西風に吹かれて

日本の西端にある基地の街から、反戦や平和の事、日々の雑感を綴ります。

3.11を前に

2012-02-28 20:13:13 | 原発事故
3月11日の東日本大震災から、1年が経とうとしている。

インターネットにUPされた動画や写真を見ると、いまでも胸が締め付けられる。

一瞬で、どれほど多くの人の人生が終わり、どれほど多くの人の生活が変わっただろうか…。
いまだ収束しない福島第一原発の事故は、これからもまだ多くの被害を出していくだろう。

日本の西端に住む私たちが、どれほど思いをはせても、被災された方々の苦しみ、悲しみは分からないに違いない。


だからこそ、せめて追悼の気持ちあらわし、原子力発電所の廃炉を求める集会をやろうと、「石木川まもり隊」のMさんやいつものお仲間のI夫妻と一緒に3月10日の夜に集まることにした。

いつも反核座り込みをやっている島瀬交番横で、脱原発のポスターを展示したり、歌を歌ったり、自分たちの思いを話したり、キャンドルを灯しての集会だ。



もう10年以上前に、キャンドルデモをやったことがあったのでキャンドルの作り方は分かっていると思っていたが、う~~ん、??

それで、今日は思い出しながら試作品を作ってみた。





(2ヶの紙コップを用意し、1ヶの底を切り抜く。片方のコップに文字を入れる。2つのコップをセロテープで貼り合わせる。ローソクをコップの底に置き火をつける。)


沢山のキャンドルを並べたり、手に持ったりして、追悼の気持ちを表したいと思う。




胃の痛み、、、

2012-02-27 20:15:10 | 日記
一昨日の夜中から胃が痛み出し、昨日はとうとうダウン。

今日は治まったのだが、ズルをして寝たり起きたり、いいようにして過した。

胃の痛みの理由は明白だ。
食べなれない高級フランス料理などを食べたからだ。

一昨日、従兄弟の息子の結婚式が「ハウステンボス・日航ホテル」なるところで行われ、私もご招待を受けて参列したのだ。

近くに住みながらハウステンボスには、たった一度行ったきりだ。
それも娘が勤めている会社のパーティとかで、夜にちょとだけ顔を出したのだ。
だから、ハウステンボスの中がどうなっているのか皆目分からない。

娘に聞くと、ハウステンボスのそばにいくつかのホテルがあり、日航ホテルもその一つだとか、、。
何にも分からないので、とにかく送迎バスに乗っていくことにした。

ハウステンボスのバス停を過ぎ、針生の米軍住宅地の方向へ少し進んだところにある白い建物がそのホテルだった。

案内されて、ガラスばりの可愛い部屋に、、。
そこで、結婚式が執り行われた。





「人前結婚式」参列者の前で、新郎・新婦が届けにサインをし、立会人である2人の友人もサインをして式は終了。

私も友人たちの立会いのもと、夫と「婚姻届」にサインをしたことを思い出した。
それから30数年、何度「サインしなきゃよかったのに」と悔やんだことか…。

この若い2人も、いづれそんなことを思う日が来るかな?


それから、隣のレストランに移動して披露宴。





そこで次から次に出てくる和食とフランス料理を片っ端から食べて、胃痛となったわけだ。

始めて見るようなしゃれた料理ばかりで、「これ何?」と、横に座っている従姉妹に聞きながら平らげた。

もう少し、慎ましやかにすべきだった。
欲を出したのがいけなかったな~。

若い2人も、私を反面教師にして、慎ましやかに幸せに生きて欲しい。








国の有識者会議流会

2012-02-23 13:56:13 | 石木ダム
昨夜、「石木川まもり隊」のMさんから、国交省の有識者会議が流会になったとのメールが届いた。
今回の会議では、長崎県の石木ダムも俎上に上がっていて、絶対反対同盟の地権者Iさんも成り行きを見るために上京されていた。

それなのに、審議会は傍聴を認めず、傍聴希望者と当局との押し問答の末、流会になった(長崎新聞)。



1999年、国の審議会等の整理合理化に関する基本的計画という閣議決定で、 諮問機関での討議は原則公開となっているとのこと。
国民が納めた税金で行われる事業の審議が公開であるのは、至極当然のことだと思うが、お役人たちにとってはそうではないらしい。

このたった2時間足らずの審議会で、ダム建設継続が決まると、川原の皆さんたちは生活権を奪われることになる。13所帯70人の住む川原地区は強制的に立ち退きを迫られる。その場所に住み生活していくことを奪われるということは、死をも意味することだ。

だからこそ、どういう審議が行われるのか公開にすべきなのだ。
Iさんたち地権者が傍聴するのは当然の権利なのだ。

昨日、私はIさんのお連れ合いのS子さんに「有識者会議がぶっ飛ぶような大声で抗議してきて下さい。」とメールを入れたのだが、本当にぶっ飛ぶとは~!



