時々、なき濡れて過す日がある。
いつもは平静を装い心の奥底に隠している感情が刺激を受け、留まるところを知らないようにあふれ出すことがあるけれど、昨日がまさにそんな日だった。
Shoichiro IkenagaさんのFBにお邪魔したところ、目良誠二郎さんの記事がリンクしてあって、お作りになった短歌が載っていた。
それを読んでいるうちにいてもたってもいられなくなって、涙が出てきたのだ。添えられていた写真も感情を刺激するのに十分だった。
福島県双葉郡富岡町夜の森の桜並木(2012年4月)
『以下は、3.11前とその後にふるさと夜の森を歌った拙歌です。』とあり、沢山の短歌が連ねてあった。
核閉ざす吾がふるさとの夜の森(よのもり)に今年も咲かむ花の無残に
夜の森の花の下にて春死なむそのふるさとの望月のころ
大地揺れ海の襲ひて原発の危機に瀕せる吾がふるさとよ
ふるさとの桜花こそ悲しけれ今年は咲かむ観るひともなく
桜花な咲きそ咲きそ住む民の核に追はれし吾がふるさとに
核をもて追はるる酷きかなしみをふるさと人の永久に強ひらる
フクシマの核にまみれしふるさとに今を盛りと花の咲くらむ
文字とほり小鮒釣りしふるさとのひと絶え果てぬ核に追はれて
花見なば思ひ起こせよフクシマの見る人もなく咲き散る花を
馬駆くる蹄の音のこだませし桜並木も核に閉ざさる
名にし負ふ浜通りとはなりにけり吾がふるさとの核にまみれて
セシウムに深く冒され曽祖父の開きし土地は闇に閉ざさる
夜の森とつぶやきみればとめどなく思ひの溢れ怒りのあふる
フクシマよ奥羽陸奥(みちのく)東北よ生ぎよ負げんな吾がふるさとよ
巨大なる凶刃と化しふるさとをなぎ払ひたり核の電炉は
いわきにてふるさと恋ひぬほど近き花の咲き満つ夜の森といふ
曽祖父の半谷清寿が植え初めし桜咲きけり核の荒野に
短歌を読み終えて、すぐ目良さんのFBに飛んだ。
面識はないけれど、前からお名前だけは存じ上げていて、たまにFBに立ち寄っていた。
しかし、今回はしっかり読ませていただこうと遡って読んでいくと、茨木のり子さんの「わたしがいちばんきれいだったとき」が載っているではないか。
この詩は、20代前半の生意気盛りだった私が衝撃を受けた詩だ。この詩を読んで詩集も買った…。
読んでいるうちに、この詩の英訳されたものに、先日亡くなったピート・シーガーが曲をつけて歌っていたことを知った。
You Tubeで探してみたけれどピート・シーガーの歌は分からずじまい。
でも、ワサブローという人が歌っている「わたしがいちばんきれいだったとき」もすごくいいので、UPしてみた。
そして聞きながら、やはり涙が出てきてしまったのだ。
ワサブロー 『私が一番きれいだったとき』
夜には福島県伊達市のTさんからの手紙を読んでまた涙。
Tさんはネットでお知り合いになった方だが、このブログに書き込みしてくださったりメールを下さったりもする。
Tさんにはお嬢さんがいらっしゃるのだが、お嬢さんを「移住させることにしました」とあって、その重い決断をされた心情を思ってまた涙が出てきたのだ。
もっともっと頑張れる力がほしい。
肉体は枯れつつあるけれど、気持ちは枯らさずに理不尽なことに立ち向って行きたい。