小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

Newアート考察 陶芸家と言われたくない陶作品を作る人が出展できる展示会はあるか? その5 最終回

2022-07-27 17:51:06 | 写真日記
Newアート考察 陶芸家と言われたくない陶作品を作る人が出展できる展示会はあるか? その5 最終回

2022-7-2
国立新美術館
アート未来展

陶芸財団展を見に行った時に、となりでやっていた展示会です。名前に魅かれて入りました。
なにか落ち着く展示会でした。






審査員


アート未来準大賞


審査員


海外






奨励賞




アート未来準大賞




子供さんの作品です。


アート未来大賞






審査員






外部審査員


外部審査員 上と同じ方です。


秀作


野外展示場 特選



ここの展示会に当方の作品を展示することができるだろうか? 以下当方の今年陶芸財団展に出した当方の作品、4点。


波の表現―1


波の表現―2


波の表現―3


波の表現―4

ここにアート未来展から選択して載せた作品は、入賞作品と審査員作品が殆どです。これらに交じって当方の作品が対抗できるはずはありません。

それにこの展示会、未来という名はついていますが、全体の印象が、アグレッシブに未来を追求するとか、奇をてらったという作品よりは、クオリティー重視の落ち着いた作品で構成されています。当方の現状の作品では素人っぽすぎます。

しかし、わずかな希望として、この展示会はとても審査員作品が多く展示されていることに注目しました。この展示会のレベルを上げることと、応募作品が少ないことに対する埋め合わせの気がするのです。白金陶芸教室の生徒展示会の時の経験から、応募作品が少ないと、スタッフの作品が動員され、それが半分くらいを占めるときがあるのです。すなわち、この会は比較的新しくて、会員規模が小さく、公募展への応募作品も少ないのでしょう。応募作品がもっとほしいのではないか?? ここに一途の希望がありそうです。
ちなみに今年は(アート未来展:第25回、現展:第78回、日本新工芸展:第44回)。



これが今年の陶芸財団展に寝かされて展示された当方の4作品です。

以下、本年の陶芸財団展の作品のごく一部を載せます。この展示会には当方の作品でも存在しえたわけです。










さて結論です。来年は
1,現展、2、アート未来展、3、ZEN展の3つを目標に作品を作ります。 いつの間にか、40kgの大型陶絵画作品を壁に飾ってくれる展示会を探すという目的をわすれてしまっていました。この3つの会なら、壁に飾ってくれなくてもいい。同じ目標を持つ人と、並んで展示されればそれでいいと思うようになりました。といって、決して40kgをあきらめたわけではありません! そう簡単にあきらめません。

応募作品作りは大変そうです。現在、LifeSeq㈱の仕事が忙しくなり、7月いっぱいは陶芸の仕事はストップしています。8月から再開する予定。8月中に、構想のテストサンプルをトライして、9月から本番作りに入らなくては。


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自然教育園日記 その240  2022夏・写真展

2022-07-24 19:06:12 | 写真日記
自然教育園日記 その240  2022夏・写真展




白金自然写真クラブの写真展が始まっています。当方は以下の組み写真を入れ替えながら展示します。

7-16~7-31


8-1~8-15


8-15~8-31



一つ一つの写真はインパクト無くても、3つダイレクトにつなげるとインパクトが出るかもしれないという実験です。
もう一つは、今回は時間が無くて、出来ませんでしたが、3つつなげることでその場の雰囲気、情緒をより伝えることが出来るのではないか、場合によってはストーリー性を与えられるのではないかと考えたからです。日本画の屏風とかふすま絵をイメージしています。ブログでは絵が小さいのでわからないと思いますが、実物は全紙を一回り小さくした絵の3枚連続ですから、かなり意図する方向にむかっています。
といってもそれは当方一人でそう思っているだけで、残念ながら自然教育園の見手はそんなこと感じているようには思えません。先日ひょっこり話しかけてきた上品な外人のご婦人にこの写真(一番上)を説明したら、右側の絵の<空が見えるところがいい>とおっしゃる。当方は左から右へ緑がアップからだんだん引いた絵になってゆく視点の動的変化で感性のゆさぶりを狙ったのですが、まったく理解されませんでした。ときどきこういう方がいて、写真とは情報を伝える手段としか認識していないらしいのです。アップは抽象画ですから反応なし、これでは3つつなげた意味は無いのです。写真はスマホでしか撮らないとこうなるのかな?
ただ、一か月かかって手作りした<額>だけは、写真クラブの方々から<なかなかちゃんと作ってある>という感想をいただいています。


