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『のだめカンタービレ』21巻

2008年08月20日 02時40分43秒 | のだめカンタービレ
のだめカンタービレ #21 (21) (講談社コミックスキス)のだめカンタービレ #21 (21) (講談社コミックスキス)
価格:¥ 420(税込)
発売日:2008-08-11


青春ものとしての『のだめカンタービレ』の強みは、シュトレーゼマンという大人の存在がいることだろう。年齢的なものではなく、精神的な意味での「大人」。若者を導く存在としての「大人」だ。
千秋ものだめもシュトレーゼマンがいたから今の姿があるわけだし、そしてまた再び彼の存在が大きな展開を生みつつある。しかし、彼のような存在が強く作品全体に影響しすぎると若者たちの悩みや葛藤が軽くなってしまう。その距離感が見事だ。

距離感というと、千秋とのだめの距離感も常に揺れ動いている。『のだめカンタービレ』は日本編はギャグの要素が強く、笑いがメインだった。パリ編に入り、青春マンガ的な要素が濃くなり、その分笑いの要素は減ってしまった。それをパワーダウンと言うのはここまで来ると明らかに間違っていたと分かる。
作者もスタート時は予想していなかったであろうほどに、のだめというキャラクターは成長し、それを描くことが作品の目的へと変わっていったのだ。のだめは天才だ。しかし、音楽の世界は天才の巣窟のようなものであり、才能だけで簡単に成功できる場ではない。

才能の煌きから読者にもその開花を期待させ、それを阻むリアルな現実を描く。ターニャやユンロンを執拗に描いたことは、作品の勢いを減じることになったが、それでもあえて描いたことで今ののだめをリアルな位置に留まらせている。才能は磨き続けなければチャンスをつかめない。だが、チャンスをつかめないと才能を磨き続けることは難しい。

のだめとシュトレーゼマンの共演が、のだめと千秋に何をもたらすのか。ここまでの緊張感を大団円に落とし込むには相当な力がいるだけに、今後の展開に大いに興味がそそられる巻となった。


清原和博

2008年08月20日 01時08分21秒 | スポーツ
桑田真澄に続いて清原和博も今シーズン限りでの現役引退を表明し、一つの時代の終わりを感じる。

スポーツの面白さの一つは、記憶の積み重ねにある。高校野球で様々な強豪が出現したが、未だに桑田清原のいた時代のPL学園を超える高校は存在しないと思っている。当時は最も熱心に高校野球を見ていた時代であり、その前後は綺羅星の如く輝く選手たちがいた。

横浜の愛甲猛と早実の荒木大輔の決勝戦。報徳学園金村義明や名古屋電気の工藤公康の活躍。畠山準、水野雄仁らの豪打に慄いた池田。中京野中徹博らの活躍もあった。そして、PL学園の桑田・清原。特に夏は大阪大会の激闘も鮮明に記憶している。彼らが1年生の時は、打倒池田が合言葉だったが、PL学園の優勝からそれが打倒PLへと変わった。それでもPL学園は春準優勝、夏準優勝、春ベスト4と甲子園で結果を残し、最後の夏を優勝で飾った。

1年の夏から中心選手として活躍し、優勝を果たし、その後も常に注目されながら結果を残し続ける。当時のPLは本当に強い野球をしていた。奇を衒わぬ王道の野球。それをいかに倒すかがどの試合も注目の的だった。岩倉の山口重幸、取手二の石田文樹、伊野商の渡辺智男。PL学園を破った投手たちは輝いていた。負けたことが記憶に強く残るチームだった。

ジャイアンツという日の当たる場所へ進んだ桑田と異なり、清原は西武へ入団した。当時は今以上にパ・リーグは日陰の存在だった。TV中継もほとんどなく、プロ野球ニュースでも結果だけということもあった。一握りのパ・リーグファンを除くと、清原はオールスターか日本シリーズでしか見ることがない存在だった。
当時の西武は広岡から森へ監督が替わり、田淵・スティーブ・テリー・大田・山崎・片平といったベテラン陣主体のチームから若返る最中だった。石毛をチームリーダーとし、秋山・伊東・辻が主力となっていた。投手陣も工藤・渡辺・郭泰源らが中心となりつつあった。そして、清原は入団後の9年間に8度のリーグ優勝を飾る。特にデストラーデ加入後の、石毛-平野-秋山-清原-デストラーデ-田辺-吉竹(苫篠)-伊東-辻というオーダーは恐るべきものだった。本塁打の破壊力という点では決して高くはないが、野球を知り尽くし、誰もがチームバッティングに徹することが出来るまさに究極の「打線」だった。
清原は首位打者・本塁打王・打点王の三冠には一度も届かなかったが、西部時代を知る野球ファンにとっては間違いなく一時代を築いた偉大な打者という称号を送ることになんら躊躇いはないはずだ。

ジャイアンツへFA移籍して以降は逆に私が清原を見る機会は減ってしまった。マスコミやファンに持ち上げられたり、叩かれたりする様は清原への興味を失わせる結果となった。ジャイアンツ以降の清原しか見ずに彼を評価する声がネット上でよく見られるが、残念だと言う外ない。オリックスへ、パ・リーグへ帰ってきても、試合出場が激減し、限界という印象が拭えなかった。最後の一花という気持ちは理解できるが、プロの世界は厳しい。
ジャイアンツ時代の言動から毀誉褒貶が激しい選手となったが、全盛期の力量は間違いなく時代を代表するバッターであり、最も勝利に貢献できる選手の一人だった。

彼の右中間へのライナーは今も目に焼きついている。