西風に吹かれて

日本の西端にある基地の街から、反戦や平和の事、日々の雑感を綴ります。

提訴

2015-11-30 20:48:10 | 石木ダム
国が平成25年9月に出した石木ダムの「事業認定」を取り消させるために、今日、平成27年11月30日、地権者48人、共有地権者62人、計110人が長崎地方裁判所に「事業認定の取消し」を求めて提訴を行なった。







62人の共有地権者は、長崎県内だけではなく全国各地にいて、この訴訟に参加してくださったのだ。

私と夫も小さな力だけれど、この訴訟団に加わった。弁護団・地権者の皆さんとともに裁判を闘い抜きたいと思う。


今朝のダム建設予定地こうばるは霜が降り、吐く息も白く冷たさを感じる朝だった。





放射冷却現象なのか、朝もやでダム小屋までの道路も田んぼもぼんやりと煙っていた。



いつものことながら美しい風景だ。


ダム事務所前で見張りをしている支援者からは、「今日は所長が本庁に行ったようだ。ゲート前には県職員も作業員も行かないのではないか」との連絡もきたが、これがわからない。



ゲート前には来なくても、ひょっとして迂回路の工事に入るかもしれない。

とにかく私たちは予測される事態に備えて、待機し続けるしかないのだ。

テントでは、このところおなじみになった焼き芋が焼かれて、みんなの笑いが広がった。




午後1時30分、ほとんどの地権者の皆さんは「事業認定取消し訴訟」の提訴のために長崎地裁へ向かわれたが、私とYさん、Eさん、Nさんの4人は出発するみなさんを見送って、ゲート前で見張りを続けた。



重機を載せた大型のトラックが通ると、迂回道路工事の重機ではないかと心配にもなったりしたが、すべて杞憂に終わって一安心だった。

これからますます寒くなっていくが、今年度中に工事に取り掛かることが出来ないよう阻止行動に力を入れたい。


11月26日朝、ゲート前

2015-11-26 18:33:54 | 石木ダム
午前9時30分、ダム事務所前で県の動きを見張っている支援者の方から「白のワゴン車が1台こうばる方面へ向かった。」との連絡が入った。「1台だけ?」と聞き返すと「うん。1台。」との返事である。

ゲート前で座り込んでいるみなさんに「ワゴン車が出たそうですよ。」と声をかけ、ネットや横断幕を準備しゲート内への入場を阻止する体勢に入った。



5月19日から9月中旬までは、ワゴン車を含む県の車3台にガードマンの車1台の計4台の車にダム事務所の職員や工事作業員が乗り込んでやって来ていた。そして、私たちが並んで阻止をしているゲートをやすやすと越えて作業現場へと向かっていた。

しかし草木の伐採は終わり、これからは大型重機が必要な工事が残っているのだが、9月30日深夜に大型重機搬入に失敗した県は、それ以来10月に3回、11月も今日で3回と数えるほどしかやって来ていないのだ。


午前9時35分、白のワゴン車がゲート前で止まり、ダム事務所の所長が一人だけ降りて来た。



所長は「みなさん、寒い中お疲れさまでございます。」と挨拶。

ちょっとちょっと、、、寒い中、私たちがこうやって毎日座り込みを続けているのは誰のせいなの?必要性のない石木ダム建設をあなた方が断念しさいすれば、私たちは座り込みなどする必要はないのですよ。

11月26日朝、ゲート前


県のほうも、30日に地権者の皆さんと共有地権者とで提訴する「事業認定取消し訴訟」が気にかかっているらしい。

所長は「裁判を起こされるのであれば、その裁判結果が出るまで私たちに工事をさせて下さい。」と言う。

とんでもない!工事を止めるための阻止行動は、ずっと続けて行きますよ。
裁判の間中、工事が続けばダムは完成してしまう。そうなれば、たとえ裁判で勝利してもここまで出来ているのだからと運用が開始されてしまう。多くの裁判でそういうことが起こっているのだから。

「あなた方が裁判をされるのなら、もう一つの裁判で、妨害行為をしてはいけないと結果が出ているのですから、それを尊重してください。」



所長はそうも言うけれど、妨害行為は16人について出されたもので、私たちには出されてはいない。

だからこれからも、ダムを作らせないために、私たちはゲート前に座り続けるし、迂回道路の工事が始まったら、そちらも阻止を続けて行くのだ。

こうばるの冬は寒いけれど、みんなの気持は熱い。

迂回道路の工事

2015-11-24 20:53:49 | 石木ダム
石木ダムの建設予定地では、毎日20人を超す地権者・支援者が座り込みを続けている。



何時やって来るか分からないダム事務所職員と工事業者を待ち、やって来た時には現場へ入れないようにみんなで阻止をするのだ。



ダム事務所の前と工事業者が現場へ入いるために渡っていた堰には見張り番がいて、ダム事務所の動きや工事業者の動きは逐一、ゲート前の私たちに知らせが入るのだ。

今朝はその堰から、「見慣れないトラックが上っていった。」との情報が入った。

平成27年度中には、現在行なわれている「付替え道路」工事の他に「迂回道路(工事用道路)」の工事と最上部に位置する付替え道路工事も予定されていて、その一つ「迂回道路」の入札が先月20日行なわれて、工事業者も決定したばかりだった。



迂回道路入札状況
http://www.doboku.pref.nagasaki.jp/~nyujo/joho/detail.php?nid=NYUK050152200077170&cid=ed43ff23913459c4227cfdd588b3e902

ひょっとしたら、そのトラックは迂回道路工事の現場へ行ったのかもしれない。

連絡を受けた地権者の方が、すぐ現場へ向かわれたが何事もなかったとのことだった。


その後、私も迂回道路が予定されている所まで行ってみたが、美しい秋のこうばるの風景が広がっているだけだった。










どんなことがあってもダムは作らせない。

13世帯60人の生存を賭けた闘いを一緒に闘っていく。

改めて決意がわきあがってきた。さあ、明日からも闘っていくぞ!