このシステムが機能するようですので、次々にアイデアが頭の中に浮かんでいます。

2022-7-7
FujifilmGFX100S + GF110mm
徒然なるままに、3連続写真の為の材料を集めます。前もってイメージがあるような、ないような。 あっても、まだ書きません。だけどぼーっとあるだけです。

















2022-7-8
FujifilmGFX100S + GF110mm





2022-7-17
FujifilmGFX100S + GF110mm















2022-7-18
Fujifilm GFX100S + GF120mm macro







2022-7-20
Fujifilm GFX100S + GF120mm macro















2022-7-22
Fujifilm GFX100S + GF120mm macro



















GFX100Sで動き物をとるのは本当に難しい。折角のチャンスを逃しまくっている。コンボウヤセバチ・メスなんて、皆ピンボケで一枚も使える写真が無かった。静物をとるにはGFX100Sがベストだから。重たくてレンズ一本しか持つ気にならないということで、こういうことになります。しょうがないから、ツアイス・オールドレンズ15mm , 21mm2本とGFX50Rを売って貯金をはたいてSony α1の中古を買う寸前まで行きました。しかし、ポチらず。すみませんマップカメラさん。ツアイス・オールドレンズは唯一無二の骨董品だ! 最近のすぐ消えるちゃらいミラーレスなぞのために売るなんてありえない! 

といいうことで、またしばらくはGFX100Sと格闘ということになりました。やれやれ。

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コロナ対策 2022-7-21

2022-07-21 21:05:03 | 日記
コロナ対策 2022-7-21

先日コロナ対策2022-7-6を書きました。予測通りの展開を見せているように思います。政府は若者の3回目接種と4回目接種の範囲拡大を叫ぶようになりました(まだ必死にはみえませんが)。行動制限も視野に入ってきました。
(当方の昔のコロナ対策は、現状から見るとおよそかけ離れていて、自分でも笑っちゃいます。状況はどんどん変わるので、書いた日がいつであるかが重要なのです。昔の対策は意味ありません。大事なのはその時その時、科学的考察からの予測であり、それに応じて現在するべきことなのです。)

感染の次元が違ってきたので、言い忘れたことと、新に感じることをちょっとだけ2022-7-6に付け加えます。2022-7-6に書いたことは繰り返しませんので、興味ある方はこちらをお読みください。

1,現状ではまだ感染者総数の抑制は必要だ
症状が重いと重傷者は隔離され、ウイルスは拡散しにくくなる。よって症状を重くしない、且つ拡散力のあることがウイルスにとって都合がいい。それで、オミクロン株が生まれ広がりました。ワクチンで重症者がへって軽症者が増えると、ウイルスはもっと居心地よくしてもいいと思い始めます。すなわちもっと肺に入り込んでもいいと思うわけです。実際オミクロン株BA5はすこしアルファ・デルタ株に先祖返りして、重症化の方向に向かっています。一般的パンデミック収束方向に逆走しているのです。
このように変異は揺れ動きながら、それでも次第に一般的パンデミック収束方向に向かうだろうと期待するのです。しかし、この揺れ動きがいつまで続くかわかりません。逆走は出来る限り抑えなければ。
<ワクチンは逆走を助長する可能性がある。>これを忘れてはいけない。
2022-7-6では現状ワクチン接種を増やすことしか打つ手はないと書きました。しかし、ワクチンだけが頼りということは危険性をはらんでいるのです。重傷者が増えなければいい、医療機関が満杯にならければいいだけではまずいのです。やはり感染者数全体を抑制する必要があります。 感染者数全体を抑制しないと変異の逆走が起きる危険があるからです。
このウイルスの逆走を止めているは、医療従事者の必死の努力によるのです。医療従事者が感染者を的確に処置して、野放しの感染者の絶対数を減らしているからです。 もう重症が減ったから2類から5類にせよと言われたら、必死に走って来た医療関係者はどう思うのでしょうか。

重症が減ったから2類から5類にせよという議論、 中間的に運用すればいいという議論、いずれもそう簡単ではありません。ウイルスに対する対抗手段をちゃんと持ってからでないと、完全にインフルエンザ並みすると、医療ひっ迫の危険だけでなく、逆走する変異株が生まれる危険があります。 重要な対抗手段、塩野義新型コロナ治療薬の緊急承認が見送られたことは大きなダメージです。 


