環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

私の環境論17 都市と環境問題

2007-01-31 17:57:38 | 市民連続講座:環境問題


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都市は、生態学的に見れば、その周辺地域に全面的に依存し、拡大するもので、閉鎖された生態系としては成り立たないものである。都市を生態系の一部とみなせば、都市が自給自足できるものはほとんどないに等しい。


既存の大都市では、水、食糧、エネルギーの供給および交通機関から多くの環境問題が生じているので、都市への供給の流れがエコサイクルの一部として機能するものならば、環境問題の多くは解決されるであろう。環境問題の改善のためには、都市の規模を縮小し、環境に適した都市への供給システムと排出システムおよび循環システムを建設しなければならない。このことは大震災に強い都市の構築に通ずるものである。


         
この図は「東京の今(西新宿の高層ビル群 1995年)」と「昔(スモッグにけむる霞ヶ関周辺 1968年)」を対比したものです。「東京の今」では、都心から100km以上離れた富士山がかすかに移っています。出典は今となっては不明ですが、東京都の広報資料ではなかったかと想像しています。

この図は、別の表現をすれば、「公害時代の東京」と「環境問題に直面している現在の東京」を示しています。 公害の判断基準であれば、今の東京は「大変きれいだ!」ということになるかも知れません。しかし、この大変きれいに見える東京のほうが実は「環境負荷」は圧倒的に高く、「環境問題」はいっそう深刻なのです。

1月24日のブログでお話しましたように、「環境問題は、私たちが豊かになるという目的のために行ってきた経済活動の結果、必然的に生じた『目的外の結果』が蓄積し続けているものである。したがって、市場経済社会(特に日本)とって人類史上初めて直面する21世紀最大の問題である」という私の主張を理解していただけたでしょうか。

日本の経済論・技術論の最大の欠陥 

2007-01-30 21:52:50 | 経済


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書店には21世紀の日本経済や科学技術を論ずる雑誌や書物が溢れています。これらの著者の多くは評論家あり、自然科学系あるいは社会科学系の大学教授あり、エコノミストあり、ジャーナリストありと多彩ではありますが、これらの著者に共通していることは21世紀の経済や科学技術の行く末を論ずる際に、工業化社会の経済の将来を左右する最も重要な要因である「資源・エネルギー問題」や「環境問題」の視点がまったくといってよいほど、欠落していることです。
このことは、今なお経済学の基本的な枠組みが、生産の基本的要素として「資本」、「労働」および「土地」、あるいは「技術」を掲げていることからも明らかです。

21世紀の経済や技術を論ずる経済学者やエコノミストの議論もこの枠組みを超えるモノではありません。大学で講じられている経営学は企業や組織を学問の対象とし、「戦略論」「組織風土論」、「知識創造論」、「リーダーシップ論」、「ゲーム論」などを展開してきましたが、いまなお、企業活動に必然的に伴う「資源・エネルギー・環境問題」に踏み込んでいません。

試しに、近くの書店に立ち寄って平積みになっている新刊書の目次を眺めてみたらよいでしょう。経済、ビジネス関係の書物や科学技術の書物で、ここで指摘したような視点を持った書物を容易に捜し出すことができるでしょうか。ぜひ、お試しになって下さい。
   
経済関係の書物でも、特に、将来の経済の方向性を議論しているもの、具体的には「21世紀」を冠した書物で、「資源・エネルギー問題や環境問題」に基礎を置いてない経済議論は絵に書いた餅のようなもので、バーチャル・リアリティ(仮想現実)の世界です。

書物だけではありません。テレビの討論番組も、著名なエコノミストや一流コンサルタントによる経済に関する高価な有料セミナーも・・・・・・

安倍首相の「イノベーション」

2007-01-30 12:18:37 | 政治/行政/地方分権


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安倍首相の施政方針演説には「イノベーション」という言葉が5回も出てきます。活字で見るとあまり目立たないのですが、テレビでの演説を聴いていると私にはこの言葉が強く印象に残りました。この言葉は、いままでは主として、産業部門や経営部門で好んで使われてきたので、イノベーションという言葉には「技術革新」という日本語が当てられています。

時代の動きに合わせて、「イノベーション」という言葉の意味も「技術」を対象とするだけでなく、いろいろな分野へ広がってきました。例えば、2006年5月4日付けの毎日新聞の1面コラム「余録」に「政治の世界のイノベーション」という言葉が出ていました。



