なんど観ても胸を締め付けられ、涙が溢れてくる。そんな映画がある。
坂田雅子監督の「沈黙の春を生きて」も、そんな映画の1本である。
13年間活動してきた「広報させぼを読む会」を終了することになり、最後の集まりでこの映画を上映した。
半世紀も前にあった「ベトナム戦争」。
その中で、べトコン(南ベトナム解放戦線の兵士)が潜んでいるとされたジャングルを消滅させるために、大量の枯葉剤が散布された。
その枯葉剤には、猛毒のダイオキシンが含まれ、その後遺症は子どもや孫にまで及んでいる。
日本でも多くの若者たちがベトナム戦争に反対し、小田実さん、吉川勇一さんたちが始めた「ベトナムに平和を。市民連合」(通称べ平連)は、政党や党派に所属しない一般の市民たちが参加できる市民運動の始まりとなった。
復帰前の沖縄からはファントムが飛び立ち、佐世保からも多くの米艦船がベトナムへと出港して行った。
若い私もベトナム反戦運動に関わったが、その中で初めて「日本も加害者である」との認識を実感したのだった。
私は、ベトナム戦争に反対したが、そこで使われた枯葉剤が何代にもわたってこれほどの被害をもたらすなど考えてもいなかった。アメリカは「人体に影響はない。土壌も1年で回復する。」と言っていた。
しかし、枯葉剤の後遺症はベトナムだけではなく、アメリカの帰還兵の家族にも及んでいた。
四肢欠損の障がいがあるベトナム帰還兵の娘へザー・バウザーは夫とともにベトナムを訪れ、自分と同じように障がいのある人たちと交流を持ち、アメリカとベトナムの被害者が繋がっていかなければならないと思うのだ。
レイチェル・カーソンはその著書「沈黙の春」の中で『化学物質は放射能と同じように不吉な物質で世界のあり方、そして生命そのものを変えてしまいます。いまのうちに化学薬品を規制しなければ大きな災害を引き起こすことになります。』と訴えている。
監督の坂田雅子さんは
『50年前の警告は聞かれなかったのだ。未来の世代に再び不の遺産を残さないように、いま私たちに何が出来るのだろう。この映画は、その一つの問いかけである。」
と言っている。
私たちに何が出来るのか?という問いは、「広報させぼを読む会」の仲間たちに伝わっただろうか。
この会は終わるけれど、英気を養ってまた再出発したいと考えている。
坂田雅子監督の「沈黙の春を生きて」も、そんな映画の1本である。
13年間活動してきた「広報させぼを読む会」を終了することになり、最後の集まりでこの映画を上映した。
半世紀も前にあった「ベトナム戦争」。
その中で、べトコン(南ベトナム解放戦線の兵士)が潜んでいるとされたジャングルを消滅させるために、大量の枯葉剤が散布された。
その枯葉剤には、猛毒のダイオキシンが含まれ、その後遺症は子どもや孫にまで及んでいる。
日本でも多くの若者たちがベトナム戦争に反対し、小田実さん、吉川勇一さんたちが始めた「ベトナムに平和を。市民連合」(通称べ平連)は、政党や党派に所属しない一般の市民たちが参加できる市民運動の始まりとなった。
復帰前の沖縄からはファントムが飛び立ち、佐世保からも多くの米艦船がベトナムへと出港して行った。
若い私もベトナム反戦運動に関わったが、その中で初めて「日本も加害者である」との認識を実感したのだった。
私は、ベトナム戦争に反対したが、そこで使われた枯葉剤が何代にもわたってこれほどの被害をもたらすなど考えてもいなかった。アメリカは「人体に影響はない。土壌も1年で回復する。」と言っていた。
しかし、枯葉剤の後遺症はベトナムだけではなく、アメリカの帰還兵の家族にも及んでいた。
四肢欠損の障がいがあるベトナム帰還兵の娘へザー・バウザーは夫とともにベトナムを訪れ、自分と同じように障がいのある人たちと交流を持ち、アメリカとベトナムの被害者が繋がっていかなければならないと思うのだ。
レイチェル・カーソンはその著書「沈黙の春」の中で『化学物質は放射能と同じように不吉な物質で世界のあり方、そして生命そのものを変えてしまいます。いまのうちに化学薬品を規制しなければ大きな災害を引き起こすことになります。』と訴えている。
監督の坂田雅子さんは
『50年前の警告は聞かれなかったのだ。未来の世代に再び不の遺産を残さないように、いま私たちに何が出来るのだろう。この映画は、その一つの問いかけである。」
と言っている。
私たちに何が出来るのか?という問いは、「広報させぼを読む会」の仲間たちに伝わっただろうか。
この会は終わるけれど、英気を養ってまた再出発したいと考えている。