chuo1976

心のたねを言の葉として

ⅩⅩⅩⅩⅩⅠ「ハドソン川の奇跡」を観る聴く、 『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2017/2/27

2017-02-27 05:27:55 | 映画

ⅩⅩⅩⅩⅩⅠ「ハドソン川の奇跡」を観る聴く、         『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2017/2/27

  時制が入り組んで、事故、取材、調査、ホテルに缶詰にされてのパイロット、主人公と副機長、不安、眠り、夢、女性キャスターの語り、英雄ですか、詐欺師ですか、この問い、女性キャスターからの視線、安心出来る視線を求めて、妻と語らうが、缶詰にされていて直接会えずに、いつも、携帯で話すばかりで、出会えない、抱き合えない、遠く離れて、この不安を生きること、その最中で、生還すること、最前線物語、だから、事故も含めて、どのシーンが、現実なのか、夢なのか、調査の過程なのか、過去を思い出しているのか、全く判らない、事故のシーンも、主人公の再現なのか、副機長の再現なのか、アテンダントの再現なのか、客観描写か、いや、ドラマに置き換えた段階で、既に作り物、だから、この全ては作り物でしかないことの自覚、しかし、それでも、機長たちは、その曖昧さの中で、生き延びたのだ、過去の経験、若かりしころの教官からの教え、戦闘機の事故の最中の帰着、こうしてみると、やはり、機長自身の錯綜の中の映画なのだ、過去が、現実が、調査のデータが、テレビが、酒場で、主人公のサリーがあっちにもこっちにもと、確かに、ガラス窓の前に佇んで、ビルの中、落下して炎上する飛行機を観る主人公、夜の闇の中、ハドソン川に不時着の戦闘機を見いだす主人公、乱反射、どこに実体が、皆に、晒されている、テレビのコミカル有名キャスターインタヴュー、これだって、いつのことだ、全てが終わった後のこと、いや、このホテルにいる缶詰の中では、未来の希望ではないのか、だから、ラストの調査の世界も、これは現実と言えるか、これもまた、主人公のホテルでの、夢の中では無いのか、絶対の自信だろうか、いや、危うい未来では無いのか、偶々、彼らに優位に事が運んだ、確かに、会社は、機長の運転ミスに仕立てたい、保険の問題もあるから、これがビジネス、あの事故の後の生還同様に、陸に降り立っても、また、生還のための戦いが続くのだ、どこまでも、これが現実、パイロットとは、舵を取るとはこの事、皆の視線に晒されて、結果では無いのだ、この晒された、現実を生きるしか無い私たち、機長は確かに生還した、し続けている、が、私は、その私とは、全くもって危ういものなのだ、いつまた、新事実として、何やらいかがわしい問いかけが、現れないとも限らない、取材として、マスコミとして、そこでもまた、しっかり生還し続けようでは無いか、


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