このコラムの前半は、サッチャー政権の誕生について書かれています。後半は北欧諸国の政治システムに触れています。そして、「いま、政治システムで最先端にあるのは北欧諸国のような気がする。経済、教育、社会保障、環境問題への対応、どの指標をとっても世界のトップクラスにある。北欧諸国はすでに他の国々が気付いていない道を歩み始めているのではないか」と興味深い記述があります。

サッチャー政権の誕生とその成果が政治の世界のイノベーションというのであれば、そのイノベーションは「20世紀型の経済成長」を支える政治のイノベーションでしょう。北欧諸国の政治システムは国によりそれぞれ異なりますので、北欧諸国と十把一絡げに論ずるのにはやや抵抗がありますが、スウェーデンの政治システムそれ自体は、サッチャー政権の80年代のシステムと基本的には変わらないと思います(進化はあったでしょうが)。

重要なことは、北欧諸国が相対的に他国よりもすぐれた「民主主義の手続きを基本にした合意形成のシステム」と「政治システム」を用いて、他国よりも早く、21世紀にめざすべき新しい社会を構想し、国をあげてその実現に向けて努力していることでしょう。

関連記事
EIUの民主主義指標 成熟度が高い民主主義国の1位はスウェーデン(2007-08-18)


安倍政権に切に望みたいのは、20世紀の政治システムの改良ではなく、21世紀をはっきり意識した新しい政治システムの構築です。20世紀の政治システムの改良であろうと、21世紀を意識した新しい政治システムであろうと、真っ先に取り組むべきは長年の課題である「行政の縦割り構造の改革」ではないでしょうか。

   

「個人」と「組織」のずれ

2007-01-29 22:39:11 | 社会/合意形成/アクター


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私の講演会で、企業の部課長クラスの参加者から必ず出てくるコメントや反応があります。それは「おまえのいうことは、個人として、あるいは一技術者としてはよくわかるが、企業としてはできない」というものです。
 
こんな例もあります。ある研究会での私の講演のあとに行なわれた質疑応答で、当時の都庁の産業政策部長は、「客観的に見るならば、『エネルギー制約』あるいは『環境制約』が非常に大きいので、経済活動を縮小せざるを得ないと思います。ただ、縮みの経済学、縮みの政治学、縮みの文化というものを、ぼくたちはつくりだしていない。この数年間で、非常に大きな制約があることがわかってきて、このままではダメだということをほとんどの人たちがすでに合意していると思います。
政府や自治体は全然違うことをやっていますけれど・・・・・」と発言しました。

行政にも企業と同じく、「わかっているけれども、行動は別」という根本的な大問題があることを示す貴重な発言です。
 
私の主張を現在の日本で実行することが、むずかしいのはよくわかります。でも、これほど矛盾した反応があるでしょうか。「企業の技術者としては、個人的にことの重大さはわかっていても、目の前の生活防衛のために、自分の属している組織の拡大のために全力を尽くす」、つまり、「前方が断崖絶壁であることが一技術者として理性的にわかっていても、乗り合わせたバスのなかで声を上げられない」という状況が、自分や自分の家族の将来、自分の属する企業や組織の将来活動を危うくすることだ、ということがなぜわからないのでしょうか。
 
このような議論が起こるのは、「個人」と「組織」との間に根本的な違いがあるからです。個人は人間ですが、個々の人間からなる組織(企業はその代表的なもの)は、人間ではないということです。個人は自分の「目的とする行為」がどの程度達成できるかということと、その行為が周囲にどのような影響(目的外の結果)を及ぼすかを、程度の差こそあれ、必ず考慮し、配慮します。ところが、組織は特定の目的を達成するためにつくられたものですから、「目的とする結果」にのみ関心を示し、「目的外の結果」を考慮しません。
 
個人的行為の場合は、動機と目的が直接結びついていますが、組織的行為の場合は組織の目的と個人的動機は、多くの場合、同じではありません。組織的行為は独立した個人によって支えられていますが、行為の主体は個人ではないからです。組織の本質は「維持・継続」です。ですから、組織にとっては、「組織の維持・継続」にプラスかマイナスかが、決定的に重要な判断基準となるのです。
 
したがって、「目的外の結果」は、ひたすら組織の維持・存続にとってプラスかマイナスかで評価されることにならざるを得ないのです。組織にとってプラスであれば積極的に、マイナスであれば可能なかぎり無視し、視野の外に置き、対応を余儀なくされたときに初めて対応することになります。このことは、「組織」をその代表である「企業」や「行政」と置き換えて考えてみるとわかりやすくなるでしょう。前にもふれたように、環境問題は人間活動の代表的な「目的外の結果の蓄積」なのです。

