海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

敗戦から75年の日の醜悪な風景

2020-08-16 10:44:09 | 小説

 15日(土)は午前11時22分頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。敗戦から75年を迎えるのだが、K8護岸にはランプウェイ台船が接岸し、ダンプカーで運ばれてきた土砂が②工区や②-1工区に次々と投入されていた。何と醜悪な風景だろうか。

 新型コロナウイルスの影響で規模が縮小された全国戦没者追悼式のラジオ放送を聞きながら、埋め立て工区を眺めていると、安倍や天皇の発言が一段と空々しくなる。平和憲法を掲げながら日本という国は、敗戦後も米軍を支えて朝鮮やベトナム、アフガニスタン、イラクなど数々の侵略戦争に加担していたのだ。

 憲法9条にしても、昭和天皇の戦争責任を免罪し、天皇制を維持するために、沖縄に米軍基地を置くこととセットで作られた。沖縄に犠牲を強要することで成り立ってきた日本の平和と安全の75年を象徴する風景として、辺野古の埋め立て工区の醜さがある。

 土曜日なので工事用ゲートは閉まっており、資材搬入がなかった。ミキサー車が入ってこないので生コンの打設は行われていなかったが、K2・K4護岸ともに型枠を組む作業が行われていた。

 敗戦の日も新型コロナウイルスの感染拡大もお盆休みも、日本政府・沖縄防衛局にはどうでもいいことのようだ。米軍関係者や基地従業員の新規感染が相次いでいる。莫大な予算を使い、先の見えない工事を強行する時間と金があるなら、新型コロナウイルス対策に回すべきだ。

 12時16分頃、瀬嵩の海岸と森に移動して大浦湾の様子を見た。K9護岸ではランプウェイ台船から土砂の陸揚げが行われていた。K8護岸ではランプウェイ台船の入れ替えが行われていて、護岸途中に造られた変則的な陸揚げ場に、明神3号が向かっていた。

 ガット船は6隻(第八そうほう丸、第八高砂丸、清明、聖嘉、marumasa3号、松龍丸)が停泊し、台船に土砂の移し替えを行っていた。

 大浦湾には工事関係の船が大小合わせて何十隻も浮かんでいる。工事が中断していた時の広々とした風景と比べ、ここもまた醜悪な風景と化した。

 キャンプ・シュワブには敗戦後、大浦崎収容所が作られ、今帰仁や本部、伊江島の人たちが収容された。多くの人が海に降りて食料を確保しただろう。命をつないだ海が破壊され新基地ができれば、戦争の時には真っ先に標的となる。

 沖縄を犠牲にして日本(ヤマトゥ)を守る。その構造があるかぎり、歴史は繰り返される。その構造を否定するためにも、辺野古新基地建設を阻止しないといけない。

 ランプウェイ台船に土砂を移し替えたガット船・清明が、大浦湾の沖側に張られた汚濁防止膜の切れ目を抜けていった。船の往来ができるように汚濁防止膜は切れ目だらけだが、赤土による汚濁も切れ目から流出するのは分かりきったことだ。

 新型コロナウイルス対策で、隙間だらけの透明マスクをしているテイケイと同じようなものだ。実際には役に立たないのに、さも対策をとっているかのように見せかけるのだ。

 国のやる市民だましに御用学者がお墨付きを与える。あるいは文学者や報道機関が国の戦争政策を宣伝し、市民の戦意を高揚させる。その積み重ねが、引き返せない場所へと市民を追い込んでいった。辺野古の工事を支えている御用学者たちの責任は重い。

 

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