東慶寺
弘安8年(1285)に創建され開山以来、明治に至るまで本山を持たない尼寺として女性の信仰を集め、江戸時代には寺社奉行が公認した「女性の駆け込み寺」として離婚を求める女性の救済寺となりましたが、現在は臨済宗円覚寺派の塔頭寺院となっています。
写真的には春の梅が有名ですが、この時期もイチョウの木と山門前の紅葉が見所です。
北鎌倉駅近くにあり、国道から少し奥まったところにある為、落ち着いた佇まい 山門
茶室「寒雲亭」の入口
長寿寺
建武3年(1336)に足利尊氏の邸宅跡に建てられた臨済宗建長寺塔頭寺院です、拝観日が期間限定で、春(4・5・6月)、秋(10・11月)の金土日及び祝日のみ開門され、それ以外の月日は閉門されています。
本堂、小方丈からは禅寺らしい簡素ながら趣のある小庭園を見ることが出来ます、また手入れされた寺院の周囲の紅葉も見事です。
山門 玄関
本堂から山門を見る 玄関で靴を脱ぎ、本堂で仏様に挨拶
小方丈の座敷に座り庭をめでる人
小方丈から見た庭
床の間に置かれた織部の焼き物
書院からみた庭
観音堂
庭園は建物の周りを一周する回遊式で玄関を出ると一方通行の歩道を歩きます
足利尊氏の墓所(遺髪が収められていると言われます)
竹林と紅葉
裏手から見た小方丈(左)と庭園
円覚寺
臨済宗円覚寺派の大本山、鎌倉時代の弘安5年(1282)に創建され建長寺に次ぐ鎌倉五山第二位の名古刹です。
北鎌倉駅際に総門があるという好ロケーション、鎌倉の紅葉の名所として多くの人が訪れていました。
午前10時過ぎに明月院から移動、北鎌倉駅際の総門前はすでに多くの人が訪れていた
妙香池の紅葉
大方丈の庭園
禅の専門道場(居士林)
居士林の裏手から坂を上る
坂を上ると塔頭龍隠庵がありました
龍隠庵前の庭から円覚寺仏殿がみえる、手前の茅葺屋根は禅道場「居士林」
庭から見た山門の屋根
塔頭「龍隠庵」の入口に飾られていた古い時計と花瓶
塔頭「如意庵」玄関に飾られた扇ともみじ
山門
山門から見た総門前の紅葉
建長寺派 福源山明月院
前水暦元年(1160)創建の臨済宗の古刹です、春の紫陽花の名所として有名ですが、秋のこの時期、本堂の丸窓から見える庭園が絵になるため、多くの人が訪れます。
春のアジサイ時期に来た際は庭園が解放された為、丸窓からの風景に人物が入り絵にならず、リベンジの為、開園時間の午前9時過ぎに北鎌倉着、徒歩10分で明月院に入ったが、すでに丸窓からの写真を撮影をする人が行列していました。
明月院はこの時期、丸窓からの景色と入口周辺の紅葉以外、目立つ撮影スポットはありません
丸窓からの景色を見るための行列が続く 順番に座敷前から丸窓を撮影
丸窓からの風景
丸窓から見た風景、手前にススキ、奥に紅葉を配した構図、お寺も観る側に配慮していました
丸窓がある座敷の隣部屋の景色
小鳥の餌場
本堂前の枯山水
紫陽花の咲く時期には、この階段人であふれます 休憩所
混んでいるのは本堂の周りだけ、園内には観光客も少なく静かな風景が広がる
今年6月19日、明月院の紫陽花を撮りに行った際の丸窓です
六義園
徳川幕府五代将軍綱吉の御側用人であった柳沢吉保の下屋敷跡が都立の庭園となっております、春の桜、秋の紅葉が見事で、この時期にはライトアップされます。
この日は、ライトアップの時間に早かったが、すでに庭園内は多くの人が日没を待っていました。
吟花亭跡近くに昨年までは無かった屋台が出店していた、静かに園内を巡る雰囲気を壊す無粋な商法
渡月橋と紅葉
立ち入り出来ない妹山、背山、夜間はライトアップされます
藤代峠から見た庭園内
渡月橋、観光客が多く、ガードマンが通行の整理を行っていた
新宿御苑
江戸時代は信濃・高藤藩の下屋敷があったところ、明治12年(1879)に宮内省の管理下に入り、その後は環境省管轄の公園となって現在に至っています、春の桜、秋の紅葉の名所でもあります。
この日は地下鉄新宿御苑でおりて大木戸門から入りました。
フランス式整形庭園のプラタナスの並木
幼稚園児がお散歩中
薔薇の花壇
下の池の紅葉したカエデ
イギリス風景式庭園でランチを食べている幼稚園児
見頃を迎えたイチョウの木
タムケヤマ〈カエデ)の紅葉も今が盛り
11月14日、立川市にある昭和記念公園の「秋色」を撮りに出かけてきました。
昭和天皇在位50年を記念して昭和58年(1983)に旧立川基地の敷地180haを国営の公園として整備されました、広大な敷地は「みどりの文化ゾーン」など目的別に五つのゾーンに分かれています、今回は都内最大と言われるイチョウ並木と日本庭園の紅葉を撮影目的としました。
JR西立川駅から徒歩1分の「西立川口」 パンパスグラス
秋真っ盛り
皇帝ダリア
この時期の最大の見どころの「イチョウ並木」は残念ながら多くの木が葉を落としていましたが、それなりに趣がありました
平日のため、人手が少なく写真撮影には最高のタイミング
日本庭園入口のカエデ 日本庭園入口
清池軒(休憩所)から池周辺の紅葉が見ることができます
清池軒前の「西の流れ」に架かる橋から見た秋色
数寄屋造りの歓楓亭(集会所)
歓楓亭の裏門(閉鎖中)
池を一周すると様々な紅葉が見ることが出来ました
盆栽苑の紅葉
盆栽園入口に置かれた柿の盆栽、壁に映る影が絵になった
園内に造られた水の流れ
池の向かい側から見た清池軒
清池軒と歓楓亭
四阿「昌陽」からの眺め、枠をフレームに紅葉を撮りました
竹林と紅葉
清池軒の脇から見た眺め
池の東の流れに架けられていて、ミニ版・京都嵐山の風情を味わえた(?)