94年の朝まで生テレビ:評論家 田原総一朗の「環境認識」

2007-01-28 14:42:27 | 社会/合意形成/アクター


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今年1月1日にブログを開設してからちょうど4週間が経ちました。開始に当たって設定した9つの「カテゴリー」のうち、このカテゴリー「えっ! どうして」だけが空になっていました。このカテゴリーは、私の環境論から見て「ほんとうにそうなのだろうか、どうして?」と私が疑問に思うことを提供して、皆さんのお考えを聞きたいという考えで設けたものです。

私の環境論はブログの「市民連続講座:環境問題」を見ていただくとして、ここでは、さまざまな社会問題を把握するときの私の基本的な考えを示しておきましょう。これは、あくまで私の考えですから、別の考え方であってもよいわけです。


さて、今日の話題です。
2週間前の1月14日、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」を見ました。番組では田原総一朗さんが経済財政担当大臣であられる太田弘子さんと対談していました。テーマは「安倍政権になって家計は楽になる?」というような内容でしたが、この対談をながめながら、私は10年近く前の田原さんの「環境問題に対する発言」を思い出しました。

田原さんの当時の発言は10年近く経った今でも、納得できる興味深い記事ですので、このカテゴリーの最初の話題として紹介しましょう。みなさんは、どう考えますか。

その記事というのは、私が96年の設立当時から属している環境経済・政策学会編の「環境倫理と市場経済」(東洋経済新報社 1997年9月18日発行)の193ページからはじまる「環境論壇」に収録されています。筆者は末石冨太郎さん(滋賀県立大学環境科学部)です。画像がちょっと不鮮明ですので、右の記事の当該部分をリライトします。

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・・・・・それに総合雑誌の環境問題の扱いはほとんど失望さえしていて、例えば『中央公論』では、半年に1回くらい米本昌平を登場させるていど、さらに実名をあえて挙げるが、94年の大晦日のTV朝日系の「朝まで生テレビ」で、21世紀最大の問題は何か という問いへの答えに、若いひとりの出演者が「環境問題」といったとき、司会の田原総一朗は「なにっ環境? そんなもん経済の向こうのもう一つ向こうの問題ではないか!」と切って捨て、反論の余地さえ与えなかった。つまり田原の頭の中は完全に景気浮揚でいっぱいだったのだ。その彼を、環境科学を売りにしている滋賀県立大学がいつの間にか客員教授に任用している滑稽さを、いったい何と評すればよいのか。 (以下省略)
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97年にこの田原さんの発言を読んだとき、私はたいへん驚いた記憶がありますが、あれから10年経ったにもかかわらず、私の環境論から見れば、田原さんの「環境問題に対する認識」は今もあまり変わってないことを知り、さらに驚きました。 

私の環境論では「経済」と「環境」は切っても切れない関係なのですが、田原さんの考えは多くの主流のエコノミストや政治家、評論家に共通な「経済」と「環境」は別物という考えです。つまり、経済を語るときに「金の流れ」しか見ていない ということです。これでは、20世紀の経済は語れるとしても、21世紀の経済の方向性を適切に判断することはできないでしょう。   


今年最初のサンデー・プロジェクト(2007年1月14日放映)のテーマは「安倍政権になって家計は楽になる?」というような内容でしたが、はたして来年最初のテーマはどうなるのでしょうか(もっともこの番組がその時まで続いていればということですが・・・・・)

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正月番組「温暖化」(2008-01-09) 

2007年1月26日の安倍首相の施政方針演説

2007-01-27 11:29:36 | 政治/行政/地方分権


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日本の国会で内閣総理大臣が本会議場で行う演説には「施政方針演説」と「所信表明演説」があります。フリー百科事典「ウィキペディア」によれば、両者の相違は次のように定義されています。

施政方針演説は、政府の長(内閣総理大臣つまり首相)が年初における政府の方針を述べる演説で、通常国会での冒頭で衆議院と参議院の本会議場で行われる。
所信表明演説は、政府の長(内閣総理大臣つまり首相)が自分の考え(所信)を述べる演説で、以下の場合に衆議院と参議院の本会議で行われる。

   ●臨時国会の冒頭
   ●特別国会で内閣総理大臣が指名・任命された後
   ●国会の会期途中で内閣総理大臣が交代した場合

つまり、通常国会の冒頭において、内閣総理大臣が内閣全体での方針や重点課題を説明する演説を「施政方針演説」と呼ぶのに対して、その他の機会に、内閣総理大臣の所信(個人としての自分の考え)として、国政についての方針や重点課題を説明する演説を「所信表明演説」とよぶのです。

