海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

「沖縄戦『強制連行犠牲者』遺族による証言の集い」

2010-06-22 00:23:59 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 6月19日(土)の午後6時から読谷村文化センターで「沖縄戦『強制連行犠牲者』遺族による証言の集い」が開かれたので聴きに行った。主催はNPO法人沖縄恨(ハン)之碑の会。韓国から来沖した権水清(グォン・スチョン)氏が、父親が日本軍に徴用されて沖縄戦の犠牲となったことや、9歳で母親も亡くして親戚に引き取られ、畑仕事などに追われ学校に行けなかったこと。成人してからは主に工場や建設現場で働いてきたが、1989年に腰を痛めて力仕事ができなくなり、今はアパートの警備をしながら暮らしていることなど自らの半生を語りつつ、心に抱き続けた父への思いを語った。会場で配られたパンフレットには、権氏の思いがこうつづられている。

〈幼い頃にあまりにも厳しい生活が始まったので、どこにも心の便りにすることができない異郷をさまよいながら住みました。そうしたのできちんと学ぶことができず、ただ食べていくことに気をつけるしかありませんでした。夢中でいきながらも、子供心に父がまだ生きて帰ってくるような気持で、死亡の申告もせず生きてきました。どこにでも、生きていたなら、いつでも帰ってくるだろうと思いながら生きてきました。故郷の善山にも母のお墓だけあって、父は仮の墓もこしらえないままで〉(8ページ)。

〈慶尚北道英陽郡に沖縄につれられてきた姜仁昌さんと、日本の方々の努力によって造られた『ハンの碑』というものがあります。後で、その場所に父の名前が書いてあることを見ました。
その夜、寝ようと横になったのに睡眠ができませんでした。私としては、もしかしたら、という期待もありましたが、碑に刻まれた名前も確認して、厚生省からの記録が来たのに、お亡くなりになったように、(内容が)来ましたので、心が異常でまったく寝ることができませんでした〉(9ページ)。

〈年をとるにつれて、もっともっと母と父の姿が懐かしくなりますが、二人とも私が幼い時に亡くなったし、そのうえ、写真もないので、両親の姿を描くことができません。
個人がみずから進んで、父親の生死を確認し、遺骨を探すということには限界があり、あまりにも力がかかるのを知っています。韓日両国政府は、不当に犠牲になられた方々の生死を確認し、遺骨を探すのに努力しなければならないと考えています。私のような遺族の要望が実現することを期待します〉(10ページ)。

 続いて太平洋戦争被害者補償推進協議会代表の李煕子(イ・ヒジャ)氏が「遺族たちは今」という題で話をした。沖縄の阿嘉島で12人の仲間が日本軍に処刑されるのを目撃し、証言した姜仁昌(カン・インチャン)氏が、沖縄行きを待望していたが体調不良で参加できず、今容態がとても悪い状態にある、と語って声が詰まり、最後まで話を続けられなかった。
 実際に強制連行や沖縄戦を体験された人たちが、高齢のためにみずから語ることができなくなりつつある。集会の中では、遺族が証言を行う時代になりつつあると言われていたが、権氏のように親を戦争で亡くした遺族は、子供でも65歳以上になっている。
 親がどこで、どのように死んでいったのか。その遺骨はどうなったのか。子として一番知りたいことはそれであり、親の遺骨を自分の手で葬り、供養したい、という思いは65年経っても変わらないことを、権氏の話を聞きながら切々と感じた。それが適わないことのつらさ、悔しさ、苦しみは、戦時の混乱だけでなく、朝鮮半島から強制的に連れてこられ、戦争の犠牲になった人たちの記録や調査を、日本政府がなおざりにしてきたことによって生み出されている。時間は限られている。権氏が語っているように、生死の確認や遺骨探しは個人の力では限界がある。政権交代に意味があるというなら、日本政府は早急に対処すべきだ。







 「証言の集い」に参加する前に、久しぶりにチビチリガマを訪ねた。
 ガマに降りる階段近くの道に自転車に乗った中学生が四人いたのだが、私が降りたのを見てあとからついてきた。慰霊の日を前に学校で話を聞いてやって来たのだろうか。木が茂って薄暗いので降りようかどうしようか迷っていた、という雰囲気だった。金城実氏が制作した平和の像やガマをのぞき込み、携帯で写真を撮っていた。
 初めてチビチリガマを訪れたのは1985年の夏だった。当時は周りが開けていて道からガマの入り口を見下ろすことができた。今はガジマルが枝を広げて窪地を多い、気根の垂れた薄暗い空間は日常の時間から切り離されたようで、ガマの近くを流れる水音だけが響いていた。ガマの入り口で手を合わせて、「証言の集い」に向かった。


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