日本庭園入口の横にあった水鉢、落葉が絵になる
渓流広場
見事な落葉の絨毯
落葉の中のベンチ
午後4時30分閉園、広大な園内はすべて回り切れず、時間切れで撮影を終了
「塔のへつり」-ローカル線の会津鉄道に2駅乗って会津下郷駅で下車、再びバスで「大内宿」を目指しました。
大内宿に近づくにつれてR121は大渋滞となり、目的地の4km手前辺りから殆どのろのろ状態
なんとか渋滞を抜けて大内宿駐車場に到着、時間は午後3時過ぎ
大内宿
南会津の山間部に位置しており、会津と日光を結ぶ会津西街道(下野街道)の半農半宿の宿場町、会津から5里(20km)の距離にあって参勤交代で江戸に向かう会津藩の宿場として栄えた、現在も電柱を地下化して宿場の姿を往時のままで残し「重要伝統建造物保存地区」に指定されている。
自由時間は90分、小さな宿場町なので撮影には十分な時間、時期は違うが以前来たことがあり多少土地勘も有るので、取り敢えず宿場奥の見晴台に向かうことに
道路の両側に寄棟造りの建物が均等に並んでいる
ねぎ蕎麦を最初に出したと言う三澤屋、人気NO1の店だそうです
旧本陣が「町並み展示館」となっている
宿場の中程にある高倉神社の鳥居
鳥居の奥が高倉神社 茅葺屋根の上にあるのは煙出しか?
民芸品店の店頭
見晴台は宿場の奥の80段の石段を昇り、子安観音の横にあった
見晴台からの眺め
間もなく日没
旧本陣から見た茅葺屋根、奥の山並みと同化していた
お店番のおばあちゃん、懐かしい風景です
蕎麦の産地・会津の伝統料理である「ねぎ蕎麦」、ねぎを箸代わり+薬味として蕎麦を食べます
旅行の記念にトライしたが、ねぎ1本では食べ難く、結局最後は箸で食べた、味は閉店間近のせいか蕎麦は腰が無く、つゆもぬるくて期待外れ
これから帰途に着きます
向かいの山は紅葉が真っ盛り
帰りの東北道は事故もあって渋滞が連続、羽生のSAで一息、ここは池波正太郎が生んだ火盗改め「長谷川平蔵」をイメージした造りで人気のSAです
「塔のへつり」、「大内宿」を巡るバスツアーに参加して晩秋の南会津を満喫してきました。
午前7時30分、松戸を出発、外環を経由して東北道で湯野上温泉を目指しましたが、この日は連休初日で天気も快晴の為、行楽客が多く渋滞を覚悟、加えて玉突き事故もあってツアーの行程が変更される事に。
当初の予定では湯野上温泉―会津下郷間を会津鉄道に乗車だったが列車の本数が1時間に1本の為、間に合わず、直接「塔のへつり」に直行することになった、ツアーガイドのお姉さんが携帯で現地と連絡をとり判断。
「塔のへつり」
南会津東部を流れる大川沿いの岩が百万年かけて浸食と風化を繰り返して「塔」の様に削られた奇岩が見どころで国の天然記念物です、「へつり」とは会津の方言で川に迫った険しい断崖のことだそうです。
へつりガーデンから階段をおりると対岸に渡る吊り橋が架かっていた 白い「へつり」に紅葉が映える
グリーンの水面と紅葉
澄んだ青空と紅葉、ぜいたくな風景
会津鉄道の鉄橋が見えた
バスで会津鉄道湯野上温泉駅に移動して会津下郷までの3駅をローカル線に乗車
茅葺屋根の湯野上温泉駅、茅葺屋根の駅は全国でもJR九州の豊後中村駅とここだけ
茅葺屋根と山の紅葉が絶妙なコントラストを見せる
一時間に1本の列車が入線
浅草から東武鉄道野岩鉄道ー会津鉄道ーJR線で会津若松までつながっている 列車内は観光客でほぼ満席
車窓から見たへつり
列車後部からの風景
塔のへつり駅を通過
車窓から懐かしい風景が流れる
列車の風圧で線路上の落ち葉が舞う トンネル通過中
会津下郷駅で下車
早くも冬支度中 会津下郷駅からバスで大内宿に向かいます
午後2時を過ぎで気温は18度 大内宿に向かう途中の「道の駅しもごう」小休止
予定時間より大幅に遅れて下郷町に到着 4km続く甲子トンネル