★安倍首相の施政方針演説(2007年1月26日)
昨日の安倍首相の施政方針演説をテレビで視聴し、朝日新聞夕刊で演説の全文を確認しました。そして、およそ一面を覆う1万字弱の施政方針演説で、21世紀のキーワードであるはずの「持続可能な開発/社会」「環境問題」がどの程度触れられているか検証しました。
図をご覧下さい。




驚いたことに、「持続可能な開発/社会」はゼロ環境問題についての記述は、「健全で安心できる社会の実現」と題する項126行中23行(全文906行中23行)でした。図では、環境問題の部分を赤で示してあります。“持続可能な”という言葉は「成長力強化」という項で、「アジアなど、海外の成長や活力を日本に取り入れることは21世紀における持続的な成長に不可欠です」という文脈で、1回出てくるだけです。




環境問題に関する赤の部分を拡大します。   



安倍首相の施政方針演説に添えられている「麻生外相の外交演説」(要旨)にも、「尾身財務大臣の財政演説」(要旨)にも21世紀のキーワードである「持続可能な開発/社会」 「環境問題」ゼロです。このことはこれらの演説の趣旨からして、日本の政治の指導者としての首相、外相、財務相に21世紀のビジョンが「持続的な経済成長」しか頭にないことを意味するのでしょう

6月に策定されるという  「21世紀環境立国戦略」  とはどのようなものになるのでしょうか。

1月29日(月)から安倍首相の施政方針演説に対する各党の代表質問が衆議院で、30日には参議院でスタートします。質問する側も「環境問題に対する認識」が薄いと思われますので、あまり期待は持てません。


★安倍首相の所信表明演説(2006年9月29日)
小泉政権を引き継いだ安倍新内閣が2006年9月26日に発足し、安倍首相が9月29日に所信表明演説を行いました。「所信表明演説」というのは、先にも述べたように、首相個人の理念を端的に語るもので、同日の朝日新聞夕刊にその全文が掲載されています。この所信表明演説に示された安倍首相の「環境認識」はすでに、1月7日のブログで紹介しましたので、そちらを参照してください。

緑の福祉国家15 「気候変動」への対応 ④ 

2007-01-26 19:09:39 | 市民連続講座:緑の福祉国家


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4.気候変動防止政策の概要
97年12月の京都議定書の締結以降、様々な議論がなされ、行動計画がつくられました。次の図は2000年当時の日本とスウェーデンの気候変動防止(地球温暖化防止)政策の要点をまとめたものです。両国の間に大きな落差があることがご理解いただけるでしょう。


スウェーデンには、国内のCO2を削減するために原発はもちろん、CO2吸収源としての森林(植物がCO2を吸収して酸素をつくりだす光合成の効果)への期待はありません。排出量取引(与えられたCO2排出枠より実際の排出量の多い国が、排出枠より排出量の少ない国から、排出権を買い取る、といった、国同士の取引。COP3で採択された)への期待もほとんどありません。

「CO2の削減は化石燃料の消費を削減する以外に有効な方法はない」という確固たる考えが、「国のコンセンサス」になっているからです。

●二酸化炭素税(CO2税)
スウェーデンでは、91年1月1日からCO2税が導入され、その後、税率に修正が加えられました。環境保護庁の報告書によれば、87年と94年のCO2排出量を比較すると民生・産業部門全体で約19%の減少がみられ、特に地域暖房において「化石燃料」から「バイオマス燃料」への転換が大きく進みました。CO2税の効果によるものは約60%と評価され、残りの40%はエネルギー利用の効率化と地域暖房の集約化によってもたらされた言われています。

一方、世界第4位のCO2排出国である日本は、「IPCCの評価報告に示された温室効果ガスの大幅削減の必要性や原子力に対する評価」、さらには「実用規模のCO2排出削減技術がないこと」を理解しているはずですが、CO2税の導入には消極的です。
 
●原発に対する期待
原発に対する期待はスウェーデンと日本では正反対です。スウェーデンでは電力の50%を原子力でまかない、人口1人あたりの原子力依存度が世界一であるスウェーデンは。1980年3月の国民投票の結果を踏まえて、同年6月の国会決議で「当時稼働中および建設中であった原発計12基を2010年までに全廃する」ことを決めました。

バルセベック原発1号機は、「97年2月4日の政府の決定」では、98年6月末までに廃棄のために運転を停止し、同原発2号機も2001年7月1日以前に停止される予定でしたが、この2基の原発を所有する電力会社が最高行政裁判所に提訴した不服申し立てに対して、同裁判所の最終的な決定が出されていないので、政府の決定の実施が延期されていました。

