 夏の宵に。
  
 


 
 山﨑豊子作品を読んでいる。「運命の人」と「大地の子」だが、取材に基づく描写がリアルに厳しく、時に残酷な人間性をあからさまにするので、なかなかすらすらと読めない。
 たしかにこの通りだと思う、と考えるからなおさらページが重い。
 こうした質量ともにハイレベルな社会派文芸がベストセラーになるという事実は、日本人にとってすばらしいことと思う。

 今私は何人かの家族が老病で悩み、その対策の重さを抱えているから、山﨑作品のリアリティがひしひしと迫るのだろう。
 
 傑作に向かい合う時間は貴重なもの。

 愛と感謝。


 

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おほきなる陽射し吹き入る夏の日に薄汗滲むなほ肌白し

2022-05-29 18:55:00 | Weblog

 夏日、甲府の最高気温は31度だとか。湿度がないからさほど暑さは感じないが、少し働くと、涼しい家内でもうっすらと汗ばむ。気持ちの良い初夏だ。

 


 ダリの作品。

 シュールレアリズムは、意識しない潜在意識、深層心理をアートのかたちで掴み開く。
 本人が識意識の下方に埋めているさまざまを表現するものだから、しばしばグルーミィだったり、破壊的、デモーニッシュな欲求をパフォーマンスする。
 ダリもいろいろ多作多彩な絵画オブジェを残しているが、私の見方では、彼は大雑把に言うと、からりと陽気な作品が多いようだ。
 もちろんnervousなものもあるが、ダリはあまりにも才能豊かで多面的に器用だったせいか、それと愛妻ガラという良きパートナーに恵まれ、面倒なマネージメントや経済管理全般全て彼女が整えて、ダリは芸術に熱中できる幸せな人生だった。
 普通人の悩みや、芸術上のスランプなどがなく、基本的に明るいキャラクターだったのだろう。

 強い風の吹く、ひろく明るい海へ向かって次々と羽ばたいてゆく本の白いページたち。眩さと面白さが現れた作品と思う。

 良い日だった。

 愛と感謝。

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白妙の頬に触れたし無垢なれば童女のおもちゃみな艶やかに

2022-05-28 17:38:00 | Weblog
油彩F6号  イノセント

 このあどけない少女の背景を、例えばダリがよく描くような砂漠や空漠、浜辺、ピラミッドなどにしたり、フリーダ・カーロやレオノール・フィニのような乾いて亀裂の走った大地を組み合わせるなら、奇抜で潜在意識を揺さぶるシュールレアリズム画面になるのかもしれない。

 そうしても良かったのだが、私はごくなだらかに、着物を肩上げした明治期の、きよらな少女の姿にフォーカスすることにした。

 少女の膝に抱かれた子猫の、いかにも愛され、大切にされている獣の、気位高そうで安心しきった眼差しも。




主に栄光を。
神に感謝。

愛と感謝。


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束の間に素顔覗かせ君は立ちぬ雨も陽射しもみな若き日よ

2022-05-26 19:28:00 | Weblog

 青春に。

 


 サルバドール・ダリの「レダ・アトミカ」。
 つまりレダ、だが、美しい裸身のモデルは愛妻ガラ。西洋人にしては華奢な体型だ。
 作品の雰囲気も優しくて、いかにも嬉しげにレダ=ガラにまつわりつく白鳥は、女性へのリビドーに燃えるジュピターというより、まさにガラに生涯唯一の愛を捧げたダリの分身で、母を慕う子供のようだ。
 ガラの大胆な裸身にもかかわらず、ここにはミケランジェロやレオナルドなどが強調したエロティシズムは希薄で、明るく穏やかな色彩と、いろいろな小道具が楽しげに添えられた空間は、至福の小部屋、子供部屋のようだ。
 白鳥も、レダにのしかかるわけではなく、ただ頬ずりせんばかりに寄り添って羽ばたき、浮遊している。

 ダリは少年時代に最愛の母を失い、女性に対して消極的な青春を過ごしたそうだ。
 写真を見てもダリは大変な美男で、有名ファッション誌のモデルになるほどだった。出自はスペインの名家、裕福な貴族だし、センスも良く、飛び抜けた芸術的才能に恵まれていたから、女性にモテなかったわけはない。実際、交際する友人は多かった。
 で、23歳の時に、友人である詩人ポール・エリュアールの妻ガラと出会い、恋に落ちる。人妻ガラもまたダリを選び、以後この2人はそれこそ死ぬまで助け合い、強い愛で結ばれた。

 ガラは88歳で亡くなるまでダリの創作を助けた。
 そして、ダリはガラが薨ると同時に、作品制作をやめてしまい、彼も数年後に亡くなる。
 
 いかにこの夫婦の絆がこまやかだったかわかるエピソードだ。

 高村光太郎と智恵子の愛も伝説だが、サルバドール・ダリとガラの愛の物語も、世に稀なおときばなしのようだ。

 羨ましいかぎり。

 でも、地上にこうした純愛の実話があるということは、人々の心と、あらゆる芸術活動の癒しに違いない。

 愛と感謝。


 
 
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髪を切るのぞみおぼゆる夏の宵小首涼しく蛍待たまし

2022-05-24 19:51:00 | Weblog

 今日は暑かった。

 図書館から山﨑豊子の「運命の人」「大地の子」など借りてきた。どちらも長編で、しばらくまたヤマザキワールドを楽しめる。
 彼女の小説の中で、たびたび女性のショートカットの爽やかさが語られ、もう何十年もロングヘアで過ごした私は、少し気持ちをそそられる。
 