2,第7波では<無料PCR/抗原検査>の効果がポイントになる
ではワクチン以外に打つ手はあるのか? 第6波はワクチン接種の進展と国民の自主的行動抑制によりピークアウトしました。今回の第7波は、意外なことに<無料PCR/抗原検査>によりピークアウトすると予測します。
2022-7-6に書いた、集団1をどうこうしようというのは無理だから考えない方がいい、重要なのは集団2、このロコナに対して真面目な集団は危険を予測した場合自主的にPCR/抗原検査を行い、行動制限したり、治療に入ったりするのです。この自主規制により野放しの感染者集が抑制されるのです。
第6波の時の感染者数拡大を見て<自主的行動抑制>およびワクチン接種によりピークアウトした。 これが第7波では感染者数拡大を見て<自主的検査による自主規制>およびワクチン接種によりピークアウトする に変化するのです。
日本はすごいと思いませんか? これを政府の規制でなく、国民自ら自主規制してゆくのですから。テレビの外野根性コメンテーターや、実態から解離した感性の政府より、切実な当事者である一般国民のほうがよっぽどまともな行動をする。

しかしながら、PCR/抗原検査キットが足りないとなると、このシナリオがくずれます。政府は迅速に対応しなければ。ちゃんと目を見開いて対応してください。テレビのコメンテーターは目を見開いて、<無料PCR/抗原検査>がポイントなのだとワイワイ言い続けてください。足りなくなるから必要な人だけ検査せよなどと言わすに、どんどん検査せよ、政府はどんどんキットを補充しなければいけないと言ってください。 また、ワクチンも打たなきゃしょうがないのだから、ごちゃごちゃ言わずに受けろといってください。

1に関して
国際政治学者、三浦氏のいうように(実際にそう言っているのをきいたわけではありません、そう言うに違いないと思うのです) <ピークの繰り返しは海外からの逆走変異株の流入による、この流入はとめられない、だから、日本だけいい子になってもしょうがない。世界を見ろ>
という考えに反論することはむずかしい。
しかし、
2に関して、
いい子になろうとする日本人特有の性癖が、欧米に比べて圧倒的感染者数の低さを実現している。これを全部ぶち壊す必要があるのだろうか? いい子になっていると世界に遅れる、そうだろうか。いい子になっても、あるいはいい子になってこそ世界をリードすることはできるのではないか?

この根本的対立は皆さん個人個人が考えるべき大問題なのです。 原発、先制攻撃、核抑止力、憲法改正みんなこの問題に帰着する。世界に合わせるか、いい子にこだわるか、真ん中の道はあるか?

当方はすでに第4回目のワクチン接種を受けました。副反応は以前と同じ、殆どありませんでした。 一部リモート会議から対面会議に変化するなど当方の行動抑制は以前より緩くなりつつあります。明日は、笠間の茨城県陶芸美術館に井上雅之<描くように作る>をたずねる予定です。 どうなることやら。また発熱外来のお世話になるやもしれません。ちゃんとアクセスできないとなるとえらいことだ。


当方は、世界を見ながら、真ん中をうまくとってゆく、これが昔からの日本の文化であり強みと思っています。絶妙ないいとこ取りです。
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Newアート考察 陶芸家と言われたくない陶作品を作る人が出展できる展示会はあるか? その4

2022-07-17 17:34:07 | 写真日記
Newアート考察 陶芸家と言われたくない陶作品を作る人が出展できる展示会はあるか? その4

ZEN展 東京都美術館  2022-6-16

これは本当に特殊な展覧会です。出展の制限が殆どありません。年齢、国籍、他の展示会に出展した作品でもOK、ジャンルを問わない。応募した作品は全部展示する。等々。さらに面白いのは、賞がありません。そのかわり見に来た方が気に入った作品を6点書いて投票するのです。その結果高得点であった作品を別途違う場所で展示会を開くのです。



入り口にあるこの立体作品を集めたテーブル。このメチャクチャ感がこの展示会を代表しています。これはどうやら主催者が意図的に演出したものと思われます。










ところどころにあるテーブルディスプレイはどこも脈絡なくメチャクチャです。立体作品が少ないことも原因でしょうが、おそらく開催者の一人がエイヤとごちゃまぜディスプレイを作り上げたと思われます。



