海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

『嗚呼 満蒙開拓団』と二冊の本

2009-10-13 05:29:00 | 読書/書評
 『嗚呼 満蒙開拓団』を最終日の最終回にやっと見ることができた。観客は残念ながら10名もいなかった。満蒙開拓団全体で27万人といわれる中で、沖縄からは〈成人(集団・集合・分散)移民が1000人前後、満蒙開拓青少年義勇軍が600人前後の送り出しにとどまった〉(『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社刊)とされている。南洋群島やハワイ、北・中・南米への移民に比べて数が少ないせいもあるだろうが、それにしても関心が低い。沖縄からも開拓団が行っていただけでなく、「集団自決」や軍隊が住民を見捨てて守らなかったことなど、沖縄人が関心を向けて考えるべきことは多い。沖縄の人は沖縄戦については熱心に語るが、他の戦争については関心が低いのではないか、と指摘する声もある。意識して克服したいものだ。
 映画を見た人、見逃した人に本を2冊紹介したい。
 映画の冒頭に「残留孤児」の方々が起こした国家賠償請求訴訟の様子が映っていた。井出孫六著『中国残留邦人ー置き去られた六十余年』(岩波新書)は、満蒙開拓団とは何であったのか、それはなぜ推進されたのか、満蒙開拓と関東軍の関係といったことから、開拓団の人たちが置き去りにされた状況や「残留邦人」帰国の遅延を招いた国の無作為、帰国後も冷淡であった国に対して「残留邦人」が国家賠償訴訟を起こすにいたった過程、裁判の中味などが的確に記されている。映画への理解を深める上で役に立ち、これから満蒙開拓団について知りたいという人にも格好の一冊である。



 江成常夫著『シャオハイの満州』(新潮文庫)は20年以上前に出た文庫本なので、おそらく今では絶版になっていて入手しにくいかと思う。しかし、図書館や古本屋で見つけたらぜひ読んでほしいと思う。中国に残された「残留孤児」一人ひとりの写真と証言が載っていて、短い文章の中に、逃げる途中で幼子を残さざるを得なかった親と、残された子の無念と悲しみ、中国での養父母との生活、祖国への思いなどが凝縮されている。



 映画の中でソ連参戦の後、逃げるためにチチハル駅前に集まった日本人家族のことが語られていた。駅前を埋めた人々を尻目に、列車に乗り込んでいくのは関東軍の将校や満鉄社員、満州国の官吏の家族であったという。取り残された人々の多くは開拓団員であり、それ故に「残留婦人」「残留孤児」となった人々たちもまた開拓団の女性、子どもたちであった。
 写真は現在のチチハル駅前である。64年前、今は駐車場となっている広場に集まっていた人々は、沢山の荷物を抱えて列車に乗り込んでいく特権者たちの姿を、どういう思いで見つめただろうか。その権力の構図は決して過去の話ではない。

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3 コメント

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Unknown (檜原転石)
2009-10-13 06:32:26
注文中で手元にはないのですが・・・。

中国人の平均寿命が71歳?ぐらいで、農民のそれはもっと低く、よって中国人側からみた満州植民の証言は貴重です。

植民ですから当然ですが、日本の5反歩農民が中国で富農化したり地主化する。たとえば10町歩の農地って、べらぼうな広さですから、自作するとしても、小作として中国農民を雇う。残りの農地は貸し付ける。

▼中国農民が証す「満洲開拓」の実相
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%BE%B2%E6%B0%91%E3%81%8C%E8%A8%BC%E3%81%99%E3%80%8C%E6%BA%80%E6%B4%B2%E9%96%8B%E6%8B%93%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%AE%9F%E7%9B%B8-%E8%A5%BF%E7%94%B0-%E5%8B%9D/dp/4096260800/ref=sr_1_5?ie=UTF8&s=books&qid=1255380541&sr=1-5
入手可。 (mui)
2009-10-13 23:01:58
『シャオハイの満州』、私も20年前の学生時代に読みました。さっきamazonで調べたら1円でした。300円ちょっとの送料のみで手に入ります。
お礼 (目取真)
2009-10-14 12:57:49
色々とご教示有難うございます。
『シャオハイの満州』はぜひ若い世代にも読んでほしいものです。

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