外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

宮本洋二郎さん

2011-08-09 20:26:48 | 大学野球
金融市場は、今日も嵐のような1日でした。

金融市場とは面白いものです。
相場が荒れると、新たな投資を手控えるプレイヤー、あるいは既存の投資を精算するプレイヤーがいる一方で、
チャンス到来とばかりに、新たな投資を仕掛けるプレイヤーも登場します。

こんな激しいやりとりの中で、時代の潮流に対応できた者が勝ち抜き、対応できなかった者は市場から退場していきます。

このような市場原理を抑制し、既存の枠組みを温存しようとした産業の典型が、日本の農業です。

個人農家を中核に据えた古典的なビジネスモデルは多くの若者からそっぽを向かれ、全く精彩を欠く産業となってしまいました。
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ともあれ、銀行としては、資金の動きが活発であった方がビジネス・チャンスがあるといえるのですが、為替取引という性格上、とにかく忙しい、忙しい。
しかし、こんな状況が続くと、オール早慶戦に行くことも不可能となりかねません。
(><)

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さて、プロ野球球団を支える、地味で渋い役回りのスカウトさんたち。

地域担当制となっている球団が多いので、東日本担当の方々は東伏見や神宮でお見かけしますが、他の地域のご担当者には、なかなかお会いする機会がありません。
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広島カープの関西地区担当スカウトが、宮本洋二郎さんです。

宮本さんは、米子東高校のエース投手として、甲子園に春夏連続出場し、センバツでは準優勝されました。

1961年(昭和36年)に早大へ入学。
野球部の同期には、石山建一さん(静岡高校)、三原啓治さん(松商学園)、江尻亮さん(日立一高)、直江輝昭さん(米子東)、奥田裕一郎さん(明星高校)ら、錚々たる顔ぶれがいらっしゃいます。


宮本さんは、一年生春からリーグ戦に登板。
一年生の起用は、当時としては異例のことで話題となったそうです。

早稲田を卒業した1965年に巨人に入団。
その後、広島・南海と合わせて9年間現役でプレーされて引退。
南海と広島でコーチやスコアラーを歴任されてから、1993年に現在のスカウト職に就きました。



巨人入団から数えると、何とプロ生活46年目!

さすがです。
確かな知識と指導力、そして人格が備わっていらっしゃるからこそ、厳しいプロの世界を長きに渡って生き抜いてこられたのでしょう。

これからも宮本さんには、良い選手を発掘していただき、ずっと日本の球界が活気を持ち続けることができるよう頑張っていただきたいと思います。
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3 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
江尻さん (slept5555)
2011-08-10 09:43:49
と同期でいらっしゃるんですか。江尻さんと言えば無失点記録保持者でいらした。日立一高出身の親友によれば、早大からプロ入りした時には太平洋をバックにすがすがしく抱負を語る江尻さんの時期が地元紙のトップを飾ったようです。日立の誉れですね。
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直江輝昭さん (早稲田スポーツファン)
2011-08-10 11:11:32
宮本さんと同じく米子東―早稲田に進んだ選手として直江輝昭さんを思い出します
直江さんは好打の外野手として活躍し、昭和39年春の優勝に貢献しました
その後社会人野球でも活躍しましたが、海水浴中に不慮の事故で若くして亡くなられたのは残念です
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宮本洋二郎さん (enjin)
2011-08-14 07:04:48
タイムリーな記事をありがとうございます。この記事の翌日に甲子園球場でお会いしました。私のような年の離れた後輩にも両手で握手し、再会を喜んでくださるやさしい方です。
1960年の選抜準優勝は鳥取県勢の最高成績。ちなみにこの年の国体でも準優勝されています。ご本人は「せっかく一番いいところ(優勝)を残しておいたんだから後輩には頑張ってもらわなんと」とおっしゃっていました。
関西担当ですが、大学選手権、明治神宮大会、都市対抗野球など全国大会開催時には東京で活動されています。元気なお姿を拝見するといつもうれしくなります。
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