その後、紆余曲折がありましたが、バルセベック原発の1号機は99年11月30日に、同2号機は2005年5月30日にそれぞれ廃棄のために停止されました。

一方、日本は、温暖化防止対策として、2006年11月現在、稼働中の55基に加えて、さらなる原発の増設を考えています。

●省エネルギー
省エネは最も有効な温暖化防止対策です。スウェーデンの省エネ判断基準は「最終エネルギー消費量の抑制」ですが、日本の省エネ判断基準は「エネルギー消費原単位の向上」です。

省エネ判断基準の相違により、スウェーデンの最終エネルギー消費量は1970年の457TWhから95年の390TWhまで、漸次減少しているのに対し、日本では同期間中、2112兆kcalから3588兆kcalまで、漸次増加しています。このことは、スウェーデンが70年から95年にかけてCO2を漸次削減してきたのに対し、日本は着実にCO2を増加させてきたのです。

●再生可能エネルギー
一次エネルギーに占めるスウェーデンの「水力を含めた再生可能エネルギーの割合」は現在、およそ30%であるのに対し、日本はおよそ5%程度です。

●アイドリング・ストップ
第1回国連環境会議を取材した72年6月5日付けの日本経済新聞は、スウェーデンで当時(今から34年前)すでに、「交差点でのアイドリング・ストップ(禁止)」の規制が導入されていたことを報じています。

日本では、96年6月から当時の環境庁が「アイドリング・ストップ運動」を始めました。
97年3月25日付けの朝日新聞によれば、神奈川県公害防止条例の見直しを進めていた神奈川県環境審議会は全国で初めて駐車中のアイドリング停止を求める条文を盛り込んだ同条例改正案を知事に答申したそうです。

●森林
日本と違って、スウェーデンでは森林の吸収に大きな期待をしていません。スウェーデンおよび日本の森林の被覆面積は60%を超えています。スウェーデンでは70年代後半から、単一林に比べて生産性が低く、コスト高であるにもかかわらず、林業関係者、民間、政府の合意のもとに、多様性のある森林づくりが実践されてきました。
 

私の環境論16 環境問題への対応、輸入概念でよいのか!

2007-01-26 17:05:23 | 市民連続講座:環境問題

  
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これまでに述べてきた、「21世紀も人間は動物である」、「環境問題の根本的な原因は経済活動にある」、「経済成長はエネルギー・資源の消費を抑えて達成されなければならない」、「日本経済が制約される地理的・社会的条件がある」など、これらの点は、私が考える「環境問題について、私たちが共通に持つべき認識」です。けれども、残念ながら、この認識は日本ではまだ十分には共有されていません。

次の図は「環境問題の原因・現象・結果」を示したもので、私の環境問題に対する基本認識を十分裏づけてくれるものです。この図は「平成13年版環境白書」に掲載されているもので、図の原題は「問題群としての地球環境問題」となっています。しかし、日本の政府はこのような真っ当な認識を示しつつも、実際に政府が行っている「環境問題に対する対応策」や「法体系」はそのような認識には裏付けられてはいません。  



前にもふれたように、日本の環境問題に対する取り組みは、「環境問題の原因」(経済成長を求める経済活動の拡大)への直接の取り組みではなく「表面化した現象面」(地球温暖化、オゾン層の破壊、酸性雨、森林伐採、砂漠化、海洋汚染、廃棄物など)への個別の取り組みとなっています。これらの環境問題は並行して発生し、しかも同時進行しているにもかかわらず、です。

さらに、90年代初頭から環境問題に対して新たに、次のような対応や概念が導入されています。

これらはいずれも国際社会でつくられた「輸入概念」で、日本は概念づくりにまったくといってよいほど参加していません。「持続可能な開発」という概念に至っては、日本はその概念の「きっかけ」をつくるときに大きな役割を果たしたのに、肝心の概念形成にはほとんどかかわっていません。しかも、これらの輸入概念は日本に導入されるとき、これまでの日本の法体系との整合性を持たせるために、もとの概念の変質(通常は劣化)を余儀なくされます。 

上の図の赤で示した概念
(持続可能な開発/社会、経済的手段、環境税、EPR、REACH、RoHS指令など)はスウェーデン発、あるいはスウェーデンが他国に先駆けて実施した概念です。 

私たちが理解しなければならないことは、これらの輸入概念は、20世紀の「持続不可能な社会」を21世紀の「持続可能な社会」に転換させるための重要なツール(道具)だということです。
 
世界第2位の経済規模を誇る日本が、環境問題に対する独自の対応策を国際社会に発信することができなくて、どうして日本が「環境立国」として世界に貢献できるといえるのでしょうか?


