本土寺
寺伝によると創建は建治3年(1277)、池上本門寺、鎌倉・妙本寺と共に朗門の三長三本と呼ばれる古刹。
メディアによる注目度も高く、千葉・東葛のアジサイ、秋の紅葉の名所として多くの人が訪れます、この時期は1万株の紫陽花(因みに鎌倉・明月院は2,500株)と5千株の花菖蒲が見頃となっていました。
拝観料は¥500.-
前日降った雨のしずくが、花々の新鮮さを感じさせる
開祖日朗上人の母堂を祀る妙朗堂と紫陽花
本堂の奥にある花菖蒲田、アジサイは8分咲きだが花菖蒲は盛りを過ぎていました
花菖蒲田
小石川後楽園
徳川家康の11男である頼房が興した御三家の一つ、水戸徳川家の上屋敷跡です、御三家の一つ水戸徳川家藩主頼房が作庭家の徳大寺左兵衛に命じて幕府から与えられた7万㎡の敷地内に「回遊式築山泉水庭園」を造らせて二代藩主の光圀の代に完成した庭園です。
儒学者である朱舜水の意見をとり入れ、中国のことわざ「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後 れて楽しむ」から庭園は「後楽園」と名付けられたが、岡山藩池田家の後楽園と区別する為に小石川後楽園と称している。
東京ドームシティー脇の小石川後楽園正門(東門)は閉鎖中 白壁沿いに飯田橋にある西門に向かう
西門、JR中央線飯田橋駅から徒歩10分程の距離、水道橋からは20分掛かりました
背後に東京ドーム・ホテルと文京区役所が顔出している
ザクロの木 入口を入り池(大泉水)を迂回すると菖蒲田があり、丁度見頃になっていた
江戸時代に多摩川から取水して羽村から江戸市中に引き込まれた神田上水が、作庭の際に後楽園にも引き込まれた、現在もその跡が残されていた
愛宕坂から見た菖蒲田
菖蒲田の手前には稲田があった
大泉水にある蓬莱島の徳大寺石
幕末期に尊王志士に影響を与えて水戸学の大家、藤田東湖遺蹟があった 水戸藩邸の書院の庭の内庭
白山神社の紫陽花
社伝によると加賀・一宮白山神社を村上天皇天暦2年(948)に奉勧、建武4年(1338)に足利尊氏より国家平安祈願所に命ぜられたとあり、江戸時代には五代将軍家綱の生母桂昌院の庇護を受けたとある由緒ある神社です。
なお、風物詩としては梅雨の時期に白山神社境内から白山公園にかけて植えられた3,000株の紫陽花が見頃を迎え、開催される「あじさいまつり」には多くの人が訪れます。
今年は6月9日~17日に「文京あじさいまつり」が開催されるが、少し早めのの6月5日に出かけて来ました。
都営三田線白山駅下車、徒歩5分で到着
開花は8分位か、見頃の時期で、この日は多くの人が訪れていました
手水舎と紫陽花
開花したばかりか、どの花も生き生きとしています
富士塚の紫陽花、9日から解放されます
9日から始まる「文京あじさいまつり」の舞台がセットされていた
両側にアジサイが咲き乱れる「富士塚」はこの日は解放されていませんでした
富士塚前の浅間神社の鳥居、江戸時代には富士山信仰が盛んで、富士山を模した塚が市中各所に造れました、白山もその一つです
神社裏手にある白山公園の紫陽花
安永9年(1780)に奉納された両眼が金色の狛犬 白山の丘に建つ白山神社
社殿 社殿前にあった東京十社巡り
日比谷公園の向かい、帝国ホテルの隣で再開発工事が続いていた35階建ての複合ビル「東京ミッドタウン日比谷」が3月29日にオープンしました。
開業当初は物見客で大混雑していたため、2か月を経った5月末に出かけてきましたが、この日も女性グループを中心に人出が多く、飲食店はどこも行列でした。
地下鉄千代田線の日比谷駅コンコースから入館 2Fのテラス
1Fロビー
4-5Fがシネコン(TOHOシネマズ)
6Fが日比谷公園を一望できるテラス
日比谷交差点、手前の緑が日比谷公園、奥が皇居と大手町ビジネス街
日比谷公園、奥が官庁街 この地は江戸時代初期は日比谷入江と言われた海、神田山を切り崩して埋めたてられた
圧倒的に女性のグループ客が多かった
かっての劇場街が大きく変貌した 日比谷公園の紫陽花と