この辺のメチャクチャ感は相当すさまじい。

この展示会の実体を伝えるのは不可能なので、当方が注目した作品から載せます。





上と同じ作家さんです。これなんか当方がやろうとしていることそのものです

この作家さんには2点投票しました。





上とこの絵は同じ方の作品。投票したと思います。

これ以外に2点投票したはずなのですが、どれだか忘れてしまいました。
おそらく以下の作品のどれかでしょう。 



















これから先は少しこの展示会のダイバーシティーが半端でないことを示す作品を載せます。











これは掛け軸としていることがミソです。








この展示会に注目したのは、この束縛の無い雰囲気です。作家さんのエネルギーが爆発していることです。岡本太郎が言うように、芸術は爆発だ。 
バスキアはUSAのストリート・アートから有名になった作家さんですが、この展示会はUSAストリート・アートのような自由があることです。USAストリート・アートのように、作家は描きたいから描いて、審査員が賞を決めるのでなく、見手がその価値を決める。展示会の趣旨も目的も無い。
展示会の趣旨があり、審査員がいるとバイアスがはいる、価値を決めるのは通りがかりの見手である。ここから新しいアートが始まると考えた方が始めた展示会と思われます。これが都美術で毎年行われていることはとても重要なことと思います。USAストリート・アートのような自由なアートの表現場所が無い日本ではこの展示会がその代わりをしていると思うのです。当方もこの展示会に出展する勇気があればいいなと思います。何も束縛がないんですから。地面に棒で書いた線をポンと飛び越せばいいだけで違った世界に入れるのです。



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Newアート考察 陶芸家と言われたくない陶作品を作る人が出展できる展示会はあるか? その3

2022-07-12 14:01:58 | 写真日記
Newアート考察 陶芸家と言われたくない陶作品を作る人が出展できる展示会はあるか? その3
2022-6-4 国立新美術館 現展

現代美術家協会「現展」とは

権力におもねることなく、
平和と自由を愛し、
時代と共に歩みながら、
互いに個性を尊重し合い、
常に研鑽を怠らず、
新しい美術の創造をとおして、
真の人間精神を探求する、
現展は、
そういう作家たちの集団です。

現代的表現の充溢する、他公募展未発表作品
抽象・具象は不問
(1)平面:絵画・版画・デザイン・CG等
(2)立体:彫刻・立体造形等
(3)工芸
(4)写真

この展示会は、今回の放浪の旅で最も違和感の無い展示会でした。以下、賞には関係なく当方の目にとまった作品だけをのせます。膨大な展示作品があります。ここの載せた作品が全体を代表するというわけではないことをご了解ください。




























このあたりからどうも写真部門らしい。 タイトルには絵画だの写真だの書いてないから、どういう手法で作られたか本当はよくわからない。  ここではCGと写真は異なるジャンルとしているようですが、かなりCGと写真が大きな存在感をしめしていることがこの展示会の特徴と思われます。







これなんかいい写真だと思います。



こういう典型的、写真らしい写真もいっぱい展示されていました。





自然教育園の連中が撮りそうな写真もありました。



これはいかにも当方が出展しそうな作品です。



この辺は、どういう手法で作品を作ったかわかりません。





壁にかかっている作品に比べて、立体部門、工芸部門の作品数は1/10程度のようですが、しょぼいというわけではありません。それなりの存在感を有しています。









古典的作品もあるなと思ったら、審査委員の作品でした。





当方がもっとも注目した、この展示会の<核心>は次の文章にあります。
展示会の一角に、ジャヤンルを問わずにこの文章の趣旨で集められた作品が並んでいます。






























作品の内容がいいか悪いかというより、このような趣旨で選別した作品を別枠として示しているという点に注目したいのです。

<美術という表現に、わずかでも新しい価値を付け加えようとする意志>
これこそ当方が願っていることなのです。それが出来ているかいないかは分かりませんが、そうしたいという思いが、当方の毎日を動かしているのです。
この団体がそれをもっとも大事にしていることがわかりました。
新しい価値を付け加える、それだけを純粋にシンプルに表明している団体にはじめて会いました。来年は、ここに出展したいと思いました。受け入れてもらえるかはわかりません。うけいれてもらえそうな作品ができあがるかどうかもわかりません。とにかくやってみます。

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