スウェーデン企業の環境意識 ボルボ

2007-01-26 10:40:23 | 環境問題総論/経済的手法
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今日の「日本 あの日・あの頃」は、スウェーデンの自動車メーカー・ボルボの日本社会における一連のパフォーマンスの一端を取り上げます。

1989年に、ボルボは次のような「環境政策声明」を発表しました。

90年2月28日、当時の通産省(現在の経産省)の地球産業文化研究所が、東京で「地球環境の改善と経済成長の同時達成をめざして」と題するパネル討論会を催しました。


ここに、「予防志向の国」と「治療志向の国」の考え方の違いがはっきりとあらわれています。また、企業経営者と科学者の協力の必要性も明らかにされています。なお、このシンポジウムの模様は、1990年3月に、「テレビ・シンポジウム 技術は地球を救えるか」と題してNHK教育テレビで放映されました。 

そしてボルボは、2ヶ月後の90年5月17日付の日本経済新聞に、「私たちの製品は、公害と、騒音、廃棄物を生み出しています」というキャッチ・コピーで「全面広告」を打ったのです。この広告は第1回日経環境広告賞を受賞し、日本の環境広告に大きな一石を投じました。

左の一面広告の小さな判読不明の個所を拡大したのが右の図です。その1行目に、「現状で最もすぐれた、三元触媒を使った自動車用排気ガス浄化システムを世界で初めて市販車に採用したのはボルボでした」と書かれています。ここでいう「自動車用排気ガス浄化システム」とは、現在の日本のガソリン乗用車に標準装備されている排気ガス浄化システムのことです。

2005年10月、ボルボ・カーズ・ジャパンは、第54回日経広告賞で2度目の最優秀賞を受賞しました。審査委員長は「安全性など商品の機能面だけでなく人生観や生活提案という側面までを訴求し、ブランド広告として高い次元でまとまっている」と評価したと、日本経済新聞は報じています。

ボルボの環境広告も環境広告の審査基準も共に、時代の流れを背景に大きく進化していることが伺われます。

ボルボの環境広告は日本の自動車メーカーに衝撃を与え、日本の自動車メーカーの広告内容を一変させたのです。


私の環境論15 「日本の環境問題」を考えるときの基本条件

2007-01-25 13:20:00 | 市民連続講座:環境問題

  
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ここでは、「日本の環境問題」を考えるにあたって、私たちが最小限把握しておかなければならない5つの基本条件を挙げておきます。日本国が日本国であるかぎり、日本経済が制約を受ける地理的・社会的な条件です。

①日本が世界第2位の経済活動をしている国であること(世界のGDPの総和=約30兆ドルの16%に相当する4.8ドル=約500兆円をつくりだす経済活動を行なっていること)

②先進工業国2位の人口(約1億2000万人、世界人口の約2.1%、2004年にピークを迎え、以後減少傾向:2005年の「人口動態統計」)

③国土と可住面積の狭さ(37万平方キロメートルの国土、338人/平方キロメートルの人口密度)

④原材料の30%、エネルギーの90%を海外に依存している

⑤食糧自給率が40%と先進国中最低

これらの条件は、経済的な視点から見れば「大きな市場」を意味するとともに、スケールメリットによる「効率化」を生むことになりますが、環境問題の視点から見れば、同時に「環境負荷の増大」「人体の負荷増大」を意味することはすぐにおわかりいただけると思います。

ところで、日本の企業人、エコノミスト、政策担当者の多くは、これまで日本の経済パフォーマンスを語るとき、「効率の良さ」を挙げてきましたが、これにはつぎのような前提があることを忘れてはなりません。

①については、あらかじめ準備していたことを遂行する時には、日本の官僚機構、企業、学校などの既存の組織はきわめて有効に働くのですが、事前に想定された範囲を超える出来事(大事故や大きな自然災害など)が起こるとシステムが機能しなくなります。
②については、社会を構成するのは老若男女であることを思い出す必要があります。それぞれに健康なものもいれば、そうでないものもいます。

①および②の前提に立てば、生産、物流コストをぎりぎりまで切り詰め、「効率化」を図ることが可能となりますが、安定した社会やインフラ・ストラクチャーの整備、自由な企業活動を保障するとともに、国民の健康、生活、財産の安全を確保するには、さらにコストがかかるはずです。「社会全体のコスト」を考えることが重要です。