地権者の怒りは頂点に

2015-11-18 22:26:36 | 石木ダム
今日、長崎市の出島会館で石木ダム建設予定地を収用するための審理が行なわれた。



昨年12月に川棚町で行なわれた収用委員会で、審理が尽くされるのではないかと地権者のみなさんも私たち支援者も一縷の望みをもっていたが、結果は今年6月に田んぼと畑の明渡し採決がでてしまった。

それで、先月行なわれた2回の収用委員会を阻止し、結局は中止となったのだった。

今回、県は現地調査もせず、長崎市で収用委員会を開くことにしたが、今月6日には急遽収用委員会の規則を改正して、傍聴者を報道関係者のみとしたのだ。




その上、先月19日には退任する収用委員の一人が、ダム建設に反対して抗議を続けている私たちに対して「ブルドーザーで突っ込んで」や「機動隊を入れるかどちらか」などの発言をしている。
また、再任された収用委員の「事務局と一丸となってスクラムを組んでやっていく」との発言もある。この委員、職業は弁護士なのだ。

こんな収用委員会が「公正・中立の第三者委員会」などといえるのか!

11.18収用委員会


地権者のみなさんも私たち支援者も絶対に認められない。そんな思いで、長崎の出島会館へ出向いたのだった。

長崎市の支援者の方が、早くから会館の入口で待機されていたが、それよりも早く収用委員も起業者も中に入っていたらしい。

傍聴はできず、職員に抗議を続けている間に審理は終了してしまった。





私はこの後、会館入り口で収用委員が出てくるのを待ち、出てきた委員たちに「強制収用NO!」のプラカードを掲げ、タクシーに乗り込む委員に「収用委員会解散!」と叫んだが、委員たちは薄ら笑いを浮かべただけだった。

こんな委員会で、この程度の審議で、13世帯60人の家屋敷・田畑、生活のすべてを奪うことが出来るのか!

地権者の皆さんの怒りはどれほどだろうか。

現在の収用委員会は解散し、本来の意味での「公正・中立」の委員会を作って審理をやり直すべきだ。

戦場ぬ止み

2015-11-15 20:28:00 | 日記
何だかこのところ佐賀づいている。

三週間前は、神埼市へ元滋賀県知事だった嘉田由紀子さんのお話を聞きに行ったばかりだったのに、昨日は佐賀市の若楠小学校へ沖縄の女性映画監督・三上千恵さんのお話を聞きに行ってきた。

毎日座り込んでいる石木ダム付替え道路工事現場ゲート前で、私は一昨日、この三上さんの「戦場ぬ止み」を読み終えたばかりだった。



彼女が監督をしたテレビドキュメンタリー「標的の村」はインターネットで期間限定で公開され、私はその動画を見ていた。

たまたま一昨日の夜、友人のFBを見ていたら佐賀の「母と女性教職員の会」が講師に三上千恵さんを呼んで講演会をすることが案内されていた。

「話を聞きたい」と思ったものの、講演会は翌日の午後1時からだ。

このところ県も業者も土曜日に石木ゲート前へやって来ることは無い。佐賀へ出かけても大丈夫のはずだ。

翌日、朝から夫と娘に「佐賀へ行って来る。」と宣言をして出掛けた。

佐賀には反原発の集会で何度も行っているのだが、若楠小学校へ行くのは初めてだ。
グーグルの地図を頼りに歩いたら、駅から40分も掛かってしまったが、無事にたどり着くことが出来て一安心。

講演は体育館であることになっていたが、演台の前に50脚ほどの椅子が並べてあるだけだ。



佐賀県下の「母と女性教職員の会」の会合なのにこれだけなのだろうか?

子どもたちが小学生だったとき、私も何度か佐世保の「母女の会」に参加したことがあるが、もっと多くの母親や教師の参加があったように記憶している。

現在は子どもの数も少ないし、組合に入っている教師も少ないのだろう。

しかし、「ひろげよう つながろう ともに生きる地域」という構成詩で始まった会は、先生たちの一生懸命さが伝わってくる、とてもいい集会だった。



挨拶に立った教師の方が「昔、教室から戦争が始まると言われていたが、いま、まさに同じ状態ではないか。子どもたちは自己肯定感を持てずにいる。あなたが生きているから嬉しいと子どもたちに伝えたい。そして、おかしいことはおかしいと声に出していきたい。」と話されて、学校の中の閉塞感や現場の大変さが垣間見えるようだった。

その後三上さんのお話。



「沖縄県民に軸足をおいて番組を作っていく。国の利益になって沖縄県民の利益にならないことには反対の立場をとる。」とはっきりとしたジャーナリストとしての姿勢を示された。

「仮に中国がミサイルを撃ってきたら、米軍は闘わずに撤退する。陸自の水陸機動団が肩代わりして戦うのだ。」と軍事評論家より分かり易く納得できる話ばかりだった。

「子どもを政治に利用してと言う非難があったりもするが、本当に悪いのか?沖縄の大人たちは、闘うことが子どもたちに残せる財産だと言う。」




そうだ!拍手しそうになる。 ここのところは、強制測量のときの石木と重なる。
闘う親の姿を子どもに見せておくことは大事なことだと思う。親が何のために闘っているのかを知るからこそ、次の世代に闘いが引き継がれていくのだから。

ときおり涙を拭きながら、それでもしっかりと話された三上さん。
映画「戦場ぬ止み」をぜひ観たいと思う。