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心のたねを言の葉として

「花と卒業式の春に」 授賞式の壇上で見た父の姿       柳 美里

2019-05-24 05:35:24 | 文学

「花と卒業式の春に」 授賞式の壇上で見た父の姿

柳 美里

 昨夜、煙草を買いにサンダルを履いて外に出た時、どこかで花が咲いているのか、甘い匂いが夜気に混じっていた。私は一年の中で花の咲く季節が一番苦手だ。何処にいてもいたたまれないので、なるべく部屋から出ないようにしているのだが、ベランダで育てている葡萄の木が紫色の芽を吹き、私は春の気配に徹底的に追い詰められてしまう。花の蕾と木々の芽吹く香りは死化粧の芳香に酷似していて、私は息が苦しくなる。

 〈花〉という言葉を辞書で引いてみた。

 〈種子のできる高等植物の生殖器官で、葉の変形したもの〉

 花は生殖器官なのだ。

 だから、女たちは花びらのようなブラジャー、スキャンティー、ペチコート、キャミソール、ストッキングを身に纏い、花粉のような白粉、アイシャドー、口紅で自分の顔を染め、花の香りに似た香水をつけるのだ。

 十代の頃、キャバレーで働こうと思い面接に行った事がある。化粧はしません、と言ったら落とされてしまった。今も化粧品は何一つ持っていない。

 小学校の入学式の前日、母は私の髪にパーマをかけた。そのパーマは失敗して、長い間〈オチャノミズハカセ〉とイジメられた。少女マンガにかぶれていた母は、毎年私の髪を編み込んでリボンで結んだ。私はそのリボンが嫌でたまらなかったので、学校に着くまでの間にいつも毟りとっていた。

 小学校の低学年の頃、私は冬でも半ズボンを履いて駆けまわっていた。学校から帰ると、弟を連れて公園に行き、暗くなるまでサッカーの練習をした。ある日、弟が思いきり蹴ったサッカーボールを胸で受けた時、とても痛くて、私はボールを蹴り返せなかった。体が柔らかくなりはじめ、半ズボンが似合わなくなったその頃から、私は猫背になり俯いて歩くようになった。

 鏡に映った自分の体はぞっとするほど醜くて、十二の春、はじめて自殺を考えた。

 それから四年間は死ぬ事しか頭になかった。

 剃刀で手首を刻んだり、ウイスキーを一瓶空けて海に飛び込んだり、睡眠薬を飲んだりしたが、なぜか死ねなかった。

 十六の春、高校を放校処分になった。

 私は中学校と高校が一緒の私立のミッションスクールに通っていたのだが、家出、自殺未遂を繰り返す度に停学になった。そして高校一年の時、他の生徒の迷惑になるからやめてくれと言われた。明日どちらかの親を連れて校長室に行くように、と担任に言われたので、私は母に頼んだ。母が嫌がったので、私は父が勤めているパチンコ屋に行った。翌日、父は校長室で、娘をやめさせないで下さい、と土下座してしまった。校長は父を見下ろして、他の生徒に毒をばらまいているんですよ、と冷ややかに言った。私は窓の外に視線を逃し、音楽室で同級生たちが歌っている讃美歌を聴いていた。

 校門までの道は、桜の花びらで真っ白だった。父に謝りたかったのだが、私の唇はへの字に歪んだままだった。父の背中は、居眠りをしている人の背中のように揺れていた。私は花の匂いの中から父の哀しみを嗅ぎわけた。

 風景が花で汚れるこの季節、電車に卒業式の衣装を着た女子大生が乗ってくると、私は別の車両に移動する。

 私は卒業式というものに一回しか出席した事がない。小学校の卒業式が最初で最後だった。同級生の女の子は泣いていたが、私はちっとも哀しくなかった。いじめやリンチばかり受けていたので、彼らと離れるのは喜ばしい事だったのだ。私は式のあいだ中、笑いを必死になって堪えていた。同級生たちは母親と肩を並べて校門の前に立ち、彼らの笑顔をフィルムに焼きつける為に、父親がカメラを構えていた。私の一家は離散したばかりだったので、記念写真どころではなかった。

 私は花壇のチューリップを引き抜き、その首をへし折り、靴で踏みにじってから校門を出た。裸になった茎をポイと車道に投げ捨てて、母と住みはじめたマンションに電車で帰った。そして、将来小説家になりたい、と書いた卒業文集を机の奥に隠し入れ、鍵をかけた。

 十八の春、戯曲を書きはじめた。葬式をしたかったのだ。私にとって芝居は葬式なのだ。葬式というものは、いつだって死者の為ではなく、生き残った者の為に行われる。〈お花のない葬式は悲しいものです〉。これはフランスのある花屋が出した広告だが、棺の中の死者を花で埋め、墓を花で飾るのは、その人のなまなましい死を忘れる為なのだと私は思う。生き残った者は死者を忘却の淵に沈め、生き続けなければならない。

 私は九本の芝居を書いた。死ねなかった自分を芝居の中で九度殺し、九度葬ったわけだ。

 今年、岸田戯曲賞受賞し、授賞式の壇上で父の姿を見た時、私は父の為に卒業式をしているのだ、という思いがこみあげてきた。

 

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