時間は午後3時30分、大内宿に向かう道路は大渋滞、日没までに到着できるのか 相変わらず車はのろのろと進む
国、都、企業の共催、協賛による「創エネ・あかりパーク2017」が11月1日から5日の間、上の恩賜公園噴水広場で開催されました、様々な光のイベントに加えて特設ステージにおいて日替わりで大道芸、フラメンコ、太鼓演奏などが行わました、照明のデザイナー石井幹子氏がプロデュースしたイベントで、最終日の5日夕刻にに出かけてきました。
美濃和紙による照明
長野灯明まつり出展作品
一定の間隔をおいて灯明の中のランプの色が変化しました
トヨタの燃料電気自動車「MIRAI」が展示されていた
国立博物館もライトアップ
最終日のイベントはマリンバの演奏
レーザー光線の乱舞
美濃和紙の照明が並ぶ
親父たちの遠足
現役組+リタイア組で組織した山仲間の集まり「リチャード隊」は週末に首都圏や近県の山をハイクしていますが、新たにリタイア組だけで月一で平日に都内近郊を歩いています。
5回目の今回は浜離宮から海上バスに乗って浅草に向かいました。
10月30日(月)午前9時に新橋駅に集合、勤務先に向かう通勤客の流れに逆らって、地下街を通り抜けて浜離宮恩賜庭園に向かいました、浜離宮―浅草の第一便が午前10時30分の為、庭園内を散策。
浜離宮恩賜庭園
江戸時代前期の承応3年(1654)に徳川将軍家の鷹狩場として造られました、その後、徳川家の別邸となって「浜御殿」と呼ばれる様になり、11代将軍家斉の時代に現在の姿になったと言われます。
現在は特別名勝・史跡として東京都の管理下に置かれています。
大手門橋を渡り、桝形になった入口(大手門)を入る 造営当時の石垣
六代将軍家宣が植えたと伝わる「三百年の松」 汐留のビル群を背景にした汐入の池と中島のお茶屋
園内の小高い丘の先に東京タワーの先端部 汐入の池に海水を取り込む水門
水上バス乗り場、日本人より外国人客が多かった
水上バスから見た浜離宮恩賜庭園 水上バスは日の出桟橋経由で浅草に向かいます
来年移転予定の築地市場 築地大橋
レインボウブリッジ 水上ボートはUターンして浅草に向かう
一見、宇宙船風の水上ボート「ホタルナ」
勝鬨橋
江戸時代、徳川家康が摂津(大阪)から連れてきた漁民をこの島(佃島)住まわせて江戸城に魚を納めさせた
石川島に建つ大川端リバーシティー(マンション群)
両国橋、橋の欄干にあった相撲取りと屋形船の飾り
ヨーロッパのデザインを取り入れた清洲橋 神田川の河口
吾妻橋、奥は駒形橋 なじみの風景
浅草文化観光センター屋上から見た浅草寺
浅草寺の横にある浅草神社(三社)前にて
推古天皇3年(595)創建の待乳山聖天、浅草寺から歩いて10分ほどの距離にあるパワースポットです、境内には大根が信仰のご利益として飾られています
江戸時代の名残をとどめる「築地塀」、広重の浮世絵にも描かれているそうです
待乳山聖天脇にあった「池波正太郎生誕の地」碑、池波の作品には、この周辺が多く登場する
本堂前にて 大根が売られていた
待乳山聖天から10分歩くと今戸神社があります、この地は江戸時代に「今戸焼」という焼き物が焼かれ招き猫の発祥の地でもあります
こじんまりとした本殿 本殿では招き猫がお出迎え
「今戸焼発祥之地」碑と並んでこの地で亡くなった新選組一番隊組長「沖田総司の終焉之地」碑がありました
猫がいっぱい
本日のハイクはここで終了です 隅田川沿い浅草に戻ります
この日のランチは大黒屋の天丼、いつ来ても癖になる味
旧水戸藩下屋敷跡が墨田公園になっている 私は仲間と別れて牛島神社経由で東京スカイツリーへ
この神社の色づいたイチョウの木を撮りに来たが、まだ早かった
東京スカイツリー、待ち時間が短かったら昇ろうと来たが60~90分待ち、あきらめた