3月16日のブログでも「効率化」を取り上げておりますので、参照してください。 


「IPCC第4次報告書案」の概要

2007-01-24 12:03:01 | 温暖化/オゾン層


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2007年1月19日付けの毎日新聞が、国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第4次報告書案の概要を掲載しています。IPCCの報告は90年、95年、2001年に次いで4回目となりますが、いつ正式な第4次報告書が公表されるのかには触れていません。温暖化議論の方向性を見据える上で、有益な資料ですので、記事をそのまま掲載しておきます。






関連記事

IPCCの第4次報告 (2007-02-04)

私の環境論14 環境問題は経済の「目的外の結果の蓄積」

2007-01-24 10:12:01 | 市民連続講座:環境問題

 
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21世紀に私たちが、「経済の適正規模」を模索しなければならないのは、20世紀型の「経済成長」の発想では、21世紀の経済が持続不可能であることを自然科学者が明らかにしたからです。

ですから、環境問題に対する最も重要な具体的な判断基準は、「社会全体のエネルギー消費量を削減するか、増加させるか」ということになります。
 
人間は21世紀も変わらず動物でありつづけるのですが、いうまでもなく、人間はさまざまな側面で、ほかの動物とは違っています。たとえば、「動物は本能的だが、人間には目的があること」があります。ということは、人間が行動すると、その目的が達成されようとされまいと、必ず「目的外の結果」が生じるということでもあります。
 
20世紀後半に顕在化した「環境問題」の大半は、企業による経済活動がつくりだした「目的外の結果」であり、経済活動が大きくなれば「目的外の結果」も比例的に、あるいはそれ以上に大きくなります。

ここまでの議論に即して、「経済と環境問題の基本的な関係」を、私なりに表現を変えてまとめてみると、次のようになります。

①環境問題とは、我々が豊かになるという目的を達成するために行った経済活動の結果生じた「目的外の結果」が蓄積したものである。

②環境問題とは、人間活動(経済活動=資源・エネルギーの利用)の拡大による「生態系の劣化」「人間の生存条件の劣化」「企業の生産条件の劣化」である。

③環境問題とは、人間活動(経済活動)が有史以来最大となり、その活動が「環境の許容限度」と「人間の許容限度」ギリギリのところまで達してしまった、あるいは一部でそれらの許容限度をすでに超えてしまったという問題である。

④環境問題とは、市場経済が求める「経済成長の必要性」と、「環境の許容限度」および「人間の許容限度」とのかかわりの問題である。

⑤経済活動の本質は、資源とエネルギーの利用であり、経済活動の拡大の結果必然的に生ずるのが環境問題である。


ですから、昨日の話のように「環境」と「経済」は切り離せないのです。もっとストレートに言えば、

そして、このことがご理解できれば、次の私の主張もご理解できるでしょう。

緑の福祉国家14 「気候変動」への対応 ③ 

2007-01-24 05:32:49 | 市民連続講座:緑の福祉国家


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3.京都議定書への対応

スウェーデンの気候変動(日本では「地球温暖化」)に対処するための国内的対応は、EU諸国と連帯して、国際的対応に弾みがつくような方法で組織されなければなりません。また、実効性のある戦略であるためには、気候変動にかかわるすべての温室効果ガスを対象とし、社会のすべての部門が参加するものでなければなりません。 

●京都議定書の位置づけ
1994年3月に発効した「気候変動枠組み条約」の第3回締約国会議(COP3)が97年12月に京都で開催され、最終日に「地球温暖化防止京都議定書」(いわゆる京都議定書)が採択されました。

この時点での米国、日本、スウェーデンの京都議定書の位置づけは、3者3様でした。


3者とも京都議定書に署名はしたものの、米国は途上国の参加が義務づけられていないこの議定書は、「議論の出発点にもならない」と考えていたし、日本は「議論の出発点」と位置づけ、スウェーデンは「議定書の内容では不十分なので、議定書の範囲を超えた独自の政策を展開する」でした。

その後、米国は2001年3月に京都議定書から離脱しました。日本は京都議定書を2002年6月4日に、スウェーデンは同年5月16日に批准しました。2005年2月16日、多くの困難を乗り越えて、京都議定書は米国、オーストラリア抜きで正式に発効しました。

●「温室効果ガス抑制目標」に対するEUの国別新配分

京都議定書の採択から半年たった1998年6月、EUは環境大臣理事会で、地球温暖化防止京都会議で合意された「CO2など温室効果ガスの8%削減」を具体化するために、国別分担の排出量新配分で基本合意しました。このことを伝える当時の日本経済新聞(98年6月18日付け)を掲載します。