 短くして、さっぱりしたいと思うけれども、なかなか。還暦過ぎたら和服で日常を過ごす時間を増やしたいという気持ちはあり、
簪、櫛などへの愛着など。

 雑然とした日常ながら、最近のショートカットへの憧れが、かえってまだ長い髪に女性性を託している自意識に気付かされた。

 静かな明るい夏日だった。

 今日も愛と感謝。

 


 これはレオノール・フィニの若き自画像。彼女は独学で油彩を習得したそうだが、天才とはこういう作家だろう。大胆な色彩と衣装、描かれた人物の性格まで伝わる。魅力あふれて力強く、惹きつけられる画面だ。

「赤い帽子の自画像」というタイトルだが、この鮮烈な朱色の帽子は、あたかもイコンに描き込まれる光背のようだ。
 もちろん賢いフィニはそれを意識していたに違いない。

 サルバドール・ダリ同様、彼女は非凡なテクニックを画業の最初から発揮して、多様な表現をした。同時代人だから、もちろんダリとも親交があったそうだ。

 

 
 

 
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風動く地上にありてまばゆかり樹光ちりばめ夏は来にけり

2022-05-23 15:32:00 | Weblog

 夏日に。

 


 「ガリラヤ湖の聖アンナ、少女マリア」
   油彩F10号  加筆修正。

 主に栄光を。
 神に感謝。

 すべてに愛と感謝。

 

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夏の陽に汗滲ませて走りゆくは2度とかえらぬ人か時間か

2022-05-22 10:38:00 | Weblog

 油彩 F10号 「狭き門」加筆修正。

 


 今朝から爽やかな初夏の陽射し。

 あいにく少し体調崩しているが、近くの中学校の校庭から、少年少女たちの喧騒や歓声が聞こえる。

 人生の余白のたっぷり大きい少年少女の姿を想像すると、自分のこれまで過ごしてきた時間が一気に追想される。

 汗をものともせず、全力疾走したことなど、この陽射しのせいか、ありありと記憶に再現される。
 もしかしたら、そんな疾走はもう自分が死ぬまでしないかもしれない。

 走ってゆく時間と若さと。
 どちらもかけがえのない輝きだ。

 今日も良い日でありますように。

 愛と感謝。

 主に栄光を。
 神に感謝。
 



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うつそみは片羽のごと地にありて風吹けば透ほる音を散らしぬ

2022-05-20 19:40:00 | Weblog

 ふと。

 


 これもダリの聖母子。
 彼の信仰や祈りの想いが切実に現れてはいる。が、やはりイコンとしては奇抜な絵画だと思う。もちろん大変に上手い。

 現代人が真面目に神を求めると、あるベクトルはダリの方へ向くのだろう。
 そして、この方がコンテンポラリーで華やかだから、宗教とは無縁な一般にもウケる。

 私はダリが大好きだ。

 男性のシュールレアリストの方が、女性作家よりも社会性と外向性を最後まで追求できるのではないか。と言うとまた反発されるかもしれないが、私は男性女性の相違による表現の違いがあって当然と思う。平等均等などはありえない。ジェンダーは大切なものだ。
 などなど、近代女性シュールレアリストきってのテクニシャン、レオノール・フィニなどを思い出している。
 それは、またいつか、呟こう。

 今日も全てに愛と感謝。

 


 
 

 

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夏の風草薙分けて進みたり宇宙の速度ここに見ゆるよ

2022-05-18 19:18:00 | Weblog

 夏の風に。

 「人魚」 油彩F10号

  


 
 賑やかな画面になったと思う。いろいろ考えながら着彩、構図を変えた。稚拙ながら、まず予定通りに仕上がり、納得はしている。

 東郷青児はマリー・ローランサンから多くを取り入れたそうだ。たしかにそう見えるが、ローランサンとは異なるスタイルへ進化している。

 シュールレアリズムは私にとって魅力的で自由な表現可能領域なので、イコン制作とは別に、これからも模索したい。ただ技術的に拙いので努力が要る。

 


 これはサルバドール・ダリの聖母子。聖母のモデルはダリの愛妻であるガラ。

 彼もキリスト教徒だったのか、宗教画めいたシュールレアリズム絵画を多数残している。

 が、上のような聖母子は、ダリのキリスト信仰を明かし、その創造性に感嘆はできるが、一般のみんながこの絵を聖画として祈りを捧げるかどうかは疑わしい。彼の信仰告白であっても、純粋なイコンではないと私は眺める。

 とはいえ、それでダリの作品の価値が下がることはない。

 イコンの尊さは基本的に素朴なものだから、ぎこちない描写の中世のイコンなどには、民衆の切実な祈りが現れている。

 さて、私はイコンも、シュールレアリズムも出来るだけ美しく、上手に描きたいと願っている。ただ、私の性格はまっすぐすぎるかもしれないので、入り組んだ(ひねくれた)天才ダリのようには描けそうもない。

 


 こちらもダリ。聖アントニウスの誘惑。あっと驚くうまさだが、やはりこの絵にひざまづいて救済や懺悔を祈れないなあ、と思う。

 ま、ダリは面白い人で愛妻ガラと離婚することなく添い遂げたが、何と3回も結婚式を挙げている。再婚ではなく、彼はガラとの結婚式が好きだったらしい。

 面白すぎる奇抜な天才に寄り添ったガラも立派な女性と思う。

 主に栄光を。
 神に感謝。

 愛と感謝。


 
 


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アルファポリス