今後の治水のあり方に関する有識者会議 石木ダム他 2012/02/22

チェルノブイリ・ハート

2012-02-21 20:07:15 | 原発事故
今日は、「広報させぼを読む会」主催の連続DVD上映会最終日。

今回は原発関係のドキュメンタリー映画の上映をやった。

12月に内輪の勉強会のつもりでスピカ(佐世保市男女共同参画推進センター、、、まったく長い名称、、、。)で「原発ほんまかいな?」というDVDを上映したところ非常に好評で、「原発のことがよくわかった。」という声も寄せられたので、再度DVDの上映会をやることにしたのだ。



7日、14日、21日と3週連続の上映会は少々ハードだったけれど、今回も好評だった。

7日は「放射性廃棄物~終らない悪夢~」
14日は「100.000年後の安全」

そして最終日の今日は「チェルノブイリ・ハート」。

チェルノブイリ原発事故から16年後のベラルーシの子供たちを追ったドキュメンタリー映画だ。



障害を持って生まれてくる多くの子供たち。
産科病院の医師は、「障がい児の出生率は?」と質問され、「健常児が1.5~20%」と答える。生まれてくる子供たちの8割に何らかの障がいがあるということだ。



すさまじい現実。

チェルノブイリ原発事故後、チェルノブイリ・ハートと呼ばれる心臓に2つも3つも穴が空いている子供たちも増えている。

子供の心臓を手術をした医師は、「自分たちはこの子供たちの未来に責任を持たねばならない。」と発言する。

胸が突かれるような思いがする。
そして、猛烈に腹が立つ。

日本の政治家にも、これくらいの発言をする人間が1人くらいいてもいいだろう!


これからの福島の子供たちのことを思う。
5年後、10年後にこうならないとは言い切れない。

それに、福島の子供たちだけとは限らないのだ。

狭い日本では、かなりの範囲でホット・スポットが生まれるかもしれないのだから。

腹を立てても、自分のやれることには限界があり、大したことも出来はしない。

でも、今日のような上映会を通して「原発再稼動反対!原発を廃炉に!」ということを訴え続けたいと思う。







45年目の始まり

2012-02-19 21:29:34 | 反戦・平和
2月19日は私の誕生日だ。

この年になると誕生日など忘れてしまったりするのだが(現に娘の誕生日も息子の誕生日も忘れていた。夫の誕生日などとっくの昔から忘れている。)自分の誕生日だけは忘れようがない。

この日は、「19日佐世保市民の会」が生まれた日であり、第1回目のデモは、私の20歳の誕生日に行われたからだ。





私は短大の2年生だった。
青いヤッケを着て、ダンボールで手作りしたプラカードを持って参加した。

当時の新聞によると、130人の参加とあるのでそうだったのだろう。
とにかく大勢の人がいて、反戦・反基地の熱気で溢れていた。

ベトナム戦争は激しさを増し、世界的にスチューデントパワーと呼ばれる若者たちの反乱が起きていた。

自分たちの力で世の中を変えることが出来かもしれない。

そんな思いで運動を続けてきたが、高度経済成長の中で仲間たちは1人、2人と減っていった。


あれからまる44年、今日から45年目が始った。





参加者は21人。130人だった第1回目のデモと比べればその少なさに肩をすぼめたくなるけれど、44年経てもなお21人もの人が、この佐世保で、反戦・反基地の思いをもって行動していることを誇りたい。

私、64歳。
体力的な衰えは日々隠しようもなく、足取りも重いが、気力だけは十分だ。

Y子さんからはバースディ・プレゼントに可愛いブーケをもらった。有難うございます。

さあ、明日からまた頑張るぞ~!