この新配分でEUは、スウェーデンに1990年比で「4%の温室効果ガスの排出量増加」を認めていますが、これは、スウェーデンが70年以降およそ30年間にわたって、「CO2の排出量を少しずつ削減してきた実績」と、「原発の段階的廃止をめざす計画を保持していること」に配慮したからです。
 
この新配分に対して、当時のスウェーデンの環境大臣は「スウェーデンは新配分で与えられた“増加分の4%”を利用するつもりはない。増加を受け入れた理由は、他国にその分を利用させないためだ」とコメントしました。いかにも、「CO2」削減に真剣に取り組んでいるスウェーデンらしい発想だと思います。


私の環境論13 「環境」と「経済」は切り離せない  

2007-01-23 22:44:29 | 市民連続講座:環境問題

  
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自然に働きかけて人間生活に有用な財やサービスをつくりだす経済活動、つまり、生産活動や消費活動、余暇活動は、もともと人間にとって手段であって、目的ではありません。経済活動の目的は、本来、人間生活を豊かにするために「生活の質」を向上させることであり、経済成長率を高めることではないはずです。


経済活動の規模や成果をあらわす経済成長率の基礎データは、すべて金額で表示されています。従来の経済学は貨幣に換算できない関係は無視し、貨幣による関係だけで人間社会の活動を評価してきました経済学には、「資源・エネルギーの流れ」が十分にインプットされていないのです。こうした枠組みにとらわれた経済学者やエコノミストには、環境問題の本質は見えてこないでしょう。

これからの経済学は、「モノやサービスの流れ」を「金の流れ」で見るのではなく、「資源・エネルギーの流れ」で見なければなりません。環境問題は、「経済学の枠組みを現実に合わせるために早急に変えなければならないこと」を示唆しています。環境負荷を最小限に抑えながら製品やサービスを供給し、消費するためには、どのような経済のあり方が必要なのか。これこそが、21世紀の経済学の主要なテーマであるはずです。

そのためにはたとえば、GDPや「個人消費の拡大」「民間住宅投資の拡大」「設備投資の拡大」「貿易の拡大」「巨大構造物の建設」といった、これまでの拡大志向の考え方やその考えを支えてきた「経済指標」を変えなければならないでしょう。いうまでもなく、こうした指標が「資源・エネルギー・環境問題」の現状をまったく反映できない性格のものだからです。
 
たとえば、「景気動向を最も的確に示す」といわれている指標の一つに、内閣府が毎月公表する「景気動向指数(DI)」があります。私がまず変えるべきだと思うのは、この指標です。景気動向指数は、景気と深いかかわりを持っている30の景気指標からなっています。景気に先行する「先行指数」(11指標)、景気と一致して動く「一致指数」(11指標)、景気に遅れて動く「遅行指数」(8指標)ですが、そのうち「先行指数」は高度成長期に入る1960年頃創設され、80年頃に現在の指数に定着したものです。
 

20数年前に定着した11の指標は、生産指数(鉱工業)、大口電力使用量、稼働率指数(製造業)、商業販売額(小売業および卸売業)、営業利益(全産業)など、すべて「経済規模の拡大」を前提とした指標です。 

また、統計資料の表示の仕方も、変えるべきだと思います。資源・エネルギーの供給量や消費量、廃棄物の量や汚染の程度などの統計資料は、可能なかぎり総量で表示することが望ましいでしょう。なぜなら、環境問題は総量によって決まるからです。また、廃棄物問題に代表されるように、環境問題は基本的には「蓄積性の問題」だからです。

したがって、環境問題を理解するには、単年度の統計資料では不十分で、経年変化がわかるような時系列、あるいは累積の統計資料が必要でしょう。現時点で、日本の環境関連の統計資料には、国民一人当たり、「原単位」(「鉱工業製品の一定量を生産するのに必要な原料・動力・労働力などの基準量)当たり、GDP当たり、ppm、ある年を基準とした指数など、相対量を示す統計資料が多いのですが、これは改めるべきでしょう。


緑の福祉国家13 「気候変動」への対応 ②

2007-01-23 21:16:06 | 市民連続講座:緑の福祉国家


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2.原発と地球温暖化政策
原発と地球温暖化政策については以前から、そして、現在もさまざまな議論が続けられています。

しかし、87年のWCED(国連の環境と開発に関する世界委員会)の報告「ブルントラント報告」と95年のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の「第2次評価報告」は、いずれも以下のように、原発については積極的ではなく、条件が整えばという